善意
2009.10.26付 朝日歌壇より
「善意」ある古着の寄付がアフリカの繊維産業を苦しめており:(名古屋市)諏訪兼位
「善意」って難しいものです。善意を発揮している本人は、(当たり前ですが)いいことをしている、と思って、気持がいいのですからね。
ところが、善意というものが、やっかいなものでもありうるということに、多くの人は気づいていない。
腰痛気味の時に電車のシートを譲られても困ることもあるんです。座ることが楽とは限らない。
ドアを開けて待っていただくのはうれしいけれど、急かされる。障害によってはドアの角度の違いで通り抜けやすい開きが違うかもしれない。右開きドアならいいけど、左開きドアは辛い人もいるかもしれない。
昔、若くて過激な時代の私。「慈善よりは無視を!」と叫んだりしてね。
慈善は相手を低く見る。むしろ、悪意や敵対の方が、相手を高く評価して対等な位置関係でありうる。なんてことも、言ったりして。
古着が役立つなんて素敵なことだ、資源の有効活用にもなるし・・・
でも、地元の産業が苦しんでいることがありうると。考えてみたことがありますか?
相手を低くは見ていませんか?
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