蛙のお守り
2010.2.8付 恋する大人の短歌教室 より
{応募作}
一人旅出かける朝に夫より蛙のお守り手渡されるなり:東京 小野曉子
探検旅行にでも出るならともかく、ちょっとした旅なのに、ご主人は奥さんをひとりで送り出すのが心配でたまらない。無事に帰るように、との願いを込めて、蛙のお守りを手渡します。何とも可愛らしいではありませんか。口に出すのが照れくさいメッセージをお守りに託したご主人と、そこに感動を覚えて一首の歌に仕上げた奥さん。言わず語らずの夫婦愛が、さりげなく、しかし巧みに表現されています。
問題は末尾ですね。口語の助動詞「れる」に文語の助動詞「なり」が続いています。文語と口語の混用は現代短歌では当たり前のことですが、密着した助動詞同士で行われると、やはり違和感を覚えずにはいられません。「なり」を省き、「れる」を連用形にして、中止法の言いさしにしてみました。音数は、助詞を「を」を加えて調整してあります。「お守り」が、二句に跨るわけですね。第一句にも、助詞「に」があったほうがよいでしょう。第三句の助詞は、「から」に替えておきました。(石井辰彦)
{添削後}
一人旅に出かける朝に夫から蛙のお守りを手渡され
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またまた、元の歌をめちゃくちゃにする。
「より」を「から」にする必然性はない。「より」のほうが音が滑らかでいいですよ。
短歌はもとより、詩は声に出して読むことが基本だと思っています。目で鑑賞するものじゃない(視覚に訴える表現形式があることは知っていますが。)
一句ずつ行分けして書いてみましょう。
応募作は
一人旅
出かける朝に
夫より
蛙のお守り
手渡されるなり
5・7・5・8・8ですね。7・7ではないけれど、歌としてのリズムは整っています。口に出して読んでいて心地よい。
では、添削後は
一人旅に
出かける朝に
夫から
蛙のお守(まも)
りを手渡され
これ、6・7・5・7・7っていうんですか?
6・7・5はリズム的に吸収できます。問題は、句跨りを含んだ7・7ですよ。
まるっきり座りが悪い。気持ち悪いなぁ。ダメ。これはいけません。
むしろ、
蛙のお守り
手渡さる
のように8・5のほうが、読んだ時の安定感はあると思いますよ。
手すさびに「句跨り」という「狂歌」をつくってみました。
坊主がな
ぎなたを振りま
わすそうな
これこそ句また
がりの楽しさ
5・7・5・7・7ですよ~。整っているでしょ。
いくら音数が整っていたって、声に出して読んで歌のリズムが壊れているようじゃ、本末転倒。音数よりも、歌全体の構成をお考えくださいませ。
もし、私の如き実作者でもない「さわがせ人」が手を入れてよければ
一人旅
出かける朝に
夫より
蛙のお守り
手渡されたり一人旅
出かける朝に
夫より
蛙のお守り
手渡さるなり
ちょっと文法的に危ないな、コレ。
ご容赦を。
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