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2009年12月

2009年12月25日 (金)

ツマグロオオヨコバイ

1224tumaguroooyokobai112月24日。お昼の散歩に出て、門の外をぷらぷら後ろ手に手を組んで歩いていたら(すごい「おじいさんスタイル」ですね!)左手に何かがとまって、かゆい。
みれば、ツマグロオオヨコバイが飛んできてとまったもののようです。
私は植物ではないゾ、まちがえるなよなぁ。
ツマグロオオヨコバイにとまられるほど、私は動物離れして、枯れたかかしになりましたか、とトホホな気分です。
1224tumaguroooyokobai2 右手のカメラで撮影すると、上へ歩きます。
ツマグロオオヨコバイは、「横這い」なんですからして、元気のいいときに葉っぱで見つけて写真撮ろうとすると、つつっと、横に移動するんですよね。
ところが、横移動をせずに、上へ、前へ進んでいる。
とうとう指の先っちょに来てしまいました。
思い入れがあるものですから、なんとなく優しい目つきに見えてしまう。
1224tumaguroooyokobai3
おとなしく、こういうアングルも撮らせてくれました。
フレンドリーなやつですね。
飛び去る気配もないので、ビヨウヤナギの葉のところへ連れて行って、そっと乗り移らせてやりました。
12月も下旬の日溜まりでの「心温まる」交流でありました。

年内、ブログ書きはどうなるかわかりません。
時間があれば書くし、なければ新年にまた。
早目かもしれませんが

みなさま、よいお年を迎えられますように!

クロヒラタアブの産卵

1225kurohirataabu112月25日、昼。
ゼニアオイの花のそばでぼんやりしていました。
そこへ、クロヒラタアブが飛んできて、ホバリングを繰り返し、花に頭を突っ込みます。
蜜を舐めているのかな、と眺めていると、なんだか様子が違う。
蜜を舐めるのなら自分の頭を花の中心部へ向けて入っていくはず。
なのに、頭が外向き。蜜のある場所に口を持っていっていない。なんだ?
ひょっとして、産卵行動を見ているのかな?
で、邪魔しないようにしばらく待っていると、飛び去りましたので、覚えておいた花に接近。
1225kurohirataabu2
花の中にはアブラムシがいっぱいいます。
中央の大きなアブラムシの腹部の先の方に白いもの!
これクロヒラタアブの卵でしょう。

1225kurohirataabu3 ほら。
少し細長めですけれど、鶏卵によく似た形です。
アブラムシたちの間に産みつけてある!
どのくらいで孵化するのか知りませんが、孵化したての幼虫の餌を確保しようということですね。
さすが、アブのお母さんの知恵。
アブラムシの方は、敵の卵なんですが気づいた風もありません。
孵化した幼虫が見られるかどうか分かりませんが、忘れないように花を見ることにしましょう。
また新しいものを虫さんに見せてもらってしまった。しあわせだなぁ。
ありがとう。

ツマグロコシボソハナアブ

1221tumagurokosibosohanaabu1翅の輝きが見えたので、存在を感知しました。
ひょっと近づいたら、細い腰、ハチだ、と思いました。

撮影して、カメラのモニターで見たら、顔が違う!
これはアブ顔だ!
平均棍も写っています。ハエ目です。
まいったなぁ、こういうのは初めて。
少しでも大きく見ていただきたいので、向きを90度ひねります。
1221tumagurokosibosohanaabu2
どう見ても初めて。
いつも使っている昆虫の写真のサイトに載っていない。困った。

「細い腰のアブ」で検索したらヒットしました。
ツマグロコシボソハナアブ
そのまんまの名前ですね。翅の先端が黒いので「ツマグロ」、腰が細いので「コシボソ」、ハナアブの仲間なんですね。
1221tumagurokosibosohanaabu4
腹部の模様なども見てください。
顔を見なければぜったいハチですよねぇ。
昆虫の少ないこの季節に、こんな初顔とお目にかかれるとは。
一期一会。
虫と会うこともあまりないからといって、恒例の昼のお散歩を止めるわけにはいきません。
いつどこでどんな虫と会うか、全く分からないものですね。
ありがたいことです。

フタモンアシナガバチ

1220hutamonasinagabati1フタモンアシナガバチのオスのようです。
11月ごろにはぶんぶん飛び回って、知らない人を驚かせる勢いでしたが、今回は、道の上、飛ぶ元気はなくなっていました。
1220hutamonasinagabati2
この顔がオス独特なんです。
黄色い顔面、触覚がくるっと巻いている。
単眼3つも写りました。
これが「ハチ顔」です。
一回りして戻ってきたらもういませんでしたから、飛び去ったか、歩き去ったか。
越冬はできずに死ぬはずです。姿を見せてくれてありがとう。

水仙

1213suisen1スイセンが咲き始めています。

陽のあたる方向が「こちら」からではないので、みんな「向こう」を向いてしまいます。残念。

1213suisen2
ちょっと茎をつまんでこっちを向いてもらいました。

この黄色いのは副花冠というのだそうですね。
カップみたいで面白い。
少し花が長けてくると
1222suisen
こんな姿になりました。

「ふゆ至り 花冠にみつる 陽のちから」
とまあ、これは俳句ではないですね。
黄色いカップにお日さまの力がたっぷりたまっている、というつもりです。
1225suisen
草丈が伸びてきたので、線路の柵の横棒の上に顔を出しました。
水仙畑のような、自然の姿にはなりませんが、背が伸びたヨ、と言っていますのでご紹介。

しばらく楽しませてくれそうです。

レンゲソウ

1213rengeどういうわけか、妻はレンゲソウが大好きでして。
線路際で花を咲かせて、散歩にくる幼児たちに見せようともくろんでおります。
このあたりに播いてあります。

マメ科ですから、例の蝶の形の花ですが、あれが輪に連なって咲くのですね。よくみるとすごく豪華な花なんですけれどね。あまり鑑賞用には使われません。もったいない。
私の語彙ではレンゲソウなのですが、標準和名はゲンゲなのだそうですね、知りませんでした。

ナンテン

1213nantenナンテンの実の「ミニでべそ」。
妙に愛嬌があって可愛かったのでアップにしてみました。

このごろ、ナンテンやセンリョウの実を鳥が狙ってますね。
まあ、仕方ないですけれど。
鳥も食べ物が少ないのでしょう。
鳥の糞で植物が引っ越してくることもよくあります。
何かの芽が出たら育ててみてください。思いがけないものが育つかもしれません。
楽しみが倍増しますよ。

コダカラソウ

1213kodakarasouコダカラソウの蕾の現況。

ゆっくりゆっくりしか変化しません。きっとまだ2,3カ月かかるんじゃないですか、予想ですけれど。
のんびりたのしみにしましょう。

カメムシ

1213kamemusi_nどうみたってカメムシなんですけれど。
種が同定できないままです。
困りました。

1213kamemusiyotyu1 一方こちらはヒメナガカメムシの幼虫です。
足元を見たら、カタバミの実の莢に茶色いものがついているので、よっこいしょ、とかがみこんで写真を撮ってみたらこれでした。赤いものがはみ出していますね。これが実です。
1213kamemusiyotyu2
その下の方に、同じヒメナガカメムシの幼虫がもっといました。
たまたま口吻を伸ばしているところが写りました。偶然です。
下の方の写真を撮るのは辛い。腰に響きそうで怖いのですね。冬はこれだから苦手です。

ジョロウグモ

1213jorougumo写真は12月13日の撮影。
記事を書いている今は12月24日。
ずっと同じ姿勢のままでいます。
生きています。

交尾失敗だったのですね。産卵した気配もありません。残念です。
せめて、毎日見に行ってあげることだけが私にできる唯一のことです。

イヌホオズキ

1213inuhouzukiイヌホウズキの実です。
線路脇の草はほとんど刈り取られてしまいましたが、これは柵の真下から生えていたので残りました。
直径5mmくらいかな。超ミニミニ・ナスという感じもしますね。

ほとんど区別がつかない「アメリカイヌホオズキ」という種もあるのですが、私には全く区別がつかないので、イヌホオズキということにしておきます。

オオスカシバの幼虫

1212oosukasiba112月12日。
こんな季節に、ヒメクチナシにオオスカシバの幼虫がいました。
葉っぱに食べ跡が残っていますね。
1212oosukasiba2
右はじが腹端。立派な突起。これ柔らかいので刺さりません。

飼育する気にはなれず、放置していたら、しばらくは同じあたりで見かけましたが、そのうち見えなくなりました。この大きさだと終齢ではないでしょうから、蛹にはなれずに地面に落ちたのかもしれません。
かわいそうですが、季節を外れるということは生きにくいことです。
自然の循環に還ったのだと思います。

ブロッケンの妖怪現る!

1212brocken112月12日の午前10時ころでしたか。
妻と二人で買い物に出かけようと、車を出しました。

車をガレージから道に出して、扉を閉めたり、ほこりを払ったりと車の周りを歩いていましたら、ふと気付きました。
虹だ!
と、最初思ったのですが・・・
妻を呼んで、虹が出た、と二人で眺めていて、また気づいてしまったのです。
これ、虹じゃありませんね!
頭の周りに後光が差してますよ。ありがたいこっちゃ。
妻は妻で自分の頭の影に後光が差しているのです。夫婦してありがたいこっちゃ。

こういうの、別名、ブロッケンの(妖)怪といいます。

虹だったらもっと半径が大きいのです。
同じ写真の彩度を少し上げてみました。
1212brocken2
少し色が鮮やかになったでしょうか。
自動車のエンジンをかけたばかりで、排気管から出る水蒸気がごくごく小さな水滴になっているのです。雨粒なんかとは比較にならないくらい小さな水滴です。
雨粒に太陽光が差した場合、いわゆる「幾何光学」で虹が説明できます。(本当は単純な幾何光学だけでは隅々まで説明するのは難しいのですが、面倒な話は脇に置いて。)

ここで、車の排気管から出る細かな水滴は、おそらく、光の波長とコンパラブル(光の波長と同じ程度)のサイズなのだと思います。
そうすると、「光線」を使って考える幾何光学は使えなくなってきます。
光が「波である」ことをメインで考慮しなければならなくなります。
この時のキーワードは「ミー散乱」といいます。
面倒な話はここではしませんが、光が波であるために光の波長と同程度の水滴で散乱される場合、光が影の側に回り込む「回折」が無視できなくなり、さらに干渉を起こして色に分解されることになります。

ブロッケンの妖怪、ブロッケン現象というと、山登りで、頂上あたりで雲に映った自分の影の周りを丸く虹が取り囲むのが見えた、とよく聞きます。新聞などにもときどきそういう写真が載ります(「ブロッケン現象」でグーグルのイメージ検索でもして下さい、一杯でてきますよ。)

今回は、雲ではなく、自動車の排気の水滴で観察できました。初めてのことですので嬉しくなってしまいました。
チャンスがあったら、もう一回、再現できるかどうか挑戦してみたいと思いますが、とりあえずご報告。

◆おまけ:ところで、光の波長よりずっと小さなものによって光が散乱される場合はレーリー散乱という現象が起きます。空が青いのはこの散乱によるものです。青が側方に散乱され、青空が生じ、光の方向には赤い光が残って、夕焼けができる原因になります。

JOEK

1209kawaisouなんだか、ちょっぴり、かわいそう、な気がしました。

2009年12月24日 (木)

おいしそうなパンジー

1216pansyね、ね、見るからにおいしそうでしょ、っ!
ツマグロヒョウモンの幼虫のために買ってきたパンジーです。
さいわい、妙な薬剤はかかっていないらしく、順調にこのパンジーの葉を食べてくれます。初めは小さな透明プラスチックケースに入れていたのですが、今は、蛹になりやすいように(=ぶらさがりやすいように)、飼育ケースに移しました。
うまく冬を越していけるのかどうか分からないものですから、写真を遠慮していますが、年を越せたら、一度写真をお目にかけますね。今はひっそり、飼育中。

ツマグロヒョウモン

1208tumagurohyoumon道路に散った枯葉の上にツマグロヒョウモンのメスがいました。

お日さまを背面いっぱいに受けています。
ゆっくりあたたまってね。
遠くから撮影してすぐに離れました。無理に飛ばせたくはなかったので。
この写真が12月8日です。
ちょっと前に書いた、ツマグロヒョウモンの幼虫発見の話は12月13日の出来事でした。
この8日に産んだ卵が私たちの飼育下に入った幼虫になるのは無理ですが、なんとなく、繋がりを感じてしまうのは考え過ぎかな。
このメスが前にこのあたりで産卵したのが今私たちの手元にいるのではないか、どうもそんな風に思ってしまう、妙に感傷的ですね、かかしさん。

枯葉

1208karehaこれ、単に枯葉なんですけれど・・・。
どうして写真を撮ったかというと。
蝶の蛹の中でこの形にそっくりなのがいますね。ぶら下がり型の蛹で。
もちろん蝶の蛹の方が枯葉に擬態しているわけですが、私の目には一瞬、サナギ?と映ったわけです。
そばへ寄って、よくよく見れば、枯葉でした。
ホント一瞬びっくりしたんですよ。
パターンでものを見ているということですね。

ヒラタアブ

1208hirataabu_yotyuヒラタアブの幼虫がゼニアオイの花びらにいました。

ハエの仲間の幼虫ですから、いわば「ウジ」です。
慣れないと気持ち悪いかもしれませんが、アブラムシを食べて成長しますので、植物好きの方は、これ、駆除しないでくださいね。
今の時期に幼虫でいて、越冬はどういう形になるのでしょうね。
餌を求めて歩き回る、というタイプでもなさそう。移動はしますが、ごくゆっくりのようです。
ハエの幼虫は結構速い速度で歩き回りますけどねぇ。

冬のヒガンバナ

1208higanbanaただいま、栄養蓄積中。
細い葉の先端が丸くなった独特の形です。
光合成をして、せっせと栄養を溜めているのでしょう。
花の時期まで葉があってもよさそうな気もするのですが、ヒガンバナはどういうわけか、春には葉も枯れて、地上から消えますね。
不思議だ。
植物にもいろんな生き方があるんですね。

ハナアブ

1208hanaabu1ハナアブでしょう。
このタイプのころんとしたアブは家のあたりではあまりお目にかかっていません。腹部がぺたんこのヒラタアブが多いです。

窓の柵にとまって日向ぼっこをしながら体の手入れをしていました。
1208hanaabu2
あまり動く気もないらしく、ものすごく接近することを許してくれました。
こんなです。
見事な複眼。
単眼も写りましたね。左右の複眼の間のV字型の切れ込みのところに単眼があります。
アブの単眼がちゃんと見えるのは珍しい。
ハエ・アブの仲間は冬の間もずっと長く付き合ってくれます。他の昆虫がいない時に出会うと、もう何が何でも写真を撮りたくなってしまいます。

この写真、12月8日撮影。大分手元に溜まってしまっています。
ブログを書くのも年内はあと2,3日。新しい年へ積み残しが出てしまいそうです。
新年になってから旧年中の写真でブログを書くのも恥ずかしいのですが、ご容赦を。

2009年12月23日 (水)

サンタさん

1213santaweakとあるスーパーでカートを押しながらとぼとぼ・・・。
ふと足元に、こんなものが。
通り過ぎてから、なんだあ?と戻ってみました。
パッと見「SANTA WEAK」に見えたのです。

SANTA WEEKの間違い?弱気なサンタさんの書き間違い?・・・?

