前登志夫
2010年6月6日付の朝日歌壇と俳壇のあいだの「うたをよむ」というコラムに前登志夫さんについて喜多弘樹氏が書いていられました。その最初の部分だけ引用します。
[うたをよむ]前登志夫のおだやかな呪縛:喜多弘樹(歌人)(6/6)
「人間がおもしろくないと、歌もおもしろくないねえ。歌という定型詩は、大きなかなしみや耐えがたい苦しみ、どうしようもない修羅をかかえていて、散文でも表現しきれない人にこそ必要なのだから」・・・
だめだこりゃ、私が短歌や俳句と縁遠い所以を完全にいい当てられた。
「面白味のない人間」だからねぇ、わたし。ひとぎらいむしずき。こりゃいかん。
散文家。修羅なんかかかえてない、能天気な私。さっさと死にたいなぁ、疲れてきたぞ、と、生きることに、こだわりがかなりほどけちゃった私。これでは詩は書けるわけないか。
まるっきりいいあてられてしまいましたことよ。
執着がなくなると、詩はかけません。
詩人って、みんな辛いんだなぁ、偉いものだなぁ、と感心してしまいます。そんなにきばらなくってもいいんじゃない、なんて失礼なことを考えてしまいます。
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