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5月21日
大きな羽アリなのです。これがうじゃうじゃという感じで一杯いる。
結婚飛行だな、とはわかるのですが、何アリなのかなぁ。
体長2cm弱はありますね。
私の知っている大型のアリと言えばクロオオアリくらいです。
で、クロオオアリということにしておきます。
すごい顎ですね。
子どもの頃よく1cmくらいのアリに指先に噛みつかせて遊びましたが、この大きさこの顎ではちょっと敬遠ですね。
ね、いっぱい、なんですよ。
かなりの見ものでしたね。帰り道、車を運転していたら、私の体にもついていたらしく、車内をこのアリが歩きまわりまして。ダメ、っと放り出しましたが、仕方ない。
ウィキペディアから引用します。太字は私がつけました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%AA
生活史
5~6月の雨が降ったあとのよく晴れた風の弱い日に日中を過ぎたころから夕方にかけ巣から多数の雄アリと雌アリが飛び出し、「結婚飛行」を行い交尾する。これの起こる日は各地域で1年の特定の期間(1~2週間程度)のさらに特定の幾日かに集中しており、クロヤマアリやトビイロケアリのように長期にわたって分散的に行われることはない。また結婚飛行は数県の範囲でほぼ同調しているともいわれている。交尾を行った後の雌は翅を落として地面に単独で巣穴を掘り、コロニーを創設する。複数の雌個体によって共同でコロニー創設を行うことは知られていない。女王アリによって最初に掘られた巣穴は速やかに閉じられ、中で10個程度の卵が産卵される。最初の働きアリは女王アリの体内の栄養分だけを与えられて約1ヵ月後に誕生し、その大きさはクロヤマアリの働きアリ程度と小さいが巣の口を開いて外から餌を運びこみ、女王や幼虫の世話をするようになる。コロニーは最初の冬眠に入る前までに、自然状態で10~30個体程度にまで成長する。成熟した大型コロニーにまで成長するのに4~5年を要し、女王アリの寿命である10~20年程度存続する。
オスはというと、この結婚飛行のためだけにつくりだされ生きている存在ですから、結婚飛行の後は速やかに死んでしまいます。遺伝子を混ぜるためだけの道具なのです。
もっと小さな羽アリは知っていましたが、今回のはダイナミックでした。
すごかった。
5月21日
白山神社の鳥居のすぐ下のあたり。
何匹かこのナミテントウの幼虫が歩いていました。
おお、いっぱいいるぞ、と写真を撮っていましたら、「なにかおりますか?」と年長の女性に尋ねられ、「テントウムシの幼虫がおります。アブラムシを食べる虫です」「ああ、アブラムシを食べますか。アブラムシは退治しなければねぇ」
というような会話になりまして、で、その方は階段を下りて行こうとなさったのですが、背中になんだか、大きな虫がついている。
苦手だろうなぁ、取ってあげなければなるまい、と思い、ハチのような感じもあるけれど、まあしゃあないか、軽く撫で飛ばせば刺されることもないだろうと、「虫を取りますから、ちょっと失礼します」と声をかけて、背中の虫を払ったのでした。
その払った虫については次の記事に回します。
5月21日
ゼニアオイの花にミツバチが突入。
色が黒っぽいですからニホンミツバチでしょう。
風のせいで画像が少し流れています、見づらいと思いますがご勘弁を。
花の底の部分の蜜を舐めようとしています。
次の花へ移るか、と出てきたのですが、花粉だらけ。
この花粉では花粉団子は作りにくそうですね。
↓さして体の掃除もせずに飛び立つ瞬間
羽ばたいて、体が浮きかかったところです。
後脚だけがまだ花弁に残っていますかね。
いい瞬間が撮れました。
ゼニアオイの花は眺めているといろいろなことが起きる舞台になっています。
そうして、この丸い花粉が、ゼニアオイの花でのことだぞ~、と証言してくれるのがまた面白い。
冬を越してずいぶん長いこと咲き続ける花です。不思議な花だ。
5月21日
これはアワダチソウグンバイです。
「昆虫エクスプローラ」というサイトによりますと
カメムシ目>カメムシ亜目>グンバイムシ科>アワダチソウグンバイ
翅は半透明で褐色の斑紋があり、前翅前縁が角ばっているグンバイムシの仲間。
アメリカ原産で、近年日本に入ってきた帰化種。関西地方を中心に、東海、中国、四国などに分布を広げている。
キク、ヒマワリ、サツマイモなどに付く。
3mmくらいの小さな虫です。アワダチソウよりもヒマワリで見かけましたね。
この形が「軍配」に似ているという命名です。
で、このアワダチソウグンバイというのを、2年くらい前でしょうか認識して目に見えるようになったのですが、今回・・・
こういうの見つけちゃった。
肉眼的にはアワダチソウグンバイでした。この老眼、そうそう小さなものは見分けられない。
で、写真に撮って眺めたら。
違うなぁ、アワダチソウグンバイではないなぁ。
ツツジグンバイという種類でした。
「昆虫エクスプローラ」によれば
翅は半透明で、背面にX字形の黒色の斑紋があるグンバイムシの仲間。
ツツジ科の植物に寄生し、オオムラサキツツジ、サツキなどの園芸品種を特に好む。
都市部の公園や人家の庭でもよく見られる。
微妙です。ホント老眼には辛い。マクロレンズのお陰で識別できました。
よく老人が鼻眼鏡をかけていて、近くを見るときは老眼鏡で、遠くを見るときは眼鏡ごしに見るシーンがありますね。
私の場合、老眼鏡で普通に何でも見ていて、こういう小っこいものを見つけてしまったときは、眼鏡ごしに裸眼で見るんですよ。その裸眼でもよくわからないんだなぁ。
カメラで撮影してモニターで確認して、なんだ?コレ?となることが多いのです。
マクロレンズは携帯用顕微鏡のような働きをしてくれます。
マクロレンズで楽しい日々を過ごす「老人」なのでした。
5月21日
マルカメムシです。
5月18日にもマルカメムシの話を書きました。共生細菌の話を書きたかったし。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-4f9e.html
↑ココ。
でも、その時の写真はピンボケで満足のいく写真ではなかった。
で、多少はましかな、という写真が撮れましたのでお目にかけます。
実はテントウムシなどに比べると、非常に「丸い」とはいいかねます。けっこう、丸くはない。
頭を見ると、複眼のあたりに色がありますね。茶色いのが複眼だろうと思うのですが、なんとなくこのアングルだと分かりにくい。
で、顔みせてっ、と
ピントは頭部より少し先に合ってしまいましたが、まあ、分かりますでしょ。
茶色いのが複眼。白い縁取りのようなものがある。
植物の汁を吸うための針のような口も少し見えています。
何か新しい発見があったら、またお目にかけます。
5月19日
庭の小さな池の水面に浮き草が発生すると取り除かなければなりません。
でも、取り除いたものをそのまま捨てるわけにもいかないのです。
大きなバケツに移して、すこしずつ丹念に見ながら捨てます。
ここでご紹介するのは、たったひしゃく一杯の水。
まずは、上の写真。イトトンボのヤゴですね。
左側の脚2本を失っていますが、生き延びられれば再生できると思います。
これんんですね。こういうヤゴがいるのでむやみと水を捨てられない。
救ってやったからとて、全部が生き延びられるわけではないのですが、でも、捨てたくはない。
そこで、少しずつ丹念に見ながら捨てるしかないのですね。
もうボウフラもいました。
成虫は歓迎されませんが、じっくり眺めればボウフラもそれなりに可愛いものです。
腹端部から上に伸びているのが呼吸管です。
これを水面にくっつけて空気を呼吸します。
あまりはっきりしないのですが、右へ伸びているのは鰓の一種ですが、水中の酸素を呼吸するための装置ではないようです。詳しくは知らないのですが、体内の塩分濃度(浸透圧)調整用ではないかと聞いたことがあります。
メダカの幼魚も入っていました。
体の左側に心臓があって、拍動しているのですが、肉眼で見るのはちょっときつい。
イトトンボのヤゴだとメダカを食べることはないかもしれないのですが、アカトンボあたりになると、大きくなったヤゴはメダカを食べられます。小さいうちはメダカに食べられてしまうかもしれないのですが、どっちも壊滅するということはありません。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/Movies.htm
これは私の「理科おじさんの部屋」というホームページですが、ここに、いくつかの動画を置いてあり、卵の中でのメダカの鼓動もみられます。よろしかったらどうぞ。
カイミジンコも泳いでいました。普通のミジンコだとぴょんぴょんという感じで泳ぎますが、カイミジンコはなめらかにかなりの速さです~っと泳ぎます。慣れればすぐ識別できますよ。
ヤゴの脱け殻も浮いていました。最初の写真のヤゴのものかどうかは分かりません。
何匹もヤゴを回収しました。
さて、今年はどんなトンボが羽化するやら。
大型のトンボはいないような感じですね。
イトトンボ、アカトンボ、シオカラトンボくらいはいるかなぁ。
これからの季節が楽しみです。
5月19日
ハクチョウゲの花が初めて咲きました。
庭の隅っこにいつの間にか来ていたのを、鉢に植え替えて日当たりのよいところに持ってきたものです。(妻が)。
これまで花を咲かせたことはなかったのですが、葉が端正な雰囲気の落ち着いた木です。
つぼみの数は少ないので、今年はパラパラと咲くくらいで終わるでしょう。
植木屋さんは「刈り込みに強いので、花が終わったら刈り込んでください」と言っていました。
なんとなく「白鳥」のような気がしますが、そうではなくて「白丁花」だそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B2
ウィキペディアによりますと
ハクチョウゲ(白丁花)とは、アカネ科の植物の一種。
・・・
原産地は東南アジア。ハクチョウゲという名前の由来は、その花が丁字型の白い花を付けるところから来ていて、白鳥とは関係が無く単なる当て字である。
・・・
我が家のことですから、あまり強く刈り込むことはせず、なんとなく伸び過ぎたところを詰めてやるくらいですね。
来年も楽しみです。
5月18日
30年ほど前、大田区の区の木であるクスノキの苗の頒布会があって、頂いてきたクスノキ。アオスジアゲハを育てるためというのが私ども夫婦の意図。
あんまり伸び過ぎちゃダメだよ、と背丈を詰めてやればよかったのですが、ちょっと野放図に延ばし過ぎた。屋根にかぶさってきて、雨どいが詰まってしまう。
植木屋さんに「よそは見ないでくださいね、クスノキだけ見てこれを詰めてください」とお願いしました。植木屋さんから見たらとんでもない庭だからなぁ。
で、2日がかりで切ってもらったのですが、今がちょうど花の盛り。
実は毎年たくさん落ちてきてよく知っていますが、花を見ることはほとんどなかったのでご紹介します。
こんな花です。
派手さはないけれどかわいいでしょ。
大きく空間を占拠していた枝葉が消えましたので、我が家の生態系空間に移動が生じるかもしれません。バランスがとれるまできっと虫たちの大騒ぎがあるのではないでしょうか。
私の目にそれがうつるかどうかはわかりませんが。
5月19日午後
見れば透明ケース内に小さなハチがいます!
ケース越しなので今一歩のところで鮮明さにかけますがご勘弁を。
ふたを開けて飛ばせてしまうわけにもいかない。
興奮しましたね。初めて見る。
2mmないくらいの小さなハチです。
4~5匹いましたが、みなこの形でした。
メスには産卵管があるのではないか、とも思うのですが全部オスというのも変だし、よくわかりません。
外へケースを持って行って、外へ逃がしてやりました。
大いに繁殖してくれて構いません。無事でな、っと。
ケースに残った葉の上。
見事に穴が開いています。
去年はこれを見たんだよなぁ。
みごとに丸く切るものですね。ハチは顎で噛み切り開くのかな。
こんな小さなアブラムシ一匹でハチ一匹が育つのでしょうか?
何度眺めても不思議。
生きるってすごいことなんですねぇ。
アブラバチというのは種の名前ではありません。科あるいは亜科の名前です。
その中で寄主に応じておそらく種が細分されるのではないでしょうか。
寄生というのは、普通、非常に特異的になされます。何にでも寄生できるというわけではありません。
おそらく、それぞれのアブラムシにそれぞれのアブラバチがいるのではないでしょうか。
ほとんどすべての動物に、それぞれに特有の寄生「虫」がいます。(この「虫」は昆虫という意味ではありません。)
現代の日本ではずいぶん少なくなりましたが、ヒトも例外ではありません。
寄生とはなんとも不思議な生き方ですね。
5月17日
サザンカの葉を眺めていました。
白いコクロヒメテントウの幼虫がいます。
いつもの光景だな、と思いながら見ていたのですが、ふと気づくと下の方のアブラムシが変!
去年、こういう色・形で丸い穴が開いているのを見つけて「自分が何を見ているのか分からない」とブログに書きましたら、アブラバチに寄生されて、そのハチが羽化して出ていったあとだ、ということを教えていただきました。
で、そうなんだ、これ多分今寄生を受けた状態で、この中でアブラバチが成長しているのに違いない、とこの葉っぱを取り込んで透明ケースに入れてそばに置きました。
ね、これで穴が開いていれば去年載せた写真と同じになりますね。
この時点ではまだ穴は開いていない。
5月17日
ササグモがアブラムシを捕獲して食べていました。
クモは消化液を注入して、外部で消化されたものを吸い取る、ということに妙に気持ち悪さを覚える方がいらっしゃるのですが、動物は餌を「体内」に取り込んだりはしないのですよ。必ず体の外部で消化して、アミノ酸や脂肪酸やグルコースや、そういう物質のパーツにしてから体内に吸収するんです。
じゃあ、ヒトは?
ヒトもです。
食道・胃・腸と続く消化管は、体外と通じた管ですね。ですから、消化管内というは、体にとって外部空間なのです。そこへ消化酵素を分泌して、消化管内という外部空間でパーツにばらしてから吸収するのです。
他の動植物の成分がそのまま体内に入ったら大変です。そうなったら異物を認識して排除する免疫システムが出動しなけりゃならない。
ね、みんな同じ。クモの食事も、ヒトの食事も、同じ原理なのです。
5月17日
もう30年くらいも前でしょうか。当時勤務していた学校で、種まくのが好きだ、なんて話をしていたら、園芸好きの先輩の先生が「あげますといってくださった球根。
タマネギみたいな球根で、シーオニオンといいます、とのことでした。
派手な花は咲きませんが、以来ずっと我が家で玉を太らせています。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sea-onion.html
ここの解説によりますと
学名:Ornithogalum caudatum 'Sea Onion'
和名:コモチラン(子持ち蘭),コモチカイソウ
タマネギ(玉葱)のような球根から細長い花茎が伸び,白い 6 弁の花を円錐花序につけていました。
本当のシー・オニオン(海葱)は,学名Urginea maritimaのことで,このページの「シー・オニオンOrnithogalum caudatum」は「偽海葱」だそうです。
とあって悩んでしまいました。まぁ、いいです。「通称」シーオニオンでいきましょう。
5月14日
クモが大きなエサを抱えている様子。
近づいてみると、アリを捕まえたようです。
クモの方は見覚えはあるけれど名前は思い出せませんでした。
あとで調べたらアオオビハエトリでした。
頭胸部の側面に青い線が入っていますでしょ、これでアオオビなんですね。
きれいですよ。
アリグモはアリに擬態しているだけでアリは食べないようですが、アリを食べるクモもいるんだなぁ、と思い「日本のクモ」という図鑑をみれば
平地~里山に多く、山地ではあまり見られない。神社、寺院の境内、公園、庭園、雑木林の周囲、草原などの地表、落葉上、倒木や石の間を歩き回ってアリを捕える。アリの多い草の葉上、樹木の幹や葉上にも生息する。アリを見つけるとアリの後から攻撃し、逃げるアリの脚を数回にわたって噛みついては離れ、少しずつ弱らせて捕える。
こうありました。そうなんだ、アリトリグモなんですねぇ。
アリは腹端から蟻酸という刺激の強い小昆虫の世界ではおそらくかなりきつい毒性のある液体を出します。
昔、生まれたてのカマキリに、餌がないからと小さな赤いアリを入れてやったら、捕まえようとしたカマキリの子がパタパタと倒れてしまい、焦って取り除いたことがあります。
そういう蟻酸をもっているので、アリってあまり直接の捕食対象にはなりにくいのかと思っていましたが、そのアリをもっぱら狙うクモがいたとは。
いろんなのがいますねぇ。
それと、さすが新海さん、細かいところまでよく観察しているものですねぇ。
改めて感心しました。
5月14日
一見、カミキリムシかなと思ったのです。
もう少し、背側の模様など撮りたかったのですが、すたすたと歩き去ってしまいました。
ただ、カミキリムシだと、触覚が特徴的だ、という思いがあります。
この写真の個体、右の触覚が途中で切れてしまっていますが、残った左の触覚で見る限りはカミキリムシではないという気が強くします。
調べていったら、どうもジョウカイボンの仲間のセスジジョウカイというのが一番似ていましたので、その名前をタイトルにしました。もし違っていたらご指摘ください。
ジョウカイボンという分類群は知ってはいましたが、これまでほとんどなじみがありませんでした。
カミキリなら、シロスジカミキリやゴマダラカミキリなど「あこがれのカミキリ」でしたので結構知っています。首を動かしてギシギシ音を立てたり、本当にはっぱなどを「カミキリ」ますし、子どもとしてはわくわくする昆虫でした。
このジョウカイボンの仲間は姿としてはカミキリと似ていますが分類上は
ホタル上科>ジョウカイボン科
です。
カミキリは
ハムシ上科>カミキリムシ科
です。
ということで、少し離れていますね。
http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/syu_k/koucyu8_.html
↑福光村昆虫記でを読んでいたら、キンイロジョウカイのところにこんな記述がありました。
体長20~23mm。カミキリムシに似ていますが、ジョウカイボンと言う種類です。胸部の黄色い模様が特徴です。上翅は黒紫又は紺色に茶褐色が混じった色で光沢があります。地方によっては茶色っぽい緑色をしているそうです。触角,上翅の先,足先が茶色または黄色です。
■ジョウカイボンとカミキリムシの違い:カミキリムシは草木を食べますが、ジョウカイボンは昆虫や小動物なども食べる雑食性です。カミキリムシの上翅は硬いですが、ジョウカイボンは柔らかいです。ジョウカイボンはホタルに近い仲間だそうです。
■ジョウカイボンの名の由来:一説として、肉食性で強そうなところが平清盛の印象であるとされ法名、淨海坊(じょうかいぼう)から付けられたと言われたり、清盛が高熱の病気で亡くなったことと、昔の呼び名の火虫と関連づけた説があります。古くは西遊記に出てくるサゴジョウも法名を淨海坊といいます。淨海坊と言う法名は清盛1人についている名ではないようです。
雑食性なんですね。名前の由来は諸説あるようですよ。
ジョウカイボン科は「Cantharidae」というのですが、これ「カンタリジン」という激しい性質の物質の語源です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%B3
ウィキペディアから引用します。
カンタリジン (cantharidin) は、エーテル・テルペノイドに分類される有機化合物の一種。カルボン酸無水物を含む構造を持つ。含有する昆虫の一つジョウカイボン科 (Cantharidae) にちなみ命名された。ピエール=ジャン・ロビケが1810年に初めてカンタリジンを単離した。
昇華性がある結晶で、水にはほとんど溶けない。皮膚につくと痛みを感じ、水疱を生じる。
あまり興奮させない方がよさそうですね。
5月13日
アリグモなのですが、いつもご紹介しているのとはなんだか違っていませんか?