携帯している振りして、写真を取ってきました。
1213santawear
よく見れば、SANTA WEAR でした。
とんだ早とちりでした。

でもなぁ。「R」の上の部分が(あまり)丸くないんだもんなぁ。
「K」に見えません?

4点セットです。

さて、これを買って準備しているお父さんもいるんだろうなぁ。
夫婦の愛ですね。

有名なお話ですが、心をあたためる「灯」をどうぞ。

    

サンタクロース(毎日新聞 2009年12月13日)
 <きしゃさま あたしは八つです。あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ」っていっている子がいます>。1897年、ニューヨークの新聞社に、バージニアと名乗る女の子から一通の手紙が届いた。<おしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?>。幼い文字で、問いかけていた。
 手紙を読んだ編集長は、一人の記者を呼んでもちかけた。「社説に、返事を書いてみないか」。後に、この社説は全米で話題となり、世代を超えて語り継がれた。日本でも1977年に、「サンタクロースっているんでしょうか?」という邦題で、すてきな挿絵が付いた絵本になった。
 編集長が残した回想録によれば、記者は「人間生活のあらゆる面について、深い洞察力とするどい感受性をそなえた人物」だった。
 片や、バージニアは成長して教職に就き、病院で長く入院生活を送る子供たちのための学校の副校長まで務め上げた。そして、1971年に彼女が81歳で亡くなった時には、米国の新聞社は<サンタの友だちバージニア>という見出しで、追悼文をささげた。
 09年師走。書店の絵本コーナーでこの本に出会う。
 <バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです
 112年前の新聞の社説に掲載された思いは、映像があふれかえる今も、みずみずしい感動を伴って、読む者の心にぬくもりをともしてくれる。確かに、本当に大切なものは、視覚で感じるものではない、ということを。

◆追加:そういえば朝日新聞にも同じ記事がありました。
12月19日付「風」というコラムです。

「風」ニューヨーク:「サンタはいる」答えた新聞:立野純二
 19世紀末、ニューヨークに住む8歳の少女が地元の新聞社に1通の手紙を送った。
 「友だちがサンタクロースなんていないと言います。本当のことを教えてください。サンタはいるんでしょうか」
 それを受け取った「ニューヨーク・サン」紙の編集局は本物の社説で答えた。
 「サンタはいるよ。愛や思いやりの心があるようにちゃんといる」「サンタがいなかったら、子どもらしい心も、詩を楽しむ心も、人を好きになる心もなくなってしまう」「真実は子どもにも大人の目にも見えないものなんだよ」
 少女の名前は、バージニア・オハンロン。のちに教師に成長し、学校の校長先生になって、1971年に亡くなるまで、恵まれない子どもたちの救済に尽くした。
 彼女の名を冠した奨学金制度が今月、ニューヨークのアッパーウエスト地区にある小さな私立学校にできた。貧しい家庭の優秀な子に授業料を支援するという。その校舎は、バージニアがかつて住み手紙をしたためた、れんが造りの4階建ての家にあった。
 校長のジャネット・ロッターさん(53)は「何かの運命と思った」と私に静かに語った。71年設立の同校は、不動産高騰が続く市内で入居先を転々とし、現在地近くに22年前に移った。その後、バージニアの物語を初めて本で読んだ。彼女の手紙に記された住所から、その場所が学校の向かいの廃屋だと気づいた。
 学校の支援者らと息長く資金を集め、外壁だけを保存して再建し、07年に入居した。近代的な校内に往時の面影はない。だが、ここで学ぶ110人の児童の心には「目には見えずとも大切なもの」が生き続けていると校長は言う。
 「デパートで会ったサンタのひげをひっぱったら、取れちゃった。でも、サンタはいないとは思わない。クリスマスになると、わくわくするのはサンタのおかげ。見えなくても、わたしの胸の中にちゃんといる」。作文の授業で、10歳の少女はそうつづった。
 米ジャーナリズム史上最も有名な社説と呼ばれる、バージニアへの返信を掲載したサン紙は半世紀前に消えた。同じ名前と精神を看板に02年に設立された新聞社も、経済危機のあおりで昨年解散した。
 少女の心の扉を開き、百年の時を超えて人々の想像力のともしびを燃やし続ける一編の記事を生み出す力が今、私たちの新聞にあるだろうか。
 「時代が違いますからねえ」。校長は熟考してから、言った。「メールや携帯電話は広まったけれど、人間らしい対話は乏しいような気がします」
 サンタはいる。そう書ける新聞でありたい、と思う。

冬至

去年もこんなことを書いたような気もしますが、ご容赦を。
Touji_2
昨日は冬至でした。一年で一番昼の長さが短い日、でした。
そういわれると、何となく、日の出が一番遅くて、日の入りが一番早い日のような気がしませんか?

理科支援員としてお手伝いに行った小学校へ「先生方へのおみやげ」として、左の表をプリントアウトして持って行きました。

如何でしょう?
11/29~12/13が日の入りが一番早くて16:28でした。
来年の1/1~1/13が日の出が一番遅くて6:51です。

12/22の冬至はどちらでもないんですね。
これって意外と意外でしょ。
差を取ると、冬至の日中の時間が一番短くならないんですが、これは日の出・日の入りの定義の問題でしょう。

もうこれからは日脚が伸びていきます。
明け方の真っ暗はまだまだ続きます。

本来、冬至というのは黄道上での太陽の位置なんで、春分点を0度として270度の位置ですので「冬至点」というべき位置のことなんですね。冬至点を含む日が「冬至」なのです。
今年の冬至は「12月22日2時47分(24時間制)」でした。夜明け前に冬至点を通過したのですね。

日の出入は「太陽の上辺が旧東京天文台の地平線に一致する時刻」です。

こんなところを知っていると「うんちく」が傾けられますが、遅きに失しましたか。
六日の菖蒲十日の菊、になったようですね。
失礼しました。

2009年12月22日 (火)

冬の蝶

2009.12.21付 朝日俳壇より
里山に孫放ちやり冬の蝶:(恵那市)可知あきを

そうそれでいいのです。
蝶を飼育するのは難しい。
蝶の生きる力に任せて、蝶自身に生きてもらうのが一番よいのです。

虫を飼育するとはいっても、できることは環境や食べ物を用意するだけなんです。
生きるのは虫たち。
人のちからで生かしてやるわけではありません。
人の力を超えるときは、自然の力に任せるのがよいのです。

きっと、また来てくれますよ。
すべての蝶と関わりを持った気持になります。
それが命を大切にするということでしょう。

山の芋

2009.12.21付 朝日俳壇より
辛抱の上に辛抱山の芋:(横浜市)李培張

山でちゃんと掘ったことはありません。でも、あれ、折らずに全体を掘り上げるのは大変でしょうね。息を詰める瞬間もきっと少なからずある。
掘り上げて、ほ~ぅっと息を吐くのに違いありません。
集中力が途切れたらおしまいですものね。

さて、どうなりましたか?
おいしいヤマノイモを召し上がっていらっしゃることと存じます。

棕櫚の葉を齧って

2009.12.21付 朝日歌壇より
こんなもの食べていたんだ棕櫚の葉を齧ってひっそり生きてる蝗:(牛久市)伊藤夏江

蝗の成虫がいつまで生きるものなのか、よくは分かりませんが、必死です。
蝶や蛾の幼虫の食草のような「種特異性」はないでしょうが、やはりうまい葉、まずい葉はあるんでしょうね。きっと。そう思います。
固い棕櫚の葉を齧るとなれば、これはもう最後の手段かなぁ。
もっとみずみずしくって柔らかい葉を食べさせてあげたいですね。

カマキリを飼えば「おいしそうな虫」に目が行き、バッタ類を飼えば「おいしそうな葉」に目が行くものです。
今はツマグロヒョウモンの幼虫を飼育中なので「おいしそうなパンジー」に目が行きます。

蝗さん、がんばってね。

目玉

2009.12.21付 朝日歌壇より
大鍋にふつふつ煮える鱈汁の頭とり出し目玉より食ふ:(新潟市)荻島俊雄

鱈の頭はあまり食べませんが、鯛の頭はよく食べます。徹底的にほぐしていくと、ずいぶん身があるものです。
もちろん「目玉」も食べます。おいしいというものでもないけれど、やっぱりたんぱく質だからなぁ、食べられるんだから食べなければもったいないし、お魚さんに申し訳ない。
子どもの頃から、魚の煮つけの目玉は食べてました。
火の通った外側は白くなっていますが、まだ火の通っていない内部は半透明で、皮をはがすように層状にめくれるんですね。おもしろがって必ず食べていました。
魚の目がこちらを見ているようで怖い、というような感傷とは全く無縁な育ち方をしました。
ひたすら食う。うまいものは徹底的に食いつくす。そういう世代です。

鯛の口の「歯」はすごいですよ。感動的に獰猛です。

鱈もいいですねぇ。
とにかく、スーパーへ行くとまず「アラ」コーナーへ直行する「アラ探し」夫婦なのでありました。
安くてうまい。これ以上のことはありません。

蜜蜂

2009.12.21付 朝日歌壇より
北国より養蜂業者越して来て南房総に蜜蜂飛び交う:(松戸市)猪野富子
 馬場あき子 評:南房総の蜜蜂の活動も養蜂業者たちの移動による自然界の変化として捉えたのが発見。

「自然界の変化」かなぁ。
ああ、ミツバチが増えた、今年も養蜂業者さんが花を求めてやってくる季節になったのね、と「ひとのこと」として、季節のうつろいを感じとっていらっしゃるのではないかなぁ。

「発見」というよりは、「毎年のこと」への感受性と言うべきかと考えます。

こんこん

2009.12.21付 朝日歌壇より
こんこんと眠る幼なのこんこんが聴こえてきそうな冬の訪れ:(高槻市)有田里絵
 永田和宏 評:無意識に使っているオノマトペを逆用した面白さ。

「オノマトペ」という言葉は、意味も知っているしよく使うのですが、なんだかどういう言葉なのか正確には理解していない所があって・・・
要するにこの場合は「擬音語」でいいのですよね。
便利だけれど、もう少ししっくりする言い回しはないものでしょうかねぇ。

雪が「しんしん」と降る。
そんな夜、「しんしん」という音が本当に聞こえそうな気がします。
無音の音。
「こんこん」というのも無音の音。

人間は「完全な無音」というものにはある意味で耐えられない。必ず耳鳴りを発します。
聴覚細胞のランダムな興奮を音として聞くのかもしれません。

新生児の聴力を調べるのに「耳音響方射検査」という方法があります。
新生児の耳に刺激音を入れてやると、その後、耳が能動的に「音を発する」のです。これを捉えて、聴力の検査ができます。

さて、こんこんと眠る幼子。ひょっとして「こんこん」という音を発しているかもしれませんよ。
添い寝しながら聴いてください。おかあさんも「こんこん」。


仕事の顔

2009.12.21付 朝日歌壇より
駅を出て自宅の見える角手前仕事の顔を鞄へしまふ:(匝瑳市)椎名昭雄

私の場合、障碍者として自家用車による通勤を認めてもらっていましたから、「駅から帰宅する」という経験には乏しいのです。ただ、家の前まで車で帰ってくるということは、車を運転するという、強い緊張・意志の保持などを家の前まで持ち帰ってしまうということでもあります。
ですから、現役時代、帰宅してすぐ食事など家庭の私的な空気に入りこむことができず、必ず着替えをして、体全体、精神力をほどいて、外の「顔」をしまい込む作業が必要でした。

そのような切り替えは必要ですね。でないと、家族もお互いにぎすぎすしてしまう。
作者は「仕事の顔」と表現しています。おみごとですね。

{電車の中で化粧をする女性は、鞄の中から「仕事の顔」を取りだして顔に張り付けているというわけでしょうかねぇ。家でやってきてくださいね。その作業はあまり見たくないですから。}

綾蝶

2009.12.21付 朝日歌壇より
酔いしれて真夜の階段のぼるとき冥き底より綾蝶(ハブラ)舞い来たり:(奄美市)浜田ゆり子
 高野公彦 評:酩酊感の象徴のような綾蝶

ネットで調べてみたら、沖縄で蝶のことを「はーべーる」というのだそうですね。
綾蝶と書いて「あやはべる」「あやはべら」というのだそうです。
また蝶は死者の魂の化身というようにも考えられていたようです。

具体的な種を特定することは必要ないのですね。

冥界から魂が綾蝶という姿を取って、ふわっと舞いあがってきたような感覚にとらわれたのでしょう。
「酔い」は「日常世界」と「非日常世界」の境い目をあいまいにし、冥界を垣間見させてくれたのかもしれません。
高野氏の評は、ちょっと踏み込みが不足、と感じます。

リフォーム

2009.12.21付 朝日歌壇より
リフォームの工事なるらしこの家も子らを育てて子らに去らるる:(群馬県)小倉太郎
 高野公彦 評:老後に備えて廊下や風呂場に手すりを付け、段差をなくし、減築(部屋数を減らす)したりする。子らに去られた夫婦の哀しい現実。

高野氏の評に異議あり。
夫婦二人で「老い」に向かっていくことはそれはそれなりに「おおごと」ではありますが、私はとても幸せなことだと感じています。
子が一緒に住んでくれなければ不幸ですか?
子が一人前になって、親のもとを去る。これを幸せといわずに、なんというのでしょう?
子の人生に親が影響を及ぼすなんて、不幸なことです。

歌の詠み手は、リフォーム中の「家」を見て、ああこの家も子育てを終えて親御さんたちと共に「年を重ねた」んだな、と感慨にふけっているようにおもいますが、いかが?
子は去った、残りの年月を夫婦と共に年を重ねてゆくべく新たな「家の人生」にはいるのでしょう。

そんな感想を持ちました。

かもめ

2009.12.21付 朝日歌壇より
引き潮の鷗外橋の欄干にかもめ並びて高炉眺むる:(北九州市)中村テルミ

検索してみたら北九州市のサイトに記述がありました。

平成12年3月完成 長さ:90.0メートル 幅員:5.0~20.0メートル

治水対策により川幅が広げられるため、架け替えられた橋です。

小倉にゆかりの深い明治の文豪、森鷗外。

市民に親しまれてきた「鴎(かもめ)」の彫刻。

そして紫川によみがえってきた鳥。

この三つの要素を組み合わせ、水鳥(かもめ)をデザインしたユニークな歩行者専用橋として整備されました。

行ったことがないので分からないのですが、歌の中の「かもめ並びて」というのは、実際に生きた鳥が欄干に並んでいたのでしょうか?それとも、欄干にかもめの彫刻が並べて取り付けてあるのでしょうか?

