あたたかい手
[恋する大人の短歌教室]12月21日付朝日新聞より
{応募作}
眼を病んで半世紀ぶり手を組みぬ 大きな熊のあたたかい手:神奈川 吉田八重子
「五十年ぶり」ではなく「半世紀ぶり」と詠んだところが、意味は同じなのに何やら壮大な雰囲気が出て、いいですね。半世紀を共に生きてきた、しかし手を握ったこともないらしい昔気質の夫婦が、老齢にはありがちなことですが眼を病み、実に半世紀ぶりに手を取り合ったというわけです。あたたかい手を持つ大柄な夫を熊にたとえたところも、ほほえましい。半世紀分の愛情がこの一瞬に詰まっているような、読む者の心まであたたかくしてくれる一首です。
「手を組む」は、腕組みするとか協力するとかいう意味ですから、「手を取る」あたりに言い換えましょう。「大きな熊のあたたかい手」という隠喩は、ややぎこちない感じがありますが、おおらかさを買ってこのままに。結句6音の言い止(さ)す感じも悪くありませんが、助詞「よ」(「を」という手もあるでしょう)を添えて語調を整えてみました。第二句にも助詞を添えると、歌の姿が引き締まります。(石井辰彦)
{添削後}
眼を病んで半世紀ぶりに手を取りぬ 大きな熊のあたたかい手よ
--------------------------------------------------------------
眼を病んだのはどちらなのでしょう?奥さま?ご主人?
奥さまとしましょう。
若い夫婦が手を取り合って歩くというのとは違って、眼が不自由になられたのですから、ご主人が腕を少し曲げて保持する、そこへ奥さまが手をかけてガイドしてもらうという感じになるのではないでしょうか。
視覚障害者のカップルをお見かけすることもありますし、また、視覚障害者からの要望でも、手のひらを握り合うというのはあまり良いガイド方法ではない。腕につかまらせてもらう・腕に触るといった形でガイドしてもらうのが歩きやすくていいようですよ。
石井氏は「掌を握り合う」ことしか念頭に置いていないようですが、こういう腕を貸す形のガイドだと日常語では「腕を組む」になりませんか?原歌の「手を組む」とは実は「腕を組む」であって、字余りを避けたのではないかとも考えられます。
腕を借りてガイドしてもらった場合、「熊の手」は腕であって、太くてがっしりしていて、しかもあたたかいという意味になります。掌が大きくて分厚くってあたたかい、ではないかもしれません。
ご主人が眼を病んだのだとするとどうなるのでしょう。
やはり奥さまが腕を貸してご主人がそこへ手をかけて奥さまがガイドすることになります。この場合も「腕を組む」感じ。自分の腕につかまるご主人の手が「大きくて力強くてあたたかい」でもガイドが必要になってしまった。あの強い人が今私に添っている。そういう思いも重なることでしょう。
どう読みこんだらよいのか分かりませんが、私ならこうなります。
{かかし}
眼を病んで半世紀ぶり腕を組む 大きな熊のあたたかい手と:神奈川 吉田八重子
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント