叢雲(むらくも)
2009.10.19付 朝日俳壇より
叢雲の中を駆けるや今日の月:(横浜市)小西昭七
運動というものは相対的でして。
雲が流れているのに、月が移動していくように見えますね。
人間の主観のなかで、どこに運動を見る座標を設定したかによるのですね。
空いた電車の中で、自分のいる車両から連結部の向こうの車両を見てください。
揺れているのは向こうの車両、というように見えますよ。体では自分の体も揺れていて、こっちの車両も揺れているとわかっていながら、目に見える光景では、絶対にこっちの車両は静止していて向こうの車両が揺れている、としか見えないと思いますよ。
自分を主において、自分に座標系を置いたから、向こうが動いて見えるのですね。
空といい、川といい、比較できるものの少ない大きな光景の中で、ときどきこういうどちらが動いているのか「見失う」という、めまいのような感覚に襲われます。
こういうめまいは健康上の問題ではありませんので、そのくらくらをたっぷり楽しんでください。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント