焚火
2010.1.25付 朝日俳壇より
ふるさとの村に焚火をしに帰る:(小金井市)上條多惠
長谷川櫂 評:故郷の村で焚火をする人。別にそのために帰ったわけではないのだが、そんな感じがする。焚火のなつかしさ。火のなつかしさ。
少し時間をずらして、帰省から生活の場へ戻った時の句として読んでみました。
帰省して何をしたっけ、と思えば、あ~焚火はよかったなぁ、と。
焚火のために帰省したわけではないのだが、記憶に残る風景は焚火。
尻あぶりの幸福感。
煙のにおい。
火をコントロールする楽しさ、など、子にも教えたいですね。
記憶:小学校は石炭ストーブでした。朝、登校すると、職員室に行って、マッチとつけ木と新聞紙をもらって、石炭小屋から石炭を取ってきて、教室のストーブに点火します。蒸発皿に水を満たします。
低学年の子にはまだ無理だから、上級生がストーブに点火しに行ってあげます。
5,6年生になると、石炭に点火する技を持っておりました。
団塊の世代の小学校時代の話です。
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