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2010年1月12日 (火)

エスカレーター

◆2009年12月21日 (月)で「合理的配慮」という記事を書きました。↓ここです
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-bf03.html

 私は大田区の南で朝日新聞を読んでいますが、その販売店が新聞を届けている地区限定のローカル紙「我が街 かわら版」というのを作っていて、時々新聞と一緒に配達されます。
 この「我が街 かわら版」の7月号にこんな記事があったのです。

 ’エスカレーターは歩かないで二人乗り’キャンペーン
 蒲田駅のエレベーター設置など、ひとにやさしいまちづくりを進めてきたグループのあたらしい呼びかけ。
 エスカレーターの右側を、歩いて上がるのはやめて、お年寄り、小さい子ども、介助の必要なひとと並んで乗れるようにしましょうというキャンペーン。
 そして、歩いて上がる人がいなければ右側の手すりしか使えない人も乗ることができるようになります。こうしたマナーの理解を、ラップとチアガールによるイベントで広く人々に呼びかけるイベントを開催。
 日時:7月20日(月・海の日)pm4時~5時
 場所:蒲田駅西口駅前広場
 主催者:ひとにやさしいまちづくりを進める大田区民の会

 面白いでしょ。「おお、こういうことを主張する方がいらっしゃったか。なんと嬉しいことだろう」と、このイベントに行きたいなとも思ったのですが、結局行かずじまいで、この記事のこともほとんど忘れていました。
 そうしたら、今年に入ってこの「我が街 かわら版」の「傍楽人(はたらくひと)」というコーナーに、上のキャンペーンの呼びかけ人の方が紹介されました。宮澤さんとおっしゃいます。
 そこから引用します。(太字は引用者による)

「我が街 かわら版」(2010年1月)
 ・・・
 「ひとにやさしいまちづくりを進める大田区民の会」と長い名前の市民団体がある。その会が、今取り組んでいるのは、エスカレーターを歩いて上り下りするのをやめましょう、二人並んで乗れるようにしましょうという運動だ。
 本来歩くものではないエスカレーターの片側を、歩く人のためにあけるというマナーはいつごろから始まったのだろうか。時折右側は上までずっと空いているのに、左は乗り口まで長い列という奇妙な光景を見る。そしてそれは、左側に麻痺があり、右側のベルトにつかまる必要のある人、子供と一緒に乗るお母さん、白杖を使う視覚障害者、介助者と共に乗る高齢者にとって、エスカレーター使用のひとつのバリアとなっている。それに気付かされたのは、この会のキャンペーンのイベントを見たときだった。かわら版でも紹介したのでご記憶のある方もあるかもしれない。
 ・・・
 その後、車椅子の人も蒲田駅の東西間の通行が可能なように、エレベーターを設置すること、東口の車道と歩道の段差を5ミリとし、車椅子やベビーカーの通行と、段差が必要な視覚障害者双方に便利にするなど様々な町の改善に取り組んできた。
 ・・・
 今「エスカレーターは歩かないで二人乗り」キャンペーンに宮澤さんは、持ち前の負けん気と粘りで取り組んでいる。エスカレーター二人乗りマナーが大田区発で全国に広がるのも夢ではないかもしれない。

 「合理的配慮」というと、自治体や会社やそういう組織が行うもので、個人には関わりがない、と考える方もいらっしゃるかと思います。でも、エスカレーターの片側乗りをやめて誰でも乗れるようにする、ということの出発点は、個人の心の配り方から発することができるのではないでしょうか。
 私自身も、エスカレーターは便利な道具として使っていましたが、右手でベルトにつかまるのが安心なのです。動いている板と止まっている床の間を移動しなければならないので、どうしても右手でつかまりたいのです。頑張れば、左手でつかまっていても乗り降りできますけれど、強い緊張を強いられるのです。この片側乗りが普及してしまってからは、エスカレーターが面倒くさくなり、エレベーターを使うことの方が多くなりました。そのエスカレーターも、便利だからと、元気な人たちに乗っ取られそうです。つらいなぁ。

