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2010年1月

2010年1月29日 (金)

良いお年を

2010.1.25付 朝日歌壇より
「良いお年を」と声かけられたる自販機を相手に男は缶コーヒー飲む:(沼津市)森田小夜子

 馬場あき子 評:このごろの自販機はよくしゃべる。「良いお年を」というやさしい声に向かいあいコーヒーを飲む男。そのくらしの背後も想像され侘しい。

わたくし、自販機というものをここ何年もまるっきり使ったことがないもので。
最近の自販機は「良いお年を」何ていうのですか!?
信じられないな。
逃げ出しますね。不愉快。
そんな声掛けられて平静ではいられませんね。
その自販機蹴っ飛ばしてやりたい、ウルサイ、黙れ!
とね。

やりすぎ。サービスではなく、下劣というべきでしょう。

メリット

2010.1.25付 朝日歌壇より
メリットがあるかないかを考えてするものだったかしら結婚:(大津市)纓坂佳子

どうもねぇ。この頃の風潮は、役に立つとか立たないとか、計算づくが多くって。つまらない人生でしょうねぇ。
役に立とうがなんだろうが、やりたいからやる!と叫んでごらんなさいな。

恋という激情に駆られて、後先考えず突っ走ってくださいな。
結果なんか後からついてくるんだから。
人生一回っきり。ヘンチキリンな夢だメリットだ考えてないで、突っ走りなさい、若いのっ!

背が高い

2010.1.25付 朝日歌壇より
お年玉うけとる孫は背が高い見下ろしながら「ありがとう」と言う:(藤岡市)宮下信夫

見上げるように、のそっとでかい孫が、低い声でちょっと照れくさそうに「ありがとう」。

良い光景だ。いいじいちゃんなのです。

じいちゃん冥利に尽きますな。

ちょいと「年寄り語」を使ってみたくなりました。「尽きますな」などと。

下宿先

2010.1.25付 朝日歌壇より
コンセント時計の電池はずし置き子は戻りたり下宿先へと:(福岡市)甲斐紀子

「短い帰省」の歌と同じ感傷です。
部屋をごちゃごちゃにしたまんま下宿へもどったっていいのに。
息子の部屋を片づけるのもまた、母親のある種の楽しみでありましょうに、息子は、きちっと片づけて行ってしまった。同居していた時とはなんだか変わってしまって、遠い感じになったなぁ、と、ふと、さびしい。

それが親の幸せっていうものですって。
親に寂しさを与えるのも、親孝行っていうものですって。
そう、なっとくなさいませ。

突然死

2010.1.25付 朝日歌壇より
突然死望むところと盛り上がり名乗らず旅の居酒屋に酌む:(舞鶴市)吉富憲治

私も盛り上がってしまいそう。
できることなら、癌になり、手遅れになるまで治療せず、一回くらい手術して、家族親戚が納得したところで、病院でパタッとしねたら。これが最高の死に方だと、願っております。

自宅で死ぬなんて願い下げだ。必ず病院で死にたいや。

徹底的にへそ曲がりなかかしなのでありました。
もりあがりそう。

雪掻き

2010.1.25付 朝日歌壇より
人の来ぬ道を律儀に雪掻きて老いのふたりがひっそり暮らす:(群馬県)眞庭義夫

 永田和宏 評:訪問客もなさそうな老人所帯だが、前の道はきれいに雪かきがなされている。日常の些事に手を抜かぬ実直な生への尊敬の念。

いったん雪掻きを始めると、自分の家の前だけで一応守備範囲であるのだけれど、人が歩きやすいように、すこしでもひろく掻いておきたい、と思ってしまうんですよね。

年も取ったし、手抜きしたって責められるようなこともないのに、でも、がんばってしまうんですよね。

おたっしゃで。おげんきで。

御田

2010.1.25付 朝日歌壇より
夫婦箸われのみ朱の塗り剥げてひとりの御田(おでん)を煮返す年の瀬:(岐阜県)棚橋久子

一人暮らしが長くなってしまった、という「長い時間」の実感を箸の塗りが剥げるという形で感じておられる。

実は意表を衝かれたのです、わたくし。
「おでん」は田楽。ですから「御田」。
そうかあ、こういう表記があったのか、ということにね。

一回おでんを炊けば、2回3回とつつくことでしょう。
二人ならすぐ減って、ネタを足しては楽しめたのに、
なかなか減らなくなったものよねぇ。という感慨もおありかもしれません。

天地返し

2010.1.25付 朝日歌壇より
百キロの麹の「天地返し」してかさかさの手に艶戻り来る:(長岡市)唐沢美也子

佐佐木幸綱 評:まさに生きものとしての麹を実感している一首。独特のにおいと湯気も読める。{高野公彦氏も選んでおられます。}

佐佐木氏の評でもいいのですが、「生きものとしての麹を実感」「におい」「湯気」のほかに、おそらくもう一つあるのです。佐佐木氏はひょっとしてご存じないかもしれない。

それは「コウジ酸」。
「Kojic acid」というのですけどね。
麹を扱う人の手が、いつもつやつや、しっとりして美しい、ということがあるのです。
パン生地をこねる職人さんの手も同じように、いつもしっとりきれいだといいます。
で、このコウジ酸、美白化粧品に使われるのですね。
一時、発がん性が疑われていましたが、今はまた復活しているのではなかったでしょうか。

そういう、「コウジ酸」の効能、女性はきっと敏感に知っておられる。
そのあたりの感覚が詠み込まれているのだと思いますよ。

帰省

2010.1.25付 朝日歌壇より
刺身、ポトフ、フルーツサラダ、さつま汁、吾子の短い帰省は終わる:(福岡市)東深雪

もう戻っちゃのかぁ、もうちょっと居たっていいじゃないのねぇ。
と、不満。
気が抜けますが、これは元気な証拠。
さっさと帰って年賀状の整理もしなくっちゃ、と、本人。

親の思い入れと子の生活がすれ違う、これが実は幸せというものですよ。

りっしんべん

2010.1.25付 朝日歌壇より
空っぽの布団の横でぎゅうぎゅうの小(しょう)というより忄(りっしんべん)です:(調布市)西野千晴

 高野公彦 評:まだ一人寝が出来ない上の子と、赤ちゃんと、真ん中に作者。
 佐佐木幸綱 評:お母さんをはさんで、幼い子が両側に寝ている図。一人は自分の布団から抜けてきたのだ。

もう、何も言うことはありません。わぁ、と手を叩いてしまいました。
」なんだぁ。なるほどなぁ。
にこにこしてしまいます。

生きてるよ

2010.1.25付 朝日歌壇より
「生きてるよ」そのことだけを知らせんと出口をわずか雪踏みにけり:(山形市)大沼武久

 高野公彦 評:たぶん一人暮らしの高齢者だろう、積雪を踏み固める体力がなく、出口の所だけ踏んでおく。「生きてるよ」が切ない。
 永田和宏 評:わずかでも雪が踏まれていることで無事も伝えられる。一人暮らしの老いの実感か。

永田氏の評の方がおそらく作者の実感をついていると思います。

アパートのドアに新聞がたくさん入ったまま中へ取り込んだ気配がない、となれば何かあったのではないかというサインとなります。
新聞配達や、牛乳配達や、そういう方々の目が見守ってくれています。
ですから、家の前を通りかかる人のために「生きてるよ サイン」を出しておこう、となさっているのでしょう。

雪の多い地域の、高齢者や障害者にとって、冬は厳しい。

公衆電話

[恋する大人の短歌教室](2010.1.25付 朝日新聞)
応募作

夕雲が美しいわとスーパーの前より妻の公衆電話:千葉 星野惠則

 夕食の準備で奥さんがスパーマーケットに買い物に出た夕方、留守番をしていて電話を受けたということでしょうか。作者は、長く続けた仕事からリタイアし、悠々自適の生活を楽しんでいるご主人、という立場にあるわけですね。夫婦そろって迎えた心豊かな日々の一場面が、うまくとらえられています。美しい夕雲が、ふたりの生活を裏打ちする深いけれどさりげない愛情の象徴として、実に効果的ですね。携帯電話全盛の時代に公衆電話、というところにも、巧まざる渋い味わいがあります。
 この歌で考えておきたいことは、格助詞「より」と「から」の使い分けでしょう。どちらにするかは、多くの人が悩み続けてきた、実に難しい問題です。前者の方が由緒正しい感じですが、一首全体の気分や響きの明るさなどを勘案し、ここでは後者を採っておきましょう。電話からの言葉は、カギ括弧でくくって強調してみました。歌の中に埋没していた奥さんの声が、際立って聞こえてきませんか?(石井辰彦)

添削後

「夕雲が美しいわ」とスーパーの前から妻の公衆電話
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やっぱり、この添削教室、あまり意味ないですね。
「より」を「から」に変え、括弧をつけてみた。
これだけのことなら、別に必要とも思えません。何かしないと「添削」にならないから、むりやりやりましたという感じが否めません。

より(格助詞)
 動作の起点となる地点・時・事物・人物を表す。…から。万葉集9「白雲の箱―出でて常世辺にたなびきぬれば」。万葉集19「月立ちし日―招オきつつうち慕シノひ待てど来鳴かぬほととぎすかも」。源氏物語桐壺「はじめ―我はと思ひ上がり給へる御方々」。源氏物語須磨「君も御馬―おり給ひて」。天草本平家物語「他人の口―もれぬさきに」。伎、毛抜「若殿―遣はされた一通」[広辞苑第五版]

から(格助詞)
 (平安時代以降の用法) 起点となる場所・時を示す。古今和歌集物名「浪の花沖―咲きて散り来めり水の春とは風やなるらむ」。蜻蛉日記上「こぞ―山ごもりして侍るなり」。土佐日記「明けぬ―船を引きつつのぼれども」。日葡辞書「コレカラアレマデ」。浄、卯月潤色「谷―水を汲んで来
て」。「端―端まで人で埋まる」「明日―始める」「家―駅まで五分」「出来て―が心配だ」[広辞苑第五版]

私自身の語感でいうと、「より」が文語的、「から」は口語的。
「短歌」をつくるのですからね、文語的に表現したってまるっきり構わない。
そのときの気分でどちらでもどうぞ。あえて、手を加える必要などないですね。
括弧もまた、大きな差は生んでいませんね。

すごい景色を見たときに、配偶者にその経験を共有して欲しい、という気持ちが生じるのはとても素直なことです。
雨戸を閉めようと西の空を見て、「お~」っと呟いて妻を呼びに行くこともしばしば。
車で外出して、虹を見て、「虹が出てるぞ~」っと電話したこともあります。

応募作はその感情を余すところなく表現していると、私には思えます。

夕雲がうつくしいわと弾む声 妻がかけくる公衆電話

「スーパー」というのがやはり、日常生活の中に生まれた驚きを表現するのに効いているようですね。

アジサイ

0120ajisaiアジサイの芽。
まるで茶色の棒のようになった茎から、ぽつっと、顔を出しました。
覆いが弾けそう。
でも、まだだろうなぁ。
もうちょっと。もうちょっとです。

ビヨウヤナギ

0118biyouyanagi動物が「カタッ」と姿を見せなくなるのに対して、植物は、ゆっくりゆっくりではありますが、着実に春への準備を進めていきますね。
で、植物たちの「芽」などが、今の被写体としては主になります。
これはビヨウヤナギ。
去年、3枚に開く一風変わった枝があったのですが、茂っているうちにどこへ行ったのか見失ってしまいました。今年は見つかりません。どうしたのかなぁ。
上の写真は典型的な姿。
2枚ずつ、直角にずれながら葉をつけていきます。
この場所はどんづまりで、しかも日当たりが良い。
この後、だんだんと虫たちもここを舞台に活動を始めるでしょう。
待ち遠しいです。

フンバエの仲間かな

0116hae1月16日。

この季節、いとしい、いとしいハエさんです。
ちょっと小さいんですけどね、フンバエの仲間じゃないかと思うのです。

生ゴミのコンポストなんかありますので、そういうところで発生するのでしょう。
ゴミの分解者の一員としてがんばってくれているのでしょう。
ということにして、生き延びてねぇ。

ヨウ素が豊富

理科支援員などしております関係で、更新が遅れています。御理解下さい。小学生は元気ですよ~。

さて、旧聞に属しますが、正月明けの勝手な日に「鏡開き」をしました。といっても陶器製の鏡餅をしまっただけですが。(昔、独身時代は、母親にいつも鏡餅を細かくしてくれと頼まれましたっけね。のこぎりやなたやかなづちで破壊したものでした。)

でも、一応、昆布など敷いてあったのですね。で・・・
0109konbu8_2
ご覧ください。



*料理の際、まれに色が出る事がありますが全く害はありません。安心してご利用下さい。
●茶色……昆布だしの色
●緑色……天然の葉緑素
●青色……ヨウ素、でんぷん反応

こう書いてあります。
そうかぁ、きっとクレームがついたんで予防線を張っているんだなぁ。
それにしても、だしの色が「無色透明」だとか思っているのかなぁ、情けないや。
とまぁ、思いつつ。
3つ目。「ヨウ素‐でんぷん反応」は見逃せません。

現役時代、ほうれん草は鉄分が多い、というようなことで、ほうれん草を焼いて灰にして、鉄イオンの検出反応を行う実験を企画し、生徒にやらせたことがあります。おもしろかったですよ~。
「海藻はヨウ素が多い」という話も当然知っていて、やろうかな、と思いつつやらないままに、退職に至ってしまって。怠慢だったなぁ、と反省し、やってみることにしました。

焼いて灰にする、というのがちょっとめんどくさかったのですよね。
ところがこの袋の表示では、「昆布だし」でヨウ素でんぷん反応ができそうです。
やってみよう!!
0109konbu1
用意した、でんぷんと昆布(おさがりの)。長さ15cmくらいですか。

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昆布を細かく切って、鍋に入れ、適量の水を加えて煮だします。

0109konbu3 茶漉しで昆布を取り除いた「だし」。

でんぷんの方もお湯でといて、糊状にして、昆布だしにわずかに加えます。

この状態では、昆布から煮出された「ヨウ素」は実は「ヨウ化物イオン」という陰イオンになって溶けているはずです。ヨウ化物イオンとでんぷんでは反応しないのです。ヨウ素でんぷん反応は「ヨウ素」とでんぷんの反応なのです。

●では、どうやったらヨウ化物イオンがヨウ素になるのか。

ヨウ化物イオンが持っている余分な電子を奪い取ってしまえばいいのですね。
電子を奪われることを「酸化」といいます。電子を奪う側は自分が電子をひったくって来て(=還元されて)、相手を酸化します。
ですから、「酸化剤」を加えれば、ヨウ化物イオンがヨウ素になるはずなのです。

手元に古いオキシドール=過酸化水素水がありました。もう何年も前のものですので、おそらくボトルの中で水に分解してしまっているのではないか、と思いましたが、加えてみました。
0109konbu4
左が古い過酸化水素水を加えたもので、右は比較のために何も加えていないもの。
わずかに色が濃くなったようですね。酸化力がちょっぴり残っていたようです。

台所には「キッチンハイター」があります。これは塩素系の「酸化剤」です。新しいですから強力なはず。
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一滴入れただけで、濃い青紫になりました。見事なヨウ素でんぷん反応です。
やったね!
しばらく放置しておいて比較してみました。
0109konbu6
上は比較用の何も加えていないだし(もちろんでんぷんは入っています)。
左下が過酸化水素を入れたもの。はじめより大分色が濃くなりました。
右はハイターをたらしたもの。もう真っ黒けです。

やりましたねぇ。昆布だしでヨウ素でんぷん反応が出来るんだぁ。うれしい。
ぜひやってみてください。小中高どの段階でもできるし、理解できる実験になりました。
実験屋としての喜びを感じます。
0109konbu7
容器の壁にくっついて、液の厚みが薄くなった部分を見てください。
この色が、ヨウ素でんぷん反応の正式な色です。
でんぷんを使わずに、可溶性でんぷんという、でんぷん分子の鎖を短くして、冷水でも溶けるようにしたもので実験すると赤みがかってしまいます。でんぷんそのものを使うのがよいですね。
ヨウ素でんぷん反応と言うのは、でんぷん分子が長く鎖状になっていて、これが螺旋を巻き、その螺旋の中にヨウ素分子を取り込んだ「複合体」が発色する、というものなのです。
ですから、鎖が短いとあまりい発色をしないのですね。

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ところで、原発事故の時など(チェルノブイリの時もそうでしたが)、ヨウ素剤を飲む、ということが行われます。なぜでしょう?

原子番号92のウランの核分裂に際して、均等に真っ二つに割れるわけではありません。
少し偏ったところにピークが来る。原子番号38のストロンチウム(Sr)も有名です。92の半分より軽めのピークのほうの元素です。
一方、重めのピークの方には、例えば原子番号53のヨウ素(I)などがあります。
この放射性ヨウ素は人体に入ると甲状腺に集まります。
なぜかというと、甲状腺では代謝にかかわる甲状腺ホルモンが分泌されます。代表的な甲状腺ホルモンが「チロキシン」。
Thyroxine
これがチロキシンの構造式です。1分子の中に4つもヨウ素原子が入っていますね。
ですから、甲状腺で甲状腺ホルモンをつくるにはヨウ素がたくさん必要なのです。で、放射性があっても、ヨウ素はヨウ素ですから、放射性ヨウ素も甲状腺に集まってしまう。
そうして、甲状腺で放射線を出し続けることになり、喉頭がんを誘発したりするのです。
そこで、予め、放射性のないヨウ素をたくさん飲んでおけば、放射性ヨウ素にさらされても体内に取り込む量が少なくなる、ということでヨウ素剤を飲むのです。

日本人はノリやワカメやコンブなどを日常に食べていますので、ヨウ素は普通の食事でかなり足りているはずです。
それに対して、大陸内奥部に生活する人はヨウ素不足になりやすい。ですから、普段からヨウ化カリウム添加の食塩などを使うことになります。
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というわけで、お正月早々の理科おじさんでした。

2010年1月25日 (月)

保護色(?)

