花眼
2010.1.11付 朝日歌壇より
老眼を花眼と呼ぶことうれしくて聖書の小さき活字を辿る:(横浜市)飯島幹也
高野公彦 評:老眼を優雅に花眼(かがん)と呼ぶらしい。嬉しい言葉である。
中国語だそうですね、「花眼」というのは。
優しいイメージでよい言葉ですが。
どうして「老眼」じゃいけないのかが分からない偏屈かかしです。
30代の終わり頃でしょうか。グラフ用紙に点をうつことが辛くなってきた。1mm方眼にピントが合うのに時間がかかるようになったのですね。
飛んでくる蚊が叩きにくくなってきた。ピントを遠くへ移すのはできるのに、遠くから近くへ移すことに時間がかかるようになってきた。
自分の体の加齢変化などを観察するのは、タダだし、責任もなくって楽しいですからして、自分に起こる「老眼」という変化もずっと観察してきました。
年を取る、当たり前のことなのに、なんで「老」という字は嫌なのだろう?
私には全然理解のできないことです。
頑固な老人でありますことよ。
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