病臥の妻
恋する大人の短歌教室(10/26)朝日新聞より
{応募作}
たわむれに 病臥の妻の 乳首吸う それが最後と ただただ涙:神奈川 渡辺文雄
究極の恋歌(こいか)と呼ぶべきでしょう。何とも凄絶な一首です。夫婦間の愛情の突き詰められた姿が、圧倒的な迫力で歌われていて、読む者をたじろがさずにはおきません。あまりにもあからさまな第三句の言葉遣いをもっと穏やかなものに換えてみたら、などと考えることさえ、作者の心中を推し量れば憚られます。おそらくは余命いくばくもない愛妻に対する、ひとり現世に取り残される運命にある夫の、過激だが哀切でもある行為……。真実の愛に裏打ちされた「乳首吸う」には、軽々には手はくわえられません。
もっとも、これほど真剣な行為なのですから「たわむれに」はないのでは?石川啄木の短歌の引用でしょうが、ここではそういった技巧は煩わしく感ぜられます。「こころみに」「意を決し」など、代案を考えましょう。また、第四句の指示代名詞が「それ」だと、心理的な距離感が出てしまいます。「これ」でなくては。第五句も整えてみましたが、これは好みが分かれるところかもしれません。(石井辰彦)
{添削後}心乱れ病臥の妻の乳首吸う これが最後とただ涙して
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心が乱れに乱れて、押し寄せる感情の波間に押し流された、という行為とは思えません、というか、思いたくない。
決然とした意志の行為であった、と受け止めたい。愛を告げる、愛を語る、愛の形。
ですから「心乱れ」を採りません。
また、この涙さえ、意志に反しての涙ではなく、意志を表現する涙だと考えたい。
そこで、まるっきりの破調になりますが、涙して立ちつくす、という表現にしたい。
拙劣でどうしようもありませんが、下のようになりました。
{かかしの気持ち}きわまりぬ病臥の妻の乳首吸う これが最後と ただ涙す
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吉野秀雄(よしのひでお 1902-1967・明治35年-昭和42年)
「寒蝉集」
真命の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ
これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹よ吾妹
ひしがれてあいろもわかず堕地獄のやぶれかぶれに五体震はす
今生のつひのわかれを告げあひぬうつろに迫る時のしづもり
高校時代でしたでしょうか。日本の恋の歌とかいう書名の新書で読んで、激しいショックを受けた歌です。
「命=生の極みにおける性」がこう歌われるのか。高校生にとって、きつすぎるほどの衝撃でした。「性は生」です。
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先日の、長門さんのインタビュー。公演を最後までやりぬくという意志の姿と、滂沱たる涙。わたし、泣きました。
夫婦とは、一体、夫婦とは・・・。
つらかったです。
長門さん「一生分のキスをした」 南田洋子さん入院
2009年10月20日朝日新聞より
・・・
――どうしてあげたいか。
どうにもできない。ただ、一生分のキスをしてやりました。皮膚の感覚、顔の形態をしっかり覚えようと。
・・・
――洋子さんから言葉は?
「サヨナラはなかったんです。17日の夜、ぶっ倒れた時も、『ただいま』って言ったら、俺の顔をちらっと見ただけで、後はもう、吐いていましたからね。その時に、洋子はちょっと左の方が、脳溢血(いっけつ)ぎみなんで、右手が動かないです、あんまり。だから右手を使うことを避けるんですが、僕の2本の指を思いっきり強く握って『あ、洋子、右手で俺の手にぎった。握力があるぞ』みたいな。こっちは甘いですからね、全然そんな病状だとは思わないんです。そしたらもう、僕の手が痛くなってきた。『洋子、痛い痛い痛い。離して』っていったら、マネジャーが『長門さんの指が真っ白になっちゃってるから、洋子さん、離してあげて』と言ってくれた。それでも離さない。それを、僕は無理やり、離しちゃったんだ。あれを今から思えば、あれが最後の意思表示だったのかなと」
――向こう(天国)では、どう声をかけますか。
「ずっと待ってる。僕も待ってる人ですから。ごめんね、遅くなったのごめんね、って謝る」
――今日は、洋子さんにキスしますか。
「昨日しましたから。僕は、皆さん誰でもそうだと思うけれど、死に対する恐怖感と拒否反応がすごく多いんでね。あまり死んだ女房は好きでない。(昨日が最後のキスだった?)そう。昨日は温かかったし、思いっきり、何カ所も何カ所も、呼びながら、名前を呼びながら、あいつが痛がらなかったですからね。ひげ面でも何でもこすりつけて、もう何遍も何遍も、いつ死んでもいいように準備を僕はしていましたから。(それじゃ、指の痛さが?)そう、これは思い出になりますね」
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