0114hogosyoku落葉の上でジャイアン君が寝ていました。そばまで行って、ふと気づいて、ビックリ。
お前、保護色なんだぁ、と声をかけたら
知るかぁ、そんなこと、といっておりました。
全然警戒心のないノラです。いいのかなぁ。

カイガラムシ

0109kaigaramusi1月9日。
ヤツデの葉にへばりついているカイガラムシです。
こういうものも、今の季節ともなれば、いとおしい。
「いとおしい」は「愛おしい」と書くのでしょうが、「いと 惜しい」と書きたくもなります。
虫さんたちの姿は極端に少ない。さびしいなぁ。

ヒラタアブ

0108hosohirataabu1月8日。
ごくたまに、このホソヒラタアブやクロヒラタアブを見かけます。
写真としては少しぶれているのですが、背中から陽ざしを浴びて、翅の影が写っていたのでお目にかけます。
光線の向きがはっきりわかりますね。背中を温めているのです。
0108hirataabuyotyu
これも1月8日。
ゼニアオイの花の中。
ヒラタアブの幼虫です。
「ホソ」か「クロ」かまでは私の知識では分かりません。
生き延びてほしいですね。でも、アブラムシはもうほとんどいないのですが。ダメかもなぁ。
幼虫のまま越冬は出来ないのだろうか?
よくわかりません。

みんな、がんばれよ。

2010年1月23日 (土)

鳥総松

0108tobusamatu1月8日。

去年、初めてしった「鳥総松」。
今年も、白山神社にありました。

とぶさ‐まつ【鳥総松】新年の門松を取ったあとの穴に、その松の梢を立てておくもの。<季語:新年>[広辞苑第五版]

もう、1月も下旬に入ってしまいましたが、なかなかご紹介できないまま来てしまいました。

轍あと絶えざる門や鳥総松  虚子

こういう句を見つけました。
私の鑑賞の範囲を超えております。情景がうまく浮かんできません。ごめんなさい。

ホトケノザ

0108hakusan11月8日。

この姿はホトケノザですよね。
白山神社で見かけました。

そのうち、私も仏様になって、この葉っぱの上にちょこんと座っていたいものだ、とまぁ、そういう気分もいたします。

0108hakusan2 花の準備も進んでいるようですね、この色具合だと。

ところで、春の七草のホトケノザって、コオニタビラコのことですよね。
なんだか、紛らわしくっていけません。
このホトケノザは食用にはならないですよね。
だんだん自信がなくなります。
ものしらずでこまったものだ。

ハエ

0108hae1月8日の撮影。
口を伸ばして歯の表面を舐めています。
虫の姿のほとんど無い今。ハエでも見かければすごくうれしい気分です。
あたたかい陽ざしのある時だけ。
せめて少しでも栄養を取って生き延びてほしいと思ってしまうのでした。

冬の蜘蛛

2010.1.18付 朝日俳壇より
冬の蜘蛛とぼしき獲物みのがさず:(松山市)徳永玄子

このブログで、我が家の庭にいたジョロウグモがとうとう消えたことをご報告しました。
12月中は生きてはいましたが、もう餌はほとんど取れる状態ではありませんでした。
1月に力尽きました。
冬は餌になる昆虫がほとんどいませんものね。
句に詠まれた蜘蛛は年を越してどうなったでしょう。
最近、イエユウレイグモの幼体、ハエトリグモの仲間の幼体を家の中で見かけました。
無事育ってくれるように願っています。

賀状

2010.1.18付 朝日俳壇より
束をとき先づは点字の賀状より:(都留市)長田美智子

長田さんは俳壇にも歌壇にも登場しておられます。自由に詩形を使い分けコントロールできるなんて、すごいことだと思います。

失明し四十年となりし今夕焼け空の色も薄れる:(都留市)長田美智子
 佐佐木幸綱 評:四十年前に見た夕焼け空の色の記憶。私などには想像もできない貴重な記憶なのである。

こういう短歌もありました。
長い年月の中で積み重ねられた交友が、年賀状という形になります。

賀状の束を、点字、点字じゃない、と分けながら、点字の賀状はすぐ読める。ああの方か、と。
点字ではない方は読みあげてもらうのでしょうか?
なにか、普通の字を読みあげてくれるいい方法はないものかなぁ。
スキャナーが読みあげてくれたら便利なのにね。

アンモナイト

2009.1.18付 朝日歌壇より
アンモナイトのように寝ているわが猫は去年も今年もお構いなしに:(日立市)山野いぶき

カレンダーも時計も            
人間のものさし                   
生命あるものは                   
それぞれの時空をもっている       
焦ることはない                   
自分の歩幅で歩めばいい            

これは、ALSと闘った中林 基(おさむ)さんのことばです。

生物ですからね、季節の移ろいや、毎日の概日リズムは共有しています。
でも、大晦日-元日などという「節目」は、人間の「つくりもの」です。
つくりものにごまかされない、本物の「時間」をヒト以外の生物は生きているのですよ。
1年を365日に分割し、1日を24時間に、1時間を60分に、1分を60秒に、分割する。
人間って、分割し「数える」のが好きですね(デジタルです)。
で、自縄自縛。自分がつくった枠組みに自分が縛られている。

脱出しませんか?

風がきれい

2009.1.18付 朝日歌壇より
ぼんやりと生きてきたから気づかない「風がきれい」と盲目の子言ふ:(多摩市)橘かほる
 馬場あき子 評:盲目の子の繊細な感性にはっとさせられる。

 この「風がきれい」というのは、現在NHKのみんなの歌で放送されている「風がきれい」及び、その歌のもとになった朝日新聞の記事を踏まえていると思うのです。
 馬場氏はこのことにお気づき出ないようにお見受けしますので、僭越ながらご紹介しましょう。

 昨年、12月21日の朝日新聞夕刊に下のような記事が掲載されました。

「風がきれい」盲学校での言葉、歌に 新聞記事経て「みんなのうた」に
 本紙の記事がきっかけで生まれた歌が、NHKの「みんなのうた」で放送されている。俳優、新井晴み(はるみ)さん(56)が作詞した「風がきれい」だ。45年前の視覚障害者の子どもの言葉が、新聞記事を経て歌に実を結んだ。
 2004年5月26日の朝刊「ラジオアングル」欄で、フリーライターの山家誠一さん(63)が、NHKラジオの番組「視覚障害者のみなさまへ」をとりあげた。当時の担当ディレクター川野楠己さん(79)に話を聞いている。
 《盲学校を取材した時、外に飛び出した子どもが『わあ、風がきれい』と叫ぶのを聞きました。多くの晴眼者が失ってしまった感覚の世界を持っている。そこにすごくひかれました》
 この川野さんの話に、新井さんは心を動かされた。「目には見えなくても大切なものがあるんだ」。一気に詩を書き上げた。知人から紹介された滝本翔太さん(39)に作曲を依頼。曲にあわせ、さらに歌詞を練り上げた。男性アカペラグループ「チキンガーリックステーキ」が歌い、作詞から5年後の今年、「みんなのうた」に採用された。
 「風がきれい」という言葉は、川野さんの人生にも大きな意味があった。「視覚障害者のみなさまへ」を、定年後も含めて30年以上担当した。風を「きれい」と表現する、その鋭い感受性に魅了され続けてきたからだった。
 川野さんによれば、この盲学校は現在の筑波大付属視覚特別支援学校(東京都文京区)で、65年のできごとだ。「風がきれい」と叫んだ子は「幼稚園か小学校低学年くらいだったと思う」という。その子が誰で、いまどこで何をしているかは分からない。
 歌詞は「風がきれいと言ったあなた」で始まり、「あなたの言葉が教えてくれた」と歌う。40年以上の時を超え、見知らぬ「あなた」に感謝の気持ちを伝える歌になった。
 放送は来年1月末まで。ホームページ(http://www.nhk.or.jp/minna/ )に放送予定表がある。(寺下真理加)

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NHKのHPから引用します。

風がきれい
【うた】チキン ガーリック ステーキ
【作詞】新井 晴み
【作曲】滝本 翔太
【編曲】渡辺 敦
【写真】管 洋志
この歌はひとつの新聞記事がきっかけで生まれました。「三十数年間NHKで視覚障害者のための番組を作り続けたKディレクターは、盲学校で取材した時、生徒が校庭で “わあ、風がきれい”と発したことばに強くひきつけられました。目の見える私たち晴眼者が失ってしまった豊かな感覚の世界をもっている」と。この記事を目にして詩心をかきたてられた女優の新井晴みさん(77年NHK連続テレビ小説“風見鶏”のヒロイン)が、美しい詩を創作してくれました。歌うのは、6年前の「みんなのうた」でも風をテーマにした曲を歌った男性6人のア・カペラグループ「チキン ガーリック ステーキ」です。

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 この歌「風がきれい」は1月の歌ですので、お聞きになりたい方は1月中にどうぞ。
私は録画しました。素敵な歌ですよ。

2010年1月20日 (水)

敗者

2010.1.18付 朝日歌壇より
「敗者だが奴隷でなし」と彼(か)に言いし白洲次郎の凛を思えり:(秋田市)半田巌

私はどうも、とんでもなくへそ曲がりなものですから、「かっこいい」人をみるとどうも「ひいて」しまう。眉に唾つけたくなる。いかんなぁ。
で、白洲ご夫妻は苦手でして。

自然に生きるものたちに、敗者なんて概念はない。奴隷などという概念もない。こういう概念は「ヒト」が発明したものですね。
私の好きな虫さんたちは凛として生きております。
猫も犬も、凛として生きております。
「凛」じゃなくて、「ぐちゃ」なのはヒトだけです。

ね、へそまがりなこっちゃ。
「勝てなくったって、負けはしない」という生き方もありうるかもしれません。
これも相当に「凛」ですがね。
生きることに勝ちも負けもありはしないんですよ。

行った跡

2010.1.18付 朝日歌壇より
行った跡そのまま残る雪道を帰りもなぞる左右逆にて:(新潟市)高橋祥子

今日、小学校へ行ってきました。昨年の12月にはその小学校の六年生の理科実験のお手伝いをしました。この1月~2月にかけては、五年生の理科実験のお手伝いをします。
実際に、実験に入る前に、「道徳」という形で、自己紹介をさせていただく時間をちょうだいし、今日行ってきました。
自己紹介、障害の話などです。体に「disability」があること。社会に「barrier」があること。
バリアーに遮られている人のことを障碍者というのだよ、などと。
左足が不自由な私は「またぐ」という動作ができません。雪道を歩く、という行動は、「またぐ」の連続動作ですね。ですから、「行った道をそのまま戻る」という前に、「行くこと」が出来ないのです。
上掲の歌は、なるほどなぁ、と思って読んだのですが、一方で、雪国にもいらっしゃるはずの私のようなタイプの下肢障害のかたはどうしていらっしゃるのだろう?とも思わずにはいられないのです。
冬中、家に「籠りっきり」しかないのでしょうか。
自然が与える「バリア」をなんとか低くすることはできないのでしょうか?

気になります。

小さなこぶし

2010.1.18付 朝日歌壇より
柚子よりも小さなこぶしもう少し大きなこぶし冬至の風呂に:(高槻市)有田里絵

この歌は、永田和宏氏も選んでおられます。

何も言うことはありませんね。
柚子湯。お風呂にゆずがぷかぷか。幼子二人を柚子湯に入れる。
かわいいこぶしも、ぷかぷか。
私の家では、柚子を切ってガーゼか晒しに包んで風呂に入れることがよくありました。すると、ゆずジュースが湯に溶けてさらに体がよく温まる。
このとき、袋に唇を付けて、中に息を吹き込む。すると、空気の入った袋が、ぽわんぽわんと湯に浮いて面白くって、遊んで、長湯したものです。
なつかしい。

君なき冬

2010.1.18付 朝日歌壇より
新湯(さらゆ)にして仕舞の湯なり柚子いくつ浮かべて浸る君なき冬を:(福岡市)宮原ますみ
牛蒡そぐわれのそびらにそつと来て「鳥が来てるぞ」と言ふてはくれぬか:(福岡市)宮原ますみ

リハビリ中でいらっしゃいます。そして、伴侶を亡くされました。
「不在」というものが、欠如として表れるというよりも、身のそばに「不在が実在する」という感じで迫ってくるのではないでしょうか。

最初の歌は高野公彦氏の選、二番目の歌は永田和宏氏の選。
こういう場合、編集者の方で何らかの形で、同じ作者の異なる歌が選ばれている、ということを知らせる方法があると、読者により深い鑑賞を提供できるのではないか、と考えるものです。

帰る 行く

2010.1.18付 朝日歌壇より
母逝きて育ちし家も壊されて日本は「帰る」から「行く」国になる:(アメリカ)大竹幾久子
 高野公彦 評:心の基点を失い、急に日本が遠くなった感じなのだろう。
 永田和宏 評:故国も帰るところではなくなる寂しさ。

前の美原さんの歌への評で高野氏は「ふるさとは優しく魂を包んでくれるところ、私を無名の赤子にしてくれるところ。」と書いておられました。
併せて、読んでください。

個人的なことですが、私には「ふるさと」も「じっか」もありません。
生まれは秋田。記憶もない1歳で東京に来て育ち、基本的には東京っ子、都会っ子。
親と住んでいた借家に結婚して夫婦で住みはじめ、親は別の土地へ移りました。その後、引っ越して現在の家に至ります。
私にとっては、「ふるさとは優しく魂を包んでくれるところ、私を無名の赤子にしてくれるところ。」という「ふるさと」はありません。

結婚して夫婦で話し合ったこと。
どんな小さな一部屋でも、夫婦の住みかが「帰る」ところ。実家へは「行く」という。

国を離れるということは大きなことですから、軽々しく言うことはできないのですが、人間、地球上のどこで生まれてどこで死のうと同じ事、というように考えています。自分たちも、また家族も。
私の墓標は地球です。

浮島 ふるさと

2010.1.18付 朝日歌壇より
アパートの三階という浮島に居て仮の世の鐘を聴く除夜:(福島市)美原凍子

私のりんかくぼやけゆくがまま風に抱かれていようふるさと:(福島市)美原凍子
 高野公彦 評:ふるさとは優しく魂を包んでくれるところ、私を無名の赤子にしてくれるところ。そうした幸福感を歌いつつ、どこか寂しい漂遊感のにじむ作品である。

二首選ばれておりました。
美原さんは夕張市から福島市へ「移られた」方。
二首合わせて、少しだけ背景を頭の片隅に置いてお読みいただけると、きっと読みが深まります。

生きるという歩みは、どこでどうなるか、偶然であり、それを受け入れる意志は必然をもたらします。

厚手の切符

2010.1.18付 朝日歌壇より
共に亡き兄の夫婦のアルバムに「幸福ゆき」の厚手の切符:(千葉市)田口英三
 佐佐木幸綱 評:幸福駅行きの切符がはやったのは、昭和五十年代のこと。もう三十年も昔のことだった。亡き兄夫婦の物語をたどる思いの軌跡が浮かびあがる。「厚手の切符」がなつかしい。

「幸福駅行きの切符がはやったのは、昭和五十年代」でしたか。なんだか、ほんのちょっと前のような気がする。もう親になってたからなぁ。そこからここまで、ひと足だったような気分です。
「厚手の切符」。今は薄くって、磁気記録ができるようになっていて。
昔の厚い切符に、ハサミを入れてもらう。なつかしい。
高校の頃、結構旅行マニアでした。切符に「途中下車」のスタンプを入れてもらって、で、東京まで来てしまうと切符が手に入らないので、大宮あたりでまた途中下車して、大宮から都内への切符を別に買って。
時刻表をにらんで停車時間を推測して、途中下車スタンプもらいに走ったり。

そう、なつかしいことです。「幸福ゆき」の切符はいつまでも有効です。
きっと、「途中下車前途無効」もありません。

2010年1月19日 (火)

讃岐はね うどんが旨い

2010.1.18付 「恋する大人の短歌教室」
{応募作}
「讃岐はね うどんが旨い」そう言って君は私に「行こう」と言わず:神奈川 林田ふみ

 こちらの気持ちをなかなか酌んでくれない、困った相手です。恋愛などというデリケートな感情に、そもそもいささか鈍感な男性なのかもしれませんね。いかにもありそうな情景ですが、作者のもどかしい思いがきちんと伝わってきます。何より、題材を讃岐うどんに絞ったところが好ましい。長いことブームが続いている讃岐うどんですから、陳腐な感じがしないでもありませんが、それがかえってこの歌に、普段着の気軽さを漂わせました。旨いもの好きの食いしん坊だが、贅沢にはやや縁遠い、といった男性の人柄も、巧みに表現できています。
 ただ、もう少し恋心を色濃く表現してもよいような気もします。期待される男性の言葉に、「一緒に」というひと言を加えたらどうでしょう?これは作者に対しての言葉に決まっていますから、第四句の「私に」はカット。一字空きは読点にし、末尾の打消しの助動詞にも手を加えてみました。音の柔らかさもあって、断定的な雰囲気が和らいだはずです。(石井辰彦)

{添削後}
「讃岐はね、うどんが旨い」そう言って君は「一緒に行こう」と言わぬ
------------------------------------------------------------
 今回はあまり文句はつけません。思ったことをいくつか。

 ひょっとして、その男性、讃岐(香川)の出身ということはないのだろうか?
ふるさとの両親に君を引き合わせたい、と言ってくれたらどんなにか嬉しいことだろう。というような話の可能性は?