どっちかなぁ、とイメージ検索をしてみましたがよくわかりませんでした。

市ヶ谷駅

2009.12.21付 朝日歌壇より
憂国忌知る人も減り今日もまた市ヶ谷駅は昨日と同じ:(東京都)佐藤次郎

私の世代、団塊の世代あたりは憂国忌は知っているでしょう。まだ「減った」と言うほどではないのではないかなぁ。
1969年2月でしたか。東大全共闘と三島由紀夫の討論会というのがありました。
東大闘争が終焉に向かう鬱屈の中で、「焚祭」というスローガンを掲げたグループが企てたものでした。
何を隠そう、私もその焚祭グループの一員で。あの討論会の企画から実施まで関わったものです。私たちにとっては真剣ではあれ「お祭り騒ぎ」だったと認識しますが、三島にとっては別のものであったかもしれない。
三島の割腹自殺は激しいショックでした。

ところで一方、市ヶ谷の自衛隊のすぐそばに病院がありまして、私が「補装具」というものを初めて作ったのはその病院ででした。6歳、小学校に入る1年前かな。補装具というものの存在を知る前の私は、右足一本で跳ねまわるだけが行動力でした。ですから、母親が私を背負って市ヶ谷へ通ったものです。冬のお濠は分厚く凍ったものでした。夏の草むらでは、バッタ採りに夢中になったものです。
すぐそばに自衛隊の駐屯地があることは聞かされてはいましたが身近には感じていませんでした。
三島事件のときに、え、あの市ヶ谷なのか、とこれはまた別の意味でショックだったのを覚えています。
40年前の事件。50年以上前の通院経験。
忘れることはありません。

ベランダ

2009.12.21付 朝日歌壇より
陽落ちてキティちゃん干すベランダは若い家族の幸せ映す:(葛城市)林増穂

別に陽が落ちなくても、街を歩いていてベランダに干された洗濯物が目に入ることはよくあることです。あんまり深入りしてはいけませんが、子育て中のおうちの洗濯物はよくわかります。
赤ちゃんひとりのおうち。何人も兄弟姉妹がいそうなおうち。
子が育つさまを、街に棲むみんなで優しく見守りましょうよ。
公園の子どもの声がうるさいなんて信じられない。子が育つ、これ以上すてきなことなんてないじゃないですか。
我が家の前には保育園の子らがお散歩に来ます。あのにぎやかさ、楽しいですよ、嬉しいですよ。そのために子の視線に入る高さの花が咲くように、などと工夫しているのですし。

不寛容な社会は怖い。
子がゆるやかにそだつ街にしたいですね。

何ごとか

2009.12.21付 朝日歌壇より
何ごとか背広に赤子背負いたる主任が部長室におりたり:(調布市)水上香葉

この歌はもう、「何ごとか」にすべてが集約されていますね。
いろいろと想像力は走り回る。とんでもなく喚起力の強い歌をおつくりになった。
振り回されています。

マネキン

2009.12.21付 朝日歌壇より
マネキンはマネキンなれど怖々とスカート覗く少年がゐる:(京都市)才野洋
 佐佐木幸綱 評:性に目ざめた悪戯小僧である。

なるほどね。ガキはガキでいいんですよ。まっとうにガキをやってこそ、まっとうな大人になれるんです。そこを小奇麗に省略すると、大人になりきれないへんちきりんなものができあがる。スケベもわるくない。
「人間みなスケベ」というのも私の悟りの一つ。でなけりゃ、地球上にこんなにうようよヒトが繁殖しているわけがないでしょう。

ところで、私のの行動圏に、とある女性の下着屋さんがありまして。マネキンがショーツを履いたのが店先に置いてある。あるとき、ガキがそのマネキンの腰に抱きついた。そうしたら、ショーツが脱げてしまって。それは、彼にとっても予想外だったこと。私はそれを最初から見ていたものだから、こら、直しとけ、といってやりましたが、もう、恥ずかしそうにショーツを履き直させて逃げて行きましたっけね。立派な大人になれよ。

また、ところで。真面目な話。
柳澤桂子さんという生命科学者の著作「二重らせんの私」だったと思いますが、柳澤さんがアメリカのコロンビア大学に留学したとき。
コロンビア大学には、アルマ・マターという女神の像があるのだそうです。そのアルマ・マターのスカートの中を覗くと、そこにはミネルヴァの梟がいるのだそうです。
こうなればエスプリというのでしょうね。
意味深い「いたずら」というか。
むずかしいものだ。

あたたかい手

[恋する大人の短歌教室]12月21日付朝日新聞より

{応募作}
眼を病んで半世紀ぶり手を組みぬ 大きな熊のあたたかい手:神奈川 吉田八重子

 「五十年ぶり」ではなく「半世紀ぶり」と詠んだところが、意味は同じなのに何やら壮大な雰囲気が出て、いいですね。半世紀を共に生きてきた、しかし手を握ったこともないらしい昔気質の夫婦が、老齢にはありがちなことですが眼を病み、実に半世紀ぶりに手を取り合ったというわけです。あたたかい手を持つ大柄な夫を熊にたとえたところも、ほほえましい。半世紀分の愛情がこの一瞬に詰まっているような、読む者の心まであたたかくしてくれる一首です。
 「手を組む」は、腕組みするとか協力するとかいう意味ですから、「手を取る」あたりに言い換えましょう。「大きな熊のあたたかい手」という隠喩は、ややぎこちない感じがありますが、おおらかさを買ってこのままに。結句6音の言い止(さ)す感じも悪くありませんが、助詞「よ」(「を」という手もあるでしょう)を添えて語調を整えてみました。第二句にも助詞を添えると、歌の姿が引き締まります。(石井辰彦)

{添削後}
眼を病んで半世紀ぶりに手を取りぬ 大きな熊のあたたかい手よ
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 眼を病んだのはどちらなのでしょう?奥さま?ご主人?

 奥さまとしましょう。
 若い夫婦が手を取り合って歩くというのとは違って、眼が不自由になられたのですから、ご主人が腕を少し曲げて保持する、そこへ奥さまが手をかけてガイドしてもらうという感じになるのではないでしょうか。
 視覚障害者のカップルをお見かけすることもありますし、また、視覚障害者からの要望でも、手のひらを握り合うというのはあまり良いガイド方法ではない。腕につかまらせてもらう・腕に触るといった形でガイドしてもらうのが歩きやすくていいようですよ。

 石井氏は「掌を握り合う」ことしか念頭に置いていないようですが、こういう腕を貸す形のガイドだと日常語では「腕を組む」になりませんか?原歌の「手を組む」とは実は「腕を組む」であって、字余りを避けたのではないかとも考えられます。
 腕を借りてガイドしてもらった場合、「熊の手」は腕であって、太くてがっしりしていて、しかもあたたかいという意味になります。掌が大きくて分厚くってあたたかい、ではないかもしれません。

 ご主人が眼を病んだのだとするとどうなるのでしょう。
 やはり奥さまが腕を貸してご主人がそこへ手をかけて奥さまがガイドすることになります。この場合も「腕を組む」感じ。自分の腕につかまるご主人の手が「大きくて力強くてあたたかい」でもガイドが必要になってしまった。あの強い人が今私に添っている。そういう思いも重なることでしょう。

 どう読みこんだらよいのか分かりませんが、私ならこうなります。

{かかし}
眼を病んで半世紀ぶり腕を組む 大きな熊のあたたかい手と:神奈川 吉田八重子

クロヒラタアブ

1207kurohirataabu1クロヒラタアブがヤツデの花に来ていました。

口を伸ばしてオシベを舐めているようです。液体ではなく、花粉の粉末でもいいのですかね。

1207kurohirataabu2 この写真見てください。
前脚でオシベの葯を抱え込んで口を付けています。
丸いメシベの根もとのところに蜜があるはずなんですが、そこへは口を伸ばしていませんでした。
ふ~ん、そおなのかぁ、とちょっと驚かされた次第です。

アリグモ

1207arigumo1最初、てっきりアリだと思いました。
それにしてはあまり動かないな、とは思いました。アリはせわしなく歩きまわっていることが多いですからね。よく見ると、口に何か緑色のものがくっついている。まさか、アブラムシを世話しに来て、空腹のあまりアブラムシを食べてるんじゃないだろうな、と、実際思ったのです。
1207arigumo2
完全にだまされましたね。
アリグモでした。顔を認識すれば間違えることはない。
アブラムシを捕食しているところでした。

もう一回、真横からきれいに撮れた写真をどうぞ。
1207arigumo3
まったくもう、これはアリですねぇ。
触覚までみごとに擬態しているものなぁ。

実は、この2,3枚目の写真を、A4の用紙にプリントアウトして、小学校へ持っていったのです。
まず、先生方がびっくり。これがクモですかあ、と。
希少種ではないのか、とも聞かれました。
いえいえ、見え始めると結構あちこちで見かけられるようになりますよ。
普通種です。と。
子どもたちがこのクモを認識したら、視線が低い分、きっとあちこちで見えるようになると思います、と、お渡ししました。
翌日行ってみると、職員室の前に掲示されておりました。嬉しいことです。

気づかなかったものが見えるようになるというのは実に楽しいことですから。

アオクサカメムシ

1207aokusakamemusi非常にスローペースなんですが、アオクサカメムシを違った場所で見かけます。
おそらく一つの個体なのでしょう。
ゼニアオイで見かけたり、線路の柵で見かけたり。
線路の側溝の蓋の上にいたり。
ゆっくりですが、移動しながら植物を探し、それなりに栄養を得て生きています。
見かけるたびに写真は撮っていますが、ここでは一枚だけお目にかけます。
いつまで会えるか、見つめ続けています。

2009年12月21日 (月)

3万枚

オリンパスのE-510という一眼レフにマクロレンズを付けて常用しています。
写真を撮るとカメラの側が自動的に作成したフォルダに画像が格納されます。
一つのフォルダには1万枚納められ、それを超えると新しいフォルダが作成されます。
最初のフォルダが作成されたのが、2008.2.9
2番目のフォルダは、2008.8.21
3番目のフォルダは、2009.5.4
そして、2009.12.19に4番目のフォルダが作成されました。
3万枚撮り終えたのですね。
1219zeniaoi0001
これが4番目のフォルダの最初の1枚。
ゼニアオイの蕾が開きかかっているところです。
なかなかいい具合に撮れました。

デジタルカメラのいいところは、お金をかけてDPEに出す必要がないということですね。撮影して即座にPC上で見られる。ダメなのはすぐ捨てるし、気に入らないのも捨ててしまって構わない。とにかく、撮りまくって、その中から、気に入ったものだけを残せばいい。
昔から、アマとプロの違いはそのあたりと言われました。
アマは撮る枚数が少ない。
プロは長尺フィルムを使って、ひたすら撮りまくって、よい写真を探す。
お金をどれだけかけられるか、ということでもあったのです。

デジカメになって、そういう意味でのアマ・プロの差はなくなりました。
とにかく撮りまくればいいんです。マクロレンズでの接写などはとにかく撮りまくりです。被写界深度が浅いから昆虫のどこにピントが合ったのか、わかりゃしない。で、何枚も可能な限り撮らせてもらって、いい写真を紹介しようと頑張っています。
そうしたら、2年足らずで、3万枚撮りましたヨ。
ちょっと感慨深いものがあります。
これからも虫さんや花さんに支えてもらって、いろいろな姿をご紹介できればいいな、と思っております。

どんどん来た

1206kurohirataabuクロヒラタアブ。
葉を舐めていますね。
寒くなって、最後まで活動が続くのが、おそらくハエ・アブの仲間かな。
もちろん、彼らの活動の基盤としての植物がちゃんとなければなりません。

枯れ野原じゃダメなんです。
野焼きって、カマキリの卵や、越冬中のテントウムシや、いろいろ全滅させる行為のように思えますが違うかなぁ。
先日、天皇ご一家がこどもの国へ行かれたとき、木の菰巻きを開いたら、テントウムシが出てきた、というニュースを見ました。
菰巻きの中に、「害虫が籠る」というのはおそらくウソなんですよ。成虫で越冬するテントウムシなんかが利用しているんですね。菰を外して焼いちゃダメ!!

1206namitentou
ナミテントウ。
1206nanahosi ナナホシテントウ。

出会うときは出会いますね。
いっぱいやってきて、写真撮って、です。
ハイハイとリクエストに応えるかかし爺さんです。
気のいい連中でね。素晴らしきかな仲間たち!ですね。

ヒメナガカメムシ

1206kamemusi_yotyuこれ、ヒメナガカメムシの幼虫でしょうね。

成虫より大きい感じがしてしまう。ほっそりしていないし。
あんまり似ていませんが、でもヒメナガカメムシの幼虫です。

私の「散歩」は「立ち歩き」ですから、足元に目が届きにくいんです。腰もいためやすいし、あんまりしゃがみたくない。で、足元の出来事を見逃しがちなんですが、今の季節、背の低い雑草たちの間に、いろいろ虫さんの秘密があるようなんですよ。なかなか見に行けませんが。

合理的配慮

◆12月8日付で、小学校で話した「自己紹介」について書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9743.html

 私は現役時代、毎年度、年度当初の授業を1時間、自己紹介に当ててきました。これは教師になった最初の年から、嘱託員を終えた最後の年まで続けました。その話の内容は頭の中にほぼ納まってはいるのですが、ある時、異動を控えた3学期に同僚の先生が、自分のクラスでその自己紹介をやってくれないか、と提案してくれたのです。その時、頭の中の台本を初めて「文章化」したのでした。それ以来、このプリントを毎年改訂しながら、年度当初の授業に使うようになりました。
 NHK放送文化事業団の「NHK障害福祉賞」にこの文章をアレンジして応募して入賞したこともあります。
 今回の小学校での話の原稿も、2009年バージョンとして、小学生を念頭に置きながら改訂しました。

 その中で、私はこんなことを書きました。
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 ・・・
 「障害」ってどこにあるんでしょうか。
 ・・・
 いろんな力があって、それぞれの力には幅が広くあって、その少しだけはじっこの方にいる人は、いろいろな「壁」に悩まされます。それが「バリア=壁」なのですね。
 そのバリアを崩し、壁を取り払うことができるのは、いわゆる「健常者」の側だと思うんですよ。障害(バリア)を持っている(つくっている)のは、いわゆる健常者なのではありませんか?
 ・・・
 障害者とは健常者が無意識のうちに作ってしまった「障壁」=「障害」にさえぎられている人のことなんです。
 障碍者という言葉が最近よくつかわれます。「碍」という字は「さまたげる」という意味です。「障壁にさまたげられて不自由をしている人」という意味ではこの「障碍者」という言葉はよい言葉ですね。
 ・・・
 バリアフリーという言葉を最近よく聞きます。障害者や、お年寄りや、お腹の大きなお母さん・・・にとって使いやすいということは、実はすべての人にとって使いやすいということなのです。
 元気な人は多少のバリアがあろうがなんだろうが気にせずまたぎこしていってしまうわけですが、私たちはそのバリアに引っかかってしまうわけです。ですから、すべての人に使いやすいデザイン、つまりユニバーサル・デザインができるといいですね。

