奇麗な風
朝日俳壇と歌壇の間のコラム「うたをよむ」に俳人の今井千鶴子さんが書いていられます。
子規と六月の奇麗な風 今井千鶴子(6/14)
今年も六月になった。六月の声を聞くと、テレビのキャスターも行きつけの美容院のお兄さんも、もう六月!半分なんですねェ、とため息交じりに言う。相槌を打ちながら私は地の底に沈んでいくような気分になる。ああ、また雨の季節か。
六月はほんとうに恵まれない月だ。一年十二カ月のうち、祝祭休日のないのは六月だけ。来る日も来る日も雨ばかりのなか、学生は中間テストでしめつけられ、食べ物はすぐいたむ。俳句を作ろうかと歳時記を繰れば、六月の部にはけら・いもり・なめくじ・みみず・ひきがえる・ひる・はえ・くも・げじげじ・ごきぶり・やもり・ぶと・うじ など、陰鬱な生き物の名がずらり。あーあ、そして私は六月の生まれなのである。
後略
けら~うじの間の名前は全部漢字で書かれているのですが、パソコン的には「超メンドクサイ」のでひらがなにさせていただきました。
よほどに苦手でいらっしゃる。笑ってしまった。それぞれに、親しめばそれなりに「いい連中」なんですけどね。
私はどちらかというと乾燥した「ガサゴソ」系が付き合いやすい。湿った「ヌルヌル」系は苦手だけれど、陰鬱とまでは思わない。
上の文の後に正岡子規の<六月を奇麗な風の吹くことよ>を引いて、なぜ、この湿った「忌まわしい」六月の風が「奇麗」なのだろうという展開になりますが、省略。
しかしなぁ。批判するわけではないが(実は批判しているけど)、俳人としてはすこ~し恥ずかし目の独白だったなぁ。命が雨を得て猛烈な勢いで育つ季節のその力を感じ取っていただきたかったなぁ。
植物も動物も、夏の爆発へ向けて、巨大な力を蓄えつつあるんですよ。
まさに、今。
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