 「 」(←これ全角スペースです)のような「ホワイトキャラクター」(空白、タブ、改行など)は、目には見えませんが「文字」です。
 パソコン、携帯などが普及した今、短歌や俳句に「ホワイトキャラクター」を活用してもいいと思うのですが、どんなものでしょう?
 もともと、句読点のなかっ日本語で書かれた短歌に、「句読点」が持ち込まれたというのは、短歌としてはおそらくすごい革新だったはずですね。表現の幅を広げた。
 同様に、手書き時代にはほとんど意味のなかったホワイトスペースを、今は表現の幅を広げるものとして短歌に取り入れて活用してもいいと思うのです。
 石川啄木が「一首三行書き」をしたことの衝撃は強いものでしたが、コンピュータ時代の用語でいうことを許していただければ、ホワイトキャラクターとしての「改行文字」を表現に使ったのだ、ともいえるのかもしれません。

 さて、一歩踏み込んで「行こう」、とまではいってくれないもどかしさを表現するために、字余りになりますが、応募作に「は」をつけたいというのが、私の感覚です。

「讃岐はね うどんが旨い」そう言って 君は私に「行こう」とは言わず

おばあちゃん

2010.1.15付 天声人語より
おばあちゃんこれが高校の制服だ勇んで見せる春の墓の前:高1 男性

阪神淡路大震災の直後、テレビでニュースにかじりついていたら、高校生の男性が、つぶれてしまった屋根の上を跳び伝いながら「ばあちゃん、どこだぁ」と叫んでいましたっけ。
あの高校生の持つしなやかさと軽やかさ、そして祖母への思い、私は、思わず泣いてしまったのでしたっけ。

災害報道を見るたびに思います。避難所などで、高校生や中学生をどんどん使ったらいい。
彼らのしなやかなパワーを使い伸ばしてやればいい。年寄りや幼子を抱くお母さんや、障害者たちの用を聞きまわって、手を差し伸べる仕事をどんどんやらせればいい。
食料を配ったり、水を運んだり、どんどん使っていい。
青年たちのやわらかな心をもっと伸ばしましょう。

ところで、別件:私、大学に合格した年の夏、田舎のおばあちゃんのところへ遊びに行ったのですが、私は、大学の「座布団帽」など買わなかった。入学式もばかばかしいと建物の外ですごした。で、さすがに、ばあちゃんにそうやって突っ張ってもしかたない。帽子を買った友人から座布団帽を借りて、これが大学の帽子だ、といって喜ばせたのでしたっけ。座布団帽をかぶったのは後にも先にも、あの、ただ一回だけです。

嘘つく

2010.1.15付 天声人語より
親友と遊び疲れた帰り道夢の話は少し嘘(うそ)つく:高3 男性

天声人語子は「そう、演技も方便も優しさゆえ。相手を気遣い、大人への階段をまた上がる。」と書いています。
そうなのか、それが大人なら、そんな大人になんかなりたくもない。
私は私、素のまんま。角なんか取りたくない。丸くなんかなりたくない。
時代の気分を引きずっていますね。
Don't trust over thirty!
なんて、とうに60歳も超えてしまったのに。
変な爺さんが団塊の世代にはいますよ。

演技終了

2010.1.15付 天声人語より
友が降り電車に一人残されてため息深く演技終了:高1 女性

小学校上級くらいから上の女性の交友関係というものについて、男性としてはまったく立ち入れないものがあります。
また、世代、年代というものもあります。
私自身は友人関係で「演技」をしたという経験は全くありません。
素のまんま、をさらけだすのが私の主義です。でなけりゃ障害者やってられない、と言うのもありますが。
素のまんまで、壊れる友人関係なら壊れればよい、敢えて縋ることはない。
私は私のままで行く、という60年余を送ってきました。

ゆたんぽ

2010.1.15付 天声人語より
メール待つ心も体も寒い冬あなたの返信まるでゆたんぽ:高2 女性

義理っぽいメールもおそらくたくさんやり取りしている彼らなんでしょうが、こういう本物の「ふみ」のやり取りもあるんだなぁ。
携帯を握っているだけで、そのメモリーに彼からのメールが電子的になんだけど、保存されているというだけで、大事で大事で、心が温かくなってしまう。

私のような還暦過ぎた世代の若いころとは、全然、異なる恋愛の形が生まれてきているのでしょうね。
でも、なんだかわかるなぁ。

インフルエンザ対策

2010.1.15付 天声人語より
流行のインフルエンザ対策は彼とつないだ手も洗わなきゃ:高3 女性

う~むぅ。なるほど。
インフルエンザは野暮なやっちゃねぇ。
人の恋路を邪魔するとは。

いや、にこにこ、微笑んでしまいました。

大昔、男子高校の高校生だった頃、文化祭の後夜祭でフォークダンスを踊って、女性の友人に、今日は手を洗いたくないなぁ、といったら・・・即座に
水道どこ?手洗わなくっちゃぁ
いや、頭の回転の速い人でしたことよ。

ジョロウグモ

0113jorougumo1月13日の撮影です。
前日の12日の東京は本降りの雨。最高気温は5.1℃。寒かった。
そして、この13日は最高気温は9.2℃まで上がりましたが、非常に強い北風が吹いた日です。
この写真の中央の部分に、ずっとジョロウグモがじっとしていたのですが、ついに落ちたようです。
一回だけ小さなオスがきていましたが、交尾には失敗したようでした。
ずっと見続けてきましたが、残念なことです。かなしい。
気温が低くて代謝が落ちている分長生きして、かえって気温が上がり始めると代謝も速まってダメになってしまうのではないか、と考えていましたが、年間の気温の底を前にして、力尽きたようです。

ツマグロオオヨコバイ

0107tumaguroooyokobai1ツマグロオオヨコバイが枝につかまっていました。
0107tumaguroooyokobai2
1月7日のことです。
枝を揺らして力を出させたくないので、このアングルでおしまい。そっと離れました。

正確な記録ではありませんが、このあともう、ツマグロオオヨコバイを見かけません。
さすがに、このあたりが限界だったようです。
虫の姿は年を越してしばらくして激減しました。

ツマグロヒョウモン

0106pansy1去年、ずいぶん遅くなってから見つけたツマグロヒョウモンの幼虫は、残念ながら成長できずに死にました。
パンジーを買いに走って、葉を入れてやった時は結構ムシャムシャ食べていたのですが、やがて、食欲が落ち、死にました。
本当に残念です。
この幼虫のために買ってきたパンジーの花が年を越して咲いていますので、お目にかけます。
0106pansy2 0106pansy3 0106pansy4 今年のシーズンにツマグロヒョウモンが産卵に来たら、いっぱい食べてもらいたいと思います。
花たちも喜ぶでしょう。

2010年1月18日 (月)

モンパル

0106monpal充電中のモンパルです。
ハンドルの内側の両側にあるバーが「アクセル」。どちらを使っても同じ機能です。
ただ、年齢を重ねたものが、両手でこれをつかむと、反応が同じではなくなるかもしれない。止めなきゃ、と思って右手を放したのに左手は逆に力が入って握りしめてしまった、ということも起り得ます。ですから、左右どちらか一方の手でコントロールせよ、とマニュアルにありました。このバーを放せばブレーキがかかりますが、思いっきり握ってしまっても急ブレーキになります。安全のための工夫ですね。
速度は調節ダイヤルで6km/hまで。
前進後退はボタンで切り替え。後退にすると、ピッピッと音が鳴ります。
方向指示機もあります。押すと同じ音でピッピッと鳴ります。
ラッパマークは「ホーン」ですが、鳴る音は後退や方向指示と同じピッピッという音。気づいてください、という音ですね。

寒いのでどうしてもという用事の時しか今は乗っていませんが、先日、その「用事」で走っていたら、お母さんが漕ぐ自転車に乗った幼い女の子が「おそいバイクだなぁ」といっていました。バイクと認識したうえで、でもなんだか遅いなぁ、と思ったのでしょう。すぐれた認識である、とおかしくなり、手を振りました。

どうも、手漕ぎと同じ型の車椅子の電動タイプと違って、一瞬、認識の遅れがありますね、大人でも。なんだ?という感じかな。
自転車で追い越しながら近づいてきて「電池ですかぁ」と聞いてきたおじさんもいたし。

よく、会釈されますよ。楽しいことです。

ドウダンツツジの冬芽

0106dodantutujiドウダンツツジです。
植木鉢ごと放棄されていたのを拾ってきて植えたのですが、花が咲いたのは最初の年だけかなぁ。あとはきれいな葉を観賞させてくれるだけです。
多分日当たりが悪いんです。でもなぁ、小さな庭でもう場所もないし。
新芽の新緑の美しさを楽しませてもらっています。もうすぐですよね。

越冬中

0105nanahositentouナナホシテントウが、イヌホウズキの枝で越冬中。
日当たりのよいところで集団で越冬することはありますが、一人ぼっちで、風も強い茎につかまった状態です。日当たりはいいですけれど。
今年に入ってから気づいたのですが、ずっとこのあたりにいます。
たまたま、飛ばされるかなんかしてやって来て、そのまま移動できずにいるのかもしれません。
無事を祈ります。

お昼寝

0105chako日当たりのよいちょっと引っ込んだ場所で、居心地がよいのでしょう。
このごろは昼ごろいつもここにいます。
猫がくつろいでいる時の顔っていいものですね。

ところで、チャコちゃんが手をかけている、ガラスの水槽。これ、ひょっとすると、値打ちものかもしれません。
私が子どもの頃から使ってきた年代物であることは確か。
さらに、よく見てください。これ、ガラス板を組んで作った水槽じゃないんです。
5つの面が一枚なんです。
つまり、ガラス職人さんが、パイプに溶けたガラスをつけて、息でふくらませながら大きくしていって、最後に型の中で一挙に吹きふくらませて成形したものだと思います。それから上を切ったのでしょう。
こういうつくりは、かなり手間のかかるものですね。今は水槽を買いに行ってもこういうのはありません。
年代物+手作り品なのです。
まぁ、「もの」はいずれ壊れる。取り立てて大事にしているというわけでもないのですが、チャコちゃん、一応、大事にしてね。

ハマヒサカキ

0104hamahisakaki11月4日。
写真ネタが乏しくなってきました。
思い出して、近所のマンションの植え込みへ。
去年からずっと咲いている、ハマヒサカキ。
全く地味な花で、よほど注意していないと気づきません。
去年、初めて気づいて、ブログ登場は2回目かと思います。
スズランあるいはアセビ、みたいな可愛い花です。
0104hamahisakaki2
花の時期が長いので、実も同時になっています。
これが熟すと
0104hamahisakaki3 こうなります。
感じで書くと「浜姫榊」なんですね。
榊ということはツバキ科。
そうなのかぁ、という感じです。
白山神社には奉納された本榊がありますが、あれはまだ花が咲くのは見たことがない。これからどうなるのか、注意して見ていなければなりませんね。

2010年1月15日 (金)

薔薇

0103rose1薔薇、自体は夏の季語ですが、冬の薔薇もいいものです。
書けませんね、この字。「しょうび」と音読みしてもいいのでしょ。

いろいろな品種がつくられていますが、私はシンプルなのがいい。
正月3日に映える美しい姿です。

0103rose2 なんだかおいしそうですね。
いちごみたい。

バラの蕾です。
御近所で線路際に植えてそだてていらっしゃる。

通りかかるたびに立ち止まって眺めてきます。

ミノムシ

0103minomusi1正月3日。
線路の柵。
視界の端に、形ではなく、動きが入ってきました。
なんだ?と見定めれば、影が動いている。
風に何かが揺れているようです。
0103minomusi2
ミノムシでした。チャミノガというガの幼虫かと思います。

今、梅谷献二(うめたに けんじ)さんという有名な昆虫学者の方の本を読んでいます。「虫けら賛歌」創森社、2009年2月刊 という本です。
いろいろご紹介したくなる話が満載なのですが、ミノムシについて引用します。

 『枕草子』には、「みのむし、いとあわれなり」に始まり、「鬼の産んだ子だから、親に似てこれも恐ろしい心を持っているだろうと、父親がボロを着せて捨て、『秋風が吹くころ迎えに来るから待っていろ』と言い残して逃げてしまった。ミノムシは捨てられたのも知らず、秋になると『ちちよ、ちちよ』とはかなげに鳴く。よくよくあわれなり」という意味の有名な記述がある。
 清少納言が、鬼は蓑笠をつけているという伝承から採用した「鬼の捨て子」と、姿を見つけにくいカネタタキの鳴き声をミノムシと誤認したと思われる「チチと鳴く」は、その後、永くミノムシについて回ることになる。もちろんミノムシには発音器がなく、鳴くことができないが、「蓑虫鳴く」は今も俳句の秋の季語に残っている。

みの‐むし【蓑虫】ミノガ科のガの幼虫。樹木の枝や葉を糸で綴ってその中に潜み、蓑を負うような形をしている。袋の中で蛹化し、次いで成虫(ミノガ)となる。雌は成虫も無翅で幼虫と同様袋の中にすむ。袋は丈夫で、財布などの材料とした。鬼の捨子。鬼の子。<季語:秋> 。枕草子43「―いとあはれなり…八月ばかりになれば、ちちよ、ちちよ、とはかなげに鳴く」[広辞苑第五版]

そうなのかぁ。ミノムシも鳴かせてしまうのかぁ。びっくりしました。

布団にくるまってミノムシやってると、鬼の子になっちゃうのかなぁ。
もっとも、幼いころから親に、おまえは本当に天邪鬼なんだから、と言われていたのが、そのまんま爺さんになったのですから、そりゃ、鬼にもなろうというものですね。

ミノムシがもっと普通の虫に復活するといいですね。

カマキリの卵

0103kmakiriビヨウヤナギの枝の奥の方にカマキリの卵を見つけたのですが、残念!これは古い卵。去年の春に孵化したあとのものです。

今シーズンの卵が見つかりません。
つまんないな。
多摩川の河原にでも行って、卵探しをしようかな。
ぜひ、家の周りにカマキリさんがいてほしい、と願うかかしです。

ビワ

0103biwa正月3日。

花はもう終わり、実の成熟がスタート。
ゆっくりゆっくり、でも着実に。
植物の生き方は動物とずいぶん違います。
気温が低ければ低いなりに、ゆっくりと成熟を進めます。
おいしい実が熟すことを期待しながら観察を続けます。

アロエ

0103aloe正月3日。

ご近所のアロエの花。

多肉植物というのは不思議ですね。なんだか、イメージ的には「南」という気がしてしまうんですが、冬に花が咲く。
フチベニベンケイを去年は冬から追跡しましたし、今年は今、コダカラソウの花がどうなっていくか見ているところ。
寒い時期なので花に来る虫がいなくてさびしい気もしますが、目を楽しませてくれます。

2010年1月14日 (木)

幼虫

0102youtyu1月2日。
これは何の幼虫なんだろう。
ヒラタアブの幼虫ではないかとも思うのですが、普段見掛けるのよりは色が濃い。体の縁に尖ったものがある。
で、分からないのです。
翌日には姿を消していました。わからないままです。

シュロチク

0102syurotiku1月2日。

ササグモを見つけた場所のすぐ上。
気づいて見れば、これシュロチクの葉芽なんですね。
扇子を畳んだような状態です。
これが伸びて開けば、シュロチクの葉です。

なるほど、こういう風にたたまれているのか、と感心した次第です。

ササグモ

0102sasagumo1月2日。
シュロチクの葉の上です。
ササグモの幼体ですね。成体の大きさではない。
餌になる昆虫がそうそういるわけではないので、代謝を落として、春を待つしかないですね。
まだまだ寒い日が来ます。大丈夫かなぁ。

クロヒラタアブ

0102kurohirataabu1月2日。
クロヒラタアブです。
新年最初の散歩としては結構いろいろな虫に出会いました。
厳しい季節、余分なエネルギーを使わせたくないので、撮影したらすぐ引き下がるようにしています。
げんきでな。

キジラミ

0102kijirami1月2日。
サイズが分からなければまるでセミですよね。

体長3mm弱。
キジラミの仲間だと思うのですが、種名まではわかりません。
ヤツデの葉の葉脈にくっついていました。

大きな区分ではカメムシ目です。セミもカメムシ目です。
親戚とはいえますが。
虫の少ない時期、小さくても目立ちます。

カイガラムシ

0102kaigaramusi1月2日。
ヤツデの葉の上です。
カイガラムシというところまででご勘弁を。
いずれ、ちゃんと姿を見たいと思いつつ果たしていません。
どういう姿の虫なんでしょうね。分からないままにいます。

火を採る

◆毎日新聞のサイトでこんな記事を見かけました。

日本刀:鍛錬打ち初め式 快音と火花に歓声 岐阜・関(毎日新聞 2010年1月3日)
 刃物の生産地として知られる岐阜県関市で2日、「古式日本刀鍛錬打ち初め式」があった。刃物産業の盛業と作業の無事を祈って行われる新春恒例の行事。
 同市春日町の関鍛冶伝承館の鍛錬場で、関鍛冶伝統の黒い烏帽子(えぼし)と直垂(ひたたれ)を着けた白装束の刀匠が、リズム良く約1200度に熱した玉鋼を大槌(おおづち)で打ち付けると、快音とともに火花が飛び散り、約1000人の見物客から歓声が上がった。

◆朝日新聞でもこんな記事がありました。

宮城:名刀「大和伝」打ち初め式/大崎(朝日新聞 2010年01月05日)
 名刀「大和伝」を伝承する大崎市松山の刀匠・法華三郎日本刀鍛錬所で5日、恒例の「打ち初め式」が行われた。
 歴代刀工として知られる法華三郎は、9代目の信房さん(70)と息子の10代目栄喜さん(39)が受け継いでいる。親子と先代弟子の早坂政義さん(51)の3人は古式ゆかしい儀式にのっとって火をおこし、玉鋼(たま・はがね)を熱した。交互に鎚(つち)を打ち下ろすと火の粉が激しく飛び散り、室内に小気味のいい音が鳴り響いた。
 信房さんは「毎日毎日が技術の積み重ね。今年も自分の階段を上っていきたい」と抱負を語った。

◆このこと自体は、まあ、それでいいのです。普通は、火花の飛び散るシーンの方に関心が集まるわけですよね。
 私としては「1200度」に熱するための炉の方が気になるんですね。
 何年か前のテレビのニュースで、どこの行事かはわかりませんが「打ち初め式」の映像を見たことがあるのです。ニュースの中でも全く触れられていなかったことなのですが、理科教師としての私は「あっ、そうなのか」と思わず叫んでしまいました。あのシーンビデオに撮っておいて物理教師仲間にプレゼントしたかったなぁ。

◆やけに勿体ぶってますね。なんなのさぁ。
いえね、初めに炉に火を入れなきゃならないでしょ。マッチをするのかな?ライター?まさかね。じゃあ、火打石?
それがですね、刀鍛冶ならではの採火法なんです。
朝日の記事で「古式ゆかしい儀式にのっとって火をおこし」とありますね。これなんです。

◆熱されてもいない常温の鉄の棒を、まるで刀を鍛える時のように、刀匠たちが打つんですね。ただ、打つんです。
すると、槌が鉄棒に衝突する際に、運動エネルギーが熱エネルギーに変換されて、段々鉄の棒が熱くなってくるんです。そうして、温度のころ合いを見計らって、乾燥した藁かなぁ、そういうものを熱くなった鉄の棒に触れると発火するんですね。
その発火した火を炉に移して、炭に移して、ふいごで吹いて、その結果、炉は熱くなり「約1200度に熱した玉鋼を大槌(おおづち)で打ち付けると、快音とともに火花が飛び散」ることになるんですね。

