生きてるよ
2010.1.25付 朝日歌壇より
「生きてるよ」そのことだけを知らせんと出口をわずか雪踏みにけり:(山形市)大沼武久
高野公彦 評:たぶん一人暮らしの高齢者だろう、積雪を踏み固める体力がなく、出口の所だけ踏んでおく。「生きてるよ」が切ない。
永田和宏 評:わずかでも雪が踏まれていることで無事も伝えられる。一人暮らしの老いの実感か。
永田氏の評の方がおそらく作者の実感をついていると思います。
アパートのドアに新聞がたくさん入ったまま中へ取り込んだ気配がない、となれば何かあったのではないかというサインとなります。
新聞配達や、牛乳配達や、そういう方々の目が見守ってくれています。
ですから、家の前を通りかかる人のために「生きてるよ サイン」を出しておこう、となさっているのでしょう。
雪の多い地域の、高齢者や障害者にとって、冬は厳しい。
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