« ハナムグリ | トップページ | 野ネズミ »

2010年6月22日 (火)

禅堂

2010.6.21付 朝日歌壇より
テレビ見て酒くらいおり禅堂でひたすら坐りし夜もありしに:(三原市)岡田独甫

この歌を読む時は「酒くらいおり」でいったん切った方が良いのではないかな。
禅堂でひたすら坐って修業に励んだ夜もあったのに、と切らないとまずいのではないでしょうか。
人間らしくて、結構なことです。(原始)仏教的には、まずいでしょうけど。
テレビにも、酒にも、心奪われず執着せず、自在に距離を変えることができればよろしいのではないですか。
悟り、悟り、と悟りに執着するのもまた煩悩・苦。

生老病死。生きたい、老いたくない、病を得たくない、死にたくない。これらが普通の意味での執着ですが。
「死にたい」と執着するのもまた執着。激しい苦を生みます。

生きるも死ぬも、生命38億年の流れのままに、自然に、受け入れられればよいのですが。
この流れの中にあることを「生きる」というのでしょう。

« ハナムグリ | トップページ | 野ネズミ »

崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 禅堂:

« ハナムグリ | トップページ | 野ネズミ »

2023年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