   「鉄は熱いうちに打て」といいますが
実は
   「鉄を打つと熱くなる」
のですね。

◆さすが、刀匠たちはそのことを熟知しているのです。
面白い点火法でしょ。刀鍛冶ならではですね。
運動エネルギーが熱エネルギーに変換される見事な実例なんです。

この実例として一番ポピュラーなのは「摩擦熱」ですね。
火打石の火花が飛ぶのもそうです。
ゼムクリップを折り曲げ折り曲げ・・・しているとやがてもろくなって折れますが、その瞬間に折れた部分に触れると火傷しそうなくらいに熱くなっています。これも簡単なのですがビックリしますよ。

刀鍛冶の点火法。これ、面白い教材になりますねぇ。
何見ても教材に見えてしまう私です。今もって。

◆こんな記事もありました。

復興15年照らせ(1/10)
 神戸市中央区の防災研究施設「人と防災未来センター」で9日、「1・17のつどい‐阪神・淡路大震災15周年追悼式典」で祭壇に献灯される炎の採火式があった。式典は17日午前11時45分から県庁近くの兵庫県公館と同センターで開かれ、約1500人が参加する。
 採火式には神戸市内の小中高生ら約60人が参加。神戸学院大で防災を学ぶ岩崎さん(21)と小池さん(20)が、金属製の円形の反射板に太陽光を集めて点火した。

この場合は、凹面鏡を使って、その焦点のところに太陽光線を集めて発火させる方法ですね。
オリンピックの聖火の採火法がこれです。
どこか「聖」なる雰囲気があるんですね。太陽光だと。
地上のもののけがれがない、というのかな。

「火」「炎」という現象は採火法のいかんにかかわらず同じなんですけれどね。

◆ところで、「摩擦」という言葉を使ったところで、思い出したことがあります。
 電子レンジで加熱する原理に、よく「摩擦」を持ち出す人がいるんです。
 摩擦という現象は、マクロな物体についての出来事です。表面があって、その表面がこすれあうと、表面の原子が引きずられては放され、引きずられては放され、を繰り返し、物体に対してなした仕事が物体の内部の原子の運動エネルギーに変換され、熱としてあらわれるのですね。
 ところが、水分子には「表面」というものがありません。電子の広がりがあるだけなんです。水分子同士が摩擦して熱が発生する、という説明はもうこの時点で成立しません。もし、百歩譲って、水分子が摩擦したら、水分子の「中」に熱が発生するんでしょうか?いえいえ、水分子の中は、電子が走っていますが、その電子のエネルギーレベルが高くなる、というようなことは、マイクロ波レベルではありません。
 じゃあ、何が起こっているのか?
 電子レンジのマイクロ波は「2450MHz」の電波です。1秒間に24億5000万回振動する電磁波です。
 このくらいの速さで電気と磁気の波が来ると、水分子集団が揺さぶられるのですね。ゆさぶられるということはマイクロ波のエネルギーが吸収されたということです。水分子が集団としてゆさぶられ、それはやがて集団をつくる個々の水分子の運動が激しくなるという形になっていきます。これが発熱ですね。氷では水分子ががっちり位置を固定していますから、分子集団を揺さぶることができない。で、マイクロ波のエネルギーが吸収できないのです。それで氷は電子レンジでは熱くなりにくいのです。表面の液体の水は分子集団が揺さぶられて熱くなります。この熱で間接的に氷がとかされていきます。

 広まった誤解ですが、どうか解いてください。

氷が張りました

0114ice1今朝の東京は冷えました。
0℃台でしょう。氷点下にはなっていないと思いますが。

庭の「小」池1の表面。

「小」池2も。
0114ice2 トンボの羽化用の棒から凍り初めて放射状に凍っていったようですね。

霜柱は立っていないかな、と少し歩き回ってみましたがありませんでした。
子らが小学生くらいの頃は、朝よく庭へ飛び出して行って、霜柱を踏み砕いて遊んでいたものですが。

車のワイパーがウィンドウに凍りついたり。キーの穴が氷でふさがれてお湯かけたり。
水道が凍るというので、風呂桶に一晩中、細~く水を流したり。
雨戸が凍りついて開けられなくなったり。
いろいろあったのですが、最近はそういうことはとんとなくなりました。
都会の温暖化でしょう。地球の温暖化かどうかは不明です。

2010年1月13日 (水)

明日という字は・・・

今日、2010年1月13日まで、東京での日の出は6時51分でした。
一年間で一番日の出が遅い期間の最後の日。
明日、1月14日の日の出は、6時50分です。
これからは、朝がだんだん早くなります。
日脚の方はもうずいぶん伸びてきましたね。

明日は朝が1分早く明るくなります。
明日という字は明るい日と書くのね♪
(古い。この歌、知らない人の方が多いのかなぁ)

ついでに、年間の気温の底は(東京で)
   最高気温:1月29日~2月2日で9.3℃
   最低気温:1月25日~2月2日で1.7℃
です。
立春は2月4日。

もうすぐ、「春が立ち」ます。

天国

2010.1.11付 朝日俳壇より
天国と思ふ布団の中にゐる:(北海道)高橋とも子

冬の私は「みのむし」。
ひたすらにくるまって、みのむし。
もうすぐ、年間の気温の「底」に入ります。
じっと、耐えるしかないですね。

寒さ

2010.1.11付 朝日俳壇より
待つと言ふことの寒さでありしかな:(福知山市)松山ひとし
 稲畑汀子 評:何か待たねばならない作者である。何か分からないが待つということに寒さが余計につのるのである。

同義反復(トートロジー)は何も新しいものを生みません。
なくもがなの評ですね。

「待つ」という受け身が、寒さのしみかたを加速する。待つ、という内向きの方向性が、体の内から寒さの浸透を外へはねかえす力を削いでしまう。
さむいですね。

冬薔薇

2010.1.11付 朝日俳壇より
散るといふことも力や冬薔薇:(吹田市)小井川和子
 稲畑汀子 評:寒い中で花を咲かせる冬の薔薇は蕾を持ってから開花するのに時間がかかる。またなかなか散らないのも力が要るのであろう。

よくわからないのですが、「散らないのも力が要る」と詠んでいるのですかこの句。
咲くには力が要る。これは、ごく当然。
でも、散るにも力が要るんだよ、と詠んでませんか、この句。
散ることもまた命の力の表れなのではないでしょうか。
寒さの中、咲き、散ることに命の力が「あらわれている」と詠んでいるのだと、私は思うのですが。

白才

2010.1.11付 朝日俳壇より
白才と書いて真顔の八百屋かな:(島原市)伊藤育子
 大串章 評:あるいは「百才」を暗示しているのかも知れないが、「真顔」と言ったところがおもしろい。

こういう宛字ってありますよ。「菜」の字がめんどくさかったんじゃないですか?
とても「百才」を暗示しているとは思えない。
しらっとした顔で妙な宛字を書いている。それが「真顔」。
妙な宛字を考えたな、と八百屋さんのご主人の顔を見つめてしまったのでしょ。

まぁ、よくあることです。

2010.1.11付 朝日俳壇より
鬱の日や金剛力の冬日嗅ぐ:(野洲市)鈴木幸江
 金子兜太 評:冬の太陽から力をいただいての心情だが、「嗅ぐ」とは貪欲。

「鬱」という字は書けません。
私は季節性の鬱ですが、冬の日の澄んだ青空、というようなのが苦手なんです。
とても「金剛力の冬日」とはいきません。冬日の金剛力に抑え込まれて動けなくなってしまうたちです。
何かしようと思っても、それがどうしたの?という内在的な問いが動き出してしまって金縛り。
誰かが、ひょいと後押ししてくれたら動けるのになぁ、と思いつつ、ひきこもり。
ですから、必要なことは「日常のルーティーン化」しておかないといけません。
これはいつもやることだから、となれば動けるんです。
いつもと違うことができないんです。
冬の晴れた青空。苦手なんだよなぁ。

福笑い

2010.1.11付 朝日俳壇より
福笑いとつても長い鼻の下:(長岡市)内山秀隆
 金子兜太 評:「長い鼻の下」つまり鼻下長。女色に迷いやすい男の福笑いとは更に目出たいのだが、どこかいかがわしい気分も。

金子氏の評は、それ自体が「作品」になってしまっているようで、評を読み解くことがまた難しい。
「どこかいかがわしい気分も」といわれても、よくわかりません。
なにが目出たいのかも、ぽかん。

「鼻の下が長い」という言い回しはよく知っています、もちろん。「はなの下が長い」から「チューリップ」なんていう冗談も。
で、語彙の少なさが露呈。「鼻下長」という言葉は知らなかったのです。告白します。

びか‐ちょう【鼻下長】 (鼻の下の長い者の意) 女にあまいこと。また、そういう人。女ずき。[広辞苑第五版]

はあ。

この福笑い、だれがやったんだろう?
この句の作者がやって、自分が作った顔をみたら「鼻の下が長かった」という句なんですか。

無患子

2010.1.11付 朝日歌壇より
無患子(むくろじ)の枝を透かせる木洩れ日を宿せる落ち葉のやさしさを踏む:(四万十市)島村宣暢

さくさくと音を立てる落葉。日のぬくもりを溜め込んだ落葉。あったかいですね。
我が家の裏手の落葉だまり。さっさっ、と人が歩くような音がする。変だな、とよく見れば、鳩が葉をひっくり返して虫を捜しながら歩いているのでした。
今年は、猫が日向ぼっこをするポイントにしていますので、鳩の足音は聞こえません。

ところで、「無患子」読めました?
私がたまに行くお医者さん。私より3つくらい年上で、私が理科教師だったことも知っている人なので、病気以外のことも話題になります。
この医院にけっこう絵手紙が寄せられていて、それを待合室に貼ってあるのですが、ある時「無患子」と書いた絵手紙があって、医者に、これ何て読むのか知らないか、と尋ねられたのですね。
患者がいなくなるような栄養たっぷりの実じゃない?(医者要らず、という果物もありましょ。)
国語の先生にひょっと聞いたら、それは「むくろじ」と、御託宣。
「むくろじ」?、あの羽根つきの羽根の黒いやつ?そう、あれ。
早速、辞書をコピーして医院へ届けたのでありました。

零余子は読めたんだけどなぁ。無患子は読めなかった私です。

ゆまり

2010.1.11付 朝日歌壇より
下腹に力を込めてゆまりする冬夜にあふぐ北斗七星:(川越市)小野長辰

ゆまり【尿】(「湯放ユマリ」の意) 小便。ゆばり。いばり。[広辞苑第五版]

男は年を取ると、必ず「長小便」になるのです。尿道が長いし、前立腺が必ず肥大して尿道を圧迫するし。
(女性の場合は逆で、尿道が短いので、くしゃみ程度の腹圧で尿漏れを起こしたりするようになるとか、聞いておりますが。)

若い時の排尿のような、「尿を切る」動作をしてしまうと、排尿終了になってしまって、残尿感を覚えたりするのです。仕方ないから、腹圧を高めて膀胱に圧力をかけて尿を出し切り、尿を切る動作は一回のみにする、というような工夫が必要になります。
これは、自分の体の加齢変化を観察・研究した成果です。すごいじいさんでしょ。

「下腹に力を込める」という表現は年齢の表現にもなっていると読みました。
読みこみ過ぎですか?

花眼

2010.1.11付 朝日歌壇より
老眼を花眼と呼ぶことうれしくて聖書の小さき活字を辿る:(横浜市)飯島幹也
 高野公彦 評:老眼を優雅に花眼(かがん)と呼ぶらしい。嬉しい言葉である。

中国語だそうですね、「花眼」というのは。
優しいイメージでよい言葉ですが。

どうして「老眼」じゃいけないのかが分からない偏屈かかしです。
30代の終わり頃でしょうか。グラフ用紙に点をうつことが辛くなってきた。1mm方眼にピントが合うのに時間がかかるようになったのですね。
飛んでくる蚊が叩きにくくなってきた。ピントを遠くへ移すのはできるのに、遠くから近くへ移すことに時間がかかるようになってきた。
自分の体の加齢変化などを観察するのは、タダだし、責任もなくって楽しいですからして、自分に起こる「老眼」という変化もずっと観察してきました。
年を取る、当たり前のことなのに、なんで「老」という字は嫌なのだろう?
私には全然理解のできないことです。
頑固な老人でありますことよ。

2010.1.11付 朝日歌壇より
どこからも音のしない日黒猫の金目銀目のキラリと光る:(神戸市)西塚洋子

開けたなら閉めて出てゆけわが猫よこごと言いつつ年暮れ果つる:(豊中市)玉城和子

猫と暮らしております。どちらかというと、下の歌の方が我が家風。
神秘性とか眼光鋭く、とかいうこととは余り関係のない顔つきの猫たちです。
人の心をあたためもみほぐすことを仕事にしております。
こころマッサージ師としての腕はなかなかのものです。プロですね。

渋面

2010.1.11付 朝日歌壇より
渋滞の我が渋面を後続の運転席の顔で悟れり:(東京都)佐藤利栄

車を運転していると、これはよくあります。
バックミラーには後続車の運転者の顔や表情がかなりはっきりと見えます。
いかん、自分の顔が前の車から見られてるんだ、とハッと思うことはよくあります。
いい加減な顔して、弛緩した表情で、おおあくびしていたり、恥ずかしいですよねぇ。

私はあまり渋面を作る人ではありません。なにせ、額に縦じわというものがよらず、横じわしかよらないタコ親父ですので。
弛んだ顔しかできません。だらしないなぁ。

胎動

2010.1.11付 朝日歌壇より
数時間前まで胎動だつたものリアルになりて我を蹴りをる:(東京都)黒河内葉子
佐々木信綱氏の選です。

この歌自体は、すごい「発見」の歌であり、女性にしか詠えない歌として、非常に優れたものです。
ただ、朝日歌壇の選考の過程でなんだか「とどこおり」があったのではありませんか?

先週、1月4日付けの朝日歌壇で
高野公彦氏が同じ作者の
嬰児(みどりご)を初めてぎゅっと抱きしめるこの蠢きが胎動の正体
という歌を選び評もつけておられる。

高野公彦 評:出産直後の歌。体内にあった命を、じかに抱き締める若き母の感動が素直に伝わってくる。

私もこのブログで取り上げました。
同じ題材の歌が何回にも分けて投稿されたとはちょっと思いにくいのですが・・・。
先週、選ぶことを忘れて今週追加で取り上げたのでしょうか。

何となく、不手際を感じてしまうのでした。

真っすぐな人生

2010.1.11付 朝日歌壇より
真っすぐに来た人生ではなかったと庭に来し鵯鋭く鳴きぬ:(佐世保市)近藤福代

「真っすぐに来た人生」などというものを生きた人が果たしているのでしょうか?
いわゆる「成功者」?
成功した、ということ自体が「曲折」かもしれませんよ。真っすぐだったら成功者じゃなかったかも。

偶然の積み重ねの中で、なんとなくある軸の周りをぐるぐると生きていく、というのが人生の実態じゃないですか?

私は人生の最初のところでこけてしまったのですからして、真っすぐな人生を歩んだつもりはありません。でも、これでいいのです。これが私の意志が欲した人生であった、と自信を持って言い切れます。

意志は保持してきました。

自死

2010.1.11付 朝日歌壇より
自死防ぐ討論会は何一つ結論は出ずに静かに終わる:(塩尻市)百瀬亨
 馬場あき子 評:「自死」の問題への注目も結論なしの情景を「静かに終わる」ととらえて今日を生きる人々の深淵のような心の深みをのぞかせた。

人は、目の前に理由のないものがあることに耐えられません。必ず何かの理由が欲しい。
因果関係やストーリーが欲しい。
むき出しの「死」をつきつけられると不安に駆られ、理由を欲します。マスコミの自殺報道でも必ず、取ってつけたような「理由」を付けておかないと、受け入れられないようですね。

「死」という非日常がむき出しのまま「生」という日常に侵入してくることが怖いのです。
実は、死が非日常だというのも錯覚でしょう。死は日常的なものです。

私の目から見れば「自死を防ぐ討論会」などというものに、結論などそうそう出るわけがない。結論が出る方がおかしい、変だ。結論なんか出なくってよかったですね、と申し上げたいとお思います。

洗牌

恋する大人の短歌教室(2010/01/04)
{応募作}
洗牌でかたかた触れるきみの手は あのこのてのひら温める手:東京 松本紗知

 麻雀を題材にした短歌とは、珍しい。洗牌はシーパイと読むようですが、要するに牌をかきまぜることだそうです。お正月ですから、帰郷した家族やめったに会えない友達と楽しんだところだ、という読者もいるかもしれませんね。しかし、この歌の作者は、楽しむどころではない様子。ひそかに心を寄せる男性が加わっているのに、彼が愛しているのは別の女性だと分かっている以上、洗牌のときに手が触れ合っても、少しも嬉しくありません。「あのこ」というのはその男性の子供なのかもしれませんが、ともかく、切ない心情が涙ぐましい一首です。
 「かたかた触れる」という表現は、いささかぎこちないですね。当たり前な表現に近づけましょう。「てのひら」を「温める」というのも考えてみればちょっと変ですし、第五句の字足らずも気になりますので、状況を推測しながら、下の句にも手を入れておきました。洗牌のような特殊な単語、読みの難しい言葉には、ルビを振っておくのが親切です。(石井辰彦)

{添削後}
洗牌(シーパイ)でこつこつ当たるきみの手はいつもはあの子の手を温める

◆いつものことながら、添削によって「散文」化してしまいました。
文中の下線は私が入れたものですが、どこか的を外していますね。

「「かたかた触れる」という表現は、いささかぎこちない」ですか?
この歌の情景は麻雀です。「かたかた」というのは牌がぶつかり合う音を表現し、その際の手の接触を表現するのに、ふさわしい表現だと、私は思います。

「「てのひら」を「温める」というのも考えてみればちょっと変」ですか?
「手を握る」という行為は「掌と掌が合わさる」行為ではないのですか?
温もりを感じ、温もりを伝えるのは「てのひら」でしょ?