この写真では鮮明ではないのですが、右の方に嘴のようなものが見えますね。
ほら。
せっかく第1脚を触覚のようにして、「アリ」に擬態しても、これではなんだか、アリに見えなくなってしまいましたね。
この顔の前の大きな部分、これは「上顎」という部分で、オスで大きく発達するもののようです。
これは5月21日の撮影。
すごいですね。なんだか重たくって、バランス崩しそうですね。
{ヒトの場合、頭が重いと肩が凝りますがね}
クモにまだなじみが薄かった頃、この発達した上顎まで含めて、いろいろ調べて、見つからなくてずいぶん悩んだものでした。
もし、こういうクモを見かけたら、この上顎部分をないものとして、体の特徴で調べてください。一致するものがあったら、その種のオスだ、といってまず間違いないはずです。
ボクサーのグローブのような感じの上顎もありますので、そのおつもりで。
◆2010年5月24日付の朝日新聞朝刊に「転んだって起きあがればいい」という記事がありました。
パラリンピック大会でスキーのコーチや監督を務めた新井さんという方のお話しです。
・・・
カーブでよろける○○君に大声で叫んだ。
「大丈夫! 1度くらい転んだってへっちゃらだから」
転んだって起きあがればいい――。それは、これまで選手たちが教えてくれたことでもある。
・・・
そう、この言葉は、おそらく多くの途中障害者の方にとっては強い励ましになるでしょう。
なんで自分が、なんで今、と悩むはずです。
障害者になってしまった、もう今までのようなことはできなくなってしまったのだ。私の人生は挫折してしまったのだ。と。
一度転んだからってそれがなんだ!転んだら起きあがればいい。
そうなんだ、起きあがればいいんだ、という意志をかきたててくれる言葉だと思います。
パラリンピックを見ていると、そういう感覚がひしひしと伝わってきます。
すごいです、確かに。
何ができて、何ができないのか。それは探りださなければなりません。
何もできなくなってしまったわけではないのですから。
ただね「障害者になったって、なんでもできるんだ」みたいに励ましてはほしくないのですね。
だってできないことはできないのですから。あたりまえのことでしょ。
できなくなってしまったことは確かにある。でもすべてを失ったわけではない。何が自分にはできるのか、甘えることなく限界に挑む、できることとできないことの境い目を探しに行く、これは大事なことです。
さて、私も下肢障害者。大分年齢を重ねてものの見方が多面的になってきています。
そして、そもそもがへそ曲がりな男。
「転んだって起きあがればいい」なんて頑張らなくっていいよ。それって、起きあがった状態を「よし」とする価値観に支えられているんでしょ。起きあがった状態という比喩は「健常者の価値」ではないのですか?
やはりどこかで、健常を価値と見て、障害を低く見ていませんか?
「転んだら寝転がってていいよ。そこからの視線でものを見るとどう見えるのかな?そこから空を見るとどんなふうに見えるのかな?」と問いかけたい。きっと素晴らしいものが見えるよ。だって、いつだって空が見えるんだから。
「せっかく障害者になれたのだから」、健常者の「競う」という価値観に縛られなくったっていいじゃないですか。のびのび。解放されていいものですよ。「競う」などということには大した価値なんてないのですから。頑張らない、競わない、あるがままにあればいい。
パラリンピックでいえば、出場者全員が金メダルでいいのではないですか?なんで競っているのですか?と問いたいのです。
人生の出だしで「転んじゃった」私ですからこんなことがいえるのかもしれません。
「立ち上がることはないよ」「転がったまま世界を見る目を養いましょうよ」とね。
それはすばらしいことなんです。気づいてほしいことです。
◆ところで、この記事の中に
ストック1本で健常者の大会に出場する片腕の少年。幼い頃、祖父の運転するコンバインに左腕を巻き込まれた。
「パラリンピックを目指しませんか」。そう話すと両親は首を振った。「障害者と認めたら、祖父に負い目を与えてしまう」。
こんな記述があるのですね。孫を自分のせいで事故にあわせてしまったという負い目はもちろんわかります。でも、「障害者と認めたら」というところに引っかかってしまうんですね。
やはりこの感覚は、障害者を一段低く見る視線のあらわれですね。
私は満1歳の直前にポリオに罹患しました。
父はどうも、障害者ということに引け目を感じるタイプで、なにか特別なことが起ったら奇跡的に治るんじゃないか、というような幻想を長く捨てられずにいたようです。
母はそんなことを考えていたら、この子は人生を誤る、とシビアに考えていたようです。もし障害者でなかったらなどという幻想に甘えてはいけない、現実から目をそらさず直視して、真っすぐ生きてほしい、という感性の人でした。
私が持っている障害者手帳は7歳の夏に取得したものです。小学校1年生ですね。
自分が障害者であることをきちんと認識して生きていけ、という「後押しポン」だったように思います。強い人でした。
健常者といい、障害者といい、何が違うんですか?
それぞれがいろいろの能力を持つ「人間」じゃないですか。
なぜ「分け隔てる」必要があるんですか?
分け隔てているのは誰ですか?
通常には健常者と言われる側の人たちが分け隔てているのではありませんか?
「障害」(という概念)を持っているのは健常者の側でしょ。
果たしてどちらが「障害者」なんですか?
いろいろな人間がいて、みんなそれぞれ違っていて、それでいい、のではありませんか?
健常者の中に潜む「障害」というバリアを低くして下さい。
それが「合理的配慮」というものです。
差別と言う「言葉」で議論し始めるとややこしい。
生きやすくなるよう、互いに配慮しましょうよ。
でも、少しだけ余力の多い健常者の側がたくさん配慮すべきですよね。
5月13日
確か、去年にこれはいったい何だろう?とご紹介しませんでしたっけ。
線路の柵際に生えてきた「木」。多分、鳥がこの柵にとまって糞をした。糞の中の種が発芽して伸びてきたのだと思います。
たまたま、本職の植木屋さんに訊くチャンスがあったので、これ何ですかと伺いましたところ
「ハゼ」でしょう、との答え。
大きなハゼの木は知っています。広尾高校にありました。紅葉が燃えるように美しい。実がなったので、理科の教員で、「ハゼ蝋を採る実なのだから、燃えやすいのではないか」と実験室へ持って行って、金網の上であぶってみたら、まあ確かに燃えやすかったです。
ただ、ウルシ科ですので、かぶれる人がいるのですよね。
で、植木屋さんに、ハゼですか、じゃあ、通行人の方のために切ってしまったほうがいいかなぁ、と言ったら
いや、若い木ではそうかぶれません。幹に傷をつけて樹液を出せばそれにかぶれるかもしれないけれど、何もしなければかぶれませんよ、とのことでしたので、しばらくは背丈を詰めながら様子を見ることにしましょう。
去年は紅葉しませんでした。今年はどうなるかな。
◆
ここはウィキペディアの「蝋」の項目です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%8B
ハゼ蝋の話もありますから、お読みください。
化学的には普通「ロウ」というと、炭素の鎖の長いカルボン酸と炭素の鎖の長いアルコールのエステルであることが多いのですが、ハゼ蝋などの木蝋は、鎖の長い脂肪酸(C15H31COOH)のグリセリンエステル(要するに普通の油脂)だそうですね。
はぜ‐の‐き【黄櫨・櫨・梔】
①ウルシ科の落葉高木。高さは約10メートルになる。暖地の山地に自生、秋に美しく紅葉する。5~6月頃、葉腋に黄緑色の小花をつける。果実は灰黄色、扁円形。実から木蝋を採り、樹皮は染料となるので栽培される。ハゼ。ハジ。ハジノキ。ハジウルシ。ハゼウルシ。ヤマハゼ。漢名、野漆樹。〈書言字考〉[広辞苑第五版]
漢字で書くとこうなります。
広辞苑では書いてませんが「和蝋燭」の原料は多くがハゼです。
2010.5.24付 朝日俳壇より
ぶらんこを一年生に譲りけり:(西海市)前田一草
大串章 評:その上級生は、かつて自分が譲ってもらったことを思い出したに違いない。
「かつて自分が譲ってもらったことを思い出した」かどうかは分かりません。
大きな子が小さな子に譲る、成長をほめましょう。
そういう余裕が社会生活をゆるやかにやさしくするのです。
大人も我が身を振り返ってみるべきですね。「譲りけり」という生活をしていますか?
ところで、昭和23年生まれの私の小学生時代。小学校の上級生たちは、自分たち同士で遊ぶ時のルールと、小さな人を混ぜたときの「小さい子ルール」を使い分けていたのですよ。
自分たち同士だと思いっきりぶつかり合ったりしても問題ないけれど、小さい人ははね飛ばしてしまいますからね。その違いをきちっと理解して、小さい子ルールに切り替えて一緒に遊んだものです。同年代、異なる年代、付き合い方を順次学んでいったのでした。
2010.5.24付 朝日俳壇より
燕の巣今年の泥を重ねあり:(春日部市)斉藤とし彦
いいですね。去年の巣に戻ってきてくれた喜びが「今年の泥」という言葉に滲んでいる。
ツバメはカラスなどに狙われるのを避けて、人の生活圏の外縁部に営巣するのです。
育雛を守ってあげてください。何かをしてあげるということはない。人が出入りするだけでいい。邪魔にしなければいい。
都市部では、ヒナの糞を嫌って、巣を壊してしまう人も多い。
情けないこっちゃ。
命がすくすく育つのを喜ぶ心のゆとりもなくなったか。
不寛容、耐性の低さが目立って、ぎすぎすした社会になりましたことよ。
2010.5.24付 朝日俳壇より
授かりし命は二つ柏餅:(川西市)上村敏夫
長谷川櫂 評:こちらは双子誕生。「命は」の「は」に双子への驚きがみえる。
「こちらは」といっているのは、「産湯」の句に対して、という意味です。
さて、長谷川氏は「誕生」といっているけれど、そうなのかな?
