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2010年3月 2日 (火)

2010.3.1付 朝日歌壇より
柩すら積むこと知れば窓の灯が雪にますます輝く客船:(横浜市)飯島幹也
 永田和宏 評:なるほどと驚くが確かに柩は必要なのだろう。

読んで最初、とまどいました。客船の大きさについて考えがなかったものですから。
小さな客船が、柩を積んで遺体をお送るすることもあるだろうな、そういうことなのかな、と初めは思ったのです。

作者の住所を歌の鑑賞に含めるのは邪道ですか?
確か、今年の2月に横浜港にクイーン・メリー2が入港したと覚えています。
そういう大きな客船の長い航海の途中には、お客様がなくなられるというような不時のできごとも全くないとは言い切れない。そのようなときに、亡骸をきちっとしかるべきところまで保存し、お送りすることが出来なければならない。そういうことなのかな、と思い至りました。

そのような備えがあることを作者は知って、客船の窓の輝きがまた異なったものに見えた、というように読んでよいですか?

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