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2010年2月24日 (水)

補聴器

2010.2.22付 朝日歌壇より
補聴器を外したままで曖昧な世界にいる人時にほほえむ:(三島市)渕野里子
 永田和宏 評:補聴器を外した老人の頼りなげな表情を「曖昧な世界にいる」とうまく掬いあげた。曖昧、不安な微笑みであろう。

「意思の交換としてのほほえみ」ではないので「曖昧」ということはわかるのですが、それが「不安」かというと、必ずしもそうは思っていません。
補聴器をつけて外界とつながっていなければならないという束縛から離れて、閉じこもって自足しているという、ある種の「解放感」のなかにいらっしゃるのではないだろうか、などと想像してしまう私です。
意識に浮かぶ想念に、ふとほほえんでいらっしゃる、と。

◆ところで、作品というものは、それぞれ単独で鑑賞されるべきものだと考えていますが・・・
同じ日の朝日歌壇にこんな歌があったのです。

松を摘む瞬時瞬時が過去となり庭師は黒き指持ち帰る:(三島市)渕野里子
 佐佐木幸綱 評:松の手入れをする庭師。終日、長い時間をかけて松と取り組んでいたのだ。

この歌の「庭師」と、最初の歌の「曖昧な世界にいる人」が同じ人だったらどうなのでしょう?

庭師の仕事は補聴器なしでいい。補聴器を外して、外界のことなど遮断して、独り丹念に松の手入れをし、時々離れて全体を眺めては仕事の具合を見て、バランスを考え、また、木に接して手入れをする。

そういう中で、ふと、よしよし、というような「ほほえみ」がよぎる。

読み過ぎましたか?
二つ合わさると、意味が変わったりしませんか?

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