「字足らずも気になります」というのはいつもの石井氏の主張。
声に出して読んでみてほしいのです。リズムが崩れますか?そんなことはないと思いますが。
初心の者は「型を大切にする」ことが大事だということなのでしょう。大家は自在に字数を操ってもいいのでしょう。
確かに「型」は大事なのでしょうが、歌が「芸事」ではなく、「芸術」であるならば、大切なのは型ではなく「なかみ」。
「なかみ」が型をあふれるのならば、それはそれでよいのだと思っています。
五行にわたって、リズムをもつ短詩でいいじゃないですか。

と、私は思うものです。
添削という行為は、常に平準化をもたらすのでしょうね。石井氏も辛い立場でしょう。でも敢えて異議を唱えます。
応募作がよい。

◆元旦の新聞に、朝日歌壇・俳壇の選者の方々の歌・句が掲載されました。

馬場あき子氏
   一番咲きの冬の情念まつかなる椿を剪りて年を祝はん
   破滅しさうな何かが胸の芯にあつて森が吐き出す無尽の木の葉

佐佐木幸綱氏
   走るとは傾くことだ 雨のなかをくぐるように行くわが「ゆりかもめ」
   寅どしの寅という字はつつしみの意味というつつしみつつ飲んでいる

金子兜太氏
   荒星(あらぼし)遊ぶ秩父連山戦さあるな

名だたる方々ですからね、何をどうやってもいいのでしょう。
「型」はどこへ行ったのでしょう?

1月7日に、角川俳句大賞を受ける相子さんが紹介されていました。
   北斎漫画ぽろぽろ人のこぼる秋
   阿修羅三面互ひ見えずよ寒の内

「型」は確かに大事です。でも、型がなかみを殺してはいけない。

◆EU大統領は「俳人」です。
「風はある残念ながら髪はない」EU大統領
 【ブリュッセル=尾関航也】俳句好きで知られる欧州連合(EU)のヘルマン・ファンロンパイ欧州理事会常任議長(EU大統領)(62)の句集を出版する構想が浮上している。
 ベルギー出身の詩人ジェルマン・ドローゲンブロート氏が発起人で、欧州と日本での俳壇デビューを本人に働きかけている。
 「髪に風 何年たっても風はある 残念ながら髪はない」(本紙訳) 
 「ハエが飛ぶ うなる 回る 部屋をさまよう 誰にも害は与えない」(同)
 ファンロンパイ氏の句は、独特の哀愁とユーモアを特徴とする。ベルギー首相在任中を含め約5年間にわたり個人ブログに作品を書きつづり、現在も毎月3句前後のペースで創作を続けている。
 昨年11月にEU大統領に選出された後は米紙ウォール・ストリート・ジャーナルで作品が紹介され、俳人としても脚光を浴びた。欧州では「ハイク・ヘルマン」の異名が定着しつつある。
 句集は原語のオランダ語に英訳や和訳を付け、日欧で売り出す計画だ。出版の打診に対し本人は未回答だが、ドローゲンブロート氏は「EU大統領のおかげで短詩という表現手法に関心が高まっている。世界中で詩歌愛好者を増やすチャンス」と意気込んでいる。
(2010年1月11日02時14分  読売新聞)

朝日新聞ではこう訳していました。
風に揺れる髪/数年たって風はまだ吹いている/しかしもはや髪はない悲しさよ
港を目指し/三つの波/今押し寄せた」と3国の結束を示す自作の俳句も詠んだそうです。

★さて、俳句とは何でしょう?短歌とは何でしょう?

2010年1月12日 (火)

大晦日:2

1231oomisoka9ツマグロオオヨコバイなんですが、実はこれ、もうこのヤツデの茎につかまっているのが精いっぱいなんです。もう吸汁しているようには見えません。

1月に入ってからはツマグロオオヨコバイは見かけなくなりました。
この時がほぼ最後でした。

1231oomisoka10
ヒメシロモンドクガの幼虫。
くっついていたゼニアオイの茎が倒れてから見かけなくなりました。どうしたでしょう。蛹になれたかどうか、わかりません。
1231oomisoka11
ナツミカン。
大分熟してきました。
2月頃になったら、取り入れて食べます。完全「有機無農薬」ですので、安心してマーマレードも作れます。一年分できてしまう。
夏場はアゲハたちの食草として活躍してもらうので、薬は一切使いません。でも、毎年、私たちにもおすそわけが来るんです。楽しいですね。
1231oomisoka12
スイセン。
線路際の柵の下。
お日さまの方を向いています。
なかなか、こっちを向いてくれません。
きれいな花ですね。清楚で静か。心が休まります。
1231oomisoka13
見上げれば飛行機。
羽田を離陸した飛行機です。
昔は、羽田へ飛行機の離着陸を見に子どもらと行ったものです。
よくまああんな重いものが飛ぶものだ、と思いますよ、実際。
そして、よくまあ「尻もち」をつかないものだという角度で離陸するんですよね。思い出しました。
1231oomisoka14
名前を知らない「ヨコバイ」or「ウンカ」。
3mmくらいの小さな体。
元気でなぁ~。

1231oomisoka15
2009年の写真の締めくくりは椿。
蕾がやたらといっぱいあるんです。
こんなに咲いていいのかなぁ。
私の主義で、生き方に介入はしません。
咲ける時には咲けばよい、咲けない時には休むがよい。
生きる力のある限り、精一杯生きてください。

大晦日:1

1231oomisoka12009年の大晦日の記録。

先ずはキンカンです。
大分色づいてきました。もうちょっと熟してから食べたいのですが、気の早いとりが、つついてしまって。しょうがないですけどね。食べ物が少ないのだから。
1231oomisoka2
コダカラソウの蕾が少しずつふくらんできています。
まだ「咲いた」というところまでは来ていません。
春までゆっくり成長するのでしょう。

1231oomisoka3
シャコバサボテンの花がそろそろ咲き終わりに差しかかっています。
去年は鳥がこの花をちぎってしまって大変でしたが、今年はそんなこともなく、無事過ごしてきました。

1231oomisoka4
ジョロウグモ。
じっとしたままです。
でも生きています。
寒くて代謝が落ちていますから、逆に生き伸びているのかもしれません。
いつまでこうしているのか、見届けたいと思っています。
凍ることはないはずですが、さむいでしょうねぇ。
我々のような恒温動物は、凍死する前に低温死してしまいます。
常にエネルギーを消費し続ける、アイドリングストップの利かない動物の宿命です。
1231oomisoka5
センリョウの実も大分鳥に啄ばまれました。
そのうちみんなつつかれてしまうのかな。
それでもずいぶん長く実が残っています。玄関脇のアクセントです。
1231oomisoka6
イヌホウズキ。
このちょっと大きな赤い丸い実が楽しいですね。
大好きな植物です。

1231oomisoka7
ナンテンもしぶとく実をつけています。
こんなに長く見られるのは初めてかと思います。
別の株の方は鳥に全部実を食べられました。
こちらはまだこんな具合。
1231oomisoka8
チロリアンランプ。
今シーズンはまだ咲きつづけそうですよ、
ベランダに置いてあった時はすぐ鼻の時期は終わってしまいましたのに、鉢のまま門柱の脇の日当たりのよいところに置いたらずっと咲きつづけています。
楽しいですね。
いつまで咲きつづけてくれるのかな?

ツマグロキンバエ

1230tumagurokinbaeツマグロキンバエがまだ活動しています。
12月30日。

この眼、この口、独特でしょ。
定点観測ということで、繰り返し何度も同じ動物が登場します。
2009年には12月30日までツマグロキンバエが活動していた、という記録・報告として受け止めてください。

12月30日

1230manekineko旧年中の積み残し、やっと12月30日にきましたゾ。
「一日飾りはいけない」とかいうことで、この日、お鏡を供えました。
ま、別に何にも気にしているわけではないのですが、例年のことだから。

お鏡は本物の餅じゃないんです。結婚して間もなくの正月に、本物の餅の「面倒さ」を嫌って、素焼きの餅をデパートで買ったのです。30年以上も昔。もう、この素焼きの餅も年季が入ってきました。でも、ちょっと恥ずかしいから写真はお目にかけません。

(昔、少年時代から独身時代、母から鏡開きになると、お鏡を細かくする仕事をやらされました。金槌、げんのう、鑿、なた・・・破壊的道具立てでカビた餅を砕きましたっけ。で、カビを削ぎ落して食べちゃうんですから。今では想像できないかもしれませんね。)

お鏡の周辺をお目にかけます。
1230neko_kaeru 猫とカエルがご挨拶。
来年もよろしく、と。

1230nekokouro 左はガラスの線香立て。
右は陶器の香炉。

猫だらけですねぇ。

真打は
1230tora トラ。
障害者の授産施設の商品を扱う店がありまして、毎年、干支の置物をここで買います。
ことしは、この他に、手織りのマフラーなども買いました。あたたかいですよ。

鳥の糞

1230hunサザンカの話を書いていたと思ったら、鳥さんのウンチの話になってしまった。落差が大きいなぁ、とお感じになるかもしれません。
でも、私の中では同じ次元なんです。生きることのある「断面」なのです。
ウンチだって美しい。生きて活動する動物「みんなウンチ」をするんです。これはとっても大事な事実です。ヒトもね。

といったものの、この写真、真っ白ですね。
鳥の場合「総排出口」から全部出します。卵もね。(昔はね鶏卵の殻にウンチがついていたこともあるんですよ。いまじゃそういう卵は買ってもらえないだろうなぁ。)
真っ白ということは、この糞の大部分が尿酸ということですね。種も見えないし、黒い部分もないし。
ということは、形態的には「うんち」ですが、内容的にはこれは「おしっこ」ですね。

◆別件:こんなものを見てしまいました。
0111menu
「ラ」の上の棒は水平で横長のほうがいいと、私は思いま~す。でないと誤解されま~す。私のように。

サザンカ

1229sazanka2009.12.29撮影。

サザンカの花の後なんですが、ちょうど木漏れ日を受けて輝いていました。
まわりは日陰で、ここだけ明るくって。
美しい光景でした。
花も美しいですが、命の輝きが美しいのだと思います。

「花屋」の東信さんがこんなことを書いていらっしゃいました。2010/01/07付朝日新聞から部分引用します。

・・・
だが、蕾(つぼみ)が開き、五分咲き、八分咲き、満開、そして散って朽ちてゆく、そんな日々変化しながら短い命を全うしていく花の姿は、一瞬一瞬奏でては消える音楽にもどこか似ているようで、そのおもしろさにだんだんとひかれていった。
 切り花を扱う花屋は“殺して生かす”ことが生業だ。もともと野に咲いているだけで十分美しいものを根から引っこ抜いて(いわば“殺して”)、それを自分の手で“生かして”お客さんの手に渡す。花は再び多くの人の目に触れられ、そして終わる。人の手を加えるからには、本来の価値以上のものを生み出さなければいけないと思う。花一本一本、葉一枚一枚の命を背負う覚悟を持って、仕事をする。それは私にとっては365日ほぼ休みもなく、ただひたすら花と向き合うということだ。花屋を始めてから約10年、ずっとそんな思いとともに走り続けている。
・・・

この方は「信頼」出来る方だな、と感じます。花を単なる色と香りの「素材」として見ているのではない。花の生きる姿に寄り添っておられる。
すてきな方ですね。

マツボックリ

1229matu12009.12.29撮影。
引っ越して行かれる方が預けて行かれた松の鉢植え。
特に手入れはしていませんが、じっくり成長しています。
小さな松ぼっくり。
成長するのに時間がかかるんですねぇ。
そもそも、その前の授粉の過程がすごい。
生物を教えたものとして、一応被子植物の授粉受精はそれなりに知っている。
裸子植物のイチョウの精子、くらいもまあそれなりに知っている。
そのくらいは一応常識として。
マツは知りませんでした。授業づくりのためにいろいろ植物関係の文献など読みあさっていたら、授粉から受精まで「1年」かかるのだそうです。授粉して1年後に花粉管を伸ばして精細胞を放出して受精に至る、とありました。

◆東芝のサイトの「ゑれきてる」から引用します。
http://www.toshiba.co.jp/elekitel/nature/2009/nt_91_krmt.htm

 クロマツは4~5月に開花し、4月下旬~5月中旬にかけて受粉が行われる。花粉は胚珠(はいしゅ)の珠孔(しゅこう)から入り、受粉液で誘導され、珠心上部の花粉室に達し発芽する。花粉管細胞は花粉管の先端に移行して、この状態で1年間休眠する。花粉はひと冬越した翌春3月から伸長し始め、6月中旬に受精が行われる。
 受精卵はその後、連続して分裂を続け、胚となる。胚が成長して秋に成熟種子となる。花粉管細胞が1年間休眠する理由についてはいろいろな説があるが、雌が受精できるまでに長い時間が必要であるとする説が有力である。

ついでにイチョウも
http://www.toshiba.co.jp/elekitel/nature/2004/nt_32_icho.htm

 イチョウの花粉は、雄花から風で運ばれ、雌の木の雌花の先に分布される粘液に付着する。普通の植物では、付着した花粉は花粉管を伸ばして、精核が卵細胞に到達し、受精がおこる。
 イチョウの場合、胚珠に取り込まれた花粉は胚珠の上部にある花粉室の中で4ヶ月間、そのままで維持される。その間に花粉を閉じ込めた胚珠は直径約2センチほどの種子に成長する。花粉室の花粉は、2個の精子をつくり、10月の初め精子が花粉室の液体の中を泳いで、造卵器に入り、受精が起こる。4月の受粉から、9月の受精を経て、種子が成熟し、翌年春の発芽まで14ヶ月かかる。

不思議なものでしょ。マツボックリやギンナンをみましたら、こういう時間をかけて出来上がったものだということも思い出してください。

クロスジホソサジヨコバイ

1229kurosujihososajiyokobai去年もお目にかけました。
今年は見ないなぁ、と思っていたら現れました。
ビヨウヤナギの葉の上。2009.12.29の撮影。

写真左側が頭です。目はめだちませんが分かると思います。
翅の先端の方にくっきり黒い「目模様」があって、一見すると逆向きに見えます。
5mm程度の小さな虫なんですが、この前後逆転「擬態」が敵からの攻撃(その第一撃でしょうか)をかわすことに役立つらしいのです。どっちへ飛び去るかの見込みが変わってしまうということでしょうか。ほんとかなぁ。
この虫の消え方を「音」で表現すると「プチッ」と消えます。消えたらもうどこへ行ったか見失います。
なかなか、可愛い虫ですよ。

カゲロウの仲間

1229kagerouまだ「旧年中」なんですよ。
2009.12.29の撮影。
カゲロウの仲間であることは確かですが、種は分かりません。
ビヨウヤナギの葉の上です。ここは袋小路のどんづまりのところで、昼ごろの日射しがたっぷり。虫たちのの日向ぼっこスポットです。
水辺の昆虫でしょうに、どこからきたのかなぁ。
我が家の「池」は正直なところ小さな「水たまり」ですから、「清流」ではありません。
六郷用水跡の水路か、多摩川から来るんでしょうね。しかも、冬に。
御無事で。

(また)二十四節気

2010年1月 4日 (月)付で「二十四節気」という記事を書きました。↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-c386.html
ここでは、各節気の長さを単純に「日」単位で求めた表をお目にかけました。
その後、そうだ理科年表には時分で書いてあるんだったっけ、と思い出し、ちゃんと求めてみようと思い立ちました。
24sekki_table
これがその表です。
ちょっと注意がいるのは
小寒の右端の「14.72361」は2009年の冬至からの長さです。
そうして、大寒の右端の「14.72152778」というのは、2010年1月5日の小寒から1月20日の大寒までの長さです。
このように、前の節気からの長さが書きこまれています。
表で引き算が簡単にできるように、日・時・分を、時は24で割り、分は1440で割って、「日」単位にして計算しました。もし復元したければ、小数点以下の端数を24倍すれば整数部分に「時」が出てきます。その小数点以下の端数に60をかければ、整数部分に「分」が出てきます。
 さて、この表をつくってから、これをグラフにしてみました。びっくり!しました。
24sekki
こうなんです。
このグラフを見る時も注意してください。
横軸の節気の名前の上にグラフの点がきますが、これは前の節気からその節気までの長さです。
こう見事な曲線になるとは思っていなかった。
夏至から小暑までが一番長くっていますね。小寒から大寒まであたりが一番短い。
ということは、地球は、夏至の頃に太陽から一番遠く、小寒のあたりで一番太陽に近い、ということです。
地球の描く楕円軌道で、太陽から遠い時が公転速度が遅く、近い時は公転速度が速い、ということなのです。
やってみるものですねぇ、びっくりしました。

ウィキペディアから引用します。(太字は筆者による)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83

・・・
地球の赤道面は、公転面に対して23度26分傾いている。この傾きは自転軸の傾きでもある。季節変化の主な要因として軌道離心率と自転軸の傾きが考えられるが、地球の場合、自転軸の傾きが効いている。軌道離心率が0.0167ということは、太陽に最も接近したとき(近日点通過)と太陽から最も遠ざかったとき(遠日点通過)で、太陽約3個分距離が違うことを意味している(0.01天文単位が太陽直径程度である)。光量に直すと約7%の変動ということになるが、これよりも自転軸の傾斜を原因とする太陽高度の変化(光が差し込む角度)と日照時間が効くのである。太陽に最も接近するのは1月2日前後、最も離れるのは7月2日前後である。離心率や自転軸の傾斜は、木星などの引力の影響により数万年周期で変動している(ミランコビッチ・サイクルを参照)。
・・・

やっぱりねぇ。
直観には反するかもしれませんね。でも、これが真実。
天文を専門にする方には当たり前の話だったのかもしれませんが、私は知りませんでした。二十四節気から始めて、論理を追って行ったらこうなった。こういう面白さが理科の楽しみなんですね。

エスカレーター

◆2009年12月21日 (月)で「合理的配慮」という記事を書きました。↓ここです
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-bf03.html

 私は大田区の南で朝日新聞を読んでいますが、その販売店が新聞を届けている地区限定のローカル紙「我が街 かわら版」というのを作っていて、時々新聞と一緒に配達されます。
 この「我が街 かわら版」の7月号にこんな記事があったのです。

 ’エスカレーターは歩かないで二人乗り’キャンペーン
 蒲田駅のエレベーター設置など、ひとにやさしいまちづくりを進めてきたグループのあたらしい呼びかけ。
 エスカレーターの右側を、歩いて上がるのはやめて、お年寄り、小さい子ども、介助の必要なひとと並んで乗れるようにしましょうというキャンペーン。
 そして、歩いて上がる人がいなければ右側の手すりしか使えない人も乗ることができるようになります。こうしたマナーの理解を、ラップとチアガールによるイベントで広く人々に呼びかけるイベントを開催。
 日時:7月20日(月・海の日)pm4時~5時
 場所:蒲田駅西口駅前広場
 主催者:ひとにやさしいまちづくりを進める大田区民の会

