無念
2009.12.7付 朝日歌壇より
無念さを殺して棋士は水を飲む「負けました」とう一語言うため:(横浜市)おのめぐみ
馬場あき子 評:棋士の対局をテレビなどで見ていたのだろうか。勝負がついた直後の微妙な一瞬を主観的に捉えてうたい、印象深い場面を作りあげている。
{この歌は高野公彦氏も選んでいます}
「無念」という言葉で表現されるものなのかどうか、よくわかりません。
将棋の対局中の棋士の頭の中って、手を読むためにものすごい思考の深みにもぐりこんでいるのだと思うのです。
読んで読んで、その先にどうしようもない負けを読みとったときに、通常の思考の世界へ浮上してくるための時間が必要なのではないでしょうか。それが「水を飲む」という動作のように感じました。水を含んで日常の世界へ復帰して、「読み切りました」=「負けました」と告げるのでしょう。
無念さとか悔しさというものを私は感じとっていません。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
コメント