合理的配慮
◆12月8日付で、小学校で話した「自己紹介」について書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9743.html
私は現役時代、毎年度、年度当初の授業を1時間、自己紹介に当ててきました。これは教師になった最初の年から、嘱託員を終えた最後の年まで続けました。その話の内容は頭の中にほぼ納まってはいるのですが、ある時、異動を控えた3学期に同僚の先生が、自分のクラスでその自己紹介をやってくれないか、と提案してくれたのです。その時、頭の中の台本を初めて「文章化」したのでした。それ以来、このプリントを毎年改訂しながら、年度当初の授業に使うようになりました。
NHK放送文化事業団の「NHK障害福祉賞」にこの文章をアレンジして応募して入賞したこともあります。
今回の小学校での話の原稿も、2009年バージョンとして、小学生を念頭に置きながら改訂しました。
その中で、私はこんなことを書きました。
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「障害」ってどこにあるんでしょうか。
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いろんな力があって、それぞれの力には幅が広くあって、その少しだけはじっこの方にいる人は、いろいろな「壁」に悩まされます。それが「バリア=壁」なのですね。
そのバリアを崩し、壁を取り払うことができるのは、いわゆる「健常者」の側だと思うんですよ。障害(バリア)を持っている(つくっている)のは、いわゆる健常者なのではありませんか?
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障害者とは健常者が無意識のうちに作ってしまった「障壁」=「障害」にさえぎられている人のことなんです。
障碍者という言葉が最近よくつかわれます。「碍」という字は「さまたげる」という意味です。「障壁にさまたげられて不自由をしている人」という意味ではこの「障碍者」という言葉はよい言葉ですね。
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バリアフリーという言葉を最近よく聞きます。障害者や、お年寄りや、お腹の大きなお母さん・・・にとって使いやすいということは、実はすべての人にとって使いやすいということなのです。
元気な人は多少のバリアがあろうがなんだろうが気にせずまたぎこしていってしまうわけですが、私たちはそのバリアに引っかかってしまうわけです。ですから、すべての人に使いやすいデザイン、つまりユニバーサル・デザインができるといいですね。
「どっちが『障害者』なんですか?」
「障害(バリア)を作っているのは誰ですか?」
「みんなでバリアを低くしましょうよ」
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◆12月5日付けの朝日新聞にこんな記事がありました。部分引用します。(太字、引用者)
当事者に決めさせて:障害者権利条約 日本は批准まだ
国連の障害者権利条約特別委員会議長を務めた、ニュージーランド外務貿易省特別顧問のドン・マッケイ氏(61)が来日したのを機に、条約が目指す社会について聞いた。
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「この条約の交渉過程で障害者団体が『Nothing about us, Without us(私たち抜きに、私たちのことを決めないで)』と発言し、非常に重要な点となった。今まで障害がある人は、自分たちに関する政策決定に関与できず、他の人が決めてしまっていた。障害者自身が参加して条約を作り、交渉過程においても鍵となる役割を果たした。」
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―-条約は締約国に対して、障害のある人への差別を無くすために「合理的配慮」を求めています。どういった配慮なのですか。
「新しい概念で、条約交渉に携わったメンバーでも聞いたことがない人がほとんどだった。障害のある人が、他の人と同様に社会生活を送れるよう、社会の方で必要な変更や調整をすることだ」
「たとえば車いすの人を雇う際、職場にたどりつくためのスロープの設置が合理的配慮になる。合理的な配慮は、個人に着目した概念で、一人ひとりの事情に対応する。障害自体が不利益をもたらすのではなく、適切な対応ができていない社会に問題がある。ただ、零細企業で、経済的に大きな負担になる場合には求めない」
