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2010年5月12日 (水)

2010.5.10付 朝日歌壇より
我が体に静かに澱(おり)が積んでゆくそういう感じ四十代は:(赤穂市)内波志保
 永田和宏 評:四十代というのは確かに「そういう感じ」もあったな、と思い返す。

次の歌もあわせてお読みください。
我にまだ老いというもの遠ければ母の老眼鏡を誉めたり:(京都市)敷田八千代

眼の焦点を遠くから近くへ急速に動かすことがうまくいかなくなったなぁ、と感じたのは30代の後半でした。
障害者として、10代の頃にはかなり激しい活動をしていましたが、当時、自分の30代が見えない、と思っていました。実際に30代になって、40代が見えないなぁ、と思いました。
30代の終わりごろから、体にガタを感じて、節制を始めました。
40代に入り、これならなんとか50代もいけるかな、と思った矢先、激烈な腰痛持ちになり、水泳で体の立て直しをはじめましたが、結局、51歳で正規の教諭を退職しました。体がもたなくなったのでした。
以降、静かに老いの坂道を転がりおりています。
自分に70代は存在しないという前提で生きております。

「四十代」。老眼を意識し、疲労の回復の遅さに「こんなじゃなかったのに」といぶかり、いろいろと、「澱」が体内に沈積を始める頃です。
その澱がだんだん重くなってきて、老いを実感し始めます。
ゆっくりと参りましょう。そろりそろりと老いの坂をおりることに致しましょう。

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