木馬
2010.5.17付 朝日歌壇より
ソクラテスのような顔してみなジャズを聴いていたっけ新宿「木馬」:(坂戸市)山崎波浪
馬場あき子 評:昭和何年ごろの光景だったか。ジャズを聴きながら浮かれもせずに哲人のような顔をしていた人々の青春。まじめだったなあと回想。
私は昭和40年代の前半くらいでしょうか、ジャズ喫茶に入り浸っておりました。コーヒー一杯で2時間も3時間も座りこんでいましたっけね。巨大なスピーカーの前に座って、耳で聞くというより、皮膚で感じるような聞き方もしました。
「木馬」へは言ったことはありません。渋谷の「オスカー」や、中野の「クレセント」によく行ってましたね。オスカーでは喫茶店なのに小さなステージがあって、ライブもあったんですよ。
「哲人のような顔」をしていたとは思いませんが、まじめでもなかったな。
要するに「粋がって」いたんですね。「若かった」という回想は確かに。
今も、WOWOWなどで、ジャズのライブを録画して聴くのは大好きです。
楽器で行われる会話が好きでね。たまりません。ジャズはライブに限ります。
ひょっとして、クラシックの室内楽というのも、その当時はライブで当意即妙の掛け合いもあったのではないかな、と想像します。
NHKホールのパイプオルガンで「さくらさくら」をモチーフにした即興演奏というのを聞いたことがありますが、あれは「ジャズ」でした。20分くらいも、「さくら」はどこへいったんだ?という自由な変奏が続いて、最後にもう一回「さくら」にもどって終わった。あれ、よかったなぁ。
「哲人」で思い出してしまいましたが、昔のCMソング、野坂昭如さん
ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、二、二、ニーチェかサルトルか
みんな悩んで大きくなった
というのがありましたっけね。
どなたも、ジャズを楽しんだ世代じゃなさそうだ。
(サルトルがジャズを聴いたかどうかは知りません。)
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