 面白いでしょ。「おお、こういうことを主張する方がいらっしゃったか。なんと嬉しいことだろう」と、このイベントに行きたいなとも思ったのですが、結局行かずじまいで、この記事のこともほとんど忘れていました。
 そうしたら、今年に入ってこの「我が街 かわら版」の「傍楽人(はたらくひと)」というコーナーに、上のキャンペーンの呼びかけ人の方が紹介されました。宮澤さんとおっしゃいます。
 そこから引用します。(太字は引用者による)

「我が街 かわら版」(2010年1月)
 ・・・
 「ひとにやさしいまちづくりを進める大田区民の会」と長い名前の市民団体がある。その会が、今取り組んでいるのは、エスカレーターを歩いて上り下りするのをやめましょう、二人並んで乗れるようにしましょうという運動だ。
 本来歩くものではないエスカレーターの片側を、歩く人のためにあけるというマナーはいつごろから始まったのだろうか。時折右側は上までずっと空いているのに、左は乗り口まで長い列という奇妙な光景を見る。そしてそれは、左側に麻痺があり、右側のベルトにつかまる必要のある人、子供と一緒に乗るお母さん、白杖を使う視覚障害者、介助者と共に乗る高齢者にとって、エスカレーター使用のひとつのバリアとなっている。それに気付かされたのは、この会のキャンペーンのイベントを見たときだった。かわら版でも紹介したのでご記憶のある方もあるかもしれない。
 ・・・
 その後、車椅子の人も蒲田駅の東西間の通行が可能なように、エレベーターを設置すること、東口の車道と歩道の段差を5ミリとし、車椅子やベビーカーの通行と、段差が必要な視覚障害者双方に便利にするなど様々な町の改善に取り組んできた。
 ・・・
 今「エスカレーターは歩かないで二人乗り」キャンペーンに宮澤さんは、持ち前の負けん気と粘りで取り組んでいる。エスカレーター二人乗りマナーが大田区発で全国に広がるのも夢ではないかもしれない。

 「合理的配慮」というと、自治体や会社やそういう組織が行うもので、個人には関わりがない、と考える方もいらっしゃるかと思います。でも、エスカレーターの片側乗りをやめて誰でも乗れるようにする、ということの出発点は、個人の心の配り方から発することができるのではないでしょうか。
 私自身も、エスカレーターは便利な道具として使っていましたが、右手でベルトにつかまるのが安心なのです。動いている板と止まっている床の間を移動しなければならないので、どうしても右手でつかまりたいのです。頑張れば、左手でつかまっていても乗り降りできますけれど、強い緊張を強いられるのです。この片側乗りが普及してしまってからは、エスカレーターが面倒くさくなり、エレベーターを使うことの方が多くなりました。そのエスカレーターも、便利だからと、元気な人たちに乗っ取られそうです。つらいなぁ。

◆私のホームページ「案山子庵雑記」の「くえびこ」でもこのエスカレーターの片側乗りについて扱ったことがあります。ぜひご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/Barrier.htm
「バリアを低くしてください」
 これは2006年に書いたものです。

◆同じく2006年の朝日新聞の「声」という読者投稿欄にはこんなことも載っていました。

[声]駅の動く階段 速すぎて不安(2006/6/27)
 主婦(53歳)
 6月下旬、JR総武線の西船橋駅で電車を降り、昇りのエスカレーターに1歩踏み出した途端、体がフラッとしました。
 一瞬、めまいかと思い慌ててベルトを握る手に力を入れました。間もなく「このエスカレーターは通常より速度が速くなっています」というアナウンスが流れてきました。
 下肢に軽い障害を持つ私は、うまく降りられるだろうかという不安のうちに2階に到着しました。全力を振り絞ってエスカレーターから飛び降り、人の迷惑にならないよう、即座にその場を離れました
 この駅は乗り換える客が多く、電車が到着する度に大勢の人でごった返し、エスカレーターの手前には長蛇の列ができます。混雑緩和のための対策だとは思いますが、名案とは思えません。これでは老人や身体障害者は利用できません
 便利さと危険は隣り合わせです。2年余り前に起きた自動回転ドアの事故や、最近起きたエレベーター事故などに次ぐ惨事にならないことを祈るばかりです。

 これはひどすぎます。エスカレーターのスピードは歩く速さと同じに設定するのが基本でしょう。でないと、健常な方だって乗降にタイミングを取る必要が出てきます。失敗すれば「将棋倒し=ドミノ倒し」が起きてしまいます。
 輸送力を増したいのなら、「只今の時間、お客様の数が多いので、エスカレーターには二人並んでお乗りください。輸送力が2倍になります」とアナウンスして、並んで乗ることを強く勧めるべきですよ。そうすりゃ、輸送力は増える。片側乗りでは輸送力が半減ですからね。

◆こんな投書もありました。

[声]右に立てたら 転ばないのに(20008/12/5)
 無職(73)
 羽田空港の長い下りエスカレーターでのこと。私は足が悪くて右手につえをついています。空けている右側を5,6人が続けて追い越していきました。邪魔になってはいけないと、私はつえを両足の中間に持ちました。
 体とつえの間隔が狭いと、つえに力を込めづらくなります。このためベルトを摑む左手の位置を変えにくくなりました。
 終点近くになるにつれ、とうとう体のバランスを崩した私は仰向けに倒れてしまいました。
 後ろの女性が大声で前の方たちに告げてくれ、前後から助けられ、私は右ひじの擦り傷だけで事なきを得ました。けれども、エスカレーターの右側を空けずに立つことができていれば、そもそもこんなことは起こらなかったのです
 いったい、片側を急ぎ足で上下するのと、複数並列で自然の速度にゆだねるのと、どれだけの差があるのでしょうか。
 片側を空ける習慣は定着しているため今更無理かとも思いますが、助けていただいた方々に顛末を報告しておきたくもあり投稿した次第です。

 私もこの方に似た状況と言えます。いったんバランスを崩すと、回復するのがとても難しいのです。
 エスカレーターではありませんが、お寺の石段でバランスを崩し落ちました。たった1段ですけれど、バランスが回復できず、右足をひねり、大事な右ひざがだめになり、2ヶ月くらい歩行不能になったことがあります。もし、エスカレーターのような動く階段でこれをやったら、将棋倒し事件になっていたかもしれません。こわいことです。

◆ついこの間の「声」の「若い世代」という特集です。

[声]都会の人はなぜ急ぎすぎるの(2010/1/10)
 大学生(20)
 JR三鷹駅で上りのエスカレーターに乗った時のこと。男性が前に立ちふさがり、後ろの私と知人は進めませんでした。いら立った知人はエスカレーターを降りた途端「空気が読めない人、大嫌い」とポツリ。
 知人は、片側は歩くという「ルール」から外れていると言いたかったのでしょう。しかし、私はこう考えました。男性はそのルールを知らないか、エスカレーターは歩行禁止という本来のルールを守っているか、あるいは身体に障害があって利き手側のベルトに捕まっているのが楽なのでは、と。
 先々月には、吉祥寺駅を腰痛のためゆっくり歩いていたら、男性に舌打ちされ突き飛ばされました。別の日、女性が急いで電車に乗ろうとドアに手を挟んだ直後、電車が発車し十数メートル進んで緊急停止する場面にも出くわしました。
 都会の人はなぜ、そこまで急ぐのですか。様々な人がそれぞれの速度で暮らす世の中。「自分が常識だ」と他者を尊重しない人を見ると、悲しい気持ちになります。

 この方のように、心を相手の側へと「遣る」ことで、相手の状況や心を思いはかることが「思い・遣る」=「おもいやり」だと思います。
 いろいろなひとがいて、いろいろな生き方がある、それを受け入れることが差別をなくすことだとおもうのです。

◆こんな方がいる一方で、哀しいこともあるのです。

[声]エスカレーターで「通せんぼ」(2009/7/26)
 高校生(18)
 都会ではエスカレーターに乗るとき、片側に寄るのがマナーになっている。急ぐ人が空いている側を歩けるようにだ。電車で通学している私は毎日、そうした駅のエスカレーターを利用している。
 ある日の朝、私は学校に遅刻しそうで急いでいた。そのため、ドンドンと鈍い音を響かせながら、エスカレーターを駆け下りた。
 と、目の前におじさんが立ちはだかった。私が下る音に気づいていないわけはなかいだろうに、明らかにド真ん中に立ちふさがっている。「すみません」と声をかけた。一瞬、振り向いた。が、結局、その人は下に着くまで、どこうとしなかった。
 常識のない人だとムッとした。ところが、そこで私の目に飛び込んできたのが「エスカレーターの上を歩かないでください」と書かれた看板だった。
 いったい、正しいのは私とおじさんのどちらなのだろう。いまやラッシュ時の常識として定着している「歩行搭乗」と、人と機械の安全に配慮した「静止搭乗」と。
 私としては、後者は、子連れやお年寄りが多い昼間に限るなど、区別してほしいと思うのだが。

 かなしいですね。「常識」「マナー」によりかからずに、自分自身の心で考えてみてほしいのです。
 「子連れやお年寄り(や障害者)は邪魔だ」と言っているのと同じですね。
 とても「合理的配慮」とは申しあげかねます。

◆「バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉の基本的な考え方は「誰にとっても便利で優しい街であること」だ。だから、元気な人でも使ってよいのだ、という論理を用いた方もおられます。
 それではバリアフリーどころか、バリア・アップになってしまうことに気づいておられない。
 やはり「合理的配慮」とはいえません。

 どちらが障害者なんですか?
 健常者がつくったバリア=障害にさまたげられている人のことを「障碍者」というのです。
 バリアを下げられるのはどなたですか?
 みんなで、バリアを低くしましょう。

◆偉そうなこといって、お前はバリアを作っていないのか?と問うてください。
 そうなんです、私もバリア・メーカーなんです。
 「差別されるものは差別しない」などということはまるっきりないんです。
 私もまた、別種のバリアをつくり構えているのだと思います。ですから、それを低くしなければならない、と思っています。
 自分は関係ない、と思いこまないでください。自分の「常識」をいつも壊してください。
 自分がよって立つ足元をほっくりかえしてしまいましょう。
 そこから出発しましょう。おだやかでゆるやかで、だれもがのびのび暮らせる社会をつくるために。

2010年1月 8日 (金)

白山神社にて

1229hakusan_hirataabu12月29日。
去年の今頃は、水の中のハナアブの幼虫がおもしろくて、観察していましたが、今年は動物の気配がほとんどありません。
ぶらぶらしていたら、葉の上に、幼虫。
これはヒラタアブの幼虫かな、と思います。成虫に翅があるので、神社以外のところから飛来して産卵できるので、多分、そうでしょう。
きれいに手入れされていますから、翅なしの昆虫は、ちょっと辛くなっています。土に潜って冬越しをしているものは春になれば出てくるでしょうが。
1229hakusan_ume
梅は蕾を準備していました。
この切り方が梅のためにはよいのかなぁ。
素人にはわかりません。
ま、花は咲いてくれそうです。
梅のタフネスを喜びたいと思います。

ネコハグモ

1228nekohagumo12月28日。
ネコハグモを発見。
写真中、白い矢印で指示しているのがネコハグモです。
周辺には、このクモが食べたのであろう昆虫がいっぱい残っています。
ハエの仲間が2ひきでしょうか。ユスリカみたいなのが1匹。ヨコバイなのかウンカなのかが1匹。
クモの体の大きさからすると、かなりの分量でしょう。
気温が低くて代謝スピードも落ちている今、おそらくはかなり満腹(かなぁ、わかんないけど)。
無事冬越しを。

鳥の糞

1228hun12月28日。

また鳥の糞。
今度のは、種がいっぱい。
赤茶色の種ですね。
実を丸呑みにして、果肉は消化して、消化できなかった種が排泄されたわけです。
この過程で、種の表面が消化酵素の作用を受けて発芽しやすくあるというタイプの種もあるようです。鳥に遠くへ運んでもらうと同時に、発芽しやすくしてもらっている、という戦術ですね。
哺乳類は歯で噛みつぶしますので、種の散布にはあまり貢献しませんね。

この種を見て、何の種なのかお分かりになる方はいらっしゃいますか?
私はどうも、だめです。教えてください。

クモの子

1227kumonokoビヨウヤナギの葉の上で発見。
種はわかりません。薄い緑色のきれいな幼体です。
単眼が面白い。
成体になると、3対が目立って、1対はよく分からなくなるのが多いのですが、これは4対とも同じ大きさで、きれいに並んでいます。
どんな世界を見ているんでしょうね。無事育ってほしいものです。

冬の芽

1227huyume_bougasi12月27日。
ボウガシの芽です。
独特の鱗状です。
植物の代謝速度は動物にくらべれば遅いのですが、寒くても着実に進行していきます。着々と春への準備が進んでいます。
1227huyume_kaede
こちらはカエデ。
枝の赤い色が特徴。
1227huyume_onigurumi
これはオニグルミ。
似てますが、よく見ると、それぞれに違う姿。

1227huyume_outou
これは桜桃。
またサクランボが食べられると嬉しいのですが。
どうなるかなぁ。
楽しみに見続けましょう。

ヒラタアブの幼虫

1227hirataabu12月27日。
ゼニアオイの花の中にヒラタアブの幼虫を発見。
部分的にしかピントが合っていません。
体の脇に、小さな白いアブラムシの殻がみえます。幼虫が食べたあとでしょうか。結構大きくなっていますので、一杯食べたのでしょう。
ただ、花は長持ちしません。閉じてしまいます。この幼虫の運動能力で、ちゃんと脱出して次のえさ場へ移動できるんでしょうね、心配になりますが、当然それはちゃんとしのいでいるのでしょう。

カタバミ・オニタビラコ

1225katabami12月25日。
カタバミの花が咲いていました。
正月に入ってからはもう、見かけません。
花を咲かせるのはこの辺がぎりぎりだったようです。

1225onitabirako
門柱の根もとのわずかの土に生えているオニタビラコ。
この場所、日当たりはいいんです。
で、小さな花を時々咲かせています。
しぶとく、頑張っています。
すごいですねぇ。励まされます。

ヨコバイでしょう

1224yokobai_n12月24日。
また出会ってしまいました。
ヨコバイの仲間だと思うんですが・・・。
ウンカなのかなぁ。
わからないのでした。お助けを・・・。ぜひ。

ヒメシロモンドクガ幼虫

1224himesiromondokuga12月24日。
ヒメシロモンドクガの派手派手しい幼虫がいました。
ゼニアオイの葉の上です。
この姿、一度覚えれば忘れませんね。
この後、大みそかまでは確認しています。ただ、その後、強い風でゼニアオイが倒れ、倒れたまま花は咲きつづけていますが、ヒメシロモンドクガの幼虫は確認できなくなりました。
どこかで蛹になったのでしょうか。

誰?

1224hati_n12月24日。
これねぇ、顔つきはハチですよねぇ。
小さいんです。2mmくらいですか。
ハエ目ではない。ハチ目だ。こんな大雑把なことでいいわけないよなぁ。

曲がった触覚、などから種、属などわかるでしょうか。よろしく。

チャコちゃん

1223tyako12月23日
どうも猫の写真を撮るというと正面からのショットになってしまいます。
この写真は、正面の姿はちょっと露出オーバーになっていて、お恥ずかしいのですが、車に写った横姿が見えます。
ふっくらした、感じが出ています。
素敵なお嬢様です。

1223hun12月23日。
パッと見、アゲハの若齢幼虫そっくりですね。
逆ですけどね。アゲハの幼虫の方が鳥の糞に擬態しているわけですが。
こうやってみると、まさしく「擬態」であることがはっきりわかります。

めっきり虫さんも減って、いろいろ写真ネタを求める「目つき」になっています。
鳥の糞も動物カテゴリーでいいでしょう。

糞のうち、白いのは「尿酸」の結晶です。たんぱく質からの老廃物としてアンモニアが生じますが、これは有毒なので、哺乳類では尿素という水に溶けやすい物質に変えて尿中に排泄します。
鳥では、アンモニアを尿酸という形の水に溶けにくい物質に変えて排出します。
卵という孤立した系の中では、水に溶けにくい形にした方がいい、のかな。
成鳥になっても、体を軽くしておくためには水を大量に保持することはできないので、固体にしてしまうのかな。そういう理由でしょう。

ヒラタアブ幼虫

1223hirataabu1ヒラタアブの幼虫です。
12月23日。
1223hirataabu2 全体のパターンとしては、あ、ヒラタアブの幼虫だ、とすぐ認識できるのですが、今もって、細い方が頭だよなぁ、と悩んでしまいます。

アブラムシを食べているところを目撃していませんし、口を確認していない、どうにも眼が見つからない、困ったもんだ。
細い方が頭です。で、間違っていないはずです。
ハエの蛆もそうですよね。

チョウの幼虫なら間違えることはないんだけどなぁ。

日食

元旦(望)に月食がありましたが、今度は日食で~す。

太陽、欠けたまま沈みます 15日、西日本で部分日食(2010年1月7日 朝日新聞)
 太陽が欠けたまま沈む部分日食が15日の夕方、西日本を中心に見られる。欠ける割合は名古屋で16%、大阪で25%程度。西ほど大きく、九州では半分以上になる。ただ、夕方とはいえ太陽を直接見ると目を痛める危険性があり、国立天文台は日食メガネなどを使うよう呼びかけている。
 欠け始めるのは、日没前の午後4時40分過ぎ。富山市や長野市、静岡市では日没時刻とほとんど同じで、高い山に登っても見えるかどうかはぎりぎりだ。これより西ほど日没時刻が遅くなるため、見やすくなる。中国やミャンマー(ビルマ)などでは太陽に月がすっぽり入って輪のように見える金環日食となり、日本からのツアーも企画されている。
 各地の詳しい見え方は、国立天文台の暦計算室のウェブサイト(http://www.nao.ac.jp/koyomi/koyomix/eclipsex_s.html)で調べられる。

というわけです。
で、月食の時、「朔には月食はない」という原理的なポイントに虚を衝かれてしまったので、意識的になっています。
2010年1月15日は、旧暦の「十二月『ついたち』」でして、当然のことながら「朔」です。
朔ですから、太陽‐月‐地球と並んで、月の影が地上に落ちる可能性があるというわけです。

