口蹄疫
2010.6.14付 朝日歌壇より
高野公彦 選
幾千の牛の鳴き声轟かん鳴き交はし鳴き交はし殺されてゆく:(水戸市)檜山佳与子
高野公彦 評:口蹄疫のために殺処分される場面を思い浮かべ、悲しむ。
永田和宏 選
豚といふ陽気なる奴牛といふ威ある生き物殺されていく:(水戸市)檜山佳与子
永田和宏 評:陽気な奴、威厳のある奴、そんな「生き物」が一斉に殺される不条理。
愛称の牛の名よびて送りだす消毒粉のがらんどう舎に:(長崎市)松尾信太郎
永田和宏 評:「愛称」で呼んでいたものを殺処分へ送り出さねばならぬ無念を思い遣る。
馬場あき子 選
殺処分待つ牛がふと飼い主にいつもの朝のように顔寄す:(行方市)鈴木節子
処分さるる牛大きなる潤み眼に何心無く犢舐むらん:(水戸市)檜山佳与子
馬場あき子 評:問題の口蹄疫にかかわる哀話。投稿歌の多かった中から二首選んだ。
{かかし:「犢」は「こうし」ですね。もちろん「子牛」}
佐佐木幸綱 選
まっ青な五月の雨で匿(かく)しつつ牛も殺して豚もころして:(東近江市)寺下吉則
牛なれば処分するとふ十万頭飼ひ主なれば男泣きする:(福島市)鈴木悦郎
佐佐木幸綱 評:今週は宮崎県の口蹄疫の歌が多くあった。
たくさんの歌が寄せられたようです。
もともと肉牛ですから、殺すために育てたものです。なぜ、殺処分にみんな納得がいかないのか?
それは、「おいしく食べてくれる消費者」がいればこそ、おいしく食べてもらえるようにと労力を注ぎ込んで育て殺して、納得がいくからです。
食べられることもなく、喜んでもらえることもなく、ただ殺さなければならないその「空しさ」に農家の方々は耐えられないのです。
昔、水俣湾で、漁師さんが獲った魚を、ただコンクリート詰めにして廃棄するために買い上げた。食べてももらえない、おいしいと喜んでももらえないのに、金だけは出る、このことの空しさに、漁師さんの心がすさんだのでした。
昔、子育ての頃、子どもらに、おいしいおいしいって食べてもらおうとお百姓さんが心を込めてお米をそだてたんだよ。おいしいおいしいって喜んでもらおうと漁師さんが魚を獲ったんだよ。牛さん、豚さんもおいしいおいしいって食べてもらうように育てたんだよ。感謝しなくっちゃ。
って、言い続けましたっけ。
そのつながりが切れるとき、空しさだけが心をむしばむのです。
今回の口蹄疫のことだけではないはずですね。消費者として食事をするときには、いつも生産者の心を受け取るつもりで頂きましょう。
食材の命を「いただきます」。
生産者の心を「いただきます」
それは、必ず伝わるのです。
食材の命も、生産者の心も、もれなくいただかなくては「もったいない」。
◆ところで追記。上の歌に檜山さんという方が3回登場していらっしゃいます。
実は、もう一首。
佐佐木幸綱 選
打ち上げられなかつたロケット薔薇色の靄に包まれ微睡(まどろ)んでゐる:(水戸市)檜山佳与子
{かかし:「あかつき」などを積んだH2Aロケットの打ち上げが延期された時の情景でしょうね。}
4人の選者全員に、別々の歌が選ばれる、というのも、かなり珍しいことではないかと思います。同じ歌が4人全員に選ばれると、ちょっとした騒ぎになります。
今回のこともまた、評価されるべきことでしょう。
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