0番地
2010.5.3付 朝日歌壇より
タクシーの無線流るる車内にて0番地とは斎場と知る:(沼津市)森田小夜子
なるほど。業界内部での符牒でしょうか。
空いたタクシーを無線で探して配車している、その交信を聞いたのですね。
その事自体は納得できるんですが。
なぜ、死を忌みきらうのか?死にまつわる話をすると縁起でもないと嫌がる人がいるのか?
それが実は私にはわからない。人は死ぬ、公然たる事実をなぜ忌むのか。
鶴見和子さんの妹・内山章子(あやこ)さんは、自費出版した「鶴見和子病床日誌」でこんなことを書いておられます。(抜書き)
「『ひとが死ぬとは、どういうことか。私をフィールドワークせよ』と姉はいいました」
「死にゆく人がどんな歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくのかを、あなたは客観的に記録しなさい」「歌が出来た」という。(略)〈ここで死ぬか 部屋に帰って死ぬか 主治医にさえも 私にさえもわからない 目覚むれば人の声するまだ生きてをり〉「これが最後になるか」と呟く。
その後の俊輔さんとの会話を内山さんは忘れることができない。
「『死ぬっておもしろいことねえ。こんなの初めて』と姉がいい、兄は『そう、人生とは驚くべきものだ』ですって。2人で大笑いしてるの」そして31日。「貞子さん(俊輔さんの妻)が『きれいな朝ですねえ』というと姉は『そうねえ』」。血圧が下がり始める。正午。俊輔夫妻、内山さんら家族が臨終を見守った。
「『お姉様よくがんばられました』といったら、『ハイッ』。これが最期のことばです。がんばったんです、姉は。よく生きたひとのよき死でした。
死を忌み嫌ってはいけません。
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