  

 「どっちが『障害者』なんですか?」
   「障害(バリア)を作っているのは誰ですか?」
   「みんなでバリアを低くしましょうよ」

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◆12月5日付けの朝日新聞にこんな記事がありました。部分引用します。(太字、引用者)
   当事者に決めさせて:障害者権利条約 日本は批准まだ
 国連の障害者権利条約特別委員会議長を務めた、ニュージーランド外務貿易省特別顧問のドン・マッケイ氏(61)が来日したのを機に、条約が目指す社会について聞いた。
 ・・・
 「この条約の交渉過程で障害者団体が『Nothing about us, Without us(私たち抜きに、私たちのことを決めないで)』と発言し、非常に重要な点となった。今まで障害がある人は、自分たちに関する政策決定に関与できず、他の人が決めてしまっていた。障害者自身が参加して条約を作り、交渉過程においても鍵となる役割を果たした。」
 ・・・
 ―-条約は締約国に対して、障害のある人への差別を無くすために「合理的配慮」を求めています。どういった配慮なのですか。
 「新しい概念で、条約交渉に携わったメンバーでも聞いたことがない人がほとんどだった。障害のある人が、他の人と同様に社会生活を送れるよう、社会の方で必要な変更や調整をすることだ
 「たとえば車いすの人を雇う際、職場にたどりつくためのスロープの設置が合理的配慮になる。合理的な配慮は、個人に着目した概念で、一人ひとりの事情に対応する。障害自体が不利益をもたらすのではなく、適切な対応ができていない社会に問題がある。ただ、零細企業で、経済的に大きな負担になる場合には求めない」
 ・・・
 [キーワード]障害者権利条約の批准への課題:世界に障害者は6億5千万人いると推計され、人口の10%前後にあたる。国内で、障害者と認定されている人は人口の6%程度。障害者団体は、身体の欠損や知能指数に偏った認定になっており、発達障害や難病、難聴の人たちが制度のはざまに置かれていると批判している。
 「合理的配慮をしないこと」を条約では差別としているが、障害者基本法は差別を定義しておらず、国内法整備が必要とされている。
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◆また、12月8日付け朝日新聞の読者投稿欄「声」にこんな話が載りました。
   障害者に優しい街つくって
 16歳の次女は脳性まひで身体障害者1級、車いすを使用しています。小1の頃から、動く右手の1本2本の指を使いメロディーを弾き、私と連弾でピアノを楽しんでいます。今秋、カナダで開催された「第2回国際障害者ピアノフェスティバル」に参加するためバンクーバーに行ってきました。
 フェスティバル終了後に観光を楽しんだ折、街の様子に感動しました。まず空港から乗るタクシーは、何台かに1台は車いす対応でした。また路線バスは、運転手のボタン一つで、乗降口に折りたたみのスロープが出てきて、すんなり乗降できます。スカイトレインという電車もホームと車両の間のすき間や段差がほとんど無く、係員にスロープを持ってきてもらわなくても乗降できます。対岸に渡るフェリーも同様でした。
 ビルの押し引きドアの脇には車いす利用者のボタンがあり、それを押せば自動でドアが開きます。車いすの娘と移動中、ほとんど人手を借りることなく快適な観光でした。東京の街も税金を無駄遣いせず、このような街にしていただきたいなあ、と思います。
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多摩川線では車いすで利用したいと連絡すると、電車とホームの間のスロープを駅員さんが持ってきてくれますが、お世話になっている、という感覚は否めないところですね。

何年か前、こんなこともあったんですよ
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   大学受験の日 車いすで受難
 先日、大学入試センター試験を受けました。日ごろ、電動車いすで移動している僕は、試験会場となる横浜市の大学まで、電車とバスを使って行きました。
 雪の降りしきる1日目の朝は、かなり時間に余裕を持たせて出かけました。電車を降り、最初のバスが来たので乗せてもらおうとしたら、「車いすを乗せるためのスロープ板がない。悪いけど次のを待って」と、運転手に乗車を断られました。
 すぐに次のバスが来ましたが、やはりスロープがなく「次のバスを待って」と言われてしまいました。さすがに少し焦りかけていた僕は、車いすを置いたまま、ひざ立ちでバスに乗り込む覚悟までしました。
 そして、やっと3本目のバスに乗せてもらい、無事に試験を受けることができたのです。でも、「車いすマークが付いているのに乗せられないとは、詐欺じゃないのか」と思いました。
 2日目の帰りに、またも運転手に「1本待って」と言われた僕は、一緒にいた友だち数人に頼んで、車いすごと力ずくで引っ張り上げてもらい、バスに乗ることができました。
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 これは、バリアフリーどころか「ハイバリアー事件」ですよね。

 初めの投稿の「押し引きドア」の自動開閉装置というのはショックですね。ビルの冷暖房を効率良くするために、入り口のドアが閉じられていることが多くあります。左右に開くドアの場合、自動開閉になっているのは今では当たり前ですが、押し引きするドアの自動開閉は見たことがありません。私自身、そういうドアで配慮を受けることも多々ありますが、一方で、乳母車のお母さんなどにドアを押し開けて待ってあげることもよくあります。そういう時は「ゆっくりどうぞ」と声を掛けることにしています。

 「合理的配慮」というのはこういうことなんですね。このような合理的配慮がなされていれば、バリアーは低くなり、「さまたげられる」人が少なくなるんですね。
 「合理的配慮がなされないことを差別という」というように明確に表現してもらうと、わかりやすくなります。
 「でも、それは個人で出来ることじゃない。私は差別なんかしていない」という方もおられましょう。いえ、個人で出来る「合理的配慮」というものもいっぱいあります。障害者の側から見ると「いろいろな視線」を受けています。暖かい視線も多い中、邪魔だこんな所に出てくるな、と言わんばかりの視線もたくさんあるんです。こういうことをなくすのも「合理的配慮」ですね。たがいに声を掛け合う、というのも大切なこと。エスカレーターでは無遠慮に歩く人が多くて怖い思いをしますが、エレベーターでは、ドアをちょっと開けて待つとか、行き先階を聞くとか、ちょっとした声が飛び交います。嬉しいですね。エレベーターに乗ると正面に大きな鏡がついていますが、あれは何のためかご存知ですか?車いすで前向きに乗り込んできた人が降りるときに後方を確認しながら降りられるように、という配慮なんですよ。

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11月27日付朝日新聞の東京地方欄でしたがこんな記事がありました。

   

世界を変える「共遊」玩具:障害がある子もない子も楽しめる/設計の思想、携帯・容器に応用:タカラトミー社員・盲目の高橋さん
 例えば、携帯電話の「5」のボタンにある小さな突起。目の不自由な人に「5」のボタンだと伝えるとともに、目が見える人にも押し間違いを防ぐ効果がある。こうした「共用品」と呼ばれる日本独自の製品設計の思想が今、世界に広まっている。原動力になったのは、「誰もが楽しめるおもちゃを作りたい」という玩具メーカー創業者の遺訓と、それを体現する社員らの情熱だ。
 おもちゃメーカー、タカラトミーの高橋さん(41)は、目や耳の不自由な子どももそうでない子どもも共に遊ぶことのできる「共遊玩具」の普及・開発に取り組んでいる。目が不自由な子どものために、スイッチのオン・オフが音で分かるカラオケおもちゃ、レジスターのキーにドレミの音を割り当てたおもちゃは、いずれも高橋さんのアイデアが生かされた製品だ。
 高橋さんは先天的な眼球の発達障害で生まれた時から目が見えない。
 「私が人と接し、意見を交わすことで、一人でも多くの人が生きやすくなるのなら」と、国際標準化機構(ISO、本部・ジュネーブ)などで共用品の規格づくりにかかわるほか、国や自治体の審議会メンバーとして、日々の暮らしに不便を感じる人たちが少しでも生活しやすい街づくりなどに携わっている。
 ・・・
 旧トミーは創業者、富山栄市郎氏の遺訓にのっとり、80年にハンディキャップトイ研究室を発足させたが、85年のプラザ合意後の円高不況で研究室の存廃が議論の的になっていた。高橋さんの入社は、現在、財団法人・共用品推進機構に出向し、事務局長を務める星川安之さん(52)の尽力なしに語れない。
 80年に旧トミーに入社した星川さんは学生時代、障害者施設でのボランティア活動で「障害のある子どもたちが使いやすいおもちゃが、あまりに少ない」現実に触れた。
 ・・・
<アクセシブルデザイン> 
 これまでのバリアフリー(障害を取り除く設計)、ユニバーサルデザイン(すべての人が利用できる設計)から一歩進み、障害のある人もない人も、高齢者もそうでない人も、ともに使いやすい「共用のデザイン」(アクセシブルデザイン)という考え方が産業界で強調されつつある。

 日本は映像機器や金融機関の現金自動出入機(ATM)、エレベーターなどでアクセシブルデザインの普及度が世界で最も高く、その市場規模は07年度に3兆2439億円に達した。こうした日本発の設計技術・デザインを世界的に普及させるため、ISOで国際規格化に向けた検討が続けられている。
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 「アクセシブルデザイン」という概念には初めて接しました。なるほど、ですね。
 星川安之さんというお名前はユニバーサルデザインなどを語るときに欠かせない方です。
 ちょっとインターネットで検索してみました。とても素敵な言葉を見つけましたので、ご紹介しましょう。

■デザインとして当たり前のことをするのがユニバーサルデザイン
----まず最初にユニバーサルデザイン、あるいは共用品について簡単に説明していただけますか?
 ユニバーサルデザインの目的は、「ユニバーサル」という言葉がつかなくなることだと言えます。こちらでは共用品という言葉を使っていますが、「共用」も同じことです。つまり、本来デザインという言葉には、対象から障害のある人や高齢者を除く、という概念はありません。デザインとして当たり前のことを当たり前にやっていくことが、ユニバーサルデザインの基本的な考え方なんです。
 障害というのは周りの環境によって作られているものでもあると言われることです。逆にいえば、技術の進歩によってそれまで障害であったものがそうではなくなっていく可能性もある、ということです。
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かかしの提案
まず自分のできるところから自分にできることを始めませんか?

カメムシであはるんですが

1206kamemusi_これ、カメムシでしょう。
前にもご紹介したことがあります。
今回は「口吻」が撮れました。
「カメムシ目」であることは確定。(あたりまえですけどね)

種が同定できません。教えてください。

ハリカメムシ

1206harikamemusi季節的にギリギリのところで生きている虫たちを見かけると、つい写真を撮ってあげたくなります。命の瀬戸際に来ているはずですが、生きる力のある限り彼らは生き続けます。それがだいじなことですね。

「平然と死ぬ」ことより「平然と生きる」ことのほうが大事だし、大変なことだと思います。

年を重ねて、考えることも変わってきます。

おまけ

◆小学校の理科支援員として実験をお手伝いした時の「おまけ」をご紹介します。

◆最初の実験は、「水溶液にはなにが溶けているか」というものでした。
うすいアンモニア水やうすい塩酸では匂いがする。蒸発乾固しても何も残らない、ということから気体が溶けていたことがわかる。
炭酸水は匂いはしないけれど、加熱すると泡が出て、蒸発乾固しても何も残らないことから、やはり気体が溶けていたことがわかります。
食塩水や石灰水は、蒸発乾固すると白い粉が残るので「固体」が溶けていた、ということがわかります。

オマケ:アンモニア水や塩酸には「におい」があります。においというのは微量ですが「気体」がそこから出てきて鼻を刺激するわけです。生徒の実験ではごく薄いもので実験をしましたが、かかしさんは元化学教師。濃塩酸や濃アンモニア水の扱いにも慣れています。
で、実験後、デモンストレーションをしました。

・濃塩酸の瓶のふたを開けます。何も見えません。蓋は閉めます。
 すこし離れた場所で濃アンモニア水の瓶のふたを開けます。何も見えません。
 蓋のあいた濃アンモニア水の瓶の口のそばで、濃塩酸の瓶の口を開きます。
 もうもうと白い煙が上がります。

 この実験は、高校化学では酸・塩基の定義の拡張のところでよくやるものです。
 小学校ではきちんとした説明はできませんが、とても面白い出来事ですので、やって見せました。うけましたよ。
自分たちの鼻でかぎとったけれど目には見えない気体が2種類、空気中でであって、白い煙になる。びっくりしていました。

・ペットボトルに水を満たし水槽に逆さまに立てます。二酸化炭素の実験用ボンベから二酸化炭素をペットボトル内に半分くらい捕集し、水中で栓をして取り出します。
 さて、見てなよ、といってから、ボトルを両手に持ち、思いっきり激しく振ります。
 すると、ボトルがベコっとつぶれます。お~!
 再度、水槽に逆さに入れ栓を開け、ボトルの形が戻るまで水を吸いこませ、栓をして取り出します。
 二酸化炭素の量が減ってしまって、それだけ水に溶けたのだと言うことが一目瞭然です。
 この「炭酸水」に石灰水を入れると、白濁します。石灰水に二酸化炭素を吹き込むと白濁することは知っていますが、炭酸水でも同じです。

・白濁した石灰水を薄めて、ボンベから二酸化炭素を吹き込み続けると、白濁していた液が透明になってしまいます。
 これは公式には小学校では扱わないのですが、重要な事実です。
 二酸化炭素が増えて、地球温暖化が問題になっていますが、「海の酸性化」という話も最近聞きますね。
 海は弱いアルカリ性ですが、二酸化炭素が増えると、中性に近づいてしまうという話です。
 そうすると、貝やサンゴが炭酸カルシウムの殻を作りにくくなってしまうという問題が発生して来るのです。
 石灰水の白濁が透明になると言うのは極端な出来事ですが、その問題の提起にはなりますので、お話をしました。
 また、日本には鍾乳洞がたくさんありますが、これも、石灰岩が二酸化炭素を溶かした水=雨で溶かされてまた析出するという化学反応でできたものなのです。このお話もしました。

◆次の実験がリトマス紙で酸性・アルカリ性を調べる実験。
 ここでのおまけは、ムラサキキャベツで、この話はもうしましたので、ここではしません。

◆3つ目の実験は塩酸や水酸化ナトリウムと、スチールウール・アルミ・ホイルの反応です。
 (元教師として個人的にはスチールウールを使うのは好ましくないと思っています。「身近」ということなのでしょうが、純度の低い鉄ですので、塩酸と反応させるとひどい悪臭がします。不純物のせいです。鉄と塩酸の反応は臭い、と覚えられるのは困りもの。純度の高い鉄でやりたいものです。)

