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2009年11月17日 (火)

デジタル

2009.11.16付 朝日俳壇より
デジタルの時計に秋思なかりけり:(高萩市)小林紀彦
 大串章:柱時計の音を聞きながら、秋の物思いにふけったこともある。デジタル時計はいかにも素っ気ない。

私はいつも思うのですが、アナログは自然で滑らかで豊かでよいものだ、デジタルは人工的で不自然で、とびとびで貧しい、という二分法に強い不信と不快を抱いているのです。
(自然はよくて人工は悪い、植物はよくて動物は悪い・・・という二分法はもうやめにしたい。)

そもそも、私たち動物の神経系を伝わる情報はデジタルなものです。通常の電気回路のようなアナログ電流が流れているわけではありません。
視覚は光の情報を画素に分割してとらえます。それゆえに空間分解能に限度があって、視力となります。

ひょっとして、私たち人間という存在は、完璧なる「連続」には耐えられないのではないか。
どうしても、そこに切れ目を入れて、数えることのできるものにしないと、認識できないのではないか。
「時計」というものは連続的な流れに、切れ目を入れる道具でしょ。1,2,3・・・と数えられるように変換するものですね。
1,2,3・・・と指折り数える。
digit というのは「指」という言葉なのです。指折り数えるのがデジタル。
時を刻む、という行為そのものがデジタルな行為だと考えています。

デジタル時計がそっけない、というのは思い込みではないでしょうか?
アナログ時計なら秋のもの思いにふけることができるのでしょうか?

人の作った「とき」は、アナログでもデジタルでも同じように均質に流れていくのに、季節の流れは人の思いとは独立に、その歩みを進めていく。
秋は深まり、冬がきざし、夕暮れは早く、肌が冷える。

私はアナログ表示とデジタル表示の時計を両方使っていますが、どちらも標準電波を受けて調整する電波時計です。
物思うのは人であり、時計ではないと、私は割り切ってしまっています。
身も蓋もない話で申し訳ありませんでした。

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