妊娠を知った。医者に「双子ですよ」と告げられた。五月初め。
「授かりし」という言葉遣いは、まだ妊娠中という気もするのですが。
2010.5.24付 朝日俳壇より
蟻地獄コンビナートの如並ぶ:(茂原市)鈴木ことぶき
長谷川櫂 評:蟻地獄とコンビナート。小と大、古と新、互いにかけ離れたものだが、そうした違いを一気に跳び越えて、どこか似通ったところがある。そこをとらえた。
「どこか似通ったところがある」といったって、そりゃ「まるいこと」ですよ。
ちょっと過剰な読み込みだな。
蟻地獄はすり鉢状の穴。石油コンビナートは巨大な円筒群。
蟻地獄のまるい形が並んでいるのを見て、コンビナートの円筒群にみたてた。その「見立て」がこの句の眼目でしょう。
2010.5.24付 朝日俳壇より
産湯にも菖蒲一ひら浮かせけり:(前橋市)荻原葉月
長谷川櫂 評:めでたくも端午の節句のころに生まれた赤ちゃん。一ひら浮かぶ菖蒲の緑があざやか。
とてもよい光景ですから、まあ、いいのですけれどね。
赤ちゃんの皮膚はまだ防御機能が弱い。菖蒲湯とか柚子湯とか、刺激にならないように注意してくださいね。入浴剤なども使わない方がよいですよ。
大人の思い入れをし過ぎずに、赤ちゃんの自ら育つ力を支えてあげてください。
2010.5.24付 朝日俳壇より
初孫の如くよく鳴く子猫かな:(長岡市)内山秀隆
子猫が出てくれば、文句なく取り上げてしまう俳歌倉。
甘いなぁ。
可愛さのかたまりですものね。そのかわいさを許す。
2010.5.24付 朝日俳壇より
たけのこは伸びてゆくぞといふ容(かたち):(大阪市)田淵勲彦
金子兜太 評:たけのこを生きものとして掴めばこうなる。
どうもなぁ、今回金子先生にからんじゃってるなぁ。
「たけのこ」は「いきもの」以外の何物でもないですよ。
私の目には、植物も動物も、実は細菌なども、すべて「いきもの」としてうつる。
「いきもの」には生きる意志がある。当然です。
「伸びる」という意志の具現ですよね。
それは橋ではなく、塔です。
向こう側を目指すのではなく、ひたすら空(くう)をめざす意志です。
激しいものです。
東京では、634mを目指す東京スカイツリーが建設中です。
なぜか、人工物なのに、思い入れしてしまう。
みんな、なんだか感動してしまう。
おそらくは、ただひたすらに「伸びる」という意志を体現しているからでしょう。
感情移入してしまうのです。その意志に接して。
2010.5.24付 朝日俳壇より
立夏かな大志は核のない世界:(三郷市)岡崎正宏
金子兜太 評:いささかスローガン風なのが残念だが、意思爽やか。
これもなぁ、スローガンには読めないがなぁ。
「立夏」という言葉の「つよさ」が、「大志」「核」を受け止め支えることができる。
将来へ投げかけるまなざしのつよさを、くっきりえがき切ったよい姿の句です。
2010.5.24付 朝日俳壇より
よく見ればおたまじゃくしの無尽蔵:(さぬき市)野﨑憲子
金子兜太 評:蝌蚪の自然そのものの姿にのめり込んでゆく自分に思わず諧謔を覚えたりして。
金子先生、少し「俳味」にこだわりすぎじゃないかなぁ。
この句に「諧謔」はないと私は思っていますが。
おたまじゃくしが一斉に孵化すると、これはもうすごいの一言。
うじゃうじゃ。としか言いようがないですよね。
その様子に「無尽蔵」という言葉を発見して納得した。
私は素直に命を眺めたいたちです。
2010.5.24付 朝日歌壇より
私はね通学団の団長よ新入生の世話が楽しみ:(鈴鹿市)中野仁美
むらさきのえんどうの花いっぱいよちょうになってとぶといいなあ:(鈴鹿市)中野芙美
高野公彦 評:どちらも小学生らしい歌。作者は六年生と二年生。
評を読む前の私はこんな感じ方をしました。
お母さんの歌かな、自分の子はもう勝手に通学するようになってしまったけれど、今度地域で新入生の集団登校の引率をすることになった。私は新入生の通学団長よ!と張り切っている。と。
違ったのですねぇ。六年生だったのですね。そう、六年生は新入生のお世話をする。集団登校、給食、掃除・・・いろいろね。誇らしいことです。
私の話は古いからしょうもないけれど、集団登校というのは私の頃にはありませんでした。
学校へは朝早くから勝手に登校して、校庭いっぱいに広がって遊んでいました。朝遊び。20分休み。昼休み。放課後。ひたすら遊んでいました。
給食とか、冬の石炭ストーブ点火などのお世話をしに行ったのは覚えています。
芙美さんの歌。きっと「ちようになつて」「とぶといいなあ」で七七にしたのではないかな。
声に出して読むと「ちょうちょになって」の方がリズムはいいのですけれどね。お母さんは敢えて添削せずに投稿したのでしょうね。
◆歌壇の下に編集者の書いた記事がありました。
小学生姉妹の短歌 巧まざる表現の力(5/24)
本日の高野公彦選歌欄第9、第10首目に入選の鈴鹿市在住の小学生姉妹、中野仁美・芙美さんの作品にご注目を。巧まざる素直な表現の持つ力、こどもの言葉に内在する詩情をあますところなく伝えている。
「遊びにくる都度帳面に、日記がわりに絵と歌を書かせている」と同じ敷地内に住む祖母の元教師、中野きみ子さんはいう。きみ子さんによると仁美さんは今春、集団登校のリーダーを任された。その作品に見る6年生の責任感と誇り。芙美さんは2年生。幼い脳裏に映った花畑は美しい幻想を誘う。(後略)
2010.5.24付 朝日歌壇より
脱衣場の籠に補聴器のこされて議論の続き声高になり:(長野県)沓掛喜久男
風呂場には補聴器をつけて入れなかったので、大声になった、という描写ですが、それだけではないだろうなぁ。
私も左耳の可聴域が狭くなって分かったのですが、人の声に別の音が重なると、どっちの音も意味不明になるのです。聞き分けられない。
音としての認識はできるのだけれど、聞取れなくなってしまう。
大きな風呂では、湯の音、反響音、いろいろあって、会話はつらいでしょう。
テレビを見ていて話しかけられると、どっちもわからない。
テレビを見ていてバックグラウンドを流されると肝心の情報が分からなくなる。音声過剰。
子音言葉で囁くような発音をされると、全然聞き取れない、訓練されたアナウンサーのきちっと母音とともになされる発声でないと聞き分けられない。
教室のざわめきの中で生徒の質問が聞き取れなくなった。嘱託員終了後、講師登録を断念した一番の理由です。
難聴になってわかることは多いものでした。
2010.5.24付 朝日歌壇より
いつまでもみつめあふときうつしゑとうつしみにしてうごかぬうつつ:(大分市)岩永知子
高野公彦 評:愛する人の遺影を見つめる現世の自分。彼岸と此岸の隔たりを悲しむ歌である。
「写し絵」「現し身」「現(実)」
ひらがなで表現されて、意味が濃くなりました。
あなたは写真の中で年をとらなくなってしまったのね。
あなたの年を越してしまいました。
昔、由紀さおりさんの歌で確か「結婚記念日」というしっとりしたよい歌がありました。
2010.5.24付 朝日歌壇より
類従の和歌の零本(れいほん)手に入りぬ古書見る度に思う保己一(ほきいち):(京都市)杉村卓二
佐佐木幸綱 評:「類従」は塙保己一編集の群書類従。「零本」は端本のこと。
歌壇の読者なら塙保己一の解説は不要ですね。
ただ、「古書見る度に思う保己一」というのは、何を思うのかな、なのですが。
やはり、視覚障害者であって、音読を聞いて全てを暗記して、そこから群書類従などが生みだされていった、という想像を絶する能力のことでしょうか。
身の周りに積み上げた万巻の書をひっくり返して読みながら作ったわけじゃない。全部頭に納めてあったというすごさ。
そこかなぁ。
「目あきというのは不自由なものじゃ」
2010.5.24付 朝日歌壇より
百舌の古巣こぼれて在れば解(ほぐ)し見つあはれ自然の柔きもろもろ:(伊那市)小林勝幸
「こぼれて」は液体が「こぼれる」ではなくて「毀れて」でしょうね。
で、気になっているのが「あはれ」なのですが。
現代の「あわれ」は同情とか悲しむ気持ちの方が主だと思うのです。
「かわいそうに、自然界のやわらかいものを何とかして集めてきたのだなぁ」でしょうか?
「あわれ」には賛嘆の意もあったはずです。
「なんとすごいことよ。これほどまでに広くから、柔らかいものを集めてきて、育雛に備えたのか」という感嘆、賛嘆、感動のほうに、私のような動物好きとしては解釈したい。
かつて、カラスの巣をほぐした時に、私は感動しました。生活圏の中から、このようにして使えるものを集めてきて巣を構築するものなのか、と。
そんな解釈をしました。
2010.5.24付 朝日歌壇より
飼っているわけではないが蓮甕の蛙ら庭に遊びて帰る:(岐阜県)棚橋久子
いや、そういう、遊びに来てくれる蛙たち、というのは「外飼い」の友達でしょう。
おや、今日も来てくれたのね、と嬉しいものですよね。なんとなく、心の交流があるような気がしてきます。
私にとっては虫さんたちだってそうなんだもの、まして蛙たちですから。
2010.5.24付 朝日歌壇より
教室の蛙の給餌を校長に頼みて明日よりゴールデンウィーク:(稚内市)藤林正則
馬場あき子 評:学校風景もとても嬉しい。
長いこと、作者と学校の「位置」関係が見えていませんでしたが、この学校の先生のようですね。校長に「頼んだ」のは生徒ではなくて作者、教室を管理する者。
この校長先生は新年度から見えた校長先生。(でしたよね、たしか)
蛙ですからね、1カ月くらい何も食べなくったって、どうということもないのですけれどね。やはり教室で生徒と飼っていると、責任を感じる。ということでしょう。
哺乳類は体温を維持するだけでエネルギーを使ってしまうから、食事の量がどうしても多い。
両生類なんかは、アイドリング・ストップタイプですから、哺乳類の飼育ほどエサに気を使わなくていいのです。
2010.5.24付 朝日歌壇より
水たまりの水はね上げて縄跳びの少女が呼びぬ紋黄揚羽蝶:(野洲市)馬渕兼一
うらやましい。モンキアゲハは大型のアゲハチョウ。まだ見たことがありません。
南方系のチョウなので、まだ東京ではそう見られないのでしょう。
滋賀県だと普通に見られるのかなぁ。
見てみたいなぁ。
5月12日
さて、このテントウムシ。「いくつ」ホシでしょう?
雨上がりなので水滴が付いてますね。
ナナホシテントウですね。黄色っぽいけれど。
左右の対称性で、翅の上に左右で6個。
頭のすぐ後ろのところの両翅にまたがって1個。
で、ナナホシでした。
この翅、みごとな撥水性なのですね。
表面のワックス分のおかげだと思います。
それでも、少しは付着していますね。
蝶の翅の場合は、鱗粉による構造的な撥水性です。翅の表面が微細な凹凸で覆われているので、撥水性になるタイプです。もし、蝶の翅を拾うことでもあったら、水をかけてみてください。水は完璧な球形になってころげ落ちていきますよ。まったく付着しません。
先日、スーパーで妻と買い物をしていたら、お母さんに手を引かれた幼い男の子、小さなリュックサックを背負っていました。
なんと、「テントウムシ・リュック」で。
アハ、あの子テントウムシになっちゃった、と二人で笑って見ておりましたが、どうも、星の数がうまく合わないんだなぁ。ナナホシではなかった。ムツボシくらいなのでした。
かわいいものですね。
5月12日
三つ巴というか、修羅場というか。
アブラムシを間に、捕食者と保護者の熾烈な戦い、にはならないのですねぇ、これが。
白い方がコクロヒメテントウの幼虫で、アブラムシを捕食します。
通常、アリはアブラムシを保護するといいます。アブラムシの腹端からでる甘い液をもらい、代わりにアブラムシを捕食者から保護する、ということになっていますよね。
相利共生という話になると、大抵アリとアブラムシが引き合いに出されるのですが・・・。
上の写真。何にも起こらないんですよ。
アリはコクロヒメテントウの幼虫の体を触覚でたたいてみました。
幼虫の方はじっとしていて、やがてすれ違って分かれていきました。
白いロウ分を分泌してカイガラムシに擬態しているというのですが、アリは「眼」を頼りにしていないと思うのですよね。匂いというか、化学物質を嗅ぎ分けているのでしょう。ということは、ヒトは視覚的な擬態と思っているけれど、コクロヒメテントウは匂いによる擬態をしているのかな?
ほら、こういうシーン、いくらでもあるんですよ。
この写真、よくみると、平べったいものが葉にくっついています。ひょっとしてカイガラムシもこの舞台に登場しているのかなぁ。
舞台はサザンカの新しい葉の上です。
植物、その汁を吸う虫、その虫の捕食者、捕食者を追い払う保護者という登場人物のミニ生態系。眺めていると、色々なことが起こるものです。面白いですねぇ。
5月12日
ビヨウヤナギの葉の間で発見。
結構大型の虫ですね。
見るのは初めてですが、こういう模様のカメムシの幼虫がいることは頭の隅に引っかかっておりました。
どうもカメムシの模様というのは「人の顔」っぽいのがあって、これも見方によってはニコニコ顔に見えないこともないですね。
そっと指を下側から回して、向きを変え背面全体の写真を撮りました。
色の濃い部分に虹色があって、これはその物の表面の色ではなく、表面の構造から反射する光の干渉による構造色ですね。
やだよ、といって葉の裏へ引き上げていくところ。腹部の横から腹面の模様も見えました。
パンダカメムシみたいですね。
翌13日にも同じ場所にいました。たまたま居合わせた妻に、これアカスジキンカメムシの幼虫だ、と教えたら、かなり大きいのね、と感心していました。
で、構造色を撮れないか、と敢えてピンボケにして見ました。
うまくいくと、焦点をずらした方が虹色の分光が見えることがあります。
写真左上に、少し虹色があるといえましょうか。
有名なのはタマムシやモルフォチョウですね。
でも、意外とこの構造色、普通の昆虫にもありますので、注意して観察して下さい。
大人になったらまた姿を見せてね、と声をかけておきましたが、翌日から姿は見えません。もうどこかで成虫になっているはずですね。元気でね。
5月10日
昨年、我が家の周辺でいっぱいニラの花が咲いていました。当然、実もいっぱいなっていました。
その実からとった種を播いたのがこれ。
まだひょろひょろしていますが、発芽して伸びています。
花が咲くようになるには時間がかかるのでしょう。
こちらはラッキョウ。
前にラッキョウの花を見たい、と書きました。
で、チャレンジ。スーパーでラッキョウ漬用に売っていたラッキョウのうち、緑の茎があるのを5,6個、植えてみました。
去年までは、ラッキョウを買った時に「緑色」という感じはなかったように思うのですが、意識状態が違うだけかな。漬けることしか考えていない時と、うまくいったら植えてみうと思っているときとで見え方が違うのかもしれません。
うまく伸びてくれるものやら、のんびり見続けましょう。
自家製ラッキョウ漬は、甘味が非常に少なくて、とっても刺激的です。
これを食べ慣れてしまうと、市販品は甘ったるくてだるい味に感じられ、もう食べられなくなります。クセになりますね。
5月10日
アリグモが、ネコハグモのような巣を作っていました。
そうなんだぁ、と「日本のクモ」という図鑑を改めて読んでみると
住居:天幕状・袋状住居(葉上、樹皮下)
狩猟行動:徘徊型
とありました。
そうなんだぁ。狩猟行動であちこち徘徊しているのを今まで見ていたんですね。
で、私はアリグモは巣を作らないと思い込んでいたのでした。
上の写真、顔のあたりにピントが合っていますが、その手前に網が張りめぐらされているのがわかりますね。
もっとピントを手前に引いたらこうなりました。
クモは眼が丸く見えるだけになってしまいましたが、網がくっきり見えます。網に引っ掛かってしまった虫も見えます。この虫の体液を吸ったのかどうかは分かりません。
葉を引きよせてU字型にし、テントのような網の天井を張ったのですね。
このスタイルはネコハグモとそっくりですが、ネコハグモはその網にエサがかかるのを待ちます。アリグモはこの網に引っ掛かった虫はどうするのでしょうね。
私にとっては新しい発見でした。
◆アサヒコムから引用します。
探査機「あかつき」、金星軌道に H2A打ち上げ成功(2010年5月21日8時19分)
日本初の金星探査機「あかつき」を載せた大型国産ロケットH2A17号機が、21日午前6時58分22秒、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。約27分後、高度約420キロであかつきを分離し、金星に向かう軌道へ投入することに成功した。
・・・
17号機はあかつきを分離した後、高度約4800キロで宇宙機構が開発した宇宙帆船の実証機「イカロス」(重さ約310キロ)を、高度約6800キロで全国20の大学・高専が共同開発した小型衛星「UNITEC(ユニテック)―1」(重さ約21キロ)を相次いで分離。金星に向かう軌道へ乗せた。
イカロスは地球の重力圏外で太陽光の圧力を帆に受けて進む世界初の実験に挑む。UNITEC―1は、学生らが手作りした宇宙用のコンピューターの耐久性を競う「宇宙コンペ」を実施する計画。
また、17号機はあかつきの分離に先立ち、創価大、早稲田大、鹿児島大が開発した小型衛星3基(重さ1~1.5キロ)を地球を回る軌道に向けて放出した。
この「あかつき」と「イカロス」にはかかしさん夫婦の名前も刻まれたプレートが載っておりまして、ついに私たち夫婦も「金星探査」へ出発したのです。うれしいな。
月周回衛星「かぐや」のメッセージキャンペーンに参加しましたら、今度はこんなメールが来たのですね。
JAXAでは来年度に、金星探査機「あかつき」を打ち上げる
予定ですが、これに先立ってまたお名前やメッセージを集め、金星にお届けするキャンペーンを実施しています。そこで皆様のお名前を今度は金星にお届けしたいと思います。
現在、月面には私たち夫婦のメッセージがあり、地球を見守っています。
今度は金星探査です。
良い時代に生まれ生きました。
小学生の頃、人類初の人工衛星が打ち上げられ、以来、ずっと宇宙探査を見続けることができたのですから。
他惑星の姿も鮮明に見ました。興奮しました。
太陽系を振り返る写真を見たときも、ぞくぞくしましたっけねぇ。
人生の終盤にさしかかったところで、自分たちの名前を刻んだプレートが地球周回軌道をも離れて、人工惑星に乗って金星へ行けるなんて。昔は想像も出来なかったことです。
感慨ひとしおです。
イカロスは太陽光の圧力を帆に受けて太陽系を漂い旅する予定です。
うまくいくといいですね。見守りましょう。
◆ところで、ネット上で朝日、毎日、読売、日経などを見たのですが、みな打ち上げ時の写真を掲載していますが、中で読売だけが「先端にリング状の雲をかけ上昇するH2A17号機(21日午前6時59分)」という写真も一緒に掲載しています。
できればここに、「H2A17号機が音速を突破する瞬間」というようなキャプションも一緒についていれば最高なのにね。
JAXAのネットライブの画面をパソコン上で撮影したものです。
粗くてなんだかよくわからないと思いますが、ロケットの先端部がふくらんで見えているのです。これが先端部にできた雲です。音速を超えるときに生じる強烈な圧縮膨張のせいで雲が生じているのです。
この後、ロケットは音速をはるかに超えてしまいますので、こういう雲は見られなくなります。これが見られるのは、音速を超える瞬間からしばらくの間だけです。
月周回衛星「かぐや」の打ち上げの時にこの現象に気づき、ブログに書いて紹介しました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_82b8.html
ここに、2007年10月 1日 (月)付で
「かぐや」打ち上げ
こういう記事がありますので、お読みください。このなかでロケットの「帽子」の話を詳しくしています。
いろいろなマスコミ報道を見ていて、理科的に優れた報道だな、というのは意外と少ないものです。記者が踏みこんで理解していないときちんと書けませんものね。
理科おじさんの「理科眼」はまだ衰えていないと思いますよ。
◆「はやぶさ」が帰ってきます。
小惑星の岩石採取に挑んで、6月の地球帰還を目指している小惑星探査機「はやぶさ」が、地球の撮影に成功した。というニュースが入ってきています。
はやぶさは現在、地球から見て、かに座の方向へ約1100万キロ・メートル離れた場所を時速1万8000キロ・メートルで飛行中。はやぶさから見ると、地球はマイナス8・3等と非常に明るく光っているため、画像には地球を貫くように白い光が縦に入り、白くにじんだ様子で写っている。月はマイナス4・6等の明るさに見えているという。
はらはらどきどき、なんだかけなげで、人工惑星なのになんだか感情移入してしまって、ジンと来ています。
こんなふうに、地球と月を見ながら帰還の道を進んでいます。
うまくいけば、小惑星の塵が入っているかもしれないカプセルをオーストラリアに落とし、本体は地球の大気に包まれて燃え尽きる予定です。
よく帰ってきたね、おかえりなさい。
といってあげましょう。
(きっとその時、私、ウルウルしてしまうと思うな。)
5月8日
ひさしぶりのエノキワタアブラムシ。
ふわぁ~っと飛ぶ白い虫。
どう撮っても鮮明に写ったためしがない。撮りにくい相手です。
この写真では、手前に頭があって触覚が見えていて、後方に透明で模様入りの翅が見えています。
眼がちょっと赤っぽいですね。
真上から。
どこにピントが合っているのかわからないという写真ですね。
5月13日
家の前を散歩していたら、視界に白いものが入ってきました。眼鏡にゴミでもついたか、と外してみれば、なんと、エノキワタアブラムシが、レンズにくっついている。好きになってくれなくてもいいんだけどなぁ。
この眼鏡をはずしてしまうと、ド近眼の私。
裸眼でファインダーをのぞいて撮影したのですが、要するにはっきり見えないままの撮影なので、分が悪い。あとで見たら、何とか写ってましたけれど。2枚ほど撮ってから、吹き飛ばして、さようなら。
(メガネ屋さんで、裸眼のままの時に、フレーム選びをさせられるのとおんなじ。鏡を見て似合っているかどうか自分で決めろと言われても、レンズなしでは、ぼんやりとしか見えないんだよなぁ、自分の顔が。すごいハンサムにしか見えない。)
5月8日
ゼニアオイの花弁の外側にくっついていました。
逆光で虫はぼんやりしか写っていませんが、今回見ていただきたいのは、体についた「粒々」です。
頭のあたりとか、前脚のあたり。白い丸い粒々がくっついていますね。
これはゼニアオイの花粉です。
ということは、この幼虫、ちょっと前まで、花の中にいたのですね。で、花粉がくっついてしまった。うむ、名推理だ。
鮮明でない写真で申し訳ありませんが、頭の先端部をよく見てください。アブラムシを捕獲して食べている最中なんですよ。
花の内外を歩きまわって、アブラムシを捕まえて食べているんですね。
1匹の幼虫が生まれてから成虫になるまでに、400と500といった桁の数のアブラムシを食べるはずです。成虫もアブラムシを食べますしね。
がんばってねぇ。
(アブラムシって、みずみずしくっておいしそうだねぇ、などと考えてしまう私でした。)
5月8日
ヒメバチの仲間だと思うのですが、確定できません。
ヒメバチの仲間なら寄生相手がいるはずです。
クモやらアブやら、いろいろな特定の寄生相手がいるはずです。
詳しくないので、大雑把にしておきます。
もしヒメバチに関心がおありでしたら、下のホームページなどご覧ください。
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/matsumoto/index.html
基礎知識が得られます。
2010.5.17付 朝日俳壇より
ぶらんこの忘却のごとぶら下がる:(新潟市)沢田勉
ここでは、揺れない「ぶらんこ」と「ぶら下る」が響き合って。忘却を強めていますね。
「ふらここ」ではおそらくこの味は出ないでしょう。
以前にもいいましたが、なんで「ぶらんこ。ふらここ」が春の季語なんだろう?