・ここでのおまけは、水素の爆発。
 爆発といっても試験管の中でです。試験管の中で実施する限り、どんな割合で水素と空気が混合していても事故になることはまずありません。ですが、理科に慣れない方だとちょっとこわいかもね。ある種の「勘」が必要ではあります。

 塩酸にスチールウールを入れて、タイミングを見計らってマッチの火を近づけると「ぴゅっ」。
 その後、空の試験管を水素発生中の試験管の上に逆さにくっつけて、水素を捕集。火をつけると「ぴゅっ」。
 空気が混じっていると、爆発です。

 水酸化ナトリウムにアルミホイルを入れて、発生してくる水素に火をつけると、試験管の口に炎が立ちます。
 純粋な水素が流出するところへ火をつけると「炎」という形で燃焼します。

 マグネシウム粉末があったので、塩酸と反応させると激しい勢いで水素が噴出し、マッチの火を近づけるとマッチの炎が水素で吹き飛ばされてしまいます。いくらもえやすい水素でも、激しすぎるとダメなんですね。

クイズ:もし、この部屋が純粋な水素で満たされているとして、その純粋な水素の中でマッチをすったらどうなる?
生徒の感じ方:大爆発!
答え:マッチは立ち消え。酸素がなければ水素は燃えません。

・水素を爆発させると「水素爆弾だ!」という反応が必ず出ます。水素爆弾は水素が酸素と反応しているわけではないので、ちがうんだよ、という説明をしました。

◆4つ目の実験は、塩酸にアルミニウムが溶けた液を、蒸発乾固し、出てきた白い粉末が水に溶けるか、塩酸に溶けるか、その時泡はでるか、という実験をして観察し、この白い粉はアルミニウムとは異なる物質なのだ、ということを認識してもらいます。

 さて、この実験ではさして「おまけ」に値する実験は考えられませんでした。
 で、使ったアルミホイルの箱を見たら厚さが「11μm」と表記してありました。100分の1mmくらいですね。
 じゃあ、金箔を見せてあげようと、思い立ちました。
 金箔は0.1μmくらいの厚さですから、アルミ箔のまた100分の1くらいの厚さになります。
 そこで、金箔をプラスチック板に挟んだものを持っていきました。
 金箔くらいの厚さになると、金属なのに光が透けて見えるということ。
 さらに、黄色を反射する金箔では青・緑っぽい色が透過してきて、屋外や蛍光灯が青く見えること、を見てもらいました。
 びっくりしていましたよ。知識として知っている人はいても、実際に見たことのある人は少ないですからね。
「かかしさんの窓」で一度、金箔越しに見た「青い蛍光灯」をお目にかけたことがあります。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-59d4.html
ここです。ごらんください。

 もうひとつ、豆知識:アルミホイルって、テカテカ光る面と艶消しの面がありますよね。あれはどうしてできるのでしょう?
 アルミ箔を圧延する際に最後の工程では、2枚のアルミ箔を重ねてローラーで圧延します。重なったアルミ箔がくっついてしまわないよう、油のようなものを入れておきます。
 2枚重ねのうち、外側でローラーに接した面がテカテカの面です。内側でアルミ同士が押しつけられた面はたがいに食い込んで、艶消しになります。

◆とまあ、こんな具合で、自分が楽しみ、生徒に楽しんでもらいました。
 来年も何時間かお手伝いに行きます。何か面白いことをやったらご報告しましょう。

2009年12月19日 (土)

ムラサキキャベツ

 

 大田区の理科支援員というのに登録しておいたら、近所の小学校から声を掛けていただき、2週間にわたって何時間か理科実験のお手伝いをしてきました。年内の仕事は終わり、来年も少しお手伝いする予定です。
 せっかく元高校理科教員の私が行くのだから、何か「おまけ」つきにしたい、と頑張ってみました。このブログで皆さんにお目にかけているような虫や花の写真で、ごく身近なものをプリントアウトして持っていったら、廊下に掲示していただけました。嬉しいことです。

◆今日御報告するのは、水溶液の仲間分けの実験のオマケ。
 リトマス試験紙を使って酸性とアルカリ性、中性、という性質があることを実験で確認します。標準的な実験はちゃんとやってもらってから、おじさんのおまけ。

「ムラサキキャベツ」
1205p_cabbage1_2
ご存じと思いますがムラサキキャベツです。サラダの色どりなどに使いますね。
刻んだムラサキキャベツのサラダにドレッシングをかけると。色が赤くなりますがお気づきでしょうか。
1205p_cabbage2
ムラサキキャベツを刻んで、上の方を切り取ったペットボトルに詰めます。
そこへ、ドライ・ジンをひたひたに入れます。焼酎でもいいです。無色の蒸留酒ならなんでもいいです。
私が使ったジンの場合、アルコール分が47.5体積%という強烈なものです。
こんな濃いアルコールを直火で温めるのはかなりヤバいですね。
1205p_cabbage3
鍋に湯を沸かして、ボトルを浸します。
しばらくすると冷めますから、また湯を沸かしてボトルを浸します。
これを3回くらい繰り返すと、ムラサキキャベツの色素が大部分ジンの方へ抽出されます。

生徒にはなにもしていないムラサキキャベツと、色の抜けたムラサキキャベツを見せて、比べてもらいます。「色がなくなってる。色はどこへ行ったんだ?」と問いかけてから、抽出液を掲げて、「色はこっちへきたんだよ」。
1205p_cabbage4 こんな色の液がたっぷりできます。

これが中性での色。
この抽出液を、生徒がリトマス紙で酸性・アルカリ性を確かめた「希塩酸、炭酸水、食塩水、石灰水、希アンモニア水」に入れると、大騒ぎ。
酸性で赤くなり、アルカリ性で青、緑、などに変化します。リトマス紙より鋭敏なので、リトマス紙ではあまりよく分からなかった、炭酸水などもはっきり分かります。
ひとしきり楽しんでもらいました。
これがオマケ、です。

ところで、こんな写真を見てください。
1206p_cabbage1
家で撮った写真です。左がムラサキキャベツの抽出液。
右は中華めんです。
中華めんをムラサキキャベツの抽出液に入れると

1206p_cabbage2
こうなっちゃうんですねぇ。
中華めんには「かん水」が使われていますが、これは基本的には炭酸ナトリウムの水溶液なので、アルカリ性なのです。

身近なところでアルカリ性のものというと、せっけん水、重曹水くらいしか無くてバリエーションが乏しいのですが、中華めんを使うと「ビックリ」もあって、楽しいです。
酸性のものはいっぱいありますね。レモン、酢、果物ジュース、梅干し・・・
1206p_cabbage3
上で緑色になってしまった、めんに、レモンを絞りかけると
こうなります。
すごいでしょ。

一度、ムラサキキャベツを入れた焼きそばを作ってみてください。
すごいです。
もちろん食べられます。大丈夫ですが、見かけがすごいです。
いろんなバリエーションがありうるでしょう。お楽しみください。

2009年12月16日 (水)

ナナホシテントウ

1205nanahosi1草いじりをしていた妻が、ケースに入れて連れてきました。

記念写真を撮ってあげて、とのことです。
かかしさん夫婦に見つかると、記念写真撮ってくれて、ブログにも登場できて、また元の場所に戻してくれるんだよ、と、虫たちの間でウワサになっているに違いない。とニヤニヤしながら、パチリ。
1205nanahosi2
りっぱな顔立ち。りりしいなぁ。
成虫での冬越し、生存率はどのくらいなんでしょうね。
よく分かりませんが、無事春を迎えてね。

ミスジハエトリ幼体

1205misujihaetorif洗面所の脇で見かけました。
ミスジハエトリの幼体だと思います。
クモであっても、幼いものは幼い姿で可愛いですね。
なんとなく頭でっかちでしょ。
あどけなさを感じるのは擬人化しすぎかもしれませんがそう感じてしまいます。
冬は屋内でも餌は少ないはず。頑張って冬越しして下さい。我が家では当然それは歓迎されます。

マンリョウ

1204manryou白山神社です。

去年の今頃はハナアブの水生の幼虫を行くたびに観察して写真を撮っていましたが、今年はそれもありません。
大規模な枝はらいの後、動物相がめっきり薄くなってしまいました。淋しい。
植物相も、かなり希薄。
来春から持ち直すでしょうか。

「お宮に行っても虫はいない」ではなく、ぜひ「お宮に行ったら虫がいる」という神社になって欲しいのですが。神様だってその方が賑やかでいいでしょうに。

というわけで、赤く実ったマンリョウの実をご紹介しておきます。
カラスウリも実らなかったし。淋しいです。

ツマグロヒョウモンの幼虫

1213tumagurohyoumon112月13日。
妻と二人で、線路際に播いた種などの様子を見ていましたら、発見!

ツマグロヒョウモンの幼虫がムラサキツユクサの葉にいるではありませんか!
このあたりには、スミレの仲間が適当に自生しているのですが、もう、すっかり無くなっています。枯れただけではないのかも。この幼虫、スミレ類を食べ尽くして、腹をすかせてさまよっていたのかもしれません。いくら紫の花が咲いているとはいえ、ムラサキツユクサはたべられないでしょう、キミ。
1213tumagurohyoumon2
腹へった。
ウロウロ。

線路際にスミレの仲間があることもあるので、妻が捜しに行きましたが、もうないようです。
とたんに、二人の合意が成立。「行こう!」
車を出して、1,2km先にある大規模スーパーのガーデニングのコーナーへひとっ走り。
ありました、ヨカッタ。おいしそうな葉のパンジーを買い込んできました。(二人とも花なんか見てないんですね、葉を見ている、変な薬はかけてないだろうなぁ)
1213tumagurohyoumon3
帰宅して、早速、葉を水で十分に洗って与えたところ、食べますねぇ。
お腹すいてたんだね。

こんな時期に幼虫でいるのはちょっと辛い。もう冬越しの蛹になっていなくっちゃね。
頑張って一杯食べて、蛹になってね。
と、いうわけで、現在飼育中です。
いっぱい食べていっぱいウンチをしていますので、元気なようです。
無事蛹化できますように。

2009年12月15日 (火)

レシピのノート

[恋する大人の短歌教室](12/14付 朝日新聞より)
{応募作}
女房が残したレシピのノートみて、慣れぬ手つきで厨房に立つ。 :千葉 石田英男

 「おふくろの味」という言い方がありますが、この場合は「女房の味」でしょうか。舌に馴染んだ「女房の味」を再び味わいたいという思いが、夫を厨房に向かわせるというわけです。味の記憶としても折に触れ思い出される亡き妻への、さりげないが実は深い感謝の気持ちが、この一首の根底には脈打っているのでしょう。夫婦二人の愛を再確認するかのように、遺された手書きのレシピとにらめっこをしながら厨房に立つ夫……。心に染みる情景です。
 奥さまは出掛けただけ、なんてことはないですよね?でしたら「残した」は「遺した」に。漢字一字で印象が違ってきます。また、料理をしているわけですから、ノートを見ていると言うよりレシピを見ていると言う方が、当たっているはず。語順を入れ替え、動詞「見て」(漢字にしました)の近くに「レシピ」という単語を移しました。句読点は、短歌という詩型が本来持っている句の切れ目に打っても、然したる効果はありません。(石井辰彦)

{添削後}
女房が遺したノートのレシピ見て慣れぬ手つきで厨房に立つ
------------------------------------------------------

一応、こじんまりと、まとまりはついた、と言えるでしょう。
私にとって、一つだけ決着がついていないのは、作者は妻が遺してくれた「レシピ」を見ながら料理をしているのか、それとも、「レシピ・ノート」という妻が遺してくれた「愛の形」をそばに置いて料理をしているのか、という点です。

こうやるといいのよ、とコツを書き込んでくれたりしたノートをそばに置くと、そばに妻が立ってくれているような気がする。
具体的にはレシピを見ているのでしょうが、妻の愛がノートという形でそばにいてくれる、という風に読みこんでみたいのです。ですから、私が添削するとこうなります。

女房が遺したレシピのノート見て慣れぬ手つきで厨房に立つ

フウセンカズラ

1204huusenkazura1フウセンカズラの風船がはずれて、実が残った状態です。
あまり見かけたことがなかったので思わず写真を撮りましたが、よく見ると結構こういう状態もあるようですね。
実の左下、茎と接触してそこから栄養を送ってもらっていた部分、ここが実の側で「ハート形」になるのですね。
1204huusenkazura2 実をはずすとこういう風に茎の側が残り
1204huusenkazura3 実の方はこうなります。

ハート形、というのがふつうでしょうが、なんだか、「顔」のようにも見える気がします。

接近遭遇

1202hati1これ、寄生性のハチのメスではないでしょうか。
産卵管があるようですので。
それにしても細い「腰」ですねぇ。
こんなに細いところを、消化管が通り、神経が通り、腹部の気門から取り込んだ酸素を頭部まで送れるのでしょうか?不思議でなりません。
1202hati2
見ていたら、ツマグロオオヨコバイと衝突してしまいました。

別に闘うわけでもなく、さっと両者引き退きました。

その直後の写真
1202hati3 何というハチなのか、私にはわかりませんので、詳しい方がいらっしゃったら教えてください。
おねがいします。

この木の名前を教えてください

1202hana112月の初めから花が咲きました。
こんな葉っぱ。
樹高は4~5m。
1202hana2
地味な花です。
1202hana3
ファインダーを覗いていたのでは近寄れないので、普段使わない、カメラの背面のモニターを見ながら、思いっきり手を伸ばしての撮影です。
これ、なんという木ですか?
ぜひ教えてください。

12月16日 記:コメントを頂き、葉の葉脈の様子なども勘案して
シロダモ だろうと判断しました。

どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

アオクサカメムシ

1202aokusakamemusiアオクサカメムシの成虫が「ココニイルヨ」と姿を見せに来ました。
嬉しいことです。

季節がだんだん厳しくなる中、がんばっています。
前の冬には、ビワの葉に長いことカメムシがいて励まされる思いがしましたっけ。
今年はどういう風に冬を通り抜けていけるのか。
私もめっきり寒さに弱くなりました。縮こまって冬越しするといたしましょう。

落書

1201rakugaki自己顕示欲、というのでしょうか。
また見つけてしまった。
第二京浜の池上の近く。
ヒトという動物の若いオスが「オレ、ココニイル」といっています。

もっとましなことで自己主張すればいいのにね。

ウリキンウワバ

1130urikinuwaba1小さなウリキンウワバの幼虫をまた発見しました。ホップの葉の上です。

前からずっと見ていた方の大きく成長した幼虫はどこかへ姿を消しました。

小さな幼虫は小さな穴を開けて成長中。
でも、ここで、観察打ち切りとしましょう。飼育する気にはなっていません。
(差別かなぁ)
がんばってね。成虫になれたら顔見せに来てね。
これから寒くなるよ。

