御柱
2010.4.26付 朝日歌壇より
この次は生きて居るかはわからんと言うも明るく御柱曳く:(飯田市)草田礼子
永田和宏 評:諏訪大社の御柱祭は六年毎。土地の人にとり御柱は、人生時間を確認する物差しなのだろう。
土地の人にとって「まつり」とは大事なものでしょう。「日常=ケ」を脱して「非日常=ハレ」の世界に入る時間と言いうものは、おそらく、とてつもない愉悦なのだと思います。だからこそ、かなり頻繁に死者のでる御柱祭も続いている。
ただ、私個人の生き方としては、ハレを可能な限り拒否してきた。学校という所におけるハレといえば、色々な儀式があります。入学式、卒業式、始業式、終業式、修了式などなど。
もし私が私学の校長にでもなれたら(アリエナイ!!)、基本的にすべてのハレ=儀式をやめてしまうのだがな、などとも思うものです。
ハレの中で、興奮しハイになっている人を見ると、しらけてしまう私です。
祭は嫌いだ。
馬鹿な奴と笑ってやってください。
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