遊ぶ人もいなくなった冬の公園だっていいのではないか?
日脚が伸びて夕方遅くまで子らが遊んでいた公園だっていいのではないか?
とまあ、へそ曲がりは思うわけです。
束縛されたくないなぁ。
2010.5.17付 朝日俳壇より
あめんぼう仲良く見えて恋敵:(神戸市)岸下庄二
アメンボウは水面をたたいて波を作り、その波でコミュニケーションをします。
ウンカなどでも、植物の茎を叩いて振動でコミュニケーションするのがいたと思います。
さて恋敵かどうか、私には雌雄の区別が付かないのでわからないのですが、そう見えたのですね。近寄るけれど、ぱっと離れるとか。第3の個体に同時に近づくとか。
よく見ていらっしゃいます。
ところで、アメンボウは水面に表面張力で浮いているのは有名ですが、完全に浮いてしまっていたら水面をけっても前進できませんね。
水中に浸った部分もあるのです。で、脚を後ろに蹴ると、その部分が渦を作るので抵抗となって前進するのですね。
2010.5.17付 朝日俳壇より
風光る猫を探すといふ遊び:(入間市)峠谷清広
金子兜太 評:「といふ」にこもる皮肉な含蓄。世相への風刺。
またもや、ごめんなさい。これ、素直に猫を見つけて喜んでいるのではないのですか。
金子氏のいわれる「皮肉な含蓄、風刺」というのがまるっきり私には理解不能で困っています。
皮肉や風刺がこの句にはあるのですか?
困ったなぁ。
2010.5.17付 朝日俳壇より
蝶々は風になりしか見失ふ:(須坂市)三輪浅茅
昆虫を目で追い続けるというのはかなり難しいものなのです。
一瞬視線がずれた途端に見失います。
とくに蝶のようなひらひら飛ぶのは追跡しにくいのです。
ある程度ぼんやりと、眺めるでもなく視線を外すでもなく、把握していると追いやすいですよ。
虫目モードで散歩するといろんな姿がみられて楽しいですよ。
パターンや動きや、いろんな情報が脳で総合されて、あれ何かいる!ことが分かるようになってきます。
2010.5.17付 朝日俳壇より
ペンギンのやうに整列入学子:(平塚市)日下光代
大串章 評:小学校の入学式であろうか。比喩「ペンギンのやうに」が初々しくほほえましい。
歌いまだお玉杓子の調はず:(横浜市)日下野禎一
大串章 評:「お玉杓子」を音符ととっても、勝手に動き回る蝌蚪ととっても、「歌いまだ」「調はず」である。
二つ並べて一緒に鑑賞したい句ですね。
「お玉杓子」は音符だと私は思いました。
幼い人の歌というのは、ひたすら全力で歌って、音程はあまりどうも、ということが多いですね。
全力で、かわいいけど。
高校生のぼそっと低い声に慣れた私には、小学生の声は少々つらかったな。
1年生の教室の前を通ったら、ピアニカの練習をしていましたが、全員が全力で、違う音出してるんだものな。参った。急いで通り抜けましたね。理科支援員は理科室へ急ぐのみ。
小学校の先生って、偉いなぁ、と元高校教諭は感心しきり。
2010.5.17付 朝日歌壇より
雑草としか思へざる草々をハーブと愛でて妻は育つる:(静岡市)安藤勝志
雑草大好き。花屋さんの園芸品種の花より、雑草の花の方が好き。
どちらかというと、「香りもの」は苦手。ハーブティーは遠慮します。
どうもすみません。香りもしない雑草の花や姿が大好きで。
しょうもないかかしなのでした。
2010.5.17付 朝日歌壇より
舵手(コックス)はいずれも女生徒フォア二艇競い合いつつ湾沖目指す:(舞鶴市)吉富憲治
私の知る限りでは、コックスは漕がない人ですから体重が軽い方がいいのですよね。
で女性の声はよく通る。
ということで、小柄な女性がコックスをつとめることが多いとか。
漕ぎ手が男性なら、これは自然なこと、女性に励まされると頑張ります。
高校の体育祭などでも、女子生徒の声は男子生徒をがむしゃらにさせますね。みていて面白い。
2010.5.17付 朝日歌壇より
丿乀(へつふつ)と杖つく父は朝な朝な病棟五階に臥す母見舞ふ:(匝瑳市)椎名昭雄
佐佐木幸綱 評:ほとんど使用されることのない字を、表意文字として採用した工夫に注目。父の足取りのおぼつかなさを表現する「丿」と「乀」。前者は右から左へ曲がる意。後者は左から右へ曲がる意味である。
タイトル、読めました?
私は読めませんでした。
でも、分かってしまうと実によくできた字だと感心します。
私の歩き方も「丿乀」そのものだものなぁ。
表意文字ということですが、なんだか、動き、姿をとらえたショットのような字ですね。
◆内緒話:「匝瑳」市って読めました?
「そうさ」です。
去年の5月の朝日歌壇にこんな歌があるのですよ。
匝瑳(そうさ)市の匝の字説かば匹の字のルの字を除き巾の字入れる:(匝瑳市)椎名昭雄
佐佐木幸綱 評:匝という珍しい漢字をうたった一首。知らない人が多く教えるのに苦労するのだろう。漢字を歌う歌は、「吹くからに秋の草木をしをるればむべ山風をあらしといふらむ」(百人一首)で知られるように、伝統的なもの。「匝」は「巡る」の意味。「匝瑳」は古代の郡の名「匝瑳郡」に拠るという。
漢字って難しいですねぇ。
2010.5.17付 朝日歌壇より
擦り切れた畳みの上に夏が来るゴキブリカネムシ遠慮なくをり:(竹原市)岡元稔元
ごめんなさい。カネムシって、正式名だと何という虫なのでしょうか?
わからなくって。教えてください。
2010.5.17付 朝日歌壇より
東大寺毘盧遮那仏の金色(こんじき)に話が及ぶ化学の授業:(岡山県)丸山俊幸
大差ないと言えばそうなんですが、東大寺の大仏は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」ではなかったですか?経典によって違うだけでしょうから、いいですけれど。
かつて、高校化学教師だった私も、授業で「奈良の大仏様」の話はしましたよ。
水銀は金属なのに常温で液体です。この水銀の液体に金属が溶けるんですね。液状の合金です。以前、歯医者で虫歯の穴の詰めものに「アマルガム」というのを詰め込まれた方もいらっしゃるでしょう。あれは、水銀に銀を溶かしこんだものなのです。水銀に他の金属を溶かしたものをアマルガムというのですね。で、歯医者さんは、液体の水銀を扱う職業で、無機水銀中毒の危険にさらされていたわけです。
さて、大仏様は、造立された当時、金色だったのですね。
これは金メッキを施したからです。
当時の金メッキは、水銀に金を溶かしてアマルガムとし、大仏の表面に塗布してから、加熱して水銀を蒸発させて金を残す、という方法で行われました。
当然、大量の水銀蒸気が立ち上ったはずですので、大仏造立にかかわった労働者の方々にも、水銀中毒が発生したのではなかろうか、と想像されます。
http://www.tmk.or.jp/history_06.html
ここは「東京都鍍金工業組合」のホームページです。
「鍍金」は「メッキ」と読みます。いかにも、アマルガム塗布で金メッキ、という感じが分かりますでしょ。
ここに、「奈良の大仏と表面処理」の話が詳しく載っています。
関心がおありでしたら是非お読みください。
化学教師としては大仏様のアマルガムでの金メッキ、というのは、ほぼ常識的な話なんですよ。
2010.5.17付 朝日歌壇より
春来れば黒き位牌の匂いつついくつも売れて店は明るし:(八戸市)山村陽一
馬場あき子 評:事柄をうたっているだけだがいろいろと考えさせられる。上句と下句の照応も面白い。
あれって、季節性のある「商品」なんですか、知らなかったなぁ。
葬儀にかかわる方々には申し訳ないけれど、もう「戒名」なんてやめた方がいいなぁ。
本来、修行に専念するために、俗世から身を引きはがして、俗世での名前を捨て、仏門での名前をもらい、派手な服装は謹んで黄色のぼろぼろの服を着て、頂ける食事だけを頂いて、俗世への執着を断ち切ったのでしょ。
日本の今の仏教は「執着」だらけじゃないですか。
死んで仏門に入る、なんてやめましょうよ。生きているうちに、わずかでいいから、執着を削って、小ざっぱり身ぎれいに死ねれば充分でしょう。
そう思っております。
2010.5.17付 朝日歌壇より
ソクラテスのような顔してみなジャズを聴いていたっけ新宿「木馬」:(坂戸市)山崎波浪
馬場あき子 評:昭和何年ごろの光景だったか。ジャズを聴きながら浮かれもせずに哲人のような顔をしていた人々の青春。まじめだったなあと回想。
私は昭和40年代の前半くらいでしょうか、ジャズ喫茶に入り浸っておりました。コーヒー一杯で2時間も3時間も座りこんでいましたっけね。巨大なスピーカーの前に座って、耳で聞くというより、皮膚で感じるような聞き方もしました。
「木馬」へは言ったことはありません。渋谷の「オスカー」や、中野の「クレセント」によく行ってましたね。オスカーでは喫茶店なのに小さなステージがあって、ライブもあったんですよ。
「哲人のような顔」をしていたとは思いませんが、まじめでもなかったな。
要するに「粋がって」いたんですね。「若かった」という回想は確かに。
今も、WOWOWなどで、ジャズのライブを録画して聴くのは大好きです。
楽器で行われる会話が好きでね。たまりません。ジャズはライブに限ります。
ひょっとして、クラシックの室内楽というのも、その当時はライブで当意即妙の掛け合いもあったのではないかな、と想像します。
NHKホールのパイプオルガンで「さくらさくら」をモチーフにした即興演奏というのを聞いたことがありますが、あれは「ジャズ」でした。20分くらいも、「さくら」はどこへいったんだ?という自由な変奏が続いて、最後にもう一回「さくら」にもどって終わった。あれ、よかったなぁ。
「哲人」で思い出してしまいましたが、昔のCMソング、野坂昭如さん
ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、二、二、ニーチェかサルトルか
みんな悩んで大きくなった
というのがありましたっけね。
どなたも、ジャズを楽しんだ世代じゃなさそうだ。
(サルトルがジャズを聴いたかどうかは知りません。)
2010.5.17付 朝日歌壇より
ごきぶりは旧約聖書の中でさえ打たれいるらし我も叩きぬ:(松戸市)東 洋
どうも、きらわれものですねぇ。かわいそうに。ごく普通の昆虫なのに。毒があるわけでもなし、刺すわけでもなし。どうしてなのかな?
歌の雰囲気だと、ごきぶりは時空を超えて嫌われているのだぞ、という感じですねぇ。
そりゃ、私だって家の中で一緒に生活しようとは思いませんけれどね。
成虫とは戦う。最近は、道具なしでも戦える。ひょいと手を伸ばして掴んで、紙に移して殺しちゃうという技も研究しました。
でも、一齢幼虫はダメ。かわいいもの。傷つけないように外へ逃がしてやります。成虫までなれたら、またおいで。正々堂々と戦ってやるぞ、などと声をかけてね。
メキシコ民謡の「ラ・クカラーチャ」ってご存知ですか?陽気な歌ですね。
「La cucaracha」ですが英語の「a cockroach」と同じなんだって、想像できますか?言語的想像力というやつですね。
もちろん、cockroach はゴキブリのことです。
古今東西誰もが嫌う、というわけでもないようですね。
大型の体長5~6cmもあるゴキブリを見せていただいたこともあります。ペットなんですって。
生物としてはヒトより年長者ですから、敬して遠ざく、程度で付き合ってはいかがなものでしょうか。
2020.5.17付 朝日歌壇より
愛してるなどとは言ってくれないが飲みたい時にお茶が出てくる:(東京都)福田豊
永田和宏 評:いいなあこんな夫婦はと思わせる一首。妻は夫の生態を知り尽くしている!