2009年12月14日 (月)

白菜

2009.12.13付 朝日俳壇より
白菜を抱へてトライする子かな:(塩尻市)古厩林生

「トライ」というのは、挑戦するとか試みるという意味ではありません。おそらくラグビーの「トライ」です。
ラグビーでは、相手陣地のゴールエリア内で、ボールを接地する(グラウンディング)ことをトライと言います。
アメリカンフットボールではゴールラインを超えればいいのですが、ラグビーでは地面にボールがつかなければなりません。
ラグビーのボールはご存じのように、長円形です。
さて、上の句の情景、把握しきれないのですが、白菜をラグビーボールに見立てた。それはいいでしょう。
「子」とはどのくらいの年齢なのでしょうか?
勝手に想像をたくましくするに、幼い子ではないかと。
白菜を抱えて胸に余るくらいだったのでは?
ところが、転んでしまった、白菜ごと地面に倒れこんでしまった、と。
その情景を、ラグビーのトライに見立てたのではないか、と。
勝手に、見立ててみました。もし違っていたらごめんなさい。

サッカー嫌い、ラグビー大好き案山子です。

ゼロの重さ

2009.12.13付 朝日歌壇より
律儀にも〇(ゼロ)の重さを計りいて体重計はあちこち錆びぬ:(新潟市)伊藤隆

そうか、そういう感性がありえたのか、と散文的な理科おじさんは思いました。
何も負荷がかかっていない時に、針がゼロを指すように調整することを「ゼロ点調整」といいます。なにも測っていない時の針の位置が何かの数値を指していたら測定になりませんので。ゼロ点調整は測定の基本として叩きこまれるものなのです。
身も蓋もないことを書いてしまって申し訳ありません、謝ります。ごめんなさい。


月面下の水

2009.12.13付 朝日歌壇より
神のみが知りいし事をまたあばく彼の月面下の水の存在:(松戸市)猪野富子

理科を専門にしていると、「月面下の水」というのは神の秘密という感じではないなぁ、というのが実感。それは「事実の発見」です。ハレーすい星が「汚れた雪だるま」だったように、宇宙での水の存在はわりとポピュラーなので、どの星にもおそらく量の多寡はあれ水は存在するでしょう。月にもあったか、ということです。
理科を専門にしていて、神の秘密を感じるのは、例えば物理学に登場するいろいろな「定数」は、なぜ有理数ではなく、無理数なのか?ひょっとして超越数?とか、そもそも宇宙が存在するとはどういうことなのか、とか、そんなところに、「神の秘密」がありそうで、不思議でなりません。

また ウラギンシジミ

1213uraginsijimi112月13日。
前の記事のウラギンシジミがいたのとほぼ同じ場所に、またウラギンシジミがいました。
2度目ですので、はっきり認識できました。
大型のシジミです。
妻を呼んできて見せたら、反対側へ回り込んで、擬態だ、といっております。
1213uraginsijimi2
なるほど、擬態だ。
白いから目立つのかと思いきや、意外とそうでもない。
わかりますよね。中央のサザンカの葉の向こうに、下向きの三角。これが翅です。
結構まぎれてしまうもののようです。
日曜日で娘が在宅していたので見せたら、初めてだといって、写真を撮り、ケースに入れて部屋であたたまったらどうなるだろう、と、前回の私と全く同じことをしておりました。

今まで知らなかったチョウなのに、出会うようになると続けざまに出会うものですね。不思議な縁です。
増えてほしいチョウです。

ウラギンシジミ

1130uraginsijimi111月30日。
セスジナミシャクを見かけた木とは別のサザンカの木にとまっていました。
これも最初、何を見つけたのか戸惑ってしまいました。
蝶には違いない。でもシロチョウの仲間じゃなさそうだし。
タテハ?ん?なんだろう?と。

1130uraginsijimi2
大きさはちょうどモンシロチョウくらいあります。でも尖ってますね。

1130uraginsijimi3
顔のあたりはこんなふう。
脚に独特の模様があるんですね。
プラスチックケースに入れて部屋へ連れてきて、眺めながら検索。
なんと、シジミチョウの仲間でした。ウラギンシジミ。
あたたまってきたら翅を動かし始めたので、中の模様が見たいと頑張りました。
スタンドの強い光を当てたらゆっくりと翅を開いてくれて
1130uraginsijimi4
こんな模様を見せてくれました。
きれい!
暴れては翅が傷みますのですぐ放してやりました。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/index.html
このサイトで、このウラギンシジミの幼虫が見られます。かわいいですよ~。
是非どうぞ。
で、幼虫の食草はというと「マメ科の植物の花,蕾,実,新芽などを食う。」とありました。我が家のそばにあるんでしょうねぇ。どうも、認識不足でいけません。

セスジナミシャク

1130sesujinamisyaku1はじめ何を見つけたのか分かりませんでした。
サザンカの葉の上です。
ハート形をしたものがくっついている、と認識しました。
上下の方向も分かりませんでした。
ひびが入ったような変なものだなぁ、と。

近寄ってよく見ると、ガですね。頭を下にしている。
手前を隠している葉をよけながらシャッターを切ったら反応して飛びました。
道路に降りたところを一枚。
1130sesujinamisyaku2
これが正立した姿です。
すぐ飛び去ってしまいました。

調べてみるとセスジナミシャク。
幼虫の食草は「アケビ科:アケビ、ミツバアケビ」とありましたが、そういう植物が家のそばにあるかなぁ?認識していないのですが。
シャクガですから、幼虫はシャクトリムシのはずです。ちょっと検索したところでは幼虫の写真は見つかりませんでした。どんなシャクトリムシなんでしょうね。気になります。

なんというハチか、わかりません

1130hati1ごく小さなハチです。(顔でハチと判断しています)
寄生性のハチではないでしょうか。
でも、小さいとはいっても、アブラムシに寄生するアブラバチではないでしょう。
アブラムシの大きさからすると、ずいぶん大きなハチですから。
寄生性のハチは奥が深くて、よく分かりません。
1130hati2
姿だけで判断はつきますでしょうか?
お分かりの方がいらっしゃったら、是非ご教示ください。

アオクサカメムシ

1130aokusakamemusi1アオクサカメムシがゼニアオイにいました。

うれしいですね。
時々顔を見せてくれる。
元気だよ、と。
これは11月30日。

1130aokusakamemusi2
思いっきり近づいてみました。
複眼を構成する個眼もくっきり。
単眼はどうも二つしか見えないのです。一つは退化したのかなぁ。ハチやトンボでは三つありますけどね。
虫の顔、というのもなかなかに味わいの深いものです。どうぞ、「顔なじみ」になってくださいね。

ヒメシロモンドクガ羽化:メス

1129himesiromondokuga3こちらがヒメシロモンドクガのメスです。
実は初め、繭に残された蛹の脱け殻か、などとぼんやりしていました。
そうしたら、一緒にいた妻が、動いてるわよ、と。

なるほど、成虫です。翅が退化しているのですね。
1129himesiromondokuga4
一応、翅の形はあるのですが、とても小さいのです。

http://www.jpmoth.org/Lymantriidae/Orgyia_thyellina.html
このサイトによりますと、
「10月に出る2化の♀だけ翅が退化する。」とありました。
夏の季節に羽化するものはメスでも翅があるということでしょうね。
1129himesiromondokuga5
写真を撮っているうちに、左手に移ってきてしまいました。
こそばい。
たいていの昆虫はこういうとき手を立てると上へ歩きます。
実際、こうなりました。
1129himesiromondokuga6
爪の先まで歩いて行きました。
ドクガといっても、べつにかゆくなるわけではありません。チャドクガなんかはのんびりこういうことをしている気にはなれませんけれど。

さて、飼育ケースの中でオスとメスが羽化するとどうなるか。
当然、交尾、産卵が行われるのです。
1129himesiromondokuga7
これがヒメシロモンドクガの卵です。
不思議な模様ですね。

成虫は一応ケースに入れて、蓋をしないで屋外に置いておきました。
メスはケースの中で死に、オスはどこかへ飛び去りました。
あんまり増えてほしくもないけれど、卵は観察継続ということになりました。
私にはつぶせません。

ヒメシロモンドクガ羽化:オス

1129himesiromondokuga1話が古くなってしまって申し訳ありません。
11月29日のことです。

ヒメシロモンドクガが羽化しました。
触覚が大きな櫛状になっているので、これはオスで間違いありません。
1129himesiromondokuga2
背側からのショット。
これで、ほぼ、同定資料になるでしょうか。
さて、こういう風にガの形をしたほうに目が行ったのですが、実はメスも羽化していたのです。
画像の大きさが限界に達しますので、そちらは次の記事で。

2009年12月10日 (木)

ムラサキツユクサ

1127murasakituyukusa季節外れだと思います。
ムラサキツユクサがポツポツ咲きます。
いいのかなぁ、と思いながら鑑賞しています。
オシベの毛、というのを思い切りアップにしてみました。
細胞が並んでいるのが見えます。
根元近くは長く伸び、先端の方は丸い形です。
循環系のようなものを持たないのに、どうして、先端の小さくて丸い細胞が成長できるのだろうか?
私見ですが、栄養の運搬を担っているのが「原形質流動」なのではないでしょうか。
顕微鏡で原形質流動を観察する材料としていつも使われるものですが、どうして、エネルギーを消費してまで原形質を流動させ続けなければならないのか、について詳しく書いた本を知りません。(無知なだけかも)
ATPのエネルギーを使って、原形質を流動させ細胞間の結合を介して、隣へ隣へ、と栄養を送っているのではないでしょうか。
そんなふうに想像しています。

ハリカメムシ

1127harikamemusi私はどうも、虫さんにリクエストされると弱い。
「撮って」といわんばかりに目の前に飛んできて落ち着かれてしまうとなぁ。
すでに何度も登場していても、やっぱり撮ってあげたくなる。
金色といっていいですね。美しい。
ハリカメムシだと思いますが、似た種がいますので、完全に自信があるわけではありません。
枯葉に映えるシックな色合いです。

ハエ目・ハチ目

朝日新聞の夕刊に週1回、中学入試問題が紹介されます。
そこで、こんな理科の問題を発見しました。(問題文はそのままは掲載しません。要約してご紹介します。)

「ミツバチとハナアブはどのように見分けたらいいか」という問題です。
選択肢は「足の本数」「羽の枚数」「目の大きさ」「腹部の長さ」の4つ。
正解は「羽の枚数」

こういう問題でした。
頭の中で作成した問題ですね。

ハチ目(膜翅目)(ハチ・アリの仲間)は、翅が2対4枚ある。
ハエ目(双翅目)(ハエ・アブ・カ・ガガンボの仲間)では、後ろの翅が退化して1対の平均棍になり、翅としては1対2枚しかない。

この差異を知っているかどうかを問おう。とこういうことです。

ところがところが。
フィールドで花に来ている虫を見て、翅が2枚か4枚か、なんて見えません。
採集して、標本にでもすれば勘定できますが、生きて飛び回っているときに翅の枚数が分かることはまずありません。
Nihonmitubati
ニホンミツバチです。
翅は何枚ありますか?
Nihonmitubati2
セイヨウミツバチです。
翅は何枚ありますか?
Seiyoumitubati
セイヨウミツバチでは、後脚に作った花粉団子が目立ちますね。

1206hosohirataabu クロヒラタアブがゼニアオイの葉を舐めているところです。
翅は何枚ありますか?

見比べてください。
パッと見て分かるのは「顔」の違いなんです。
複眼の付き方が全然違うんです。単眼が見える場合も付き方が違うんです。
触覚がまるっきり違うんです。
ですから、顔を見れば「君はハエ顔だね」「君はハチ顔だ」と一発で分かるんです。
Hosohirataabu1
これがホソヒラタアブですが、こういうアングルなら、翅は2枚、平均棍が2本と分かりますが、こういう風に見えることはまずありません。

前述の入試問題、机上で考え出したことがあきらかな問題でした。
入試問題として間違っているとかいうことではないのですが、これでは「生きた理科知識」を問うたことにはならないですね。
翅の枚数を覚えておかなければならないなんて、理科って暗記モノだな、そんなことどうでもいいじゃん、ということになりそうで、虫好きかかしとしては、相当に不満を覚えたのでした。
野の花にきている虫が、ハエかハチか、見て分かる方が大事ですよね。

2009年12月 9日 (水)

2009.12.7付 朝日歌壇より
ひらがなの「さ」と「は」の違ひのみなれど春はうるはし猿はうるさし:(東京都)多 昭彦
 佐佐木幸綱 評:言葉遊びの歌。

この「猿」はきっと「ヒトという猿」に違いない、とかかしは思案するものです。

短き電話

2009.12.7付 朝日歌壇より
長男を亡くしたわれに口重き三男が短き電話かけくる:(山形市)渋間悦子
 佐佐木幸綱 評:三男の心に、そして母の心に、長男の死がもたらした大きな波紋。人間の深い物語をたたえる一首。

「おふくろ、元気か」とぼそっと聞いてくる。その無愛想な言葉遣いに、息子の深い思いやりを感じとっていらっしゃる。と、よみました。

で、佐佐木氏の表現に一言。「たたえる」という言葉は意味の混同を避けるために「湛える」と漢字表記した方がよいのではないでしょうか。

時速2キロ

2009.12.7付 朝日歌壇より
土曜日はサンダルの底ひきずりて時速2キロでゴミ出しに行く:(川崎市)川島隆則
 佐佐木幸綱 評:そろりそろりとしか歩けない可哀想な「われ」の自画像。せっかくの土曜日、眠くてしかたがないのである。

佐佐木氏の評の前半は私もそう思います。でも後半は「?」。
なさけないよなぁ、普通の速さの半分か3分の1しか出ない。
という嘆きでいいのでは?
「土曜日は」の「は」は、自治体で決まっていることの表明ですから、そこに「せっかくの土曜日」という意味は読めない気がします。そうなら「土曜日に」という表現になるのではありませんか。

私は月曜日の資源ごみ回収の日に、古新聞などを出しに行きますが、時速2キロも出ません。とぼ、とぼ、です。腰痛気味の時は、一歩ずつ重心の移動の度に腰の具合を確かめながら行きます。
まあ、それもまた、よし。のんびりまいりましょう。

無念

2009.12.7付 朝日歌壇より
無念さを殺して棋士は水を飲む「負けました」とう一語言うため:(横浜市)おのめぐみ
 馬場あき子 評:棋士の対局をテレビなどで見ていたのだろうか。勝負がついた直後の微妙な一瞬を主観的に捉えてうたい、印象深い場面を作りあげている。
{この歌は高野公彦氏も選んでいます}