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[キーワード]障害者権利条約の批准への課題:世界に障害者は6億5千万人いると推計され、人口の10%前後にあたる。国内で、障害者と認定されている人は人口の6%程度。障害者団体は、身体の欠損や知能指数に偏った認定になっており、発達障害や難病、難聴の人たちが制度のはざまに置かれていると批判している。
「合理的配慮をしないこと」を条約では差別としているが、障害者基本法は差別を定義しておらず、国内法整備が必要とされている。
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◆また、12月8日付け朝日新聞の読者投稿欄「声」にこんな話が載りました。
障害者に優しい街つくって
16歳の次女は脳性まひで身体障害者1級、車いすを使用しています。小1の頃から、動く右手の1本2本の指を使いメロディーを弾き、私と連弾でピアノを楽しんでいます。今秋、カナダで開催された「第2回国際障害者ピアノフェスティバル」に参加するためバンクーバーに行ってきました。
フェスティバル終了後に観光を楽しんだ折、街の様子に感動しました。まず空港から乗るタクシーは、何台かに1台は車いす対応でした。また路線バスは、運転手のボタン一つで、乗降口に折りたたみのスロープが出てきて、すんなり乗降できます。スカイトレインという電車もホームと車両の間のすき間や段差がほとんど無く、係員にスロープを持ってきてもらわなくても乗降できます。対岸に渡るフェリーも同様でした。
ビルの押し引きドアの脇には車いす利用者のボタンがあり、それを押せば自動でドアが開きます。車いすの娘と移動中、ほとんど人手を借りることなく快適な観光でした。東京の街も税金を無駄遣いせず、このような街にしていただきたいなあ、と思います。
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多摩川線では車いすで利用したいと連絡すると、電車とホームの間のスロープを駅員さんが持ってきてくれますが、お世話になっている、という感覚は否めないところですね。
何年か前、こんなこともあったんですよ
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大学受験の日 車いすで受難
先日、大学入試センター試験を受けました。日ごろ、電動車いすで移動している僕は、試験会場となる横浜市の大学まで、電車とバスを使って行きました。
雪の降りしきる1日目の朝は、かなり時間に余裕を持たせて出かけました。電車を降り、最初のバスが来たので乗せてもらおうとしたら、「車いすを乗せるためのスロープ板がない。悪いけど次のを待って」と、運転手に乗車を断られました。
すぐに次のバスが来ましたが、やはりスロープがなく「次のバスを待って」と言われてしまいました。さすがに少し焦りかけていた僕は、車いすを置いたまま、ひざ立ちでバスに乗り込む覚悟までしました。
そして、やっと3本目のバスに乗せてもらい、無事に試験を受けることができたのです。でも、「車いすマークが付いているのに乗せられないとは、詐欺じゃないのか」と思いました。
2日目の帰りに、またも運転手に「1本待って」と言われた僕は、一緒にいた友だち数人に頼んで、車いすごと力ずくで引っ張り上げてもらい、バスに乗ることができました。
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これは、バリアフリーどころか「ハイバリアー事件」ですよね。
初めの投稿の「押し引きドア」の自動開閉装置というのはショックですね。ビルの冷暖房を効率良くするために、入り口のドアが閉じられていることが多くあります。左右に開くドアの場合、自動開閉になっているのは今では当たり前ですが、押し引きするドアの自動開閉は見たことがありません。私自身、そういうドアで配慮を受けることも多々ありますが、一方で、乳母車のお母さんなどにドアを押し開けて待ってあげることもよくあります。そういう時は「ゆっくりどうぞ」と声を掛けることにしています。
「合理的配慮」というのはこういうことなんですね。このような合理的配慮がなされていれば、バリアーは低くなり、「さまたげられる」人が少なくなるんですね。
「合理的配慮がなされないことを差別という」というように明確に表現してもらうと、わかりやすくなります。
「でも、それは個人で出来ることじゃない。私は差別なんかしていない」という方もおられましょう。いえ、個人で出来る「合理的配慮」というものもいっぱいあります。障害者の側から見ると「いろいろな視線」を受けています。暖かい視線も多い中、邪魔だこんな所に出てくるな、と言わんばかりの視線もたくさんあるんです。こういうことをなくすのも「合理的配慮」ですね。たがいに声を掛け合う、というのも大切なこと。エスカレーターでは無遠慮に歩く人が多くて怖い思いをしますが、エレベーターでは、ドアをちょっと開けて待つとか、行き先階を聞くとか、ちょっとした声が飛び交います。嬉しいですね。エレベーターに乗ると正面に大きな鏡がついていますが、あれは何のためかご存知ですか?車いすで前向きに乗り込んできた人が降りるときに後方を確認しながら降りられるように、という配慮なんですよ。
