デイサービス
2010.2.15付 恋する大人の短歌教室 より
{応募作}
大人しくデイサービスの車に乘り手を振る夫を愛しと思う:(神奈川)塙 昌子
「デイサービス」という和製英語、日常生活にすっかり定着した感があります。介護の問題が国民的関心事になっている以上、無理もありません。この歌のご主人も、介護を受ける立場にあるようです。本当は嫌でならないのかもしれませんが、素直にデイサービスからの迎えの車に乗り、奥さんに手を振るなんて、実にいじらしい。長年連れ添った奥さんに余計な心配を掛けまいとする、深い愛情のなせる業なのでしょう。奥さんにはそれが分かっていて、いつにも増してご主人を愛しく思ったというわけです。辛い状況を詠いながら、ほのぼのとした夫婦愛を印象づける、好ましい一首です。
手を加えるとしたら、「愛し」でしょうか。文語の終止形を助詞で受けていますが、やや堅苦しい。連用形で直接、動詞につなげたらどうでしょう。漢字が旧字体ですので、仮名遣いも歴史的なものに揃えてみました。「つま」とも読める「夫」は、字余りでも「おっと」と読ませる方が感じが出るでしょうね。(石井辰彦)
{添削後}
大人しくデイサービスの車に乘り手を振る夫(をつと)を愛しく思ふ
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いつものことながら、応募作のままでいいと思います。
あまり想像をたくましくしてもいけませんが、私のイメージは石井氏とは少し違います。
「かつては、激しい人だった。他人の世話になるなどということは断固としてはねつけるような人だった。あの人が、こんなに温和になってしまって。素直になってしまって。
ああ、愛しい。」と、思う。
「思う」の前までで「思い」は完成なんです。ですから、「愛し」と読み切ってしまっていいのでしょう。その時間経過からすべてを含めて、「思う」とまとめていらっしゃる。と私には感じられる。
「愛しく思う」ではないのではないか。
「夫」をどう読むかについては、作者から読者へ、まかされ、つきつけられている、と考えます。
作品は読者によって完成する。どう読むかは、読者にまかされている。だから、短歌を詠んで鑑賞することは「一大事」なのですね。
作者が規定する通りに読めばいいのだったら気楽なんですが。
私には、「ひと」と読んでもいいのではないかとも思われるんです。
「あのひとが・・・」というとき、配偶者を「ひと」と呼びませんか?
可能性として指摘しておきます。
わざわざ古めかしくしたということにたいしては、なんらの感慨を持ちません。無用なことを、と思うだけです。悪しからず。
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