考える
2010.1.4付 朝日歌壇より
この頃はロダンのごとく考える悠々自適の齢(とし)を迎えて:(和歌山市)池畑耕作
馬場あき子 評:悠々自適の齢はいま幾つぐらいだろう。しかし老い来たっての思索の姿勢に「考える人」がちょっとしゃれている。
作者に逆らうわけではありません。わたしという「へそまがり」の感想ですので見捨ててください。
ロダンの彫刻が、昔は好きでした。だんだん年を重ねて、あんまり好きじゃなくなってしまいました。
深刻すぎる感じがして。強すぎる感じがして。
もっと不安定で、なよなよと、頼りないものの方がいいなぁ。
考える人。あの姿勢、きついです。深刻すぎて。
悠々自適、にはあのポーズは、ちょっと・・・。
真剣な「只管打坐」もなんだかちょっと「?」と思ったりして。このごろは。
ゆるくていいんじゃないですか?
膝を崩して、日向ぼっこをしながら、のどかに「ゆくすえ」を眺めて楽しむのはいかがでしょう?
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