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11月27日付朝日新聞の東京地方欄でしたがこんな記事がありました。
世界を変える「共遊」玩具:障害がある子もない子も楽しめる/設計の思想、携帯・容器に応用:タカラトミー社員・盲目の高橋さん
例えば、携帯電話の「5」のボタンにある小さな突起。目の不自由な人に「5」のボタンだと伝えるとともに、目が見える人にも押し間違いを防ぐ効果がある。こうした「共用品」と呼ばれる日本独自の製品設計の思想が今、世界に広まっている。原動力になったのは、「誰もが楽しめるおもちゃを作りたい」という玩具メーカー創業者の遺訓と、それを体現する社員らの情熱だ。
おもちゃメーカー、タカラトミーの高橋さん(41)は、目や耳の不自由な子どももそうでない子どもも共に遊ぶことのできる「共遊玩具」の普及・開発に取り組んでいる。目が不自由な子どものために、スイッチのオン・オフが音で分かるカラオケおもちゃ、レジスターのキーにドレミの音を割り当てたおもちゃは、いずれも高橋さんのアイデアが生かされた製品だ。
高橋さんは先天的な眼球の発達障害で生まれた時から目が見えない。
「私が人と接し、意見を交わすことで、一人でも多くの人が生きやすくなるのなら」と、国際標準化機構(ISO、本部・ジュネーブ)などで共用品の規格づくりにかかわるほか、国や自治体の審議会メンバーとして、日々の暮らしに不便を感じる人たちが少しでも生活しやすい街づくりなどに携わっている。
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旧トミーは創業者、富山栄市郎氏の遺訓にのっとり、80年にハンディキャップトイ研究室を発足させたが、85年のプラザ合意後の円高不況で研究室の存廃が議論の的になっていた。高橋さんの入社は、現在、財団法人・共用品推進機構に出向し、事務局長を務める星川安之さん(52)の尽力なしに語れない。
80年に旧トミーに入社した星川さんは学生時代、障害者施設でのボランティア活動で「障害のある子どもたちが使いやすいおもちゃが、あまりに少ない」現実に触れた。
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<アクセシブルデザイン>
これまでのバリアフリー(障害を取り除く設計)、ユニバーサルデザイン(すべての人が利用できる設計)から一歩進み、障害のある人もない人も、高齢者もそうでない人も、ともに使いやすい「共用のデザイン」(アクセシブルデザイン)という考え方が産業界で強調されつつある。
日本は映像機器や金融機関の現金自動出入機(ATM)、エレベーターなどでアクセシブルデザインの普及度が世界で最も高く、その市場規模は07年度に3兆2439億円に達した。こうした日本発の設計技術・デザインを世界的に普及させるため、ISOで国際規格化に向けた検討が続けられている。
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「アクセシブルデザイン」という概念には初めて接しました。なるほど、ですね。
星川安之さんというお名前はユニバーサルデザインなどを語るときに欠かせない方です。
ちょっとインターネットで検索してみました。とても素敵な言葉を見つけましたので、ご紹介しましょう。
■デザインとして当たり前のことをするのがユニバーサルデザイン
----まず最初にユニバーサルデザイン、あるいは共用品について簡単に説明していただけますか?
ユニバーサルデザインの目的は、「ユニバーサル」という言葉がつかなくなることだと言えます。こちらでは共用品という言葉を使っていますが、「共用」も同じことです。つまり、本来デザインという言葉には、対象から障害のある人や高齢者を除く、という概念はありません。デザインとして当たり前のことを当たり前にやっていくことが、ユニバーサルデザインの基本的な考え方なんです。
障害というのは周りの環境によって作られているものでもあると言われることです。逆にいえば、技術の進歩によってそれまで障害であったものがそうではなくなっていく可能性もある、ということです。
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かかしの提案
まず自分のできるところから自分にできることを始めませんか?
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