東京は残念ながら月の影の外側になってしまうようです。西日本の方、晴れていましたらどうぞ、ご覧ください。

2010年1月 7日 (木)

アノラック

2010.1.4付 朝日俳壇より
九十の若さが佳けれアノラック:(京都市)飯村弘
 長谷川櫂 評:「九十の若さ」になるほどなあと感心する。常識では二十は若く、八十は老人だが、二十には二十の若さがあり、八十には八十の若さがある。

どうも、うまく批判しきれないんですが、長谷川氏の評はちょっとずれてるようなんですよね。
なんだかちがうんだよなぁ、という感覚がぬぐい去れないんです。困った。

さっそうとアノラックを着こなす。かっこいい。
それだけでいいでしょ。
アノラックが似合う「佳」人です。(この場合「美人」とか「女性」とかにとらわれないでください。)
「佳きかな、佳きかな」なんです。

どうも、書ききれてない。うずうずする。ごめんなさい。不完全なものをお目にかけました。

大根

2010.1.4付 朝日俳壇より
大根に引っ張られつつ大根抜く:(奈良市)吉田淳一

理科おじさんとして言いますと、これは作用・反作用の法則を実感しておられるという句ですな。
これは身も蓋もないことでごめんなさい。

大根の側からすれば「作者に引かれ」ていますが、作者の側からは「大根に引かれて」いるといのはすごい実感です。
「引けば引き返され、押せば押し返される」というのが作用・反作用の法則なのですから。

◆別件:テレビで列車と綱引きをする体験をした子が、「初めのうちすっごく重かったけど、動きだしたら軽くなった」とインタビューに答えていました。
これはすごい体験です。列車が動くまでは「静止摩擦」ですので、これは大きい。
いったん動き出して「動摩擦」になれば小さくなりますし、まして、車輪があるので「ころがり摩擦」なのですから、ものすごく力は小さくなるんですね。
こういう体験を一杯積んで理科を学ぶと、とっても簡単に理解できるんですよ。いい体験をしましたね。

車内観察中

2010.1.4付 朝日俳壇より
極月や赤ちゃん車内観察中:(東京都)矢野美与子

ベビーカーの中から、周囲の大人たちや窓の外の景色の流れや、いろいろ「研究」しますよね。かわいいったらありゃしない。
こういう途中で目があったりすると、これが楽しい。じいちゃんモード全開ですね。

社会的な役割としての「じいちゃん」「ばあちゃん」というものがあることをぜひ多くのじいちゃん・ばあちゃんに理解していただきたいものです。
私はじいちゃんと呼ばれる筋じゃないとか、そんな年じゃないとか、いわないのっ!
「じいちゃん」というのは社会的なお仕事なんです。

一徹

2010.1.4付 朝日俳壇より
一徹はもう通すまじちゃんちゃんこ:(大阪府)辻千緑
 稲畑汀子 評:一徹を返上してちゃんちゃんこを着る。

いや、私も年を重ねてはおりますが、男ですので、上野千鶴子さんがおっしゃる「『死ぬまで治らないと思うこともしばしば』と笑う『男というビョーキ』」からは免れないものと覚悟しておりますヨ、ハイ。

一徹を通してください。

上野さんによれば「それは弱音を吐けない男のオレ様的生き方を指す」のだそうです。
病院の待合室なんかでも、女性は互いにおしゃべりを楽しんでますが、男性はどうも、演説をぶつおじさんと、ハイハイと受け流すおじさんとに分裂しますね。

私は還暦を過ぎてから、「還暦ベスト」とかいって、赤いベストを買い込んで着てます。モンパルも赤。ピノも赤系。
一徹を通しながら、現役時代には縁遠かった赤を着るようになりました。
こういう一徹もあります。

手抜き

2010.1.4付 朝日俳壇より
合理化と称して手抜き年用意:(松本市)唐澤春城
 稲畑汀子 評:年ごとに年用意を簡単にする。因習にとらわれないで合理的に新年を迎えるのだ。それを手抜きと知って同調する作者の一家団欒である。

子育てのころはね、伝統的なものを教えるのも親の仕事だろうと、年中行事などいろいろやりましたが・・・。
生活の基本が夫婦という単位に戻ってしまった今、しないで済むことはしません。
一応、形だけはなんとなくやっているような、でも、もう、なにもしません。
いいじゃあないですか。縁起物でどうこういう年じゃなし。冥土の旅の一里塚に手をかけて、あ~くたびれたなぁ、あとどのくらい行かにゃあならんのかなぁ、とため息をつくのがせいぜいですから。

「因習にとらわれないで合理的に新年を迎える」という評はいただけませんなぁ。

いん‐しゅう【因習・因襲】古くから伝わっている風習。多く、時代に不適なものに非難の意をこめて用いる。「―になずむ」「―を打破する」[広辞苑第五版]

「因習」というのは「いかがなものか」。(この言い方、すっごくいやらしいですね)。
まあ、伝統的な年中行事なんですから「因習」とは言い難いでしょう。
やらないで済むものはやらない、夫婦のことですから、そこは互いに合意すればそれでいいんです。「合理的でしょ」なんていっても、それは言い訳なんです。それだけのこと。

寒い季節は早いところ過ぎ去ってくれますように、と願いながら、あたたかくのんびり年をこすのがよろしいでしょう。

宇宙は掌

2010.1.4付 朝日歌壇より
旅は勿論山歩きもできぬわれでも歌あれば宇宙は掌(てのひら):(加古川市)田中喜久子


身障者右マヒ杖歩行なんのその「進印(ススムジルシ)」の私ですから
「歩けよ」の亡夫の声きき外に出る哀しきまでに深き青空
ものかけぬは胸のふさがるここちしてキンモクセイのかおりをあびぬ
三秒だけ待って下さい履けるのです飛んできて靴を履かせないで
5時起床着がえるだけで一時間ときになみだす半身マヒは

田中さんの歌です。状況はお分かりになると思います。

鶴見和子さんは脳出血で倒れられた後に
「体が不自由になったことで、魂が自由になった」とおっしゃっていました。
また、こんな歌を詠んでおられます。

感受性の貧しかりしを嘆くなり倒れし前の我が身我が心

力仕事これにて終了これからは想像力を鍛えんと思う

手足萎えし身の不自由を挺子にして魂(こころ)自在に飛翔すらしき 

斃(たお)れしのち元(はじ)まる宇宙耀(かが)よいて そこに浮游す塵(ちり)泥(ひじ)われは

どうか田中さんにおかれましても、自在に宇宙を観じ、地球を観じ、ひとを観じていただけますように。心からお願い申し上げるものです。

嬰児

2010.1.4付 朝日歌壇より
嬰児(みどりご)を初めてぎゅっと抱きしめるこの蠢きが胎動の正体:(東京都)黒河内葉子
 高野公彦 評:出産直後の歌。体内にあった命を、じかに抱き締める若き母の感動が素直に伝わってくる。

これは、ゼッタイ男には詠めません。かないません。降参です。
妻のお腹の中の胎動を掌に受けることはできても、自身の感覚として捉えられるものではないですからね。
お腹の中で、えいやっ、とあばれていたのが、この「子」なのね、と。
これはお母さんにまかせます。
哺乳類という動物である以上、この特権は女性にしか無いものです。

◆理科屋のつぶやき
 子宮の中、というのは実は「体の内部」ではありません。体の外部がくぼみこんだ場所です。赤ちゃんは、おかあさんの体の外でへその緒をつかっておかあさんと連絡を取りながら、自力で育ったのです。生きる力、育つ力を持っているのは赤ちゃん自身です。そのことを悟っていれば、子育てはとても楽になるはずです。

猫撫で声

2010.1.4付 朝日歌壇より
寒き日は甘い声して猫を呼ぶ猫撫で声お互いの武器:(山口市)山本まさみ

猫の歌や句が載ると、見逃せない。
猫は人の心をやわらかくほぐすのがお仕事。そして、そのお仕事の「プロ」。
胸の上に乗られると、あったかいんだけどなぁ、だんだん重くなってくる。
まあ、いいやあ。

へのへのもへじ

2010.1.4付 朝日歌壇より
絵手紙のへのへのもへじに色を付け「豊作でした」雀描き足す:(山梨県)笠井一郎
 佐佐木幸綱 評:誰に送る絵手紙だろう。結句、うまい。

「かかし」を名乗っております私としては見逃せない。
米食うなよ、とスズメさんに言いながら、虫も食ってるスズメさんに片目つぶって、一緒に「豊作だねぇ」と祝いたい。
かかしは「みる」存在。です。

考える

2010.1.4付 朝日歌壇より
この頃はロダンのごとく考える悠々自適の齢(とし)を迎えて:(和歌山市)池畑耕作
 馬場あき子 評:悠々自適の齢はいま幾つぐらいだろう。しかし老い来たっての思索の姿勢に「考える人」がちょっとしゃれている。

作者に逆らうわけではありません。わたしという「へそまがり」の感想ですので見捨ててください。

ロダンの彫刻が、昔は好きでした。だんだん年を重ねて、あんまり好きじゃなくなってしまいました。
深刻すぎる感じがして。強すぎる感じがして。
もっと不安定で、なよなよと、頼りないものの方がいいなぁ。

考える人。あの姿勢、きついです。深刻すぎて。
悠々自適、にはあのポーズは、ちょっと・・・。

真剣な「只管打坐」もなんだかちょっと「?」と思ったりして。このごろは。
ゆるくていいんじゃないですか?

膝を崩して、日向ぼっこをしながら、のどかに「ゆくすえ」を眺めて楽しむのはいかがでしょう?

柩とともに

2010.1.4付 朝日歌壇より
三万の兵を増やして六千を柩とともに返す国なり:(アメリカ)西岡徳江
 永田和宏 評:結句「国なり」に単なる批判だけではない強い思いがこもる。

◆オバマ大統領のノーベル平和賞の受賞演説について、朝日新聞の天声人語がポイントを切りだしています。(太字は筆者による)

天声人語 2009年12月12日(土)
 詩人の三好達治の思い出を井伏鱒二が書いている。一緒に講演に出かけた先々で、三好は校歌の作詞を頼まれたが、そこでは固辞した。理由がまじめだった。「僕が校歌を作って、このさき心中でもしたら、その学校の生徒は散々だ」▼校歌とノーベル賞が同じにはならないが、オバマ大統領は、本心は平和賞を断りたかったかも知れない。先の見えない「戦争」を二つも抱えながらの受賞である。このさき、何が起きるかわからない▼栄誉というより重い十字架だろう。アフガンやイラクで毎日人が死んでいる。核兵器廃絶でも、実績を上げたのではなく、いわば希望の先買いだ。受賞のスピーチで、「戦時の大統領」は理念と現実のはざまで慎重に言葉をつないだ▼「暴力は平和をもたらさない」というキング牧師の言葉を援用した。その一方で、平和のための「正しい戦争」があると説いた。ヒトラーとの戦いをたとえにしたが、取り扱いの難しい言葉である▼「良い戦争も悪い平和もあったためしがない」と言ったのは、アメリカ独立の父のひとりフランクリンだった。だからというべきか、戦争の歴史は、戦争を正当化する歴史でもあった。古今東西、百の国に百の「正しい戦争」があったことを、そのスピーチに思い出す▼三好の逸話ではないが、今後のオバマ氏いかんでは平和賞も深い傷を負う。それを承知でノーベル賞委員会は火中の栗を拾い、大統領も応えたのだろう。氏のうたう「核兵器のない世界」ははるかに遠いが、冷笑という風で灯を吹き消したくはない。

新聞の広告欄に「正義の女神 テーミス像」の広告が載っていました。

左手に善悪をはかる「裁きの天秤」。
右手には社会を悪徳から守る剣。
目隠しは、公平無私な裁きのしるし。

と書いてあります。
この広告を見るたびに思うのです。正義って恐ろしいものなのだな。って。
おそらく絶対の自信を持って、私はテーミスに切り捨てられることはない、と言える人はいないのではないか、などと、それは私だけなのかな。

「正義」なんていう言葉が大手を振ってまかり通るような世の中って、きっとひどく危うい状態なのではありませんか?

正義が顔を出したら、眉に唾を付けてみませんか?
きもちいい、って危ないですよ。
戦争は恐ろしい顔をしてやってくるのではないはずです。
こころよく、きもちよく、正義の顔をしてやってくるのです。

障害者は戦時、存在自体が「非国民」とされました。
そのポジションから私は世の中を見たいと思っています。

2010年1月 6日 (水)

2009.12.22

1222kinbae キンバエでしょうか。
大きなハエです。
ハエも冬じゅう見かけますね。
こちらは日向ぼっこ。

1222yatude こちらは、ヤツデの花で蜜を舐めています。
ヤツデの花も絶えることなく咲きつづけていて貴重な蜜源。
ツマグロオオヨコバイもここによくくっついています。(年が明けたら見かけなくなりました。)
ハエの「舐める口」が写りました。こうやって、液体を舐めます。
1222onbubatta
こちらはオンブバッタ。
命の瀬戸際でした。
この写真を取った日から3日後くらいには死んでいて、もう、土へ帰る途上にありました。
この時は生きています。姿勢がきちんと保てる、というのは虫が生きているかどうかを判定する一つのポイントになります。脚を縮めて倒れたりひっくり返っていたら、死んだ、ということになります。(擬死は別として)。
私の役目は「見ること」。
命を見つめて行きたいと思います。

スズメなど

1221suzume_nスズメ。
鳥って不思議なもので、カメラを向けられると逃げますね。
レンズの輝きかなにかが見えるのかな。
鳥の写真を取る人は、知らんぷりして、ひょいとズームでつかまえるのでしょうか、シャッターチャンスを。マクロレンズを常用レンズにしていると、鳥は難しい被写体です。
1221tugumi_n
これも遠くからマクロレンズで撮ったので、なんだかよく分からない写真なのですが。
ツグミですか?
鳥は苦手。
声を聞いて分かるのは3,4種のみ。
いけませんねぇ。
1227mejiro
これはメジロ。
出会いがしらなんです、これは。
カメラのスイッチをオンにして、玄関ドアを出たところで、目の前の木立に2羽のメジロがいたのです。
ファインダーをのぞく暇はありません。カメラを向けて、3枚くらいかなシャッターを切りました。
うち1枚がこれ。ほぼ画面の中央に写っていました。自分の感覚に嬉しくなりました。
芸術的ではないですが狙ったものを常に画面の中央にとらえるようにしている「癖」がこういうときには役立ちます。
よく、画面内の配置を考えて、とかいいますが、基本の「キ」は狙ったものを画面中央に捉えることだと私は思っています。芸術性は私の写真には必要ないので。
メジロの蜜吸いは有名ですが、今は吸うべき蜜を持った花はなく、実をさがして飛び回っているようです。


ヒラタアブ2種

1220hosohirataabu1ホソヒラタアブです。
数は少なくなりましたが、まだ時々見かけます。
1220hosohirataabu2
翅を畳んで腹部背面の模様が見えなくなると、なんだかよく分からなくなりますね。

続いて
1220kurohirataabu クロヒラタアブ。
このアブたちは成虫は花の蜜などでいいのでしょうが、幼虫はアブラムシを食べますので、この季節にもアブラムシを探して飛び回っています。
そして、実際、アブラムシはこの季節にもまだ活動しています。
アブラムシが活動しているということは、汁を吸うことのできる植物が少ないけれどあるんです。
そういう繋がりの中で虫を見られるようになると、「生物多様性」といった難しげな言葉を使わなくても、みんなつながっているんだなぁ、という感覚が自然と身につきます。こういう感覚を子どもたちに養いたいですね。

2009.12.20

1220dyurantaデュランタの実です。
1個だけです。
もう、ここまでで、これ以降追跡しません。
変化なさそうだし。これを「播く」という気にもならないものなぁ。
もし、うまく地面に落ちたら頑張れよ。っと。
1220hae
シルエットのみ。
お、ハエだ、と撮影。
本体を取ろうと回り込んだら逃げられました。
ハエで間違いないと思います。何ハエかは影からは特定できません。
冬の日射しに映るシルエット。なんとなく「はかなげ」ですね。

ウラギンシジミ

0105uraginsijimi11月5日。
ウラギンシジミです。
年頭にご紹介したのと同じ個体ではないでしょうか。そう一杯いるとも思えないし。
翅をV字型に開いて日光を受けています。
翅自体には液体は流れていないので、翅を全開にしても熱を体に運び込むことにはあまりならないのでしょう。むしろ、翅を反射板として使って、反射光を体に集中させているのだと思われます。
0105uraginsijimi2
ゆっくり翅を閉じたり開いたりします。
この写真は真後ろからのショットになります。
均整が撮れた姿が美しいですね。
しばらくして一度舞いあがり、私の顔の周りを飛んでから別の葉に移りました。

0105uraginsijimi3 目をファインダーから離して、両手でカメラを高く掲げ、ファインダーの中のフォーカシング・スポットを確認しながらの撮影です。
カメラ背面のモニターでのライブ・ビュー撮影では、フォーカシング・スポットがはっきりしないので、被写体が小さい時はうまく使えません。

0105uraginsijimi4
翅の裏側が見えました。
ホントに白いんです。
でも、めだたないんです。これ不思議ですね。周りに溶け込んでいます。

とっても美しいチョウです。
成虫で越冬しながら、暖かい日に顔を出しているのでしょう。
こいつぁ春から縁起がいいやぁ。
と。
楽しいですね。

金星へ行きま~す

 ちょっと前になりますが、私、月周回衛星「かぐや」のメッセージキャンペーンに参加したんですね。妻と連名でメッセージをJAXAに送りました。夫婦の名前とメッセージが金属板に刻まれて、「かぐや」にのって月へ行きました。「かぐや」はミッションを終了して月面に落ちました。落ちる、というところまで完全にコントロールされて、日本の宇宙技術の蓄積となりました。
 今、月面にはかかしさん夫婦の名前も刻まれた金属板があります。これから、おそらく何億年もあり続けるでしょう。何だか気が遠くなりそうです。地球上だったら、風雪に削られてきえるとか、地球のプレートテクトニクスにのって、地中に飲み込まれるかもしれません。でも、月面ですからね、空気もないし、テクトニクスもない。隕石に叩かれてつぶれることはあっても、消えないんだろうなぁ。すごいですね。

 さて、JAXAからメールが来ました。
JAXAでは来年度、金星探査機「あかつき」を打ち上げる予定なのだそうです。
今回も名前やメッセージを集めて金星に届けるキャンペーンを実施しているのだそうです。
で、「皆様のお名前を今度は金星にお届けしたいと思います。」とありました。
スッゴイ!!
夫婦して金星へ行ってしまいます。
うれしいですねぇ、楽しくなりますねぇ。
金星、明けの明星・宵の明星を見るたびに、あそこに私たちに名前が送りこまれたんだなぁ、と思えることになります。金星の見え方が変わりそうです。

わたくしども「かかし夫婦」は金星から地球の姿を見続けることになりました。「宇宙かかし」になれます。
今から、何だか、心弾む思いでおります。
何はともあれ、御報告まで。

2010年1月 4日 (月)

二十四節気

◆2010年1月5日は二十四節気の「小雪」です。

よく立春などのときに「暦の上では春が始まるんですね」などといいます。この時の「暦の上では」という言葉は、太陽暦とは異なる「旧暦」のことのように使われていると思います。
旧暦は月を基本とする「太陰暦」のことを指すのでしょう。

では、月の運行が季節と関わるのでしょうか?
季節を生み出すのは地球と太陽の関係ではありませんか?

