蜆汁
2010.3.22付 朝日俳壇より
億年の果てのひとりの蜆汁:(糸満市)吉田八太
長谷川櫂 評:「億年の果てのひとり」とは、ほかならぬ自分のこと。いましずかに蜆汁をすすっている。はるかな時の末裔のひとりにぴたりと焦点が合った。
この句の「俳味」は実は私にはよくわかっていません。
歌壇の方で「ほや」の話が出ましたが、ふと、そういうつながりを感じています。
私たち「今を生きる生命」たちはすべて、生命誕生の時から、「一回も途切れずに続いている」のです。38億年も。
途中で切れたら、今いない。
今いる、ということは、一切切れ目なし、ということです。
その意味で、私の腹の中の大腸菌くんも「続いてきた仲間」なんだよなぁ。
蜆も。
たべちゃったけど。
命を頂きました。
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