◆私のホームページ「案山子庵雑記」の「くえびこ」でもこのエスカレーターの片側乗りについて扱ったことがあります。ぜひご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/Barrier.htm
「バリアを低くしてください」
 これは2006年に書いたものです。

◆同じく2006年の朝日新聞の「声」という読者投稿欄にはこんなことも載っていました。

[声]駅の動く階段 速すぎて不安(2006/6/27)
 主婦(53歳)
 6月下旬、JR総武線の西船橋駅で電車を降り、昇りのエスカレーターに1歩踏み出した途端、体がフラッとしました。
 一瞬、めまいかと思い慌ててベルトを握る手に力を入れました。間もなく「このエスカレーターは通常より速度が速くなっています」というアナウンスが流れてきました。
 下肢に軽い障害を持つ私は、うまく降りられるだろうかという不安のうちに2階に到着しました。全力を振り絞ってエスカレーターから飛び降り、人の迷惑にならないよう、即座にその場を離れました
 この駅は乗り換える客が多く、電車が到着する度に大勢の人でごった返し、エスカレーターの手前には長蛇の列ができます。混雑緩和のための対策だとは思いますが、名案とは思えません。これでは老人や身体障害者は利用できません
 便利さと危険は隣り合わせです。2年余り前に起きた自動回転ドアの事故や、最近起きたエレベーター事故などに次ぐ惨事にならないことを祈るばかりです。

 これはひどすぎます。エスカレーターのスピードは歩く速さと同じに設定するのが基本でしょう。でないと、健常な方だって乗降にタイミングを取る必要が出てきます。失敗すれば「将棋倒し=ドミノ倒し」が起きてしまいます。
 輸送力を増したいのなら、「只今の時間、お客様の数が多いので、エスカレーターには二人並んでお乗りください。輸送力が2倍になります」とアナウンスして、並んで乗ることを強く勧めるべきですよ。そうすりゃ、輸送力は増える。片側乗りでは輸送力が半減ですからね。

◆こんな投書もありました。

[声]右に立てたら 転ばないのに(20008/12/5)
 無職(73)
 羽田空港の長い下りエスカレーターでのこと。私は足が悪くて右手につえをついています。空けている右側を5,6人が続けて追い越していきました。邪魔になってはいけないと、私はつえを両足の中間に持ちました。
 体とつえの間隔が狭いと、つえに力を込めづらくなります。このためベルトを摑む左手の位置を変えにくくなりました。
 終点近くになるにつれ、とうとう体のバランスを崩した私は仰向けに倒れてしまいました。
 後ろの女性が大声で前の方たちに告げてくれ、前後から助けられ、私は右ひじの擦り傷だけで事なきを得ました。けれども、エスカレーターの右側を空けずに立つことができていれば、そもそもこんなことは起こらなかったのです
 いったい、片側を急ぎ足で上下するのと、複数並列で自然の速度にゆだねるのと、どれだけの差があるのでしょうか。
 片側を空ける習慣は定着しているため今更無理かとも思いますが、助けていただいた方々に顛末を報告しておきたくもあり投稿した次第です。

 私もこの方に似た状況と言えます。いったんバランスを崩すと、回復するのがとても難しいのです。
 エスカレーターではありませんが、お寺の石段でバランスを崩し落ちました。たった1段ですけれど、バランスが回復できず、右足をひねり、大事な右ひざがだめになり、2ヶ月くらい歩行不能になったことがあります。もし、エスカレーターのような動く階段でこれをやったら、将棋倒し事件になっていたかもしれません。こわいことです。