まあ、別に、いいんですけれど。
私は、自分の飲み物は自分で淹れる、という主義を職場でも家庭でも貫いてきました。
ですから、我が家では、お茶は出てきません。
職場も、学校というところは、結構その点は住みやすいのでして、誰かがお茶を淹れてくれるなどということはないのです。自分が飲みたければ自分で淹れる、という生活で気楽に仕事ができました。
自分が飲みたいものを、自分が飲みたいような味で、自分が飲みたい時に淹れる、これが一番の楽しみでしょう。
2010.5.17付 朝日歌壇より
蛙にも方言あるらし沖縄の蛙は鳴けり巻き舌になり:(香川県)桑名真寿美
動物のコミュニケーションに「方言」はあります。
動物にとってのコミュニケーションとは普通は雌雄が交尾に至るための行動です。
有名なのはゲンジボタルの発光感覚が糸魚川―静岡構造線あたりを境に、東で4秒間隔、西で2秒間隔、というのがありますね。
この違いが大きくなりすぎると、違うタイプの雌雄が交尾できなくなりますので、生殖的に分離され別の種へ分かれていくことになります。
違いが小さい間は、交雑可能です。
蛙にも鳴き方のパターンの差=方言があると思いますが、それが「巻き舌」かどうかは、私はよく知りません。
それは、米軍基地を大量に押しつけられてアメリカ文化が流れ込んだ沖縄であるがため、英語風「巻き舌」になった、ととらえていらっしゃるのでしょうか。
そのあたりは読み切れませんでした。
2010.5.17付 朝日歌壇より
内側から死は始まっているのらしい老猫の息に腐臭漂う
ヒトのほうが、そういうことはおこりやすい。死に向かう「におい」、病の「におい」というのはあります。
猫などは、ぎりぎりまで行動力を保ったまま、最後、がくっと死にます。
「内側から死」は迫るのでしょうが、腐臭が漂うというのは少し違うかな、という気もする。
おそらく、口内炎とか、歯肉炎を起こしているのですよ。
歯や歯茎にガタが来てしまったのだと思うのですけれど。
野生動物は、歯がだめになる時が「寿命」です。
食べられなくなったら、自ら静かに衰弱をまって逝きます。
人と暮らすようになって、猫も「老い」に迫られるようになりました。
病院へ行って、口の中など診てもらってください。
2010.5.17付 朝日歌壇より
手の甲に今日の仕事の書いてある若手社員と乗るエレベーター:(東京都)豊英二
高野公彦 評:若手社員の初々しさが伝わってくる。新入社員かもしれぬ。
私には「初々しい」とは感じられないスタイルなんですよね、あの手の甲に書いておくメモ。何か横着しているようで。
多分「今日の仕事」ではなく、今向かうところでの仕事くらいでしょう。長持ちするメモじゃなし。
現役時代、たまに生徒もやってましたが、メモ用紙あげるからちゃんと書きな、といっていましたが。
新入社員でしょう。そういうメモスタイルを持ち込むのは。それではやっていけなくなるはずです、仕事というやつは。メモであっても残しておかないと責任ある仕事はできませんからね。
きちっとしたメモをとるというのは、ちゃんとした仕事をするための大事な能力でもあるんです。
5月7日
環八の歩道の植え込み。ニラの花が咲いていました。
きれいですね。
昨シーズンに採取したニラの種を播いたら、発芽しました。
まだひょろひょろで、とてもお目にかけられるようなものではないので、うまく育つようでしたら紹介します。
ニラはユリ科ネギ属。
今スーパーでラッキョウが売られています。
毎年ラッキョウ漬を作って楽しんでいますが、シーズン到来ですね。
昨年かな、NHKのテレビのワンシーンで、ラッキョウの花が写ったのですね。
きれいでした。
エッ、ラッキョウの花ってあんなふうなものなのか、と感動しましたので、今年は、漬物を作る際に芽の出たのをいくつか取り分けて植えてみようか、と目論んでおります。
上手くいくものかどうか全く分かりませんので、もし、うまくいったらご報告します。
どうなるかなぁ。
5月5日
鮮明な写真が撮れませんでした。
マルカメムシといいます。
クズなどのマメ科の植物につきます。
この昆虫の「健康な生育」には共生細菌が必要なのだそうでして、そのため、メスは卵を産むときに自分の共生細菌のはいったカプセルを卵と一緒に産みつけて、孵化した幼虫はまず、そのカプセルから共生細菌を吸って自分のものにするのだそうです。
このあたりを解説した面白いサイトがありますので関心がありましたらどうぞ↓
http://column.odokon.org/2007/0802_171507.php
また、現在出ている日経サイエンスの2010.6月号の「科学のクオリア」という茂木健一郎さんの深津武馬さんとの対談記事「細菌によって変わる虫たち」という記事にも、マルカメムシの話が載っています。
・・・
深津:マルカメムシの卵は、よく見ると間に茶色い粒々が付いています。共生細菌が入ったカプセルで、親が卵を産む時に、一緒に産んでおくんです。いわば共生細菌を詰めたお弁当箱で、孵化した子どもは先を争って中身を吸います。
茂木:全員の分があるんですか。
深津:あります。カプセルの中の細菌量を測ってみたら、1個あたり6匹の幼虫が十分に成育できる共生細菌が入っていて、カプセルと卵の比は1対3~4でした。
・・・
茂木:先生はもともと虫屋ですか。
深津:生まれた時から虫屋です。・・・
茂木:まっすぐこの道を目指してこられたんですね。
深津:そうですね。僕、小学校の時の文集に書いているんですよ。「生物学者になりたいけど、食べていけるとは思えない。どうしよう」って。でも、意外と食 べていけます(笑)。
・・・
嬉しい記事でした。
何のためになるか?なんて考えていたらこんな研究はできないでしょうね。
でも、大事な研究です。
ためになるかどうかよりも、おもしろいかどうか、が大事なんだけどなぁ。
勉強っておもしろいですよね。だって知らなかったことを知ることができるんだもの。
ためにする勉強なんて辛いだろうなぁ。
いや脱線しすぎました。
マルカメムシをみたら、思い出して下さい。
昨日、5月16日(日)に、プールへ行って、1900m泳ぎ、これでこのプールで泳ぎ始めてから泳いだ距離が通算で2500kmを超えました。
メデタイ(のだろうか?)
これが一番基本的なグラフです。
1回ごとに何m泳いだかの記録をそのままグラフ化したのが、ジグザグのグラフで、左の目盛りを「m」単位で読み取ります。
右上がりのグラフは通算の距離を表していて、左の目盛りを「km」単位で読み取ります。
2010.5.16で2500kmに達しました。
泳ぎ始めたのは、1989.4.23でしたから、21年かかりましたね。
{選手なんかは、1日10kmとか泳いで、年間200日練習すれば、1年で2000kmだもんな。あの人たちは桁がちがう。}
1988年の秋に「大腰痛」をやらかしてしまい、何とか体を立て直せないかな、と翌年度から泳ぎ始めたのでした。
2000年の4月のところで大きな変化が起こっていますが、2000年3月31日をもって教諭を退職した、という境い目です。(1999年度までが教諭です。51歳までしかもちませんでした。)
教諭時代の方が何かと忙しくて体力的にもきつかったのにたくさん泳いでいて、やめた途端に気力がガタ落ちになってしまったのですね。
通算距離もここを境にして傾きが小さくなり、距離が伸び悩んでしまいました。
ほぼ同内容のグラフなのですが、点の縦方向の間隔が「100km」でそろっています。
2000kmを通過したのが、2004年度だったことがわかります。
一つの年度内に点が2つあって、1年間で100kmを優に超えて泳いでいた時もあります。
今回の100kmはあしかけ3年かかってしまいましたね。のびません。
1000kmの通過が1995年度だったようです。このころはずいぶん泳いでいました。
1年(1年度)でどのくらい泳げたのか、をグラフ化してみました。
横軸の年号は「年度」で読みます。4月~3月までの「年度」を単位にしました。
退職するまでは1年間で100kmは軽く超えて、年間180kmを超えたこともあるのですね。退職後に100kmを超えたのは2回しかない。
落差大きいなぁ。
この1年間なんか50kmしか泳いでない。
これは、理科支援員を受けたせいもあるのです。
請け負った仕事ですから、そうそう気軽に休めない。去年の11月ごろから今年の2月位にかけて、「こわかった」のです。寒いし、インフルエンザもはやっているし、もし腰痛をやったら申し訳ないし、ということで、こわがってしまったのでした。
2010年度にはいってから、いつまで怖がっていても仕方ない。請け負った仕事はもうないし、ひっくり返ったらそれはそれでもう構うものか、という気分をなんとか盛りたてて、昨日は1時間で1900m泳いでみました。
腰も痛いし、肩も痛いし。肩関節の可動域が狭まってしまったし、水を抑える力が弱くなったし、立て直すのも大変です。まぁ、ゆっくり立て直してみましょう。どこまでいけるものやら。
でもなぁ、3000kmは無理だと思いますね。70歳になってしまう、おそらく。そのころ、こんな泳ぎができるはずはないものな。
障害者なのにすごい、などと言わないでくださいね。私にできるスポーツは水泳であって、歩くのも走るのもダメだから、こうやって泳いで体の維持に努めてきただけです。
人は自分にできることをする。のです。
できないことなんかできません。
できることとできないことの境い目を探るのが人生かもしれませんね。
夢は必ずかなう、などというまやかしにのせられないで、自分にはなにができてなにができないか、を徹底的に追及して、人生を楽しみましょう。
ところで、私が泳いでいるのは25mプールですから、25mごとにターンします。4回壁を蹴ると100m泳げます。
2500km泳ぐには、なんと、10万回もプールの壁を蹴飛ばしたのですね!
スゴイでしょ。
5月5日
家のブロック塀の外。「ど根性」オニタビラコが満開。
ここは外から門に向かってすぐ左。
門に向って右、2mほどのところでは
アカカタバミが満開でした。
この二つの花は直線距離にして3mかなぁ。
オニタビラコを撮ってから、左へ移動し、ビヨウヤナギの前を通って、線路の柵のにそってのんびり歩き、足元の草や虫をみていき、さあ、帰り道というところで、アカカタバミにぶつかったわけですが、この間、13分かかっていますね。
すごい「速さ」でしょ。つぎつぎといろんな花や虫が目に飛び込んできて前進しないんですね、なかなか。
いったん玄関を出ると、帰ってこられなくなるのですね、これから夏、秋は。
虫と花に遭難してしまう、かかしなのです。
救助隊が必要だぁ。
5月5日
ナンテンのつぼみがふくらんできています。
去年の実は全部鳥が食べてどこかへ播種したようですね。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nanten.html
このサイトを読んでいたら
ナンテン(南天)は不浄を清めるということで,お手洗いの外に植えてあったりします。また,料理の飾りに南天の葉をあしらったり,ナンテンの箸というの も食あたりを防ぎ,長寿を祈願するということで好まれるようです。
実は真っ赤で,雪兎を作ったときの目に埋め込みました。もちろん,耳はナンテンの葉です。
とありました。
そう、昔、お手洗い=トイレのことを、我が家でも「御不浄」といっていましたっけねぇ。
今はこの言葉は死語かな。
お盆の上に「雪兎」というのも懐かしいですね。
お皿の上に林檎兎というのもつくったなぁ。
思い出してしまいました。
5月4日
コクロヒメテントウです。
小形のテントウムシです。ナナホシなどのような輝きはなくて、短い毛が生えているのでしょうか、つや消しぎみです。
成虫も幼虫もアブラムシを食べます。
これが成虫ですが、幼虫はちょっと変わった姿でして(去年も載せましたよね)
5月10日
サザンカの若い葉の上。
白いのがコクロヒメテントウの幼虫です。右のは、ちいさなアブラムシを捕獲していますね。
左下ではヒラタアブの幼虫が大きなアブラムシを捕獲しています。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/kokurohimetentou.html
幼虫図鑑です。このサイトによりますと
カイガラムシのように見えるが,白いのは分泌した蝋物質で,アリに対して「私はカイガラムシです」と偽装しているのだそうです。蝋物質を取ると緑っぽい色をしているそうですが,かわいそうで確かめられませんね。
そうなんだ、カイガラムシへの擬態なんですね。
妻に、これはコクロヒメテントウというテントウムシの幼虫だ、と教えたら、カイガラムシだと思って潰しちゃいけないのね、と言っておりました。
人に対してはこの擬態は「負の擬態」になりそうですね。
カイガラムシやっつけなくっちゃ、という反応をひきおこしますよね。
5月4日
プランターのレンゲソウにミツバチが来ていました。
セイヨウミツバチでしょう。
あちこちの花を飛び回っています。
口を伸ばしながらのホバリングが撮れました。
この写真のじょうきょうはどうなっているのでしょうね?
脚で花につかまっているとは思えない。脚をたたんでますよね。
翅もたたんでますよね。
このままなら落下しますね。
ホバリングをやめて、グンと前進し、花に突っ込んだ瞬間を撮ったとしか考えられないなぁ。
後脚に花粉団子をくっつけています。
花粉は「粉」ですから、それだけではうまく団子にまとまりません。
体中の毛についた花粉を櫛のような脚の毛で鋤き集めて団子にしますが、その時、口から蜜を少量吐き戻して花粉と混ぜ、練って密の粘り気を使って団子にするのですね。
この口の先を見てください。
竜骨弁(舟弁)のあわせ目に差し込もうとしています。
これでぐいと押し開くと、中からオシベが現れて虫の体を叩いて花粉をつける、というのがマメ科の花の基本的な構造ですね。
しばらく撮りまくって、この程度しかいいのはありませんでしたが、楽しい時間でした。こちらも夢中で他のことなんか何にも分からなくなっています。虫目モードの眼。あるいはスーパー虫目モードの眼になっていました。
アサヒ・コムを読んでいたら、青森の記事でこんな記事を見かけました。
日本一の振り子火事 制御装置から出火(2010年05月12日)
11日午後1時40分ごろ、弘前市文京町の弘前大学理工学部2号館1階物理学実験室にあるフーコー振り子の制御装置が燃え上がり、装置のほか壁約2平方メートルが焼けた。火災警報機の鳴動で駆けつけた職員らが消火器で消し止め、午後1時59分に119番通報した。弘前署で出火原因を調べている。出火時、実験室にはかぎがかかっていてだれもおらず、人的被害はなかった。
弘前大によると、出火した制御装置は、振り子の振動が空気抵抗などで小さくなって止まるのを避け、振動し続けるようにするため、3月に設置した。4月から毎週月曜日に授業で使い、今月10日に実験室を使用したあとは部屋にかぎをかけていた。
フーコー振り子は、直径23センチ、50キロの重りをつるすワイヤの長さが45メートルあり「日本一の長さの振り子」として知られる。11階建て2号館の吹き抜けを利用して重りをつっていた。新設した制御装置は、電磁石を使って重りの振動を一定に保つもので、電磁石で加える微弱な力をパソコンなどで制御していた。
弘前大サイエンスパークの展示の一つ。宇宙空間から見れば同一面で振り子は振動するが、地上の観察者からは振り子の振動面がずれていくことから、地球の自転を証明できる。振り子は北緯40・5度にあるため、1時間に約9・8度ずれることを、観測できる。
(後略)
太字は私がつけたものです。
こういう記事を読むと、無性に計算したくなるたちです。
●45mの振り子というと、周期はどのくらいなのか?
振り子の周期の式は下のようになります。
T=13.5秒
となりました。
周期ですから、行って戻ってくる往復の時間です。ずいぶんゆっくりした振れですね。
東京上野の科学博物館にもフーコーの振り子があるのですが、これは長さが19.5mですので、周期は8.9秒です。
普通の家では実験できる長さではないので、実物を見学にいけるならぜひ行ってみてください。
上の式で、数値の部分を先に計算してしまいますと
T=2.007√(L)
となります。ですから、もし1mの長さの振り子を振らせると、周期2秒、片道1秒の正確な秒を刻む振り子ができますよ。
この式を用いて、弘前大学の振り子のおもりの体積を計算してみましょう。
直径23cmですから体積V=6370立方cm
すると、密度は50000g/6370立方cm≒7.8
鉄の密度を理科年表で調べると7.9くらいですので、このおもり、間違いなく鉄製ですね。
さて、振り子の振動面は宇宙空間に対して動きませんが、地球は自転します。逆に地球上から見ると振り子の振動面が回転していくように見えます。これがフーコーの振り子という実験の意味です。地球が自転していることの直接的な証拠になるのですね。
ω=15度/h
弘前の緯度40.5度≒41度で計算すると
15×sin(41)=9.8度/h
となります。
これが記事中に使われた数値ですね。
北極では緯度90度で、sinの値が1ですから、振り子の振動面は1日で360度まわります。
赤道では緯度0度で、sinの値が0ですから、赤道上でフーコーの振り子の実験をしても、振動面の回転は観測できません。
◆コリオリの力という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
あっさり言ってしまうと、フーコーの振り子の振動面が回転して見えるからには、何かの力が働いているに違いない、と回転する地球上からは見えますね。
その力がコリオリの力です。見かけ上の力です。
北半球の台風の風が反時計回りに吹く、というようなときによく引き合いに出されますね。
赤道上では振り子の振動面は回転しませんから、コリオリの力もゼロですね。
赤道近くの土地で、洗面器のようなものから水を流出させて渦をつくり、赤道より北と、南で渦の向きが違う、などということをやって見せる商売があるようですが、全くのウソであることは明白ですね。だって、コリオリの力はゼロだもん。
穴の形や、水の入れ方、など、どうにでも人為的にコントロールできるのです。
はまらないでください。
◆フーコー自身が1851年にパリのパンテオンで行った実験で使った振り子は
長さが67m、おもりの重さは28kgだった、とウィキペディアに載っていました。
周期16.4秒ですね。まぁ、すごい振り子だったのですね。
振り子の糸やワイヤを、つりさげ点に固定する方法に、向きの偏りがあるとこの実験なかなかうまくいきません。このあたりが高校物理などでこの実験をやるときの難しいポイントになります。
5月1日
ブルーサルビアでしたか、つぼみがついてきました。
で、かがみこんで撮影していたら
向こうの方に、赤い色が見えました。
てっきりナガメだろうと思って上からのぞいたら
ナンダ?これは。
こういう姿を見るのは初めてでした。
迫力ありますねぇ。
調べてみたらカメムシの仲間で、アカシマサシガメだそうです。
福光村昆虫記を読んだら「ヤスデが生息する地表の石裏や植物の根ぎわに住み、ヤスデの仲間を捕らえて体液を吸います。」とありました。
サシガメは動物の体液を吸うのですね。
ヤスデを捕らえるって、すごいですね。
写真を撮ったのは葉の上なので、植物食かと思いましたが、すごいんだ。
びっくりです。
サシガメという名前は聞いていましたが実際に見るのは初めて。
「刺す」「カメムシ」なんでしょうね。
このアカシマサシガメが人を刺すかどうかは分かりませんが、素手で捕まえようとしない方がいいかもしれません。
カメムシみたいだけれど、頭のあたりが違うんだよなぁ、と思ったら警戒して下さい。
2010.5.10付 朝日俳壇より
ロシアまでたんぽぽ飛んでゆく岬:(横浜市)犬山達四郎
安西冬衛の
てふてふが1匹韃靼海峡を渡って行った
を思い出していました。
海を渡る、という意志は、「橋」なのか「塔」なのか。
向こう側、というものを目指しているのか
向こう側の存在などどうでもよくて、ただひたすら「向かう」のか。
2010.5.10付 朝日俳壇より
幸福の王子さがして燕来る:(市川市)鳥居秀雄
幸福の王子という話は、素敵な話なのですが、読んでいてつらい。
燕はそこまで献身しなければなりませんか?
