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2010年2月23日 (火)

恋の指南書

2010.2.22付 恋する大人の短歌教室 より
{応募作}
読み物は恋の指南書したことは全て逆とはままならぬかな:(千葉)ベルジェス直子

 ハウツー物の本に読み耽る人を、通勤電車などでよく見掛けます。しかしああいう読書、本当に役立つのでしょうか。何にせよ人生は教科書通りにゆくほど簡単じゃない、などと茶々を入れたくなりますよね。作者は、せっかく恋の指南書を読んでおいたのに、実際に恋をする段になったら書いてあったのと逆のことばかりしてしまった、と嘆いています。もちろんこの恋、めでたく成就したに違いありません。ほのかに皮肉の利いた、微笑ましい一首です。
 ただ、もう少し推敲してもよいでしょうね。たとえば第一句、「読み物」だけでは意味が明確ではありません。愛読書だったことをはっきり表現しておきましょう。第五句の「ままならぬかな」も、取って付けたような安易な結論に見えますし、どうもいささかぎごちない。「本の逆とは」と言いさし、感に打たれた気持ちを余韻として残してみました。音数が減少する分は、逆接の助詞や一人称の代名詞などを補って調整してあります。

{添削後}
愛読の恋の指南書 でもわたしがしたことは全て本の逆とは
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なんといいますか、もうこの連載おやめになったらいかがなものでしょうか。
完璧に「散文」にしてしまわれましたね。添削なさった後のものは、これでは短歌とはいえないように思います。リズムもなければ、余韻もない。感嘆も嘆息も、「嘆」もない。

読むとするでは大違い、と原作ではおっしゃっているのであって、「愛読書」だなんて一言も言っていないでしょ。恋愛指南書が愛読書じゃぁ、読書レベルが疑われる、ってぇもんだ。

読んで納めた「頭の中のこと」通りにはいかないもの、ままならないものなんだなぁ。と「嘆」息があるでしょう、原作には。添削後にはそれがない。「とは」といってはみたものの、それこそ「取って付けた」ような修辞。嘆きにはなっていませんね。

どうして「ままならぬかな」が取って付けた安易な結論なんですか?了解不能ですね。
完全な散文にしてしまった責任は大きいですよ。

応募作そのままの方が圧倒的によい歌だと私は思います。

私のような逆らいごと好きが書くと。はすっぱにね、七五調でね(都々逸風に)

「恋の指南書 頭におさめ 私がしたこと 全て逆」
(くだきすぎですけれど。)

「恋」は一人ではできません。相手との関係性の中にしか「恋」は存在しえないのです。

小椋佳さんの作詞・作曲になる「夢芝居」。名作ですね。

「男と女 あやつりつられ」
「糸引き引かれ」
「稽古不足を幕は待たない」
「心の鏡 のぞきのぞかれ」
「対のあげはの誘い誘われ」
「恋はいつでも初舞台」

「ままならぬ」もの、それが恋の本質なんじゃないですか?

全くもって、異議あり!です。

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