◆ついこの間の「声」の「若い世代」という特集です。

[声]都会の人はなぜ急ぎすぎるの(2010/1/10)
 大学生(20)
 JR三鷹駅で上りのエスカレーターに乗った時のこと。男性が前に立ちふさがり、後ろの私と知人は進めませんでした。いら立った知人はエスカレーターを降りた途端「空気が読めない人、大嫌い」とポツリ。
 知人は、片側は歩くという「ルール」から外れていると言いたかったのでしょう。しかし、私はこう考えました。男性はそのルールを知らないか、エスカレーターは歩行禁止という本来のルールを守っているか、あるいは身体に障害があって利き手側のベルトに捕まっているのが楽なのでは、と。
 先々月には、吉祥寺駅を腰痛のためゆっくり歩いていたら、男性に舌打ちされ突き飛ばされました。別の日、女性が急いで電車に乗ろうとドアに手を挟んだ直後、電車が発車し十数メートル進んで緊急停止する場面にも出くわしました。
 都会の人はなぜ、そこまで急ぐのですか。様々な人がそれぞれの速度で暮らす世の中。「自分が常識だ」と他者を尊重しない人を見ると、悲しい気持ちになります。

 この方のように、心を相手の側へと「遣る」ことで、相手の状況や心を思いはかることが「思い・遣る」=「おもいやり」だと思います。
 いろいろなひとがいて、いろいろな生き方がある、それを受け入れることが差別をなくすことだとおもうのです。

◆こんな方がいる一方で、哀しいこともあるのです。

[声]エスカレーターで「通せんぼ」(2009/7/26)
 高校生(18)
 都会ではエスカレーターに乗るとき、片側に寄るのがマナーになっている。急ぐ人が空いている側を歩けるようにだ。電車で通学している私は毎日、そうした駅のエスカレーターを利用している。
 ある日の朝、私は学校に遅刻しそうで急いでいた。そのため、ドンドンと鈍い音を響かせながら、エスカレーターを駆け下りた。
 と、目の前におじさんが立ちはだかった。私が下る音に気づいていないわけはなかいだろうに、明らかにド真ん中に立ちふさがっている。「すみません」と声をかけた。一瞬、振り向いた。が、結局、その人は下に着くまで、どこうとしなかった。
 常識のない人だとムッとした。ところが、そこで私の目に飛び込んできたのが「エスカレーターの上を歩かないでください」と書かれた看板だった。
 いったい、正しいのは私とおじさんのどちらなのだろう。いまやラッシュ時の常識として定着している「歩行搭乗」と、人と機械の安全に配慮した「静止搭乗」と。
 私としては、後者は、子連れやお年寄りが多い昼間に限るなど、区別してほしいと思うのだが。

 かなしいですね。「常識」「マナー」によりかからずに、自分自身の心で考えてみてほしいのです。
 「子連れやお年寄り(や障害者)は邪魔だ」と言っているのと同じですね。
 とても「合理的配慮」とは申しあげかねます。

◆「バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉の基本的な考え方は「誰にとっても便利で優しい街であること」だ。だから、元気な人でも使ってよいのだ、という論理を用いた方もおられます。
 それではバリアフリーどころか、バリア・アップになってしまうことに気づいておられない。
 やはり「合理的配慮」とはいえません。

 どちらが障害者なんですか?
 健常者がつくったバリア=障害にさまたげられている人のことを「障碍者」というのです。
 バリアを下げられるのはどなたですか?
 みんなで、バリアを低くしましょう。

◆偉そうなこといって、お前はバリアを作っていないのか?と問うてください。
 そうなんです、私もバリア・メーカーなんです。
 「差別されるものは差別しない」などということはまるっきりないんです。
 私もまた、別種のバリアをつくり構えているのだと思います。ですから、それを低くしなければならない、と思っています。
 自分は関係ない、と思いこまないでください。自分の「常識」をいつも壊してください。
 自分がよって立つ足元をほっくりかえしてしまいましょう。
 そこから出発しましょう。おだやかでゆるやかで、だれもがのびのび暮らせる社会をつくるために。

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