つらくってねぇ。読み続けられないんですよ。
話をお忘れでしたら下のpdfどうぞ。
http://www.hyuki.com/trans/prince.pdf
◆はぁ。読んでいてつらくなる話はいろいろありましてね。
「ごんぎつね」 なんで心は伝わらないのだろう?悲し過ぎる。
「かたあしだちょうのエルフ」 読み聞かせていると、辛くて読み続けられなくなりそうだったな。
娘は「花咲じじい」が嫌いでしたね。なんで、シロは殺されなければならないの?理不尽過ぎて受け入れられなかったようです。
2010.5.10付 朝日俳壇より
落花して花の水輪となりにけり:(箕面市)楢崎真左子
長谷川櫂 評:花びらが水面に落ちて水輪が広がる。水輪はただの水輪なのだが、「花の」とたたえた。
花を中心として、水輪の花が開いていく、というような感じで読んでいて、評をみてちょっとがっかり。
水面に波紋が広がっていく時「水輪はただの水輪なのだ」と思って見ますか?
私のような理系の人間でも、その波紋をつくりだしたものに、その波紋は属するように見えますが。
母カルガモがつくる力強い波紋、子カルガモがつくり、自分では追いつけないような波紋。
花が落ちて揺れる花と広がる波紋。
みんな、波をつくったものと波とをあるていどまで一体化してみていませんか?
花がつくる花の水輪の余韻。そんなものを読み取りたいと思います。
2010.5.10付 朝日歌壇より
園庭に蝶を舞わせる鼓草(つづみそう)たんぽぽぽぽんぽぽんとひらく:(大分市)岩永知子
つづみ‐ぐさ【鼓草】タンポポの異称。[広辞苑第五版]
知らなかった。タンポポの異称ですか。
鼓の音からの連想とか、茎を切って両端を切り開くと反り返って鼓のような姿になる、とかいろいろの説があるようですね。
http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/s/tanpopo.html
ここに、いろいろな語源説の紹介がありました。
上掲の歌は、鼓の音への連想をつかっているのですね。
私が声に出して読んだ気分としては、下句の先に来る「ぽ」の連続を、4から5に増やした方が、字余りにはなるのですが、音のリズム感がよいと、思いました。
たんぽぽ
ぽぽぽん
ぽぽんと
ひらく
2010.5.10付 朝日歌壇より
愛玩する矮鶏(ちゃぼ)に抱かせし軍鶏(しゃも)の卵みなくろぐろと孵化間近なり:(笠間市)北沢錨
馬場あき子 評:可愛がっている小形の矮鶏に軍鶏の卵を抱かせてみたという。「くろぐろ」が少し不気味。どんな孵化をとげるだろう。
日ごろスーパーで買う鶏卵は白いですが、あれは消費者好みに白い卵を産む品種を作ったのでしょう。本来なら、卵殻には色がありましたよね。白いのは本当は不自然なのだと思いますよ。
シャモの卵は見たことがありませんが、白い卵を産むように選別してはいないはずですから、卵に色がある。「真っ黒」ということはないでしょうけれど、濃い褐色とか、きっと黒ずんでいるのだと想像します。不気味とは思いません。
「どんな孵化をとげるだろう。」とおっしゃられても、かわいいひよこがぴよぴよと誕生するのです。それ以外に何かありえましょうか?
あんまり人間の側に引き寄せ過ぎない方がいいと、評を読んで感じています。
2010.5.10付 朝日歌壇より
番犬のひとつが哭けば二つ哭き峡(かい)の五戸みな哭きて暮れゆく:(岩手県)佐藤忠
昔よりも犬の数は増えたように思いますが、遠吠えを聞かなくなった。
犬の声を嫌う傾向のために、ほえない犬種に変わってきているのでしょうか。
犬と人の関係性からして仕方ないことなのかもしれませんが、人の都合で変えられてしまう犬もかわいそうですね。
消防車や救急車が走ると、近所の犬たちが一斉に吠えたてたりもしましたっけ。
犬の声をとんと聞かない日々となりました。
小さな集落の犬がみんな吠え、人にあふれる都会の犬は黙りこくっている。
小集落のわびしさ、大都会の吠えない犬のさびしさ。
2010.5.10付 朝日歌壇より
いわれるとやはりせつない昨日まで私もいってた「長生きしてね」:(瀬戸内市)児山たつ子
永田和宏 評:善意の言葉も時に人を傷つけることが。
「長生き」ということには基本的に価値はないと思っております。
大事なのは、ちゃんと死ぬこと、の方でしょう。
これこそ一大事。人生最後の大仕事。
私は、ちゃんと死にたいな。
2010.5.10付 朝日歌壇より
我が体に静かに澱(おり)が積んでゆくそういう感じ四十代は:(赤穂市)内波志保
永田和宏 評:四十代というのは確かに「そういう感じ」もあったな、と思い返す。
次の歌もあわせてお読みください。
我にまだ老いというもの遠ければ母の老眼鏡を誉めたり:(京都市)敷田八千代
眼の焦点を遠くから近くへ急速に動かすことがうまくいかなくなったなぁ、と感じたのは30代の後半でした。
障害者として、10代の頃にはかなり激しい活動をしていましたが、当時、自分の30代が見えない、と思っていました。実際に30代になって、40代が見えないなぁ、と思いました。
30代の終わりごろから、体にガタを感じて、節制を始めました。
40代に入り、これならなんとか50代もいけるかな、と思った矢先、激烈な腰痛持ちになり、水泳で体の立て直しをはじめましたが、結局、51歳で正規の教諭を退職しました。体がもたなくなったのでした。
以降、静かに老いの坂道を転がりおりています。
自分に70代は存在しないという前提で生きております。
「四十代」。老眼を意識し、疲労の回復の遅さに「こんなじゃなかったのに」といぶかり、いろいろと、「澱」が体内に沈積を始める頃です。
その澱がだんだん重くなってきて、老いを実感し始めます。
ゆっくりと参りましょう。そろりそろりと老いの坂をおりることに致しましょう。
2010.5.10付 朝日歌壇より
朔太郎を吾に教えし人思う葉陰におだまきの蕾見つけて:(東京都)太田美幸
高校時代に、朔太郎の「月に吠える」の復刻版を古本屋で見つけて買い込んで読み耽った思い出があります。
「おだまき」は登場しなかったな。
どうも、朔太郎という人に関して、理解しがたい面があって、私自身はもう、朔太郎をほとんど評価してはいません。
萩原葉子 著「朔太郎とおだまきの花」という本が出ていますね。
上掲の歌の「人」は、萩原さんのことかな、とも思いますが、想像の域を脱しません。
辛い思いがします。
花に疎い私ですが、オダマキの花は知っています。
「静や静 静の苧環繰り返し 昔を今に成すよしもがな」
あのオダマキかぁ、と感心した思い出があります。
上掲の作者の太田さんは、今回の朝日俳壇にも登場しています。
吾も芽なり明るき方へと手を伸ばす:(東京都)太田美幸
上五の言い切りが新鮮。俳句は自由に現代を吸収しつつある。
短歌・俳句と領域をまたぎ越して、表現の道具になさっている。すごいな。
のびやかでよい句ですね。
2010.5.10付 朝日歌壇より
細胞の色が変わってゆくような KISSした瞬間わたしカメレオン:(川西市)市森晴絵
なんにもコメントしません。
若いって・・・いや、じいさんは何も言うまい。
じいさんだから、昭和33年の平尾昌晃の「星は何でも知っている」という古い歌を知っている。
10歳の私(若い)には、よくわからなかった歌詞
「生れて初めての甘いキッスに 胸がふるえて泣いたのを」
2010.5.10付 朝日歌壇より
ビル街の区画を掘りしショベルカー土に拳を置いて眠れり:(シンガポール)関澤元史
ショベルカー、バックホウ、など、人の腕のように見える、というところまでは普通の想像力。
夜、置いてあるショベルカーを見て、「拳を置いて」となると、これは新鮮。
一歩踏み込んだところに、発見があるのですね。
今以降、このシーンを見たら、「拳を置いて」が頭から離れなくなりますね。
2010.5.10付 朝日歌壇より
「これもエコ」自分に言い聞かせながら自転車三人乗り、続けてる:(調布市)西野千晴
高野公彦 評:注に「0歳と4歳の子をのせて」とある。
確かにエコです。漕ぐご自分もエネルギーを消費してダイエットになりそうだし。
ただ、どうか、安全な自転車にお乗りください。
自転車が転倒すると、お子さんは存外のスピードで地面にたたきつけられます。
ヘルメットは必ず着用。それでも、転倒は危険です。
信号も遵守。自動車運転者は、信号を信用して走っています。お互い様のルールですから守って下さいね。
一方通行から車で顔を出すときに、一番注意しなければならないのは、一方通行の向きに逆に走ってくる自転車なのです。そちらへは注意が行きにくいのです。
くれぐれもよろしく。
2010.5.10付 朝日歌壇より
満開の桜の下で「異邦人」の≪maman est morte≫をラジオに聴けり:(岐阜市)高橋和重
高野公彦 評:ラジオ講座のフランス語と桜の取り合わせが生む<不思議感>
桜とフランス語の取り合わせの不思議感、と高野氏は評を書かれていますが、もう少し深読みすべきではなかったでしょうか。
私はフランス語など解さぬものですが、mamanは「母」だなぁ、morteが「死」にかかわる言葉だよなぁ、くらいは分かるのです。
これ、カミュの「異邦人」の出だしですね。
「きょう、ママンが死んだ」という、あれですね。
梶井基次郎の「桜の樹の下には」の「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!これは信じていいことなんだよ」という、桜と死が重なり合うイメージをくんでいると見るべきではないでしょうか。
満開の桜の下で「きょう、ママンが死んだ」というフランス語を聞いた。
そのように満開の桜の下に死が居た。
こんな解釈は行き過ぎですか?
西行(1118 年-1190年)の「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」は有名ですが、万葉にも「花と死」はあるようですね。
世間(よのなか)は 数なきものか 春花の 散りの乱(まが)ひに 死ぬべき思へば
巻十七の三九六三番、大伴家持歌
この頃の花=桜はソメイヨシノではなかったわけです。
でも桜の花というものは「日常の世界」を超えて一歩「向こうの世界」への入り口を垣間見せてくれるのでしょう。
不思議な花です。
2010.5.10付 朝日歌壇より
桜、雪、桜、雪、雪みちのくの四月半ばの桜、雪、雪:(福島県)美原凍子
高野公彦 評:桜と雪を交互に出して寒い春を美しく詠む。
実は今回の歌壇・俳壇では、この寒い春を詠んだ歌・句が複数あります。
雪を見て花見て月を見る日かな:(長野県)縣展子
稲畑汀子 評:これは何と季題を重ねたものであるか。満開の桜に雪が降り、夜は晴れて月が出たという。「見て」という動詞を三つ重ねて、それぞれ花を中心とした句にまとめた妙。
これは、初めの歌の俳句バージョンともいうべきでしょうか。
雪月花と重ねた面白さであると同時に、実際に、雪をのせた花が月光を浴びるという、写生の句であるはずです。写生をしたら、異なる季節の季題が重なっただけで、季題にとらわれていてはこの句は生まれません。自在さがみごとです。
散り急ぐなく花冷のつづくかな:(名古屋市)中野ひろみ
春なのに針の音して雨がふる:(東京都)吉竹純
「針の音」というのは、「雨」とはいえ氷を含んだ「みぞれ」「氷雨」のことではないでしょうか。
確かに、異様に寒い花の季節でした。
2010.5.10付 朝日歌壇より
おろおろと寒さの春を歩みたり地より湧きくる縞蛇・百足:(名古屋市)諏訪兼位
高野公彦 評:今年の春は寒い日が続いた。それでも地下から出てくる生物を詠んだのが第一首。上句は宮沢賢治の「サムサノナツハオロオロアルキ」のもじり。
長いもの、をピックアップなさいましたな、諏訪先生。
短いのもわき出しましたよ。いろいろな昆虫たち。
寒いときはそっと隠れ、陽がさせばわぁっと這い出して来て、にぎやかなことです。
字余りになりますが、「縞蛇・百足」のあとに「むしむし」とつけて読みたいかかしです。
2010.5.10付 朝日歌壇より
吉里吉里もひょうたん島も反戦も長く太くて井上ひさし:(東京都)野上卓
私は大学生の頃、大学闘争の中でいわゆる全共闘という側にいた者ですが、社会正義を語り、人権を語る、その男が家庭では、家父長として暴力的に君臨する、という実例を見、私らの10年上の安保世代にも同様の男を見、強く反発し、そのような、人格の内外が矛盾している人間を信じなくなりました。
井上ひさし氏はかなりの反社会的側面を内側に持った方です。離婚もそのDVが原因と聞き及んでおります。
ひょうたん島を見た世代ではありますが、あの離婚の頃に判明した、人格的な破たんを知って以来、わたくしは井上ひさし氏を評価しなくなった者です。
2010.5.10付 朝日歌壇より
卒業の一人を送り入学の一人を迎える雪降るあした:(稚内市)藤林正則
藤林さんのこの歌、実は続きになっていまして
2010/04/11
来賓十名祝辞二つ式辞一つたつた一人の卒業式
2010/4/26
新しい校長先生を知りたくて引っ越し手伝う全校十五名
2010/05/03
教員の子どもが一人入学し以後入学の予定者はなし
こういう流れの中での一首なのです。
のびやかに成長しますように。
2010.5.10付 朝日歌壇より
塀越しに新入児の声聞こえくる先生の声も日々高まりて:(鹿沼市)石島佳子
作者のような方ばかりだと世の中もゆったりしていいのですが。
この頃は、学校の児童の声も「騒音だ」といいたてる人もいて、世の中、窮屈になりましたねぇ。
子らが育つ声が、騒音だなんて。情けないですよね。
保育園、幼稚園、小学校。
幼い子は「全力で育つ」のです。
2010.5.10付 朝日歌壇より
我が犬は最早本能忘れたか大の字に寝て鼾かきおり:(福岡県)末松博明
おかしい。想像すると笑えます。
いや、うちの猫もいびきかきますけどね。
野良猫でも、人懐っこい奴は腹出してひっくり返って、なでてくれぇ、とやりますね。
おまえ、そんなやわらかい腹をだして、いいのかよ、無防備過ぎないか?とからかいますが。
大の字に寝るというのは四足動物としては楽じゃないような気もするなぁ。
子猫や子犬は体が柔らかくって、仰向けに寝てることもありますね。
イメージが鮮明で、たのしませていただきました。
2010.5.10付 朝日歌壇より
数ミリの穴に塩振り飛び出づる馬刀貝(まてがい)を待つ夕干潟かな:(鹿児島市)篠原廣己
佐佐木幸綱 評:干潟にあるマテ貝の穴に塩を入れてやると、満ち潮かと思って出て来るともいう。平和な潮干狩りの一場面。{永田和宏氏も選んでおられます}
カミソリみたいな形のマテガイは知っていましたが、漢字表記も知らなかったし、習性も知りませんでした。
満潮になっても塩分が濃くなるわけではないでしょうに。むしろ、干潮時に蒸発すれば塩分が濃くなるくらいだと思うのですが。
ですから、満潮だと思って、ではないのではないかなぁ。
塩分が急に濃くなって、吸水管のところでの浸透圧変化を刺激として受け取っての逃避反応、かなんかじゃないかなぁ。
ネットで調べても、詳しいところは分かりませんでした。
塩をまくとマテガイが出てくる動画はありましたが。
よくそういうことを知ったものですねぇ。
海で塩をまくなんて、普通考えないと思うけどなぁ。
5月1日
すっくと立ち上がりました。
立ち上がると結構大きいですよぉ。
ふわっと水から舞いあがって
羽繕い。
よくまああんなに首が回ること、とは後ろで一緒に見ていた妻の感嘆。
こんなスタイルも。
右足一本で立って、左足で首のあたりを掻いている。
猫や犬も後ろ脚で掻きますが、彼らは1本使っても残り3本で安定できるからなぁ。あるいは座って掻いたりだし。
一本足立ちです。
さて、カルガモがこうやって体を乾かしておりましたら、遊歩道を向こうの方から幼い男の子とお母さんのお散歩。
ここにカルガモがいるので、そっと来れば間近で鳥が見られますよ、というつもりで指さしサインをしたのですが、通じなくって、すたすたと歩いてきて、すぐ脇からカルガモが飛び立ったので、ビックリしていました。いい経験だったね。
で、この男の子、私のモンパルを指して、バイク、バイクといって、興味津津。
お母さんによると、乗りものや工事車両がもう大好きなんですよ、とのお話し。
これ、おじいちゃんの電気バイクなんだよ、ほら走るでしょ。
じゃあね、バイバイ、とお別れ。
嬉しそうに見送ってくれたのでありました。
今回のモンパルお散歩は、ここまででした。
5月1日
そろそろ、今回のモンパル散歩も大詰め。
行きにも少し水路のところを通ったのですが、その時は・・・
水路にカルガモがいたのです。で、おシャッターチャンスだ、とモンパルから降りようと思ったとたん・・・
カモちゃ~ん、と大声を上げながらカルガモを追いかけまわすご婦人が現れて。
勘弁してよねぇ。ハトじゃないんだから。自分の側にいくら親近感があっても、それが鳥に通じるわけないでしょうに。
あれよあれよという間に、カモを追いかけまわして、全部「追い払って」しまった。
サイアク。
がっかりしましたよね。カルガモに接近できるチャンスだったのに。
相当にむかっ腹を立てて立ち去ったわけですが、未練が残る。
さっきカモが追いたてられて逃げたあたりへモンパルを走らせる。
やったね!カルガモがいた!