「無念」という言葉で表現されるものなのかどうか、よくわかりません。
将棋の対局中の棋士の頭の中って、手を読むためにものすごい思考の深みにもぐりこんでいるのだと思うのです。
読んで読んで、その先にどうしようもない負けを読みとったときに、通常の思考の世界へ浮上してくるための時間が必要なのではないでしょうか。それが「水を飲む」という動作のように感じました。水を含んで日常の世界へ復帰して、「読み切りました」=「負けました」と告げるのでしょう。
無念さとか悔しさというものを私は感じとっていません。

人生ゲーム

2009.12.7付 朝日歌壇より
「お金持ちになりたいよう」と言って子は人生ゲームのルーレット回す:(和泉市)星田美紀
 永田和宏 評:たかがゲームとはいいつつ、子のあまりにリアルな声にはっとし、これもいたたまれない。

私の感想は永田氏とは違っていまして。
「いつこんなませた言葉を覚えたのかしら」と、笑ってしまった、という風に受け取りました。
夫婦で笑ったんじゃないかと。
でも、こんな言葉は使わせたくないね、とは、ちょっと話しあったり。
子育ての中に時々現れる、おませ。笑い。
「いたたまれない」というのはちょっと考えすぎのように思いますが。

2009年12月 8日 (火)

サボテン

恋する大人の短歌教室(2009/12/7 朝日新聞)
{応募作}
他よりも大きく見えるサボテンは彼の名を呼び水を遣り:東京 三村裕美子

 詠いたいことは、よく分かります。ただ、言葉がうまく整理できていないようですね。音数が2音足りないところも、いかにも不安定。少し手を入れれば、すてきな歌になりますよ。
 「大きく見える」という言い方、ぼやけた感じがしませんか?どう大きく見えるのかをはっきり言った方が、イメージが浮かびやすくなります。また、第三・第四句の助詞は替え、作者の存在を主張しておきましょう。今のままだと、サボテンが口を利くみたいです。第五句は終止形で引き締めるとして、字足らずは「水遣りをする」とすれば解決します。しかし「水を遣る」という直截な表現は捨てがたい。第四句の「名」を「名前」にし、「呼び」を第五句に繰り入れてみました。でも、「呼び水」という言葉もあって紛らわしいですよね。読点を打ったらどうでしょう。読点が生み出す微妙な休止感には、作者の行為を鮮明なものにする効果もあるはずです。これで幸福な気分が、無理なく読者に伝わるのでは?(石井辰彦)

{添削後}
他よりも少し大きなサボテンを彼の名前で呼び、水を遣る

----------------------------------------------
実際に大きいかどうかは分かりません。
彼は少し大きい人なのか、とっても大きな人なのか、背丈ではなく存在感がぐっと大きいのか、好きだから。
いいんですよ、ぼやけていて。作者にとって彼は「大きく見える」んです。
ですから、「大きく見える」で私はいいと思います。

ちょっと、書き方を変えてみますね。

{応募作}
他よりも
大きく見える
サボテンは
彼の名を呼び
水を遣り

{添削後}
他よりも
少し大きな
サボテンを
彼の名前で
呼び、水を遣る

字足らずを解消しようとしたものですから、「名前で呼び」が分かれてしまった。私はこういうのは嫌いなんです。歌のリズムはむしろ原作の方がずっといい。字数にとらわれ過ぎて歌のリズムを失わせてはいけません。
私がもし手をいれてよいのであれば下のようにしたいのですが。勝手をいって申し訳ありません。

他よりも
大きく見える
サボテンは
彼の名で呼び
水を遣り

おみやげ

前の記事では自己紹介で話したことの概要をご覧いただきました。
実は、生徒には「おみやげ」を用意していったのです。
現役時代から、私、「おみやげ」の多い教師でした。折角授業をやるんだから、生徒には手にいっぱいのおみやげを持たせてあげたくてね。
折角ですから、このブログを読んで下さる方々にも、おすそ分けします。
今回は「詩・詞」です。前の記事ほど長くないので、このままここに表示しますので、どうぞ、味わってみてください。

◆今日、君たちとの出会いに、おみやげを持ってきました。
   朗読します。読みながら聞いてください。

   

いい人にあえるといいね         

 いいところにいけるといいね         
 いいものにふれられるといいね       
 いいことができたらいいね            
 いいまいにちだといいね             
 いい人を好きでいたいね             
 いい人に好きと言われたいね         
 いい人にあえるといいね             
 いいひとたちと生きられたらいいね   
 ほんとに                           
 そう思うよ                         
                      作者不詳  
(朝日新聞1994.1.30付。「せんせい」という連載に掲載されていました)
------------------------------------

カレンダーも時計も               
人間のものさし                   
生命あるものは                   
それぞれの時空をもっている       
焦ることはない                   
自分の歩幅で歩めばいい            
  ALSの中林 基さんのことば 

{1年を12カ月に切り、1日を24時間に切り・・・というのは人間が勝手にやっていることです。植物も、虫も、鳥も・・・みんなそんな「区切り」には縛られません。実は、私たち自身も自分のペースで歩めばいいのです。ゆっくり、ゆっくり、いそぐことなんてありません。}
------------------------------------

   

ねがい

 からっぽの手は寂しい
 手は  きっと
 つなぎあいたいのだ
 そして心は
 つなぎあう沢山の手を
 想像したいのだ
    工藤直子

{今日、私のこの手は、君たちみんなの手とつなぎあえたのかもしれません。であいを大切にしようね。}

自己紹介

 昨日、小学校6年生の生徒たちと初めて対面しました。理科実験のお手伝いをするのが仕事ですが、その前に一応顔合わせ、ご挨拶をしたいとお願いして実現しました。
 いや、楽しかったです。久しぶりに声を「張り」ました。少々声はかすれましたが、気分がいい。35分くらいの短時間でしたが、それなりに「私の授業」。私って、つくづく、「授業屋」なんですね。「授業中毒」と言ってもいいかもしれない。何回やっても授業というものは「アドレナリンの出る行為」です。現役時代も、多少体が不調でも、授業に行けば体が一種の興奮状態になりました。終わると、ほっとして、どっときて、ぐたっ、ということもありましたけれどね。
今回も、軽い高揚状態になりました。授業を作ることの楽しさを知ってしまったら、病みつきですね。
 それにしても、過去の高校教師の目から見て、小学校の先生方は忙しすぎますね。
少しでもお手伝いできれば幸いです。
 授業に際しては、考えられる限りのことを考えつくし、シミュレーションを頭の中でやって、その上で、実際の授業は「出たとこまかせ」というのが私のスタイルでした。今回も、あれも話したいこれも話したい、とワードでメモを作ってプリントし、その上で、現場で35分くらいで、という要望に合わせて、出たとこまかせでやってきました。
 ワードで作ったメモを公開します。このメモの、半分も話したのかなぁ。私がどんな話をしたか、想像してみてください。
少し長いですので、気合を入れてお読みください。

続きを読む "自己紹介" »

2009年12月 6日 (日)

お知らせ

珍しく日曜日に記事を書いています。
小学校の理科実験の補助員をしませんか、と区報に載っていたので登録しておいたら、連絡があって、明日からの2週間、毎日ではないのですが何回か小学校へ出かけて行って5,6年生の理科実験のお手伝いをすることになりました。
で、ブログの更新が少し滞るだろうと思っています。
学校にもいろいろ犯罪の手が伸びるような世の中ですので、あまり学校のことは書けません。
話してもかまわないようなことがありましたら、書きますが、期待しないでください。
久しぶりに「授業」っぽいことになるようですので、楽しみです。
人との出会いはいつも楽しく貴重です。

しばらく、ブログの方はスローペースになりますのでご了解ください。ヨロシク。

クモの幼体

1126kumo夏に、大きなオニグモがいて、ミンミンゼミまで捕まえていた場所です。

今はもうそのオニグモはいないのですが、幼体らしきクモが歩いていました。
気分的にはオニグモの幼体かな、とも思うのですが、確定できません。
感じとしては大型のクモになりそうですよね。
元気でね、また来てね、という気分です。

多分、寄生性のハチ

1125onrukousou3これもまたルコウソウで。
1cmくらいあるのです。
感じとしては寄生性のハチではないかと思うのですが。
アブラバチにしては体が大きいと思います。
宿主は何なのでしょう?わかりません。

ルコウソウがあって、その汁を吸うアブラムシがいて、アブラムシを食べるナナホシテントウがいて、宿主はよくわからないけれど何やら寄生性のハチがいて。
生態系ができていますね。生物多様性、といえばなんだか難しそうですが、昆虫を毛嫌いせずに、植物の手入れをし過ぎずに、じっと観察してみてください。みんな集まってきて、その生きる姿を見せに来てくれます。

ナナホシテントウ

1125onrukousou2ルコウソウにナナホシテントウ。
アブラムシを食べに来ているのですよね。
ナナホシテントウは成虫で越冬します。
今のうちにたくさん食べて、気温が下がったら代謝を落として、寒い季節を乗り切ります。
みんな冬支度。

アブラムシ

1125onrukousou1もうおしまいにしたいルコウソウにアブラムシ。
嫌われ者ですが、透明感のある緑色。きれいですよね。
そろそろ単為生殖ではなく、有性生殖の時期でしょう。
冬を超えてその先のために。
厳しい時期を乗り越えるには、遺伝子を混ぜ合わせて、環境に変化があっても耐えられる可能性を広げておく必要があります。
単為生殖は効率はよいけれど、同一遺伝子の個体ばかりになるので、その環境のままならいいけれど、環境の変化が起こった場合に、もろいことになってしまうのです。

冬ですよ。

2009年12月 4日 (金)

ムラサキシジミ

1125murasakisijimi111月25日。
足元をふと見ると。枯れ草にチョウがいます。
翅の先端部の色が濃いのかな、と思って腰をかがめたら違うんですね。
左の翅がもうぼろぼろなんです。翅の内側が見えている。
ムラサキシジミです。

写真を撮っていったんその場を離れ、しばらく歩きまわって戻ってきたら
1125murasakisijimi2
ちょうど反対側を取りやすい向きに位置を変えていました。
もう、命の瀬戸際というところでしょう。
狭い庭ですが、土へ帰るのには適した場所です。
どうぞ、ゆっくりしてください。

11月28日。
1128murasakisijimi
オーシャンブルーの高いところにきれいな青い色。
カメラを高く持ってなんとかこのくらいに撮れました。
ムラサキシジミです。
翅はほぼ無傷のように見えます。
気温さえ高ければこちらはまだまだ活動を続けるでしょう。
みんなして、いろんな姿を見せに来てくれることです。

冬へ向かうこの時期、虫たちの姿になんとなく心揺さぶられる日々です。

虹の一部

1125kanikusaカニクサの枯れた茎に雨上がりの露が残っていました。

水滴の上部に赤い光が写っていますが、これは太陽光が水滴で分散されて出てきた光です。ですから、虹の一部といってもよいようなものです。

以前、虹に関する写真集を見ていたら、一つの水滴からでた七色の光を撮った写真があったのです。で、そんなことをいつも思うのですが、どうもうまくいきません。
水滴とカメラの実際の距離。ピント合わせの距離。この組み合わせだろうと思うのですが、うまくいきません。そのうちなんとか、と思いつつ果たせずにいます。

ふと連想するに・・・

1202lantanaこれランタナの果実です。もっと熟せば黒くなりますが、今、そういうのがなくって。
他の実が落ちた「あと」が見えておもしろかったので撮ってみました。
ところで、ランタナの実についてウィキペディアにこんな記述があります。

果実は黒い液果で有毒といわれるが、鳥が食べ種子を散布する(種子を噛み砕く可能性の強い哺乳類には有毒だが鳥類には無毒という液果をもつ植物は多い)。

このことは以前に調べて知っていたのですが、ふと、11月の新聞記事を思い出しました。
2009.11.14付朝日新聞夕刊beの「土曜ナントカ学」という記事なのですが、トウガラシの話が載っていました。

なぜ辛いのか――
 「トウガラシを辛くしている化合物カプサイシンは、ネズミに食べられるのを防ぐためにある。ネズミなど哺乳(ほにゅう)類は、カプサイシンの辛さを感じるが、鳥はほとんど感じない。その性質を利用し、トウガラシは鳥に実を食べさせ種をまき散らしてもらっている」
 私たちも哺乳類の仲間だ。・・・

「世界で最も辛い」トウガラシは「ブット・ジョロキア」というのだそうですが、その実をかじってみたら

 ブット・ジョロキアも生えていた。大きさや形はシシトウみたいで、「世界一」にしては地味だ。
 実をちょっとかじってみた。周りの部分はそれほど辛くない。だが種を食べてみると「あぁー」……。以下は記述を控えるが、あわてて車に戻って水を飲んだことだけは記しておきたい。
・・・

トウガラシの辛い部分は種ではなく種がついている「胎座」と呼ばれる部分だそうです。

さて、ランタナの実の毒性と、トウガラシの辛さと、話がパラレルになっているのではないか?とふと頭の中で結びついてしまったのです。

鳥は辛さをほとんど感じない、とありますが、ひょっとしてかじらずに丸呑みにしてしまうせいではないのでしょうか。
哺乳類の場合、肉食のものは肉を牙で引き裂いて、ほとんど噛まずに飲み込んでしまいますが、植物食性や雑食性の哺乳類では「すりつぶす歯=臼歯」で噛み、すりつぶしますよね。ヒトも雑食性のサルですから、臼歯があって噛みつぶします。
そのために、鳥と違って、ランタナの実は有毒だし、トウガラシは辛い、ということになっているのではないかなぁ、と思ったわけです。

素人考えですから正しいかどうかは分かりませんが、そんな気がしました。

アオクサカメムシ

1125aokusakamemusi1前回は寒さで動きが鈍った姿で、心配だったのですが、今度は元気な姿を見せてくれました。
ルコウソウの茎の上です。

1125aokusakamemusi2 ルコウソウの実のてっぺんにとまってバランスをとっています。

元気そうでよかった。

1125aokusakamemusi3
口吻を伸ばしているところ。
中に色の濃い部分がありますが、これが実際に突き刺す部分。その周りが鞘になっています。
ルコウソウの方はそろそろ終わりになるところなので、いっぱい汁を吸ってもいいですよ。

カメムシ目としかいえません

1125_kamemusiこれねぇ。困ってしまいました。
うっかりヒメナガカメムシのような気がして、キチンと撮らなかったのです。
で、こんなぼんやりした露出も適正ではない写真しかなくって恥ずかしい。
カメムシ目としかいいようがないなぁ。
1202youtyu1
1週間後。
これ同じ種の終齢幼虫じゃないでしょうか。
センダングサの花の上です。

どなたか見当はつかないでしょうか?教えてください。

2009年12月 3日 (木)

ゼニアオイ

1123zeniaoi1ゼニアオイの花ですが、開花してから少し日数が経ったもの。
中央から伸びて来て開いているのがメシベだと思うんですよね。

1123zeniaoi2 開花してすぐの花の中央はこうなんです。
丸い粒々は花粉ですよね。

オシベとメシベのタイミングをずらして自家受精を防ぐというようなことをしているのでしょうか。
花が美しくてヒトの目には目立つ割には、訪れる昆虫が少ない。地味なヤツデの花などよりもずっと少ない。どうしてかな。蜜のガイドがないのでしょうか。
それとも、この花の授粉に働く昆虫の季節と、今、とがずれているのかな?
よくわかりません。

