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2010年1月 7日 (木)

柩とともに

2010.1.4付 朝日歌壇より
三万の兵を増やして六千を柩とともに返す国なり:(アメリカ)西岡徳江
 永田和宏 評:結句「国なり」に単なる批判だけではない強い思いがこもる。

◆オバマ大統領のノーベル平和賞の受賞演説について、朝日新聞の天声人語がポイントを切りだしています。(太字は筆者による)

天声人語 2009年12月12日(土)
 詩人の三好達治の思い出を井伏鱒二が書いている。一緒に講演に出かけた先々で、三好は校歌の作詞を頼まれたが、そこでは固辞した。理由がまじめだった。「僕が校歌を作って、このさき心中でもしたら、その学校の生徒は散々だ」▼校歌とノーベル賞が同じにはならないが、オバマ大統領は、本心は平和賞を断りたかったかも知れない。先の見えない「戦争」を二つも抱えながらの受賞である。このさき、何が起きるかわからない▼栄誉というより重い十字架だろう。アフガンやイラクで毎日人が死んでいる。核兵器廃絶でも、実績を上げたのではなく、いわば希望の先買いだ。受賞のスピーチで、「戦時の大統領」は理念と現実のはざまで慎重に言葉をつないだ▼「暴力は平和をもたらさない」というキング牧師の言葉を援用した。その一方で、平和のための「正しい戦争」があると説いた。ヒトラーとの戦いをたとえにしたが、取り扱いの難しい言葉である▼「良い戦争も悪い平和もあったためしがない」と言ったのは、アメリカ独立の父のひとりフランクリンだった。だからというべきか、戦争の歴史は、戦争を正当化する歴史でもあった。古今東西、百の国に百の「正しい戦争」があったことを、そのスピーチに思い出す▼三好の逸話ではないが、今後のオバマ氏いかんでは平和賞も深い傷を負う。それを承知でノーベル賞委員会は火中の栗を拾い、大統領も応えたのだろう。氏のうたう「核兵器のない世界」ははるかに遠いが、冷笑という風で灯を吹き消したくはない。

新聞の広告欄に「正義の女神 テーミス像」の広告が載っていました。

左手に善悪をはかる「裁きの天秤」。
右手には社会を悪徳から守る剣。
目隠しは、公平無私な裁きのしるし。

と書いてあります。
この広告を見るたびに思うのです。正義って恐ろしいものなのだな。って。
おそらく絶対の自信を持って、私はテーミスに切り捨てられることはない、と言える人はいないのではないか、などと、それは私だけなのかな。

「正義」なんていう言葉が大手を振ってまかり通るような世の中って、きっとひどく危うい状態なのではありませんか?

正義が顔を出したら、眉に唾を付けてみませんか?
きもちいい、って危ないですよ。
戦争は恐ろしい顔をしてやってくるのではないはずです。
こころよく、きもちよく、正義の顔をしてやってくるのです。

障害者は戦時、存在自体が「非国民」とされました。
そのポジションから私は世の中を見たいと思っています。

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