目薬
2009.11.30付 朝日俳壇より
見えぬ目に挿す目薬や冬に入る:(都留市)長田美智子
長谷川櫂 評:長田さんは目の不自由な方らしく、以前は点字の投句だった。見える目には見えない世界が広がっている。
2009/09/28
失明し四十年となりし今夕焼け空の色も薄れる:(都留市)長田美智子
佐佐木幸綱 評:四十年前に見た夕焼け空の色の記憶。私などには想像もできない貴重な記憶なのである。
2009/09/28
昼も夜も厠の外にカネタタキ:(都留市)長田美智子
2009/09/21
慎重に点字投票する我に投票箱が寄せられてあり:(都留市)長田美智子
2009/09/07
点訳の朝日歌壇の今届きなぞりてさがす公田耕一:(都留市)長田美智子
◆アサヒコムのアスパラクラブでこんな記事を読みました。
「使えない」ではなく「使わない」という考え方 [09/11/19]
校閲センターの方が研修で伺った話です。
国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さん(42)を迎え、「触る文化」を唱える視覚障害者の立場から、メディアの障害者の描き方などについてお話を伺いました。
・・・
今年は点字考案者のルイ・ブライユ生誕200年にあたります。視覚障害者や点字を使っている人にとってはスペシャルイヤーです。私は今年、国立民族学博物館で点字の展覧会「点天展」を企画しました。私は中学1年生の時に目が見えなくなりましたが、そういう当事者ならではの体験談も交えて、障害をめぐる話ができればと思います。
・・・
一方で、視覚を「使わない」と言うと、これはプラス思考の考え方になります。では、視覚の代わりに何を使うのか。僕はヘレン・ケラーを「触覚の可能性を切り開いた人」あるいは「触覚の潜在能力を極限まで追求した人」と表現します。ふだん目や耳を使って生活している「健常者」は、どちらかというと触覚をあまり意識しませんが、ヘレン・ケラーは触覚をフルに活用したわけです。大げさかもしれませんが、ヘレン・ケラーは「触覚によってこの世の中を認識した」とも言えます。同じ「奇跡」でも、従来は「マイナスを抱えた人が、それを克服するために頑張って努力した」という考え方でしたが、私の「使わない」という考え方をすると「触覚という普通の人があまり意識しないものに彼女は気づき、それを極限まで開拓した」となります。同じ「奇跡」でも、意味合いが違ってくるのです。
・・・
僕は国立民族学博物館に入って9年目ですが、視覚障害を持った僕がせっかく博物館に入ったのだから、これまで博物館からは比較的、縁遠い存在だった視覚障害者に博物館に来てもらえるような工夫をしようと考えるようになりました。博物館や美術館は従来、ガラスケースに貴重なものが入っていて、横に解説があるのを読む形で見学、観覧する場所です。そういう場所から一番縁遠い存在は、見ることができない人。「触って楽しめるような配慮をしよう」ということで、触れるものを増やすためいろいろ工夫をしました。インターネットが発達し、海外旅行が当たり前になって、わざわざ博物館に行かなくても、いろんなものが見られる時代になり、博物館の存在意義には難しい面もあります。しかしそういうときに、ピンチはチャンスだと言いますが、一つの考え方として、今まで博物館から縁遠かった人を呼び寄せる工夫が、チャンスにつながるのです。
さらには、「触る」ことの楽しさを、目の見えない人だけでなく、目の見える人にも伝えようと考えています。世の中には触って初めて知ることができるおもしろさ、楽しさがある。何も「触る」ことは視覚障害者の専売特許ではないし、視覚障害者サービスというところに閉じこめるのはもったいない。見えている人も触ればいいじゃないかと。そういう観点で点字の展覧会も、視覚障害者のための展覧会というより「万人に触ることを伝える」ことを主眼に置いて活動しているわけです。
・・・
「障害があるのに」「障害を乗り越えて」ではなく、「障害があるからこそ」「せっかく障害があるのだから」と価値を反転させていらっしゃいます。
私が、教師生活を通じてずっと生徒に伝え続けてきたことと同じです。うれしいですね。
仲間がいた。
◆で、長田さんの俳句についての評がものたりない。
かかし評:視覚を使わない長田さんが、他の感覚で「観る」世界を伝えてくださる。目薬が冷たかった、その温度感覚に冬を知る。鋭い。
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