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2010年3月11日 (木)

尿瓶

 先週、崩彦俳歌倉で朝日俳壇から「形見分けの父の尿瓶に目高飼う:(東京都)鈴木ひさお」という句をご紹介しました。
 その句に金子兜太氏は「『尿瓶』」は句材料としても活用の幅広し。」という評をつけておられて、私は「そう言われてもなぁ」と書きこんでいます。

 たまたま「尿瓶」を読みこんだ句が投稿されて、それに対して金子氏が興趣を催されたのだと感じたのです。

 ところが、今週。3月8日付の朝日歌壇と俳壇のの間に「うたをよむ」というコラムというかエッセイがありまして、そこで思い違いを知りました。部分的に引用します。

「双方ともに凄ぇ」池田澄子
 俳句を作っていることを俳人以外に話したことは殆どない。たまたま知った人は、優雅なよいご趣味などと仰るので困ってしまうからだ。
 <春闌けて尿瓶親しと告げわたる><ぽしゃぽしゃと尿瓶を洗う地上かな>、共に金子兜太最新句集にある俳句。その後、兜太氏は本当に告げ渡っておられて、今年の新春詠には<去年今年生きもの我や尿瓶愛す>等もある。優雅とは言い難い。否、これが本当の優雅かもしれない。悠々と溌剌と生きる日々の姿と言葉である。若者には勿論、半端な老人にも思い至ることの出来ない晴れ晴れとした生あることの悦びと感謝。
 ・・・(後略)

 金子氏自身がすでに「尿瓶」を「句材料」として愛用しておられたのですね。
上の文で「今年の新春詠に」という言葉があるので、今年の朝日歌壇・俳壇の新春詠を見たら

[新春詠](2010/01/01)
 金子兜太 春立つや尿瓶に映る虎の顔

ありましたねぇ。すでにここに尿瓶があったのか。

でも、この朝日の新春詠には上の文に引用された句はありません。
「俳句」という俳句総合誌がありますが、その2010年1月号に金子兜太氏の「尿瓶」の句があるらしいのです。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/01/20101_2018.html
『俳句』2010年1月号を読む

前略
新年詠(8句)が39作家並ぶのもこの号の目玉。金子兜太が尿瓶(しびん)を8句詠み、ひとり異彩(異臭)を放つ。2010年も「兜太の年」なのかも。・・・
 山枯れて女子小学生尿瓶覗く 金子兜太
後略

こう書かれておりました。ハア。
その他、「金子兜太」と「尿瓶」をグーグルでアンド検索したら、いろいろありましたので、ご紹介します。

いのち気軽に尿瓶と暮らす河豚食べて
秋遍路尿瓶を手放すことはない
春闌けて尿瓶親しと告げわたる
ぽしやぽしやと尿瓶を洗う地上かな
ばさばさと尿瓶洗えば草ひばり

こんな話もありました。
http://sendan.kaisya.co.jp/nenten_ikkub10_0102.html

河馬の坪稔尿瓶のわれやお正月 金子兜太
 角川学芸出版の「俳句」1月号から。「「坪稔は坪内稔典の略」と注記がある。坪稔でなく稔典(ねんてん)でいいのに、と思うが、氏はいつも坪稔と呼ばれる。その略し方というか捻り方を楽しんでおられるのであろう。それはともかく、「尿瓶頌」7句の中にこの句があるが、河馬と尿瓶が、あるいは兜太と坪稔が同列に並んでいるのがうれしい。「去年今年生きもの我や尿瓶愛す」「小学生尿瓶透かして枯山見る」なども兜太。尿瓶とともに生きているこの兜太流アニミズムは楽しい。

もう、自在に遊んでおられますね。
知らなかった。無知でした。
ここに坪内稔典氏がでてきましたが、そうなれば

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

もわすれられませんね。
そうなんだぁ、とひたすら納得してしまいましたっけ。
坪内稔典氏には「カバに会う」という著書もあります。岩波書店から出ています。

正面に河馬の尻あり冬日和

いいですねぇ。いい日和だ。

こんなエッセイもありました。

[たいせつな本]坪内稔典(俳人)下:鶴見俊輔「限界芸術」(講談社学術文庫)(2008/11/2)
 パチンコするように楽しく俳句作りたい
 「芸術とは、たのしい記号といってよいだろう。それに接することがそのまままたたのしい経験となるような記号が芸術なのである」
 限界芸術:Marginal Art すなわち「芸術と生活との境界線にあたる作品」を指す。手紙、庭いじり、早口言葉、盆おどり、カルタ、落書き、家族アルバム、積み木などだが、これらが「純粋芸術・大衆芸術を生む力をもつ」。
 鶴見のこの限界芸術という考えに出会い、私は自分の俳句をどこまでも限界芸術として作ろうと思った。専門家が作る純粋芸術(いわゆる芸術)、専門家が作って大衆が享受する大衆芸術。そういうものを志向しないで、限界芸術という位置にとどまり、そこで生動する日本語を俳句にしたい。そのように考えた。
  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
  ふわふわの闇ふくろうのすわる闇

 もちろん、長く作り続けているとおのずと専門化し、専門性を権威や名誉のように考えがち。私もかなり専門化しているが、それだけ逆に、自分をパチンコと同じ楽しみの中に置きたいのだ。

感じ入りました。心の中でパチパチ拍手。

◆終わりに。去年の朝日歌壇にこんな歌もありました。
2009/01/12付
月明かり密(ひそ)と尿瓶(しびん)を使いおり老人病棟六人の部屋:(浜松市)太田忠夫

◆男というものは、年をとると、全員が「前立腺肥大」になります。ならない男はない。
 おしっこが、ちびちびになってしまうんです。
 夜中に起きてトイレへ行っても、出たのか出ないのか、終わったのか終わってないのか、判然としなくなってしまうのです。
 年をとったら尿瓶を使う、という選択は、正しいですね。なんとなく侘しいけれど。

[声]医師の診断、結句はいつも…… (2010/3/5)
 教育コンサルタント ●●●●(64)
 体にガタが来始めている。月数回は病院通い。年と共に診療科目が増えつつある。
 泌尿器科で医師に「前立腺肥大の結果は」と尋ねた。パソコン画面を見つつ「手術せず薬で様子を見ましょう」。「先生、治りますか」「進行を抑えますが『加齢』ですから……」
 消化器科で大腸ポリープの摘出手術の結果発表。「米粒大が4個。取っておきました」「先生、またポリープができますか」「年を重ねるとそうですね。まあ『加齢』ですね」
 皮膚科で「先生、顔の左右に大豆大のシミが2個ずつでき、だんだん黒くなり困っています」「冷凍法でやってみましょうか」「取れますか」「60を過ぎると誰でも黒ずんできます。『加齢』には勝てません」
 医師に病状の原因を聞くと、最後には「加齢」という単語が出てくる。確かに「加齢」と言われれば納得せざるを得ない。そこで一句。
 診断は加齢でもとる診療費

かかしさん、妙こだわってますね。
加齢ですから。

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