自死
2010.1.11付 朝日歌壇より
自死防ぐ討論会は何一つ結論は出ずに静かに終わる:(塩尻市)百瀬亨
馬場あき子 評:「自死」の問題への注目も結論なしの情景を「静かに終わる」ととらえて今日を生きる人々の深淵のような心の深みをのぞかせた。
人は、目の前に理由のないものがあることに耐えられません。必ず何かの理由が欲しい。
因果関係やストーリーが欲しい。
むき出しの「死」をつきつけられると不安に駆られ、理由を欲します。マスコミの自殺報道でも必ず、取ってつけたような「理由」を付けておかないと、受け入れられないようですね。
「死」という非日常がむき出しのまま「生」という日常に侵入してくることが怖いのです。
実は、死が非日常だというのも錯覚でしょう。死は日常的なものです。
私の目から見れば「自死を防ぐ討論会」などというものに、結論などそうそう出るわけがない。結論が出る方がおかしい、変だ。結論なんか出なくってよかったですね、と申し上げたいとお思います。
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