惜命
2010.6.28付 朝日俳壇より
惜命の冷やしラムネとなりにけり:(みよし市)稲垣長
長谷川櫂 評:「惜命の」とは炎天下、冷えたラムネにめぐりあって生き返るようというのだ。西行が小夜の中山で詠んだ歌の「命なりけり」に等しい。
ちょっと、というかかなり困惑しています。
この句が投稿されたときに「炎天下」という状況は季節的にどうなのでしょう。
暑かったのでしょう。とにかく。
で、冷たいラムネに生き返るような思いをしたのですね。
「惜命」という言葉は辞書にないのですよね。で、文字通り「いのちをおしむ」ということなのでしょうが、どうも、語感的にピンとこないなぁ。
西行法師の新古今にある「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」の「命なりけり」に等しい、といわれても、私としては納得しがたいものがあります。
石田波郷の「七夕竹惜命の文字隠れなし」を引いた方がよいような。
石田の句は結核の療養所でのものでしょう。
ですから「惜命」は文字通り「命を惜しむ」であり、「命をいとおしむ」だと思うのです。
冷たいラムネが胃の腑に落ちて行く。ああ、生きている、「わが命、いと惜し」と読みたいのですが。
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