ブレーキ
2010.2.22付 朝日歌壇より
ブレーキを踏むタイミングが少しだけ遅い気がしてわたし疲れる:(春日井市)田中絢子
これはおそらく、ご自分も運転なさる方が、別の方の(多分親しい方の)運転の助手席に乗っている。ブレーキを踏むタイミングが自分より少し遅い、一瞬、助手席にいて自分のブレーキ・タイミングで足に力を込めてしまう。その、微妙な差が疲れる、という歌でしょう。
すごくよくわかります。さして大きな力を出すわけでもなく、微妙なずれなんですけれどね。
気疲れします。
自分のブレーキ・タイミングと同じタイミングでブレーキを踏む人の隣に乗ると、スムーズで気持ちいいですね。ほっとします。
微妙なずれ、ひょっとしたら、それはブレーキのずれだけではないのかもしれない、という暗示も受けてしまうのは読み過ぎかな。
◆ところで、今、騒ぎになっている、トヨタの問題。
あれは、ブレーキが利き始めるまでのタイミングが微妙に遅れるのです。
その一瞬、のめるような、不整脈でもやらかしたような、不安が胸をよぎるのだと思います。
今回の一連のニュースで初めて知りましたが、アクセルペダルはワイヤを引いてはいないのですね。ペダルの踏み込み量を計測してスロットルのコントロールをしている。コンピューターのプログラムで。
プログラムというものが人間が書くものである以上、必ず何かのミスを含む(バグといいます)。これはある意味で必然です。
ワイヤによるコントロールをプログラムが補佐するのならまだしも、プログラムに全部任せるのは、私は怖いな。
銀行やら、電鉄やら、航空関係やら・・・大規模なトラブルが起こったあとでニュースを聞くと、プログラムを更新した時のミス・バグというのがすごく多い気がするのです。
自動車というのは十分に成熟した「機械工学の粋」でした。そこへ、成熟しきっていない電子工学のプログラムが混入する、そういうトラブルがあるのではないかなぁ。
私が今のっている軽自動車にも、電子的な介入があることを感じています。オートマチックのギアのシフトアップが、多分機械的なコントロールを主にしていない。電子的なコントロールが強く介入している。ブレーキにもね。
古い「機械的な自動車」に慣れ親しんだ「体」には、微妙なずれが感じられます。
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