マラソン
[恋する大人の短歌教室](3/15)
{応募作}
君の街 通ると聞いた マラソンは 見ないふりして 景色を見てる:静岡 ほしこ しほ
恋心を、周囲には隠しておきたい。その気持ち、よく分かります。恋愛の初期段階では、誰もが大抵そう思うのではないでしょうか。作者はそんな微妙な心理を、マラソンのTV中継という心躍る時間にからめて表現しています。
少し言葉を整理すると、もっとすっきりした歌になりますよ。マラソンを見ないふりするより、マラソンは見ているけれどランナーに注意を払っているふりをする、という方が、実際に近く、しっくり来るのでは?伝聞を示す「と聞いた」という情報は、印象がぼやける原因になりますし、不要でしょう。一字空きは、誤読を避けるために一つだけ必要です。
この短歌教室も、これが最終回。一年間、素敵な恋の歌を紹介し続けることができました。全部は取り上げられませんでしたが、魅力的な作品が山ほど届いたからです。年齢や性別に関係なく、恋を詠ってここまで真摯で熱心な恋人たちが無数に存在する。そう思うだけで、心が浮き立ってきませんか?(石井辰彦)
{添削後}
君の街を通るマラソン ランナーを見てるふりして景色を見てる
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この「恋する大人の短歌教室」は、この回で終わりだそうです。申し訳ないけれどあまりヒット企画とは言えませんでしたね。
内輪の歌誌で、指導者が添削し、指導するのは一向に構わない。
でも、新聞というおおやけに開かれた場でしょ、一種の「展覧会」のようなものです。
いろいろ出来ばえが違ってはいても、公募展に応募したものを、採用したからには、めったに手を加えてはいけないのです。美術の公募展で審査員が筆を加えますか?
添削というものはとてつもなく重い行為だ、ということを、企画者も考えるべきでしたね。
「君の住む街を『通る』」と聞いてしまったから、今までとは違う「目」になってしまったのでしょ。見ぬ振りしてどんな所に住んでるのだろうと景色に目が行くようになってしまったのでしょ。マラソンを見ること自体、アラ珍しいじゃない、何かあったの?と誰かに聞かれそうで気は引けるんだけど見ずにはいられなくなってしまった。
「聞く」ということが結構キーワードなんじゃないですか。
ま、そのくらいにしとこ、っと。最終回だから。
一字空けは、少し歌の流れがよどむ感じはしますね。
君の街通ると聞いたマラソンは 見ないふりして景色を見てる
このくらいで、読み違うことなく読めるとおもいますが。
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