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2009年12月15日 (火)

レシピのノート

[恋する大人の短歌教室](12/14付 朝日新聞より)
{応募作}
女房が残したレシピのノートみて、慣れぬ手つきで厨房に立つ。 :千葉 石田英男

 「おふくろの味」という言い方がありますが、この場合は「女房の味」でしょうか。舌に馴染んだ「女房の味」を再び味わいたいという思いが、夫を厨房に向かわせるというわけです。味の記憶としても折に触れ思い出される亡き妻への、さりげないが実は深い感謝の気持ちが、この一首の根底には脈打っているのでしょう。夫婦二人の愛を再確認するかのように、遺された手書きのレシピとにらめっこをしながら厨房に立つ夫……。心に染みる情景です。
 奥さまは出掛けただけ、なんてことはないですよね?でしたら「残した」は「遺した」に。漢字一字で印象が違ってきます。また、料理をしているわけですから、ノートを見ていると言うよりレシピを見ていると言う方が、当たっているはず。語順を入れ替え、動詞「見て」(漢字にしました)の近くに「レシピ」という単語を移しました。句読点は、短歌という詩型が本来持っている句の切れ目に打っても、然したる効果はありません。(石井辰彦)

{添削後}
女房が遺したノートのレシピ見て慣れぬ手つきで厨房に立つ
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一応、こじんまりと、まとまりはついた、と言えるでしょう。
私にとって、一つだけ決着がついていないのは、作者は妻が遺してくれた「レシピ」を見ながら料理をしているのか、それとも、「レシピ・ノート」という妻が遺してくれた「愛の形」をそばに置いて料理をしているのか、という点です。

こうやるといいのよ、とコツを書き込んでくれたりしたノートをそばに置くと、そばに妻が立ってくれているような気がする。
具体的にはレシピを見ているのでしょうが、妻の愛がノートという形でそばにいてくれる、という風に読みこんでみたいのです。ですから、私が添削するとこうなります。

女房が遺したレシピのノート見て慣れぬ手つきで厨房に立つ

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