狭い水路なんですが、水浴びをしていました。
3mくらいまで近づいて、望遠レンズで撮影。ただ、私のレンズでは明るさが足りないでしょうから、ぶれてしまうことを覚悟で撮りまくってみました。
冒頭の写真、いかがですか。
跳ね上がった水滴まで写っていました。
ふりまかれた水のダイナミックさ。かなりいいでしょ。
水深は浅いので潜れる深さではありません。
カルガモ(2)へ続く。
5月1日
ハナミズキの花ですが、実は私はハナミズキというものを「これがそうなのか」と認識したのがここの花だったのですね。
ですから、色も一緒に記憶にインプットされた。
で、白いハナミズキを見たときに、何だかわからなかった。
最近はあちこちでハナミズキを見るようになりました。
でも、私にとってのハナミズキの原形はこの花なのです。
これを見るとほっとします。
ハナミズキの花の間を雀が飛び交っていました。
桜の花を落としてしまうのは雀だそうですが、ハナミズキの花も落としてしまうのかい?
ここでは落ち着いた気分でいるらしく、何枚か被写体になってくれました。
ふっかふっか。
あたたかそうですねぇ。
小さな体で体温を保つために強く発熱しているので、雀を掌に持つと熱いくらいでビックリします。なんでだったか、雀を手に抱えたことがあるんですよ。
カナリアや文鳥なんかも飼ったことがあるので、鳥の体温は覚えています。
5月1日
すごい羽音を立てて飛び回ります。
5~10匹くらいはいたと思います。
よほどこの花の蜜がおいしいのでしょうね。
道路に立っていても、体の周りを飛び回るし、花の写真を取っていても頭の周りを飛び回ります。迫力ある羽音です。別に刺されるわけでもなし、焦らず見ていて大丈夫ですよ。
下手な鉄砲も数撃ちゃあたる、っと、パシャパシャシャッターを切った結果、こういう写真が何枚か撮れました。
逆光ですので黒いばかりですが。
どこかにとまってくれないか、と待ったのですが、だめでした。ひたすら飛び回っていましたので、さようなら。
楽しかったけど。
この藤のところを離れて、角度をちょっと変えると、奥の方に見えるのは
白い藤。
これまた見事な藤でした。
近寄れませんでしたので、このショットしかお目にかけられませんが、ほぼ同じ位置に立ったまま、白と紫の藤を楽しめました。
ここは高台。
あとは坂を下りて、低い位置にある六郷用水跡へ向かいます。
5月1日
モンパルでのお散歩も第二の目標まで来ました。
桜坂から遠くないお宅の生垣から、立派な藤が房を垂れています。
棚にはなっていないようです。
車で走っていて、たしかあのあたりのお家に藤があったぞ、と目指していたわけです。
マメ科の花の姿って好きです。
オシベも大分のぞいていますから、きっと立派な藤豆がなるでしょう。
(小学校時代のことをほとんど覚えていない私ですが、遊びはいくらか記憶があって、藤豆は覚えています。固いんですよね。大きくて。で、ワルガキ仲間で、この藤豆で殴り合いごっこをするんですね。もちろん真剣に殴りあったら怪我します。どの程度痛いかはお互いよく知っていますから、いてぇ!と叫びながらコツンと当てるんですね。程度を知った遊びでした。)
ところで、この写真。真ん中にこちらにお尻を向けた昆虫がいます。
クマバチだと思います。黒い腹部、向こうに黄色い毛。飛び回る姿は黒い大きな蜂。
間違いないと思います。
弐に続く。
5月1日
ジャスミンを咲かせているお家を2,3軒みかけました。
ジャスミン【jasmine・耶悉茗・素馨】
(もとペルシア語。アラビア語を経てヨーロッパに入る。「耶悉茗」は中国語音訳)
①モクセイ科ジャスミナム(ソケイ)属の植物200種以上の総称。熱帯・亜熱帯に産する。葉は複葉。黄・白などの筒状花を開き、特有の佳香がある。オウバイ・ソケイ・マツリカなどが普通。観賞用に栽
培。
②ジャスミンの花から採った精油。リナロールなどを含み、芳香が強い。
強い香りがしました。
このようすだと、当分このあたりでは香りが漂い続けますね。
まつり‐か【茉莉花】モクセイ科の常緑小低木。インド原産の香料植物。ジャスミンの一種。葉は楕円形。夏の夕、白色・盆形で芳香の高い五弁花を開く。温室で栽培。中国では南部で栽培し、乾花を茶に入れ、ジャスミン茶とす
る。茉莉。毛輪花。<季語:夏>
ほんのり薫る分には好きですが、強すぎるのは苦手。
香りのお茶も苦手。
よい香りは、とおくから鑑賞したいと思う、かかしです。
(お化粧の濃い女性が乗ったあとのエレベーターからは退散したくなるかかしでもあります。)
5月1日
天気もよく、お散歩日和。
この日のテーマは「桐と藤」。
なんだか源氏物語みたい、ゆかしいなぁ。
モンパルをガレージから出そうとしたら、ガレージの可動柵のところに、コメツキムシ。
これは幸先よい。
恐らく正確にはサビキコリだと思います。
子どものころ、夜に灯りに飛び込んできたコメツキムシはクシコメツキだったと思います。
部屋に入り込んでくると、ひとしきり遊びましたね。
ご存じですよね。
背中を下にひっくり返してテーブルの上などに置きます。
すると、体を反らしていって、パチンという音とともに30cmくらいも跳ね上がり、降りてくるときに正立して着地。逃げ出そうとするわけです。これをまた捕まえてひっくり返して・・・。
バネのようなタンパク質にエネルギーを蓄えていって、いっきょに開放して跳ね上がるのです。ビックリ箱のような原理です。
今回のサビキコリ、遊んだりはせずに、足元の草の中に放してやりました。
おじちゃん、おばちゃん、いってらっしゃ~い。なのでした。
4月30日
これはハリカメムシだと思います。
「と思います」というのは、ハリカメムシとホソハリカメムシの区別が実はワタクシついていないものですから。すみません。肩の「張り」が違うらしいのですけれどね。
さて、このハリカメムシ、今年は当たり年らしくて、あちこちで出会います。そういう流れの中で・・・
このカメムシに出会いました。
肩が張ってるでしょ。で、ハリカメムシだと、思いこんでしまったのですね。
ただ、体の幅が広いなぁ、翅の後ろの方が、まとまっていないなぁ、色が淡いなぁ、などとは思っていました。脱皮直後かなにかで、色が淡くて、翅も固まっていないのかな、などと、思い込みに都合のよい方へと考えていました。
パソコン画面上で見ると、これはどうみても別種ですね。
エビイロカメムシというのだそうです。
幼虫はススキなどのイネ科の植物汁を吸うそうです。形もかなりユニークなものらしい。出会ってみたいですね。
成虫がいたのですから幼虫にも会えるかもしれませんね、そのうち。
チャンスを待ちます。
4月29日
この日は風の強い日でした。
電車に乗って本屋さんに行こうと外出したら、道路の真ん中をビニール袋が飛ばされて舞っています。まずいな、と左右を見てから拾ってきました。どこかごみの集積所に置こうと思ったのですが、みれば、こうです。
中に入っているのは、これは桐の花ですね。
どなたか桐の花を拾って、袋に入れて持ち帰ろうとなさったのでしょうが、風に飛ばされて気づかないまま行ってしまわれたのでしょう。
戻ってこられないかなぁ、としばらく待っていたのですが、人がやってくる気配もなし。
いいか、持ち帰ろう、と背中のリュックに放り込んで買い物へ。
帰宅してから、妻に、これが桐の花だよ、と見せました。
こんなに大きいのか、と驚いた様子。
匂いを嗅いでみな、独特の香りがわずかにするから。
ホントだ。
芳香というほどではないのですが、かすかに、独特の不快ではない香りがあります。
散った花だし開いてみよう
こうなっていました。
花弁とオシベが一体になって落ちたものですから、当然メシベはありません。
おもしろいですね。下の方で一体化している。
葯はずいぶん大きなものです。
今年、桐がそばにあることを知って、ついに花を知り、今回中身まで見させてもらいました。気づくと色々なことがどんどん展開します。こういうの、楽しいですねぇ。
役に立ついうことはないけれど、知らなかったことを知ることができる、というのは純粋な喜びですね。
楽しいや。
4月29日
クルミの木と並んで生えているシロダモ。
新芽はほとんど白といっていいですね。
木陰で暗いなかで、輝いて見えます。
去年、この花はなんだろうとうかがって、シロダモです、と教えていただきました。
今年はじっくり観察しましょう。
ところで、シロダモってどういう漢字なんだろう?と調べたら
白梻
こういう字のようですね。
この右の字は単独では「しきみ」らしいです。
しきみ【樒・○】シキミ科の常緑小高木。山地に自生し、また墓地などに植える。高さ約3メートル。葉は平滑。春、葉の付け根に黄白色の花を開く。花弁は細く多数。全体に香気があり、仏前に供え、また葉と樹皮を乾かした粉末で抹香や線香を作り、材は器具用。果実は猛毒で、「悪しき実」が名の由来という。シキビ。コウシバ。コウノキ。木密。仏前草。「樒の花」は 春 。万葉集20「奥山の―が花の名のごとや」[広辞苑第五版]
「○」のところが木へんに佛の字です。
シロダモそのものはクスノキ科です。
ややこしいなあ。
で、「しきみ」という言葉で何か思い出しませんか?
私の頭の中に浮かんできたのは、たしか「タミフルの原料」にそんな名前があった、ということでして検索してみたら
http://www.org-chem.org/yuuki/mow/0512/shikimic.html
ここに「シキミ酸」の話が出ています。
タミフルの原料がシキミ酸だったのですね。私の記憶もまんざらではない。
もちろん、タミフルはインフルエンザの治療薬のタミフルです。
ただ、名前はシキミ酸ですが、シキミから取るのではなく、八角という植物から抽出するようですね。
化学の方の話題で、化学的に合成する方法の記事を読んだので、記憶に残っているのだと思います。合成はできないことはないのですが、コスト的に引き合わない、というのが現状でしょう。
4月26日
珍しくネコハエトリのオスを見かけました。
メスの方は茶色で、いかにも「猫」という感じがしますが、オスの方は黒っぽくって、あまり猫っぽくはないですね。
第1脚が結構長くて、横に開くとカニグモ風のスタイルになります。
連休の初め頃のテレビで、このネコハエトリのオスのクモ合戦を流していましたね。
私の記憶では「ホンチ遊び」なんですが、テレビでは何だかちょっと違う呼び方をしていたように聞こえましたが、忘れました。
コガネグモのクモ合戦とか、中国ではコオロギを闘わせる闘蟋とか、いろいろあるようですが、私自身は勝負事にまるっきり関心がないので、くわしいことは知りません。
クモを闘わせるより、クモと自分がにらめっこでもする方が楽しいなぁ。
4月26日
線路際の柵の下。何かがピョンピョン跳ねてきます。
なんだ?とレンズを向けて一枚。これだけ。
ハエトリグモですね。
ヤエムグラの葉の下、枯葉の上を跳びはねて通り過ぎて行きました。
一瞬の、出会いでした。
う~む~。
なんというハエトリグモだろう?
調べてみると、シラホシコゲチャハエトリというのに似ています。
「日本のクモ」によりますと
海岸から河口の河川敷から市街地の空き地、山地の川原まで広く分布する。川原、草地、空き地、林道などの石の上、地表面、倒木、コンクリート片や発泡スチロールなどの不法投棄物の上、時には下草の葉上をジャンプしながら獲物を探す。石の下、倒木の下のへこみやすき間に袋状住居を作る。オスでは黒色の腹部にある4個の白点が目立つ。
とありまして、要するにどこにでもいるらしいです。ピョンピョン跳びながら、というのも合ってるかなぁ、と思っております。
4月26日
タカラダニの季節が来ました。
熱く焼けたコンクリートの上などをせわしなく走ります。
きれいなダニですね。
どうしても鮮明な写真がとれません。
5月5日
いつも上の写真のようにコンクリートやタイルの上を走っているのに、珍しくゼニアオイの葉の上でゆっくりしていました。
体に模様なのか、毛なのか、なんとなく見えますね。
ぶれは大きいのですが、どうやら、毛が生えているのでしょう。
京都府保健環境研究所というところのHPを見つけました
http://www.pref.kyoto.jp/hokanken/mame_takaradani.html
正式には
ダニ目>前気門亜目>タカラダニ科>アナタカラダニ属>カベアナタカラダニBalaustium mutotum(Hermann)
というのだそうです。
見つかるのはすべてメスであること。このダニで、オスが見つかった例はなく、単為生殖を行っているのではと考えられています。
気持ち悪いと決めつけず、この季節だけに現れてくる、不思議なダニ、タカラダニ。その生態をじっくり観察してみませんか?
