春の水
2010.3.29付 朝日俳壇より
発電の大仕事して春の水:(富士宮市)若林和司
長谷川櫂 評:ダムのたたえる圧倒的な水の量感。昨今、ダムの評判は芳しくないが、この句は上々。
これも、評に疑念があって。悩んでいます。
評のように、ダムに湛えられた水なら、これから発電という「大仕事」へ向かうのですから
「発電の大仕事する春の水」ではないのですか。
作者は「大仕事して」と言っている。それは「仕事を終えて」ということではないですか?
とすれば、発電所から流れ出る仕事を終えた水がゆったりと流れゆくさまを詠んでいるのではないでしょうか。
ダムから猛烈な勢いで落ちてきて、発電し、仕事を終えた水、のように思えるのですが。
ダムに湛えられた水は静かですが「位置エネルギー」をもちます。
導水管を流れ下る時、位置エネルギーは運動エネルギーに変わり、激しい流れになります。
この運動エネルギーが発電機の水車を回し、発電機はそれを電気エネルギーに変換します。
水力発電の発電機の水車は非常にエネルギー効率が高いので、発電機を出た水はもうほとんどエネルギーがありません。発電所から激しく流れ出してくるわけではないのです。停滞した水で、その位置から川を流れ下るという位置エネルギーしか持っていません。
というわけで、仕事を終えて発電所を出た、ゆったりとした水に春の風情を感じた、と私は読み取りたいのです。
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