眠つてよいか
2010.5.3付 朝日歌壇より
許されて今はと眠りに入り給ふ人とし聞きて声あげにけり:(仙台市)伊藤みどり
「眠つてよいか」いやまだはやいと独り言読みてひと月訃報を知りぬ:(堺市)平井明美
佐佐木幸綱 評:三月三十日に他界した長崎原爆をうたった歌人・竹山広氏への挽歌。『眠つてよいか』が、最後の歌集だった。
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朝日歌壇と俳壇の間に「うたをよむ」という欄があります。
2010.4.11付のその欄から引用します。
春の朝 眠るがごとく 晋樹隆彦
竹山広が逝った。昭和二十年八月九日、結核で入院中の長先の病院で退院の直前に被爆し、爾来六十有余年病弱の身を労りながら生活と戦い、被爆体験を通して優れた短歌を作りつづけた。
・・・第一歌集の刊行は昭和五十六年、六十一歳の時の『とこしへの川』であった。
巻頭には――昭和二十年八月九日、長崎市、浦上第一病院に入院中、一四〇〇メートルを隔てた松山町上空にて原子爆弾炸裂す。――の詞書とともに
なにものの重みつくばひし背にささへ塞がれし息必死に吸ひぬ
と詠んだ。かつて人間が体験することのなかった天からの魔物を、ドキュメンタリズムの手法を以て歌ったのである。極限を経験したがゆえの抑制された声というべきだろう。
しかし、竹山短歌の特色はそれだけでは無い。例えば阪神淡路大震災を詠んだ
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ
は、人間と運命の境界を把えた一首だが、被爆体験がもといにあって生まれた秀歌と言うべきであろう。
・・・
・・・ありのままの自分を曝すこと、社会への鋭い批評眼を抱きつづけていたからである。
忌日の朝、夫人は洗濯物を干されていたと言う。戻って話しかけると返答は無く、自宅での安らかな永眠だったとうかがった。予感していたのだろうか。生前最後の歌集『眠つてよいか』に、竹山はこう詠んでいる。
あな欲しと思ふすべてを置きて去るとき近づけり眠つてよいか
桜の咲きはじめた季節、竹山広は静かな眠りについた。(歌人)
「眠つてよいか」
見事な一語だと思います。
多分、詩人というものは、このようなとてつもない力を秘めた言葉を探し求める人のこと、なのでしょう。
言葉というものは、おそろしいものでありうるということを実感しました。
◆お恥ずかしい思い出を少しだけ。
51歳で都立高校教諭を退職しました。
その前年のころ。
まだ続けなければなりませんか。もういいでしょう。まだですか。
という思いが私の中に渦巻いていました。
退職の年の1年間。社会人としての自分にけりをつける作業をしました。
きつい、自分で自分の首を絞めるような気分だ、と呟いたことでした。
退職して10年を超えました。私の中には「社会に貢献したい」とか「社会とのつながりを保ちたい」とかいうような意識は全然なくって。あとは静かに「眠つてよいか」への道をたどるだけです。
そんな気分の男ですから、今後は竹山さんの言葉を心に突っ立てたまま生きていくことにします。
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