蝌蚪
2010.3.1付 朝日俳壇より
泡だちて孵化の近づく蝌蚪の水:(洲本市)高田菲路
稲畑汀子 評:蝌蚪が孵化するきざしが水の流れに変化をもたらした。
「蝌蚪」って好きな言葉ではありません。短い詩形の中で、使いやすい便利な言葉だろうとは思いますが、あまりにも「生きた言葉」から離れてしまっているように思います。俳句の中でだけ通じる言葉になっていませんか?
そうはいってもなぁ、オタマジャクシじゃ長すぎるし、オタマじゃ変か?
なんとなく水が温んで、なんとなく生臭いような気分が「泡立ちて」のなかに漂っていて、おみごとですね。
私の偏ったイメージかな、カエルの卵はあまり速い水の流れには産みつけられない。
ゆったりした水の移動、といった感じのながれか、池などの静水、という感じを持っています。
ですから、「水の流れに変化をもたらした」というよりは、いのちの誕生へ向かうある種の生臭さが感じられる、と読みたいのです。
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