ウィキペディアから引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%B0%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9A%A6

太陰太陽暦(たいいんたいようれき)とは太陰暦を基にしつつも閏月を挿入して実際の季節とのずれを補正した暦である。
・・・
純粋な太陰暦では1回帰年の近似値である12ヶ月を1年とした場合、1年が354日となり太陽暦の1年に比べて11日ほど短くなる。このずれが3年で約1か月となるので、約3年に1回、余分な1か月閏月を挿入してずれを解消した。閏月を19年(メトン周期)に7回挿入すると誤差なく暦を運用できることが古くから知られ、世界各地で行われた。
・・・
中国では暦と季節とのずれを検出するために二十四節気が考案された。二十四節気は1つおきに正節(節気)と中気に分けられ、正節から次の正節までの間を節月という。節月は約30日であり、1朔望月よりも長い。よって暦と季節とのずれが蓄積されてゆくと、中気を含まない月が生じることになる。この中気を含まない月を閏月とする。また、月名もその月に含まれる中気によって決め、例えば雨水を含む月を「一月(正月)」とした。

月の運行だけでは季節がずれてしまうのです。ですから、季節の源である太陽の運行を取り入れて、季節のずれを解消するのが「二十四節気」なんですね。
ですから、二十四節季は太陽暦だ、といってもいいでしょう。
Seasons
天球上の太陽の位置というのが定義なのですが、「地動説」のイメージを大切にして、太陽を中心として地球が回るという図の中に、今年の二十四節気を書き込んでみました。

春分の時刻を角度の原点「0度」とします。地球は、地球の北極側から太陽系を見下ろしたとして、反時計回りに公転しています。
昨年の12月22日が「冬至」で、春分点から270度回った位置でした。
その位置から15度地球が進んで、285度まで来るのが「小雪」なのです。これが今年の場合1月5日。

こうやってみると、90度ごとに、春分、夏至、秋分、冬至となるのがよく分かりますね。
さらに、その間、45度ごとに、立夏、立秋、立冬、立春となっています。
これらは言葉からしても、太陽暦のものだということがわかります。
それらの間にある言葉が、ちょっと古めかしくて、なんだか「古い暦」のもののように思ってしまうわけです。

◆1年を24等分するのですから、各期間は約15日です。
24sekki
この表をご覧ください。
去年の冬至から今年の冬至まで、間隔を計算してみました。
日数の計算というのはよく分からなくて、この表では、例えば、去年の冬至の翌日から「いち、に、さん・・・」と数えはじめて、「小寒」の日を含めて何日か、とカウントしています。
本当は、二十四節気というのは「時刻の点」ですが、その「点」を含む日、で表示されますから、ちょっとずれはありますがよく見てください。
夏至から立秋のあたりをはさんで「16日」という期間があり、それ以外は「15日」、全部足して365日になっています。

15度という同じ角度を回るのに、夏至付近で時間がかかるということは、公転の速さが遅いということですね。

1619年のケプラーの法則をちょっと思い起こしてみましょう。

第1法則(楕円軌道の法則):惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
第2法則(面積速度一定の法則):惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)。
第3法則(調和の法則):惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。

地球は太陽の周りを公転しています。地球の軌道は、普通「ほぼ真円」と考えて差し支えないですが、厳密にいうとやはり楕円軌道です。
太陽―地球間の距離は、一番近い時で「1億4710万km」で、一番遠い時で「1億5210万km」です。500万kmほど差がありますね。

太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を地球は回っているのです。(これが第一法則)

第二法則ですが、惑星は太陽に近いところでは同じ時間内に大きな角度を動き、遠いところでは同じ時間内に描く角度は小さいのです。
逆にいうと、同じ角度を動くのに要する時間は、太陽に近い時短く、太陽から遠い時は長くかかるのです。

●さて、二十四節気の間隔に戻ると
夏至の近くで15度進むのに時間がかかっている。ということは

夏至点は太陽から遠い位置なんですね。
冬至点は太陽に近い位置なんです。

直観を逆なでしませんか?
冬至を過ぎたばかりの、今頃の方が、夏至の頃より太陽に近いのです!

太陽に近いのに寒いの?!

そうなんですねぇ。
500万kmなんて大したものではないのです。
重要なのは「地軸の傾き」なんです。
夏は「日が高い」ですね。冬は「日が低い」(角度が違いますね)。
そのために、単位面積あたりに受ける太陽エネルギーの量が変わってしまうのです。
夏の方がいっぱいエネルギーを受け、冬は受けるエネルギーが少ないのですね。
これが季節を生んでいるのです。

◆とまぁ、二十四節気を考えながら、こんなところまで来てしまいました。
「暦エッセー」とでも考えて、お楽しみいただけたでしょうか。

月食

2010年1月1日午前4時頃に部分月食がありました。

毎日新聞にこんな記事がありました。

余録:元日の月食
 その昔「晦日(みそか)に月が出る」はあり得ないことのたとえだった。月の満ち欠けの1周期をひと月とする太陰暦では月末の晦日は月がない。「晦」は暗いという意味がある。「晦日の月」は「四角い卵」とともに「ないもの」を表すシャレとして重宝された▲太陰暦では新月の毎月1日を「朔日(さくじつ)」と呼んだ。一方毎月15日夜の満月は「望月(もちづき)」である。その暦を、いきなり太陽暦に切り替えると新政府が発表した明治5(1872)年のことだ。小紙の前身である「東京日日新聞」はこう書いている▲「さすれば朔日の日食、望夜の月食も之(これ)を必ずと期し難し。いわんや晦日の月出るに至りては晦の晦たる、その名にそわず、十五夜かえって闇夜の如(ごと)きは望の望たるその実を失わん」。新暦導入に戸惑う庶民を代弁しての太陽暦批判だった▲新聞は月食も十五夜と限らなくなると書いたが、それどころではない。今度の元日は「晦日の満月」が年をまたぎ未明の月食が見られる。元日月食は新暦導入以来初めて、それ以前の太陰暦では原理上ありえなかったから「日本史上初」だ▲ただ月の欠け幅は最大でも全体の1割弱という部分食である。壮大な天体ショーといっては大げさだが、続く初日の出と合わせて見れば歴史的な年明けを体感できよう。未明、西の空にかかった満月は午前3時51分ごろから左下が欠け始め、31分後には最大欠け幅に達するという▲来年は6月26日と12月21日にも月食がある当たり年だ。また年初は4日未明にしぶんぎ座流星群も観察できる。天文ファンはもちろん、そうでなくとも高く空を見上げ、遠くに目を凝らさねばならない2010年がやってくる。
毎日新聞 2009年12月30日 0時01分

朝日新聞ではこんな記述がありました。2009年12月28日のアサヒ・コムより

「新年があけてすぐの1月1日午前4時ごろ、日本で月食が見られる。元日の月食は「日本史上初」。明治以降で例はなく、それ以前は「太陰暦で、元日は新月だったから」(国立天文台)。」

ちょっと、虚を衝かれたという感じでしたね。
太陰暦が「月の暦」であることはもちろん知っていました。そして「ついたち」が「つきたち」だということも知ってはいたんです。でも、全部が統合されていませんでした、私の頭の中で。

つい‐たち【朔日・朔・一日】(ツキタチ(月立)の音便。こもっていた月が出はじめる意)
①西方の空に、日の入ったあと、月がほのかに見えはじめる日を初めとして、それから10日ばかりの間の称。(陰暦の)月のはじめ。上旬。初旬。伊勢物語「時はやよひの―、雨そほふるに」
②月の第1日。1日。(古くは「ついたちの日」ということが多い) 蜻蛉日記下「閏二月の―の日、雨のどかなり」
③特に、正月1日。元旦。紫式部日記「ことしの―、御まかなひ、宰相の君」
[広辞苑第五版]

さく【朔】
①月の黄経が太陽の黄経に等しい時の称。すなわち太陰暦1日。ついたち。月が太陽と同じ方向にあって、暗い半面を地球に向ける。新月。「朔日・八朔・正朔」 晦。
②昔、中国で天子が歳末に諸侯に頒布した翌年の暦。
③きた。北方。「朔北・朔風」
[広辞苑第五版]

今年、2月14日(いわゆるバレンタイン・デー)が旧元日です。もちろん、朔です。
朔では、太陽・月・地球と並びますので、この日に日食はあり得ても、月食はあり得ないんですね。月食は地球の影の中を月が通過するのですから、太陽・地球・月と並ばなければならないんです。これは「望」ですね。

去年の7月22日、日食で大騒ぎしましたが、あの日は旧暦では「六月『ついたち』」だったんです。やっぱりねぇ。
今年2010年1月1日は太陰暦では「11月17日」でして、「望」だったのです。
なるほどねぇ。

太陰暦が月の暦であることを強く学びました。もう忘れません。

ところで、明日、2010.1.5は「小雪」です。この「小雪」というのは太陰暦に属するものでしょうか?太陽暦に属するものでしょうか?

多摩川にて

1216helicopter2009.12.16。
小学校の理科支援員として、実験の準備にでかけたのですが、ちょっと多摩川の土手に上がってみました。
寒いのなんのって。
川筋というのは風がまともに吹き抜けます。おまけに曇天。
これはいけません。さっさと土手を下りましたが、その間に撮った何枚かをお目にかけます。
上空をヘリコプターが一機。多摩川沿いに飛ぶ、というようなのは目印としてやはりパイロットにも楽なのではないでしょうか。ヘリコプターの通り道としてよく飛び交っています。
1216sinkansen
新幹線が走り抜けて行きました。

1216tamagawa お手軽にペイントでパノラマにしてみました。
露出補正もせず並べたのでつなぎ目はっきり、オハズカシイ。
遠景をつなぎましたので、手前にずれが生じています。これもオハズカシイ。

多摩川の川向う、川崎側です。武蔵小杉のあたりのマンション群でしょう。
大発展中の街ですね。

いや、それにしても寒かった。
早々に退散して、小学校の理科室で実験準備にかかったのでした。

ヒメフンバエ

1216himehunbaeヒメフンバエだと思いますが、糞にたかっているわけではありません。
2009.12.16。
糞とか腐りかかったものがあればそれにたかりますけれど、何もなければ、花の蜜や、葉の表面のねばついた液なども舐めています。
とりあえずカロリーにはなるのでしょう。
ハエの仲間は冬でも結構頻繁に見かけますね。気温が上がると顔を見せてくれます。

アジサイ

1216ajisai2009.12.16。
棒のようなアジサイの茎から、葉芽が。
きれいな緑です。
心躍ります。

墨田の花火という品種ですが、あまり「大きな花火」は打ち上げてくれません。
虫さんの方に気持が行ってしまっているせいかもしれません。まあ、我が家としては仕方ないところですね。

椿

1214tubaki2009.12.14。
みごとに花弁やオシベなどが落ちてしまった後。
子房がふっくら。
種をはぐくんでいます。

椿はいっぱい咲きそうです。まだまだいっぱい蕾が「準備中」。
こんなにいっぱい咲かせて大丈夫なんですかね。
2009年はチャドクガの発生が少なくて、1回くらいで終わったようでした。
今年も、できればチャドクガとの対決はしたくないなぁ。
あれはさすがに緊張しますもの。

ユスリカの仲間

1214yusurika2009.12.14。
ユスリカの仲間です。
セスジユスリカでしょうか。
1225sesujiyusurika 2009.12.25にも多分同じ種類のユスリカを見ました。
セスジユスリカだよなぁ、この色。


1223yusurikam これは玄関ドアにとまっていたユスリカ。2009.12.23。
上の2枚の写真とは違いますね。
アカムシユスリカかなぁ。
触覚のふさふさはオスのものでしょう。

1224yusurikaf これはものすごく小さいユスリカです。
(ユスリカだよなぁ)

体長が2~3mm。
寒い時期でもこのごくちっこい奴はよく見かけます。同じように小さくて、もっと黒っぽく見えるのもいますよ。もう、小さいのはカンベン、とても同定できません。深入りしたくない。



ヒメナガカメムシ

1214himenagakamemusi12009年12月14日。
ヒメナガカメムシの成虫がいました。
1214himenagakamemusi_n
同じ場所で別の種類だと思いますが、カメムシの幼虫を見かけました。
なんというカメムシかなぁ。
植物もあまり活動は盛んではないでしょう。
じっくり寒さに耐えてください。

チロリアンランプ

1213tyrolianlamp2009年12月13日。
チロリアンランプが咲きつづけています。
こんなに長く花が続くのは初めてです。
門柱の前の、我が家としては比較的日当たりのよい場所に鉢を持ってきたせいでしょうか。
ながく楽しませてくれてありがとう。
保育園の園児がお散歩に来た時も、高さもちょうどよいし、見つけて騒いでいるようです。

アブラムシ

1214aburamusi1 昨年の写真の積み残しがありますので、しばらく「旧年中」に戻ります。

これ、ホップの葉の上での出来事です。2009年12月14日。
アブラムシなんですが、何だかちょっと変だ。

1214aburamusi_2 脱皮ですね。
1214aburamusi2
アブラムシの脱皮の脱け殻を見かけることはあるのですが、脱皮中、あるいは直後、というのを見たのは初めてだと思います。
ただ、なんだか、抜けにくい状態なのかなぁ、という気もしましたが、翌日見たら、何もなかったので、きっとうまく抜けたんでしょう。

福猫(?)

0103gian1我が家には家猫チビタンとラン太がおります。
外猫チャコちゃんは何度か登場しました。

もう一匹の外猫ジャイアンというのがおります。初めて現れたときはのそ~っとでかい体で無愛想な顔して、チャコちゃんのご飯を横取りしたりしていました。
しばらく見ないな、と思っていたら、昨年後半に、久しぶりに顔を出すようになりました。
オス猫です。以前にはしていなかった首輪をしています。妙に人懐っこくなった。
チャコちゃんと並んでご飯を食べたりもする。
なんだか、悠然としたやつです。昼寝中にそばに行っても無防備なまま人を無視。

1月3日。ちょっと道路で妻と話をしていたら、声を聞きつけたらしく、みゃ~っと鳴きながら、そばに寄ってきてコテン。なでてくれ~、といっています。
なでられて、ご機嫌。コテンコテン、ゴロンゴロン。いいんですかねぇ。
0103gian2
猫には幸せしかない、という風情です。

まあ、いいかぁ。
こいつもまた、我が家の福猫ですね。

ウラギンシジミ

0102uraginsijimi_21月2日。
いつも通りのお昼のお散歩。

ふと、飛ぶもの、が視界をよぎりました。
チョウだ!とは、すぐに認識できましたが、なにチョウかはわからない。
10mくらい先で動きがとまりましたので、しのび足で近づいていくと・・・
電車の線路の柵のすぐ内側、側溝の蓋の上に降りて陽を浴びていました。
ウラギンシジミです。
影の具合から見れば、背中に陽を浴びているのがわかります。
この模様は多分メスですね。
ここ、東京の南部でも、成虫のまま越冬できるようです。
しばらく見ていたら、電車の影がよぎり、電車の走行の風圧もあって居心地が悪いのでしょう、飛び去って行きました。どこか、暖かい場所でじっと冬を越すのでしょう。

このあたりではもう、最低気温が氷点下になることはめったにありません。
昆虫の体のサイズでは温度が氷点下になっても水が凍らない「過冷却」という現象が起きやすいので、このあたりでこのチョウの体が凍ることはまずないはずです。

生き延びてくださいね。

ごあいさつ

新年明けましておめでとうございます。
2010年もまたよろしくお願いいたします。

東京の大田区の南、多摩川もほど近いこの場所での「かかしの定点観測」をお目にかけます。繰り返し登場するものもいましょうし、初めて見たぁというものも登場するでしょう。
お楽しみください。

「正月」という刻み目を、さして、どうとも感じていない私としては、通常の生活です。生物として、「概日(サーカディアン)リズム」を体内に内蔵しています。また、当然、一年という時間の繰り返しを体に刻んできました。61回も。それは生物が地球の自転周期に同期しようとするものですし、地球の公転周期を感じているものです。それは、地球上のすべての生物に共有されるものですが、1年を12カ月、365日に分け、1日を24時間に区切り、1秒を設定し、というのは「人間の仕業」。連続というものに耐えられない人間の理性が、切れ目を入れて「数える」ことができるようにしたものです。数えるというデジタルな行為は、人間から切り離せないのでしょう。
時の流れとは、「変化」そのものであるにもかかわらず、人間はあたかも「時」という独立した「軸」「流れ」が存在し、その「時の流れ」によって変化が引き起こされるかのように錯覚しています。
時とは、生き物が生まれ育ち繁殖し死んでいく、という変化のことを言うのではないでしょうか。
植物の「時」は、人間の「時」とは全く異なります。
バクテリアの「時」も、人間の「時」とは全く異なります。
人間って、せっかちですね。種としての寿命が近づいてきてしまったような、そんな思いにとらわれます。

宇宙の「時」とは、星が生まれ育ち死ぬ変化であり、銀河が生まれ育ち死ぬ変化であり、宇宙が生まれ育ち死ぬ(?)変化のことです。

人間の「時」が、「時」のすべてだとは思いこまないように致したいものです。

妙に、理屈っぽいですね。
あっけらかんといきましょう。

本年茂 何卒宜敷 御願申上益
                かかし敬白

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