新しい発見があるか もしれません。
とありました。
きれいですよ。人間の皮膚ってそれなりに丈夫なものです。動物としての自分を信じて、観察してみてください。
4月24日
モンパルでのお散歩も帰路です。
ふと気づけば、菜の花。アブラナが正式名かな。
プランターに植えられた「菜の花畑」なのです。
実は、広大な菜の花畑というものは私、見たことがないのです。
食用の菜の花は毎年見てますし、アブラナ科の花はいっぱい見ていてブログにも載せていますが、本家本元、菜の花が、ちゃんと生えて、ちゃんと咲いているのはあまり見た記憶がない。
さて、上の写真、プランターに植えられた菜の花の種がこぼれたんですね。
で、いわゆる「ど根性菜の花」になってしまった。舗装のすき間から立ち上がっています。
アブラナ科の花は「4長オシベ(4強オシベ)」なんて今まで書いてきて、ちゃんと本家の菜の花の写真がまだでしたね。
まったく、オシベは6本あって4本が長い。
アブラナ科のことを、昔は十字花科といいましたよね。花弁が十字になっているからですが、おみごと。
実です。これまた、典型的なアブラナ科の実です。
タネツケバナの実が、ずっと小さくて、これと全く同じ姿。
これで、今回のモンパル・お散歩かかしは終了。
楽しかったですよ。
4月24日
六郷用水跡の遊歩道はいったん上がってしまうと、途中で降りられなかったり、すれ違いに困難を覚えたりなので、上がりません。遊歩道の外の車道を走っています。
ドウダンツツジの植え込みが切れたところで、ハトに遭遇。
少し前に、水洗トイレを使うハトの話をちらっと書きましたが、あの場所です。
今回は、モンパルを止めたら、ハトがそばに歩いてやってきてポーズをとります。
まぁ、餌をもらえるか、と思ったのでしょうが、こちらはカメラの構図で物を見ていますから、チャンス、と撮影。
この色は、「構造色」ですね。羽自体の色ではなく、羽の微細な構造によって光の干渉がおこって発色しているのだと思います。
瞳までくっきり写りましたね。
鳥の瞳も丸いですね。
フレンドリーなやつばかり。
鳥の写真は難しい。カメラを向けられただけで、気づいて飛び去る鳥が多いですよね。
ハトは人から餌がもらえると学習してしまっているので、被写体としては撮りやすい。
それでも、これだけくっきり写せると嬉しくなります。
ありがとうね。
また来るよ。
4月24日
六郷用水跡の遊歩道の植え込み。
ドウダンツツジが「満開」でした。
前後をぼかして、真ん中あたりにピントを合わせて、白い壁のように写したい、と試みたのですが、不十分ですね。
それでも、一眼レフなので「ボケ味」が出しやすいのは助かります。
初期のデジカメには「ボケ味」が全然なくって、つまらなかったことを思い出します。
かわいいですね。
我が家のドウダンツツジは全然花がつかないので、こういうのをみると、うらやましい。
我が家のドウダンツツジには、これまた、由来がありまして。
ある時、鉢ごと横倒しに捨ててあったのです。ドウダンツツジが。
で、持ち主が戻ってこないかなぁ、と待ったのですが、そのまんまで、これではかわいそう、と我が家で引き取って植えたのですね。初めの頃少し花が咲いたのですが、その後は美しい緑を堪能させてくれるだけになってしまいました。
まあ、いいか。きれいだもんな。
4月24日
ハナミズキのそばにあります。
去年名前がわからなくて、このブログ上で名前を教えていただいたのでした。
ホットリップス。
鮮やかですね。
上から出ているのはメシベでしょうか。
これがまた、雛が口を開いてエサを要求しているような、かわいさですね。
さて、去年教わったときに気づいていればよかったのですが、今年この花を見ていて
「口を開いたような花」だなぁ、これって、ヒメオドリコソウやホトケノザと基本構造が同じなんじゃないか?と思いついたのですね。
調べてみたら、やっぱりねぇ。
シソ科なんですね、コレ。
ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、ジュウニヒトエ、みんなシソ科なんです。
「口を開いたような花」なんですね、どれも。
そうだったんだぁ、と改めて認識しました。
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/shisoka.html
ここに「シソ科の唇形花」の解説があります。
シソ科では、花びらが一体化して1つの筒になっている。筒先は開いて、いくつかの裂片に分かれている。オドリコソウやヤマハッカでは、筒の先が大きく上下に割れている。このようすを口に例えて、上の方を「上唇」、下の方を「下唇」と呼び、花全体を「唇形花」と呼ぶ。
そうなんだぁ。
花にもぐり込むハチの背中に花粉をつける機構の話や写真もあります。ぜひご覧ください。
本家本元の紫蘇の花の記憶がない。紫蘇の実は当然知ってますが。
検索しても姿のはっきりわかる写真は少ないようです。
公的なサイトには見つからなくて、リンクは張りません。
ご自分で探してみてください。確かに「唇形花」を咲かせます。
4月24日
今回のお散歩の目当ての一つがこれ。
マンションの1階にドラッグストアがあって、時々買い物に来るのですが、駐車場にハナミズキが咲いているのを見て、じっくり撮りたいな、と思っていたのです。
何種類かのハナミズキが植えられています。
じっくり花が見られて楽しかったですよ。
中央部、ぷちぷちしているのが一つずつそれぞれ「花」なんですよね。
少し咲き進んだ花を探してみました。
こうなります。
小さな花一つにオシベ4本、メシベ1本という構成のようですね。
ちょっと気取った一枚をお目にかけます。
ぜひ拡大してみてください。
バレリーナの踊りの終わる瞬間、みたいな感じ、しませんか?
◆ところで、モンパルは駐車場からちょっと離れた所に置いて、おりて撮影していたのですが。すぐ脇に、ハイブリッド・カーが一台止まっていたのですね。撮影に集中していて、ふっと気づいたら、その車がバックして駐車場を出ていくところでした。ドキッ、びっくりしました。
車が動いたことを全く認識できなかった。
静かすぎます。低速で発進するので、当然バッテリーでモーターを回して走り出したわけです。モーターは静かすぎる。
どけどけ、と大きな音で歩行者を脅してはいけないけれど、ここにいますよ、そばで動いていますよ、ということを伝える音は絶対必要です。
小さな音でいい、ここにいますから認識して下さいね、という優しい音が欲しい。
モンパルには、ウィンカーがあって、ランプの点滅と同時に小さなブザー音が出るのです。
歩行者と同じ速度なので、ウィンカーなんかほとんどどうでもいいのですが、音が出るのがいい。ここに電動車いすがいます、ということをさりげなく同じ平面を同じ速度で動いている人に伝えられる。私はこれを利用しています。
車にも何か良い工夫をしてほしいものだと、強く感じました。
音が小さすぎるのは危険です。
ご近所に、大きな松の木があります。
見事な花を咲かせています。
我が家には鉢植えの松がありますが、これは小さいですから、スケールの大きさに圧倒されます。(我が家の松の鉢は、引っ越していかれるかたが、育ててやってください、と置いて行かれたものです。)
虫媒花は虫を呼ぶために、花びらを発達させました。そのおすそわけで、ヒトの目にも美しく感じられます。(実は昆虫が見ている花の模様と、ヒトが見ている花の模様は異なっているはずです。多くの昆虫は紫外線が見えるので、ヒトよりも豊かな色彩世界にいる、といってもいいのです。ヒトは最高の動物なんてうぬぼれは、やめに致しましょう。)
松は風媒花ですから、虫を呼ぶ必要はなく、花としては地味です。
でも、こうやって花を眺めていると、やはり、子孫を残していくための懸命な生きる姿にうたれますね。
この記事を書いている5月4日には、雄花穂はもうほとんど落ちてしまっています。
変化が速い。
このクルミの木、蛾の幼虫にやられやすくって、可哀想なんですが、手の届く範囲じゃないし。
がんばってね。
去年は、実を拾っておいて、子どもたちにあげようか、なんて思っているうちに、台風で全部実が落ちて、全部拾われてしまって、けっこうめげましたね。
幼い女の子とお母さんがお散歩中に、このクルミの木に気づいて。立ち話をして、拾っておいた実を差し上げたら、後で、クルミの実入りのケーキを頂いてしまった事がありまして。
で、今年の冬、理科支援員として行った小学校で、あるお母さんに挨拶されまして。
クルミの実を頂いた・・・と言われて、あ、あのクルミの・・・もう1年生になられましたかあ・・・
とビックリした次第。もう5月だものなぁ、2年生だ。
子の成長は早い。爺さんの日々は大して変化もしないのに。
2010.5.3付 朝日歌壇より
タクシーの無線流るる車内にて0番地とは斎場と知る:(沼津市)森田小夜子
なるほど。業界内部での符牒でしょうか。
空いたタクシーを無線で探して配車している、その交信を聞いたのですね。
その事自体は納得できるんですが。
なぜ、死を忌みきらうのか?死にまつわる話をすると縁起でもないと嫌がる人がいるのか?
それが実は私にはわからない。人は死ぬ、公然たる事実をなぜ忌むのか。
鶴見和子さんの妹・内山章子(あやこ)さんは、自費出版した「鶴見和子病床日誌」でこんなことを書いておられます。(抜書き)
「『ひとが死ぬとは、どういうことか。私をフィールドワークせよ』と姉はいいました」
「死にゆく人がどんな歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくのかを、あなたは客観的に記録しなさい」「歌が出来た」という。(略)〈ここで死ぬか 部屋に帰って死ぬか 主治医にさえも 私にさえもわからない 目覚むれば人の声するまだ生きてをり〉「これが最後になるか」と呟く。
その後の俊輔さんとの会話を内山さんは忘れることができない。
「『死ぬっておもしろいことねえ。こんなの初めて』と姉がいい、兄は『そう、人生とは驚くべきものだ』ですって。2人で大笑いしてるの」そして31日。「貞子さん(俊輔さんの妻)が『きれいな朝ですねえ』というと姉は『そうねえ』」。血圧が下がり始める。正午。俊輔夫妻、内山さんら家族が臨終を見守った。
「『お姉様よくがんばられました』といったら、『ハイッ』。これが最期のことばです。がんばったんです、姉は。よく生きたひとのよき死でした。
死を忌み嫌ってはいけません。
2010.5.3付朝日歌壇より
新入生たった一人の学校の校医となりて健診に行く:(志布志市)小村豊一郎
永田和宏 評:たった一人の新入生のために校医さんが来る。いい風景だが、生徒たちに親しまれる作者なのだろう。
永田氏にちょっと一言。最後の「生徒たちに親しまれる作者なのだろう」は言わずもがな。
こう言ってしまうと、余韻として「本当はどうなのだろう」が生じてしまいますよ。
「いい風景だ。新入生、健やかに育て。」くらいで切ってはいかがですか?
人と人のつながりを描いた、心温まる歌ですね。
2010.5.3付 朝日歌壇より
許されて今はと眠りに入り給ふ人とし聞きて声あげにけり:(仙台市)伊藤みどり
「眠つてよいか」いやまだはやいと独り言読みてひと月訃報を知りぬ:(堺市)平井明美
佐佐木幸綱 評:三月三十日に他界した長崎原爆をうたった歌人・竹山広氏への挽歌。『眠つてよいか』が、最後の歌集だった。
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朝日歌壇と俳壇の間に「うたをよむ」という欄があります。
2010.4.11付のその欄から引用します。
春の朝 眠るがごとく 晋樹隆彦
竹山広が逝った。昭和二十年八月九日、結核で入院中の長先の病院で退院の直前に被爆し、爾来六十有余年病弱の身を労りながら生活と戦い、被爆体験を通して優れた短歌を作りつづけた。
・・・第一歌集の刊行は昭和五十六年、六十一歳の時の『とこしへの川』であった。
巻頭には――昭和二十年八月九日、長崎市、浦上第一病院に入院中、一四〇〇メートルを隔てた松山町上空にて原子爆弾炸裂す。――の詞書とともに
なにものの重みつくばひし背にささへ塞がれし息必死に吸ひぬ
と詠んだ。かつて人間が体験することのなかった天からの魔物を、ドキュメンタリズムの手法を以て歌ったのである。極限を経験したがゆえの抑制された声というべきだろう。
しかし、竹山短歌の特色はそれだけでは無い。例えば阪神淡路大震災を詠んだ
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ
は、人間と運命の境界を把えた一首だが、被爆体験がもといにあって生まれた秀歌と言うべきであろう。
・・・
・・・ありのままの自分を曝すこと、社会への鋭い批評眼を抱きつづけていたからである。
忌日の朝、夫人は洗濯物を干されていたと言う。戻って話しかけると返答は無く、自宅での安らかな永眠だったとうかがった。予感していたのだろうか。生前最後の歌集『眠つてよいか』に、竹山はこう詠んでいる。
あな欲しと思ふすべてを置きて去るとき近づけり眠つてよいか
桜の咲きはじめた季節、竹山広は静かな眠りについた。(歌人)
「眠つてよいか」
見事な一語だと思います。
多分、詩人というものは、このようなとてつもない力を秘めた言葉を探し求める人のこと、なのでしょう。
言葉というものは、おそろしいものでありうるということを実感しました。
◆お恥ずかしい思い出を少しだけ。
51歳で都立高校教諭を退職しました。
その前年のころ。
まだ続けなければなりませんか。もういいでしょう。まだですか。
という思いが私の中に渦巻いていました。
退職の年の1年間。社会人としての自分にけりをつける作業をしました。
きつい、自分で自分の首を絞めるような気分だ、と呟いたことでした。
退職して10年を超えました。私の中には「社会に貢献したい」とか「社会とのつながりを保ちたい」とかいうような意識は全然なくって。あとは静かに「眠つてよいか」への道をたどるだけです。
そんな気分の男ですから、今後は竹山さんの言葉を心に突っ立てたまま生きていくことにします。
2010.5.3付 朝日歌壇より
祝砲のようなげっぷを一つ吐き吾子はずしりと身を預け居り:(所沢市)菱沼志穂
高野公彦 評:授乳後のげっぷは赤ちゃんがすくすく育つ証明書みたいなもの。
これは嬉しい。読んですぐ、妻を呼び、読み聞かせて、二人で笑いました。
大人のげっぷとちがうからなぁ。あれはかわいい。
授乳直後に体を横にしてしまうとこぽっと吐いちゃいますのでね。体をたてにしたいないといけない。乳くさいげっぷが出たら、寝かせる。胃の中の空気の様子を想像上の透視カメラで見ながら立てたり寝かせたり、面白かったですねぇ。
ところで、赤ちゃんは大人と違って、おっぱいを口から食道・胃へと飲みながら、同時並行で鼻から肺へ呼吸ができるということを意識しておられますか?
喉の構造が大人と違うんですよね。面白いものです。
風邪などひかせて、鼻が詰まってしまうと、同時にできなくなって、苦しがりますでしょ。
大人はいつも、飲むと吸うを同時には出来ずに交互にやっていますので忘れがちですが、赤ちゃんの体の構造を理解してあげてください。
2010.5.3付 朝日歌壇より
裏庭の雨後の筍食べている物音はげし何匹いるか:(静岡市)篠原三郎
イノシシですか?タケノコを掘り起こして食べているのですね。
そういうところにお住まいだとは存じませんでした。
我が家では外猫の食事を狙うカラスくらいしか物音を立てません。
イノシシとなると、きっとすごい音なんでしょうね。
2010.5.3付 朝日歌壇より
カメラマン一瞬のため鳥を待つカワセミも待つ一瞬のため:(亀岡市)俣野右内
馬場あき子 評:カメラマンはカワセミの一瞬を待ち、カワセミは魚を捕らえる一瞬を待つ。そして、人もそれぞれに特有の一瞬があるにちがいない。
人生というものは、生まれたからには死へ向かうという必然以外は、基本的に全て偶然で構成されております。
広い「たくわえ」と、能動的に働く好奇心をもっていれば、出会う偶然を捕まえることができます。
出会いを、すべて正面衝突でなして初めて、偶然の出会いが生きます。
そらしちゃいけません。
カメラマンもカワセミも、おのれの一瞬に能動的に出会うべく、息を凝らしている。
見事な凝縮度ですね。
4月19日
ヨツボシテントウだと思って撮影しました。(あとでくわしく)
4月21日
ヨツボシテントウがアブラムシを捕食している、と思って撮影しました。
なんだかもって回ったいい方をしていますね。
アップロードする前に確認を、とおもって検索したら、ベダリアテントウというものすごくよく似た種があるんですね。
下の写真を眺めていると、ベダリアテントウである可能性を排除できなくなってきた。
http://www2.mus-nh.city.osaka.jp/learning/Ent/Ladybeetle-key/phymatosternus-lewisii.html
http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/syu_k/koucyu5_3.html
こんなところをご覧ください。
参ったな。
みればみるほど、ベダリアテントウの気がする。
今度このタイプのをみかけたら、もう少し頑張って、背面の模様が縁までくっきり見えるように頑張ります。そうすれば、多分、ちゃんと名前を決定できるでしょう。
5月2日
よい天気。暖かいし。
家の裏からヨモギを摘んできて草餅を作りました。
手軽な方がよいので、団子粉というのをぬるま湯で練り、すり鉢ですりつぶした茹でたヨモギと一緒に練り合わせます。こういう、練る、すりつぶす、こねる、という仕事は私の領分。
で、ちぎって、まるめて、ゆでて。くっつかないように、少量の片栗粉をまぶして、ならべたのが、これ。
おいしそうでしょ。
餡の準備はないので、小皿に砂糖をちょっととって、団子にちょこっとくっつけて、あっさりと食べます。
ものすごく濃いヨモギの香り。野生的。
くさ‐もち【草餅】ハハコグサ・ヨモギなどの葉を入れて搗ツいた餅。特に3月3日の節句に用いる。青餅。草の餅。くさもちい。<季語:春>[広辞苑第五版]
ハハコグサでもいいんですか!知らなかった。ヨモギでつくるものだと思っていました。ふ~ん。
今年の八十八夜。立春から数えて88日目。
5月5日が今年の立夏ですから、もう実質的には初夏ですよね。
4月はけっこう気温の変動が大きかった。これから順調に暑くなっていきますように。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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