ハエ

1123sentinikubae背中で哀愁を語るセンチニクバエ。です。

ヒトのオスなんかも、ときたま粋がってコートの背中で哀愁を語るなんて、映画かなんかにありそう。

コンクリート柵のてっぺんにいたので、そっとぎりぎりまで近づいて、ワンショット。
シャッター音に気づいて飛び去って行きました。

クロヒラタアブ

1123kurohirataabu1クロヒラタアブです。
お嫌でなければ拡大して下さい。
よく見ると、何だか変じゃありませんか?
頭の状態が。

これ実は、頭を90度右へひねった状態なのです。
ハエが手をする足をする。というのは有名ですが、口吻の手入れなんかもしていますね。
この写真、おそらく、頭の掃除なんだと思います。複眼の掃除かな。

カマキリがよく複眼の掃除・手入れをしますね。カマの内側に毛があって、それを使って複眼についた汚れをふき取っています。カマが長いので、頭を回転させながらも、いかにもカマでぬぐっている、というように見えます。

アブの場合、前脚がちょっと短い。あまり上の方までいかない。で、頭の方を回転させて前脚の届くところに複眼をもっていって拭いているようなのです。
1123kurohirataabu2
こちらが、正常な状態。複眼がちゃんと左右にありますね。触覚もきれいです。
これと初めの写真をもう一回見比べてください。
頭だけが見事に回転していることが分かります。

コダカラソウ

1123kodakarasou順調に成長を続けています。

いくつ蕾がつくのかよくわかりません。
何だかいっぱいです。そういう花が咲くのか分かっていないものですから、進行状況も正確には把握できていません。
楽しみです。(検索すれば出てくることは分かっていますが、今のところ敢えて検索していません。)


ベニシジミ

1123benisijimi1花ではないので吸蜜ではありません。
日光浴としては少し角度が違うんですが、まぁ、そんなところ。

なんだか「精悍な顔つき」に見えませんか?
小さなチョウですがタフそうですね。
1123benisijimi2
多少翅が傷んできていますが、泰然としています。
そう衰えた雰囲気ではないので、しばらくは暖かい日に活動を続けることでしょう。

お日さまっていいもんですね。

ウリキンウワバ

1120urikinuwaba2天気さえ良ければ毎日見に行くホップの葉の上のウリキンウワバ。

今日はアクロバティックな食事風景。

葉を引き寄せて食べています。

サーフィンのパイプライン風に見えなくもない。
そろそろ終齢じゃないかと思うんですが。急げよ、寒くなるぞ。
飼育しようとまでは思っていません。

2009年12月 2日 (水)

四十路

2009.11.30付 「恋する大人の短歌教室」
{応募作}
二の腕のたるみが嫌いもう四十路「そこがいいよ」と君は云うけど:埼玉 金子幸恵

 二の腕を露出する機会は、男性より女性の方が断然多いでしょう。暑い寒いにかかわりなく、フォーマルでもインフォーマルでも、袖のない衣類を頻繁に着用するわけですから。そうなると二の腕のたるみは、女性にとっては大問題。40歳には「初老」という異称まであるくらいだから、年相応で仕様がない、などとは言っていられません。作者の嘆きも、なるほどもっともです。しかし、「そこがいいよ」と言ってくれるパートナーに恵まれている、ということは……。結局はとても幸せそうな作者に、「ごちそうさま!」と声を掛けたくなる一首です。
 発想も言葉遣いも総じて口語的な作品ですから、「四十路」といういささか古風な用語が、唐突だと感じられなくもありません。ごく当たり前の言葉に替えて、衒(てら)わない雰囲気で通してみました。「四十歳」をどう発音するかは、多少面倒な問題ではあるのですが、ここでは「しじっさい」と読んでおきます。もしかしたらこの読みの方が古風ですか?(石井辰彦)

{添削後}
二の腕のたるみが嫌い四十歳「そこがいいよ」と君は云うけど

私ですね、「十」という字を「じっ」と読むのが個人的に大嫌いでして、鳥肌が立つたちなんです。きもちわるい。いつからそうなのかはよくわからないのですけれど。
「十分」を「じっぷん」なんて読まれるとゾッとする。「じゅっぷん」と、私は読みます。
「しじっさい」なんてもうダメ。気色ワリィ。
「よんじゅっさい」でいいでしょう。こういう風に添削するなら。リズムが狂うわけでもなし。

「四十路」が古風だなんて全然思わないんですけれどね。添削教室だから無理やりどこか変えなきゃなりませんか?

かかしの添削
二の腕のたるみが嫌いもうアラフォー「そこがいいよ」と君は云うけど

口語的作品だというのですからこの際、アラフォーではいかがですか?
と「アラ還」じいさんは思いますが。

タキソール

2009.11.30付 朝日歌壇より
タキソールまどろみながら落としつつしあわせばかり思い出される:(横浜市)溝上朝美

余分なことだと思いますが、註をひとこと。
タキソールは抗がん剤です。それを点滴で受けていらっしゃる。
たしか、かなり強い作用を持った薬だったと記憶します。
つらいな。

コインロッカー

2009.11.30付 朝日歌壇より
番号を呼べばうっかり返事するコインロッカーのあらずや夜更け:(和泉市)長尾幹也
 永田和宏 評:うとうとしていて呼ばれればロッカーだって返事をする。「うっかり」が秀逸。

そんな気がしてしまいますね。

実は私、この9月から新しい車に乗って、これまで使ったことのなかった電波でロックを解除する「ワイヤレス・キー」というのですか?あれを使うようになりました。
スーパーなんかに車で行って、カートを押して戻ってきて、軽は小さくて見えにくいなぁ、などといいながら、キーのボタンを押すと、ランプが点滅して応えてくれるんですね。なんだか、呼んだら返事した、という感じがして、妙に擬人化してしまったのです。かなり離れていてもチャンと反応しますね。別の車が間違えて返事をすることはないのかな、などといたずら心でやってみたりしていますが、間違えませんね。

コインロッカーの鍵にワイヤレス機能をつけたら、お~い、どこにしまったんだっけ~、と聞けば、ここですよ~、と返事してくれるようになりますよ。
そんなとりとめもないことを考えてしまいました。

火葬

2009.11.30付 朝日歌壇より
電柱の決まって根元に貼られ居りペット火葬の業者のビラは:(所沢市)栗山雅臣

そうなのか、知らなかった。顧客は犬なのかな?
犬がマーキングをするときに飼い主はどうしても下を見るからなのでしょうか?
これは妙なことを知ってしまったぞ。

子を抱く

2009.11.30付 朝日歌壇より
子を抱く生き物同士目が合ひぬ動物園のサルと私と:(和泉市)星田美紀

動物たちは「母性」というものを感じとるんですよ。鳥だってヒトのオスには警戒心が強く、メスには心を緩める。
哺乳類ならましてや。さらに、霊長類ですからね、お互い様。

ウィキペディアから引用します。

ヒトとは、動物界>脊索動物門>脊椎動物亜門>哺乳綱>サル目(霊長目)>真猿亜目>狭鼻下目>ヒト上科>ヒト科>ヒト属>ヒト種に属する、生物の一種であり、なおかつ動物の一種。「ヒト」はいわゆる「人間」の生物学上の標準和名である。その学名「Homo sapiens」(ホモ・サピエンス)は「知恵のある人」の意味である。

チンパンジーですとね、こうなるんですよ。
動物界>脊索動物門>脊椎動物亜門>哺乳綱>サル目>真猿亜目>狭鼻下目>ヒト上科>ヒト科>チンパンジー亜科>チンパンジー属>チンパンジー P. troglodytes

いかがです?たがいに通じあえてあたりまえ。だって、私らサルだもん。

目薬

2009.11.30付 朝日俳壇より
見えぬ目に挿す目薬や冬に入る:(都留市)長田美智子
 長谷川櫂 評:長田さんは目の不自由な方らしく、以前は点字の投句だった。見える目には見えない世界が広がっている。

2009/09/28
失明し四十年となりし今夕焼け空の色も薄れる:(都留市)長田美智子
 佐佐木幸綱 評:四十年前に見た夕焼け空の色の記憶。私などには想像もできない貴重な記憶なのである。

2009/09/28
昼も夜も厠の外にカネタタキ:(都留市)長田美智子

2009/09/21
慎重に点字投票する我に投票箱が寄せられてあり:(都留市)長田美智子

2009/09/07
点訳の朝日歌壇の今届きなぞりてさがす公田耕一:(都留市)長田美智子

◆アサヒコムのアスパラクラブでこんな記事を読みました。
「使えない」ではなく「使わない」という考え方 [09/11/19]
校閲センターの方が研修で伺った話です。

 国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さん(42)を迎え、「触る文化」を唱える視覚障害者の立場から、メディアの障害者の描き方などについてお話を伺いました。
 ・・・
 今年は点字考案者のルイ・ブライユ生誕200年にあたります。視覚障害者や点字を使っている人にとってはスペシャルイヤーです。私は今年、国立民族学博物館で点字の展覧会「点天展」を企画しました。私は中学1年生の時に目が見えなくなりましたが、そういう当事者ならではの体験談も交えて、障害をめぐる話ができればと思います。
 ・・・
 一方で、視覚を「使わない」と言うと、これはプラス思考の考え方になります。では、視覚の代わりに何を使うのか。僕はヘレン・ケラーを「触覚の可能性を切り開いた人」あるいは「触覚の潜在能力を極限まで追求した人」と表現します。ふだん目や耳を使って生活している「健常者」は、どちらかというと触覚をあまり意識しませんが、ヘレン・ケラーは触覚をフルに活用したわけです。大げさかもしれませんが、ヘレン・ケラーは「触覚によってこの世の中を認識した」とも言えます。同じ「奇跡」でも、従来は「マイナスを抱えた人が、それを克服するために頑張って努力した」という考え方でしたが、私の「使わない」という考え方をすると「触覚という普通の人があまり意識しないものに彼女は気づき、それを極限まで開拓した」となります。同じ「奇跡」でも、意味合いが違ってくるのです。
 ・・・
 僕は国立民族学博物館に入って9年目ですが、視覚障害を持った僕がせっかく博物館に入ったのだから、これまで博物館からは比較的、縁遠い存在だった視覚障害者に博物館に来てもらえるような工夫をしようと考えるようになりました。博物館や美術館は従来、ガラスケースに貴重なものが入っていて、横に解説があるのを読む形で見学、観覧する場所です。そういう場所から一番縁遠い存在は、見ることができない人。「触って楽しめるような配慮をしよう」ということで、触れるものを増やすためいろいろ工夫をしました。インターネットが発達し、海外旅行が当たり前になって、わざわざ博物館に行かなくても、いろんなものが見られる時代になり、博物館の存在意義には難しい面もあります。しかしそういうときに、ピンチはチャンスだと言いますが、一つの考え方として、今まで博物館から縁遠かった人を呼び寄せる工夫が、チャンスにつながるのです。
 さらには、「触る」ことの楽しさを、目の見えない人だけでなく、目の見える人にも伝えようと考えています。世の中には触って初めて知ることができるおもしろさ、楽しさがある。何も「触る」ことは視覚障害者の専売特許ではないし、視覚障害者サービスというところに閉じこめるのはもったいない。見えている人も触ればいいじゃないかと。そういう観点で点字の展覧会も、視覚障害者のための展覧会というより「万人に触ることを伝える」ことを主眼に置いて活動しているわけです。
 ・・・

「障害があるのに」「障害を乗り越えて」ではなく、「障害があるからこそ」「せっかく障害があるのだから」と価値を反転させていらっしゃいます。
私が、教師生活を通じてずっと生徒に伝え続けてきたことと同じです。うれしいですね。
仲間がいた。

◆で、長田さんの俳句についての評がものたりない。
かかし評:視覚を使わない長田さんが、他の感覚で「観る」世界を伝えてくださる。目薬が冷たかった、その温度感覚に冬を知る。鋭い。

2009年12月 1日 (火)

アオクサカメムシ

1123aokusakamemusi1アオクサカメムシが日向ぼっこをしていました。

前日が寒かったので、あまり活発ではありません。

アオクサカメムシの成虫を見るのは初めてです。
フウセンカズラのところで、幼虫を見つけてずっと見続けましたが、いつか見なくなっていました。

こんな幼虫でした。
Aokusakamemusi 左には翅の芽がありません。
右のは翅の芽があって、これが終齢幼虫です。

成虫になったら姿を見せてくれるといいな、と思っていたら、ついに姿を見せに来てくれました。同じ個体かどうかは分かりません。幼虫も複数いたように思いますし。
でも、なんだか嬉しくってねぇ。大人になったよ、見て、と来てくれたような気がして、嬉しくてたまりません。
1123aokusakamemusi2 複眼、単眼もくっきり。
単眼は二つしかありませんね。

1123aokusakamemusi3 正面からの顔。
昆虫の顔って、なかなかにいいものでしょ。

何匹か成虫になっているのではないでしょうか。ぜひもっとお会いしたいものです。

ウリキンウワバ

1122urikinuwaba虫さんが少なくなる季節、貴重な登場人(虫)物。

この姿勢で固まっています。
よくあるんですよ。こういうふうに、体を浮かせたまま固まっていることが。
シャクガではないのですが、シャクガ風だし、なかなかの役者です。
ホップの葉によく似合う色。なんとなくトゲトゲ風も、ホップの葉に合っています。

チャコちゃん

1122chakoエンジンの余熱で暖かいボンネットの上のチャコちゃん。
ちょっと、傾いています。
居心地悪そうですが、でも、この暖かさは心地よい。
ボンネットにまるっきり乗れないというわけでもなさそうなので、少し安心。
新車だから、傷をつけず、純毛で磨いておいてください。

ビワ

1122biwa1うっかりしていました。ビワの花が咲いています。
いつもこの下で、下の方ばかり見ていて、上を見上げるのを忘れていました。
1122biwa2 こちらはまだ蕾。

去年、やっと実を食べることができたのでした。おいしかったなぁ。
みずみずしくって、味が濃くって。
1123biwa3
高いところの花を一生懸命アップにして見たのですが。
メシベがうまく見つかりません。
オシベは花糸が太くて、「く」の字に内側に曲がっています。
この中央にメシベがあるのでしょうね。

この木も実生です。実生って楽しいですよ、お試しあれ。

ウリキンウワバ

1121urikinuwabaずいぶん大きくなりましたが、まだ一定の場所にいます。蛹になる気はないらしい。
もう、12月というのに、いいんですかねぇ。心配してしまいます。
もう一段大きくなってから、冬越しの蛹になるのだと思っています。

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