金糸雀
2010.3.22付 朝日歌壇より
メールでの会話がごくごく日常で声を失くした金糸雀になる:(古河市)幸田悦子
高野公彦 評:童謡「かなりや」をもじった作。いま無言で会話する人が多くなった。
電車で若い男女が二人共メールしていたりして。肉声で語ることが「怖くて」、文字をやり取りしているのではないか、などと勘繰ってしまいます。
幼子がむずかったり、コミュニケーションを求めているのに、メールに夢中になっているお母さんを見ると、いらいらします。
肉声の力を失ったら、心が育たない、という気がします。
どのようにしたら、失った声を取り戻せるのだろう、というところまでを含めて、童謡「かなりや」を踏んでいると感じます。
◆ところで、「かなりや」の童謡そのものは、子どものころから知ってはいるのですが、意味がわからないまま歳を重ねてしまいました。
「棄て」「埋け」「ぶち」ということがそもそも、なんで?何でそんなことができるの?という感じなのです。カナリヤを長く飼いました。いいじゃないですか、歌おうと歌うまいと。かわいいものですよ。かわいい卵も産んでくれたし。生きものに君臨するって、私、嫌いなんです。
で、「象牙の船に 金の櫂 月夜の海に浮かべれば」って、もてなせば歌うんですか?
ついにわからないままこの歳まできてしまいましたよ。
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