はやぶさ帰還
やっぱりうるうるしてしまいました。
朝からネットでいろいろ記事や写真を見て回っていました。
新聞にも掲載されていましたが、最後の最後に地球を撮影した写真がありましたね。
あれに参ってしまいました。うるうる。
「はやぶさ」大気圏突入前、地球撮影に挑戦
【ウーメラ(オーストラリア南部)=本間雅江】小惑星探査機「はやぶさ」が日本時間13日午後10時51分に大気圏へ突入する。
その直前、地球の撮影に挑む。大気圏突入で燃え尽きるはやぶさ。「7年ぶりに戻ってきた故郷の姿を最後に撮らせてやりたい」という研究者らの思いは通じるか。
はやぶさは同午前9時には地球から27万6000キロ・メートルの距離に迫る。そこから見る地球は地上から見る月の約5倍の大きさになっているはずだ。
しかし、はやぶさの最後の重要任務は、小惑星の試料を納めた可能性がある内蔵カプセルを機体の前面から地球に向けて放出する作業。それに必要な姿勢を保つため、底面のカメラは地球が見えない方向に向けている。
相次ぐ故障を乗り越えて帰ってきたはやぶさに、その「目」で、もう一度地球を見せたい――。はやぶさ計画を率いる宇宙航空研究開発機構の川口淳一郎教授らが撮影を思い立った。カプセル放出から大気圏突入までの約3時間、残るエンジンなどの力を振り絞ってカメラを地球に向ける。
うまくいけば、放出したカプセルも地球の手前に写るとみられている。カプセルは、はやぶさが大気圏に突入してから約20分後、ウーメラの砂漠に落下する見込みだ。
(2010年6月13日03時02分 読売新聞)
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「はやぶさ」最後の力で撮った故郷
大気圏突入前、はやぶさが最後に撮影した地球(13日午後10時2分)=宇宙機構提供
小惑星探査機「はやぶさ」は大気圏突入の直前、最後の力を振り絞って、数千キロ・メートル離れた地球の写真を送ってきた。
日本時間13日午後10時2分に撮影した白黒写真を送信中の同28分、はやぶさが地球の裏側に入ったため、地上との交信が途絶。写真のデータも途切れたが、地球の姿が奇跡的に写っていた。
はやぶさは同日午後7時51分、機体の前面から地球に向けてカプセルを放出後、底面にあるカメラを地球に向けようと、180度向きを変えた。姿勢制御用のエンジンはすべて故障しており、長距離航行用のイオンエンジンの推進剤を直接噴出して、機体を回転させる離れ業を再び演じた。
(2010年6月14日02時10分 読売新聞)
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技術者たちの思い入れが偲ばれます。
地球を離れて孤独な旅を続けてきた「はやぶさ」に、母なる地球の姿を最後に一目見せてやりたかったのですね。
地球という「場所」への帰還というよりは、地球という星の上での物質や元素や生命の循環過程の中への回帰、という感じが強くします。この循環の中にあることを「生きる」というのではないでしょうか。「はやぶさ」は形は失いましたが、地球に生きていると感じます。
[コトバの記憶]「死というのは、人間にとって、大きな、全体的な「別れ」なのではないか」岸本英夫『死を見つめる心』(6/7 朝日新聞)
本の副題は「ガンとたたかった十年間」。著者は高名な宗教学者だったが、自らは信仰を持たず、天国や浄土があるとは信じられない。がんにかかり、「私にとっては、自分が無になってしまうということは、考えただけでも、身の毛のよだつ思いがする」と告白している。
だが闘病生活を通じて、死の意味をめぐる考察は深まっていく。人間は、長く暮した土地や親しくなった人々と、折に触れて別れ、それでも耐えていく。死はそのような別れの「大仕掛けの、徹底したものではないか」と思い至る。「それは、無の経験というような、実質的なものではないのである」
そこからさらに「きわめて身近にある自分の仕事の中に、意味を発見して、それに打ち込んでゆくことに、人生の本当の幸福がある」と論じていく。死生観と幸福論が溶け合った、とても静かな境地である。講談社文庫。
死んだら無になる、というのは間違っていますよ。私たちは地球の物質とエネルギーの循環の中で、繰り返し生命体の中に現れては消えているのです。
形を取るかどうかなどどうでもよいこと。地球の循環の中に抱かれていることを「生きている」というのです。ですから、38億年も生き続けているのです。
昔、「地球へ」というマンガを読んでいた頃は、地球という場所・星への帰還という読み方をしていましたが、年を経て、地球の循環への帰還、孤独ではない、38億年の生命たちと一緒に循環し続けられるという、包み込まれることへの帰還という感覚を強く抱くようになりました。
「はやぶさ」に刺激されて、気分が上ずっています。落ち着いてからまた考えましょう。
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コメント
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本当に感動しました。大気圏に突入して自分は燃えながらもカプセルは真っすぐに地球へ向けて届けたのを見て、ほんと泣けました・・。7年もかかって良く帰りましたね!主人共々どういう仕組みで帰れたのかしら、と無知な私たちは頭をひねっています?
カプセルの落ちた場所が先住民アボリジニの聖地らしいのでオーストラリア軍に交渉を頼んだとのことですが、すんなり行くといいですね。ちょっと心配・・。
投稿: 桔梗 | 2010年6月14日 (月) 15時12分
「ピンポイント」ということを超えています。原理的に「計算可能」だということは分かりますが、それを実現する「技術」というものの分厚さが胸に迫ります。原理が分かるのが理系、実際それを動かすのは工学系、センスが違うという感じはしますね。
技術は「もの」として単独で存在するのではなく、人の技として存在します。はやぶさ2に予算を付けてほしい。心の底からそれを願います。(170億円だそうで、それが出せないとなったら日本は貧しい国ですね。)
気分が落ち着いたら、いくつかはやぶさについて書くことにします。
投稿: かかし | 2010年6月15日 (火) 10時05分