« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »
ルコウソウにガの幼虫がいたわ、と妻が連れてきました。
記念写真を撮って、元の場所に戻してやって、それからおもむろに検索してみましたところ
ハスモンヨトウの幼虫のようです。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/hasumon-yotou.html
↑幼虫図鑑です。(成虫の写真も見られます。)
およそ,どんな植物でも食うようである。ギシギシなどの雑草,ダイズ(大豆),サトイモ(里芋),ダイコン(大根),ネギ(葱),ササゲ(大角豆),ハクサイ(白菜),ナス(茄子)などの野菜(特にアブラナ科の野菜)や,花壇の花など。
とありました。というわけで、ルコウソウにいてもいいのでしょう。食い意地が張ってるなぁ。ルコウソウって、ほとんど食害を受けない植物なんですけどね。何でも食うんだなぁ、君は。
上の写真ではどっちが頭なのか、よくわかりません。
実は上の写真の左側が頭でした。
で、頭を見せてくれ、と撮ったのがこれ。
ギュッと、脚まで曲げてますね。
しっかりルコウソウの茎にしがみついています。
気門も見えています。
もう一回、顔をちゃんと見せなさい、と撮りました
これ
なんでこんなに縮こまっているんでしょうね。
緊張しているようです。
ところで、何枚か撮っているうちにこんなアングルを発見!
白っぽい斑点が眼のようで、なんだか、なにかの動物のあかちゃんみたいな表情に見えませんか?
擬態というほどではないのでしょうが、顔風な模様なのでした。
2009年10月20日 (火)付の「アブラムシ」と題した記事で、「ここに写っているものが何なのか、私にはいまだによくわかっていません。」と書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8d6e.html
↑ここです。
そうしたらコメントを頂きました。
このアブラムシはマミー(ミイラ)という状態で、アブラバチに寄生されて膨れ、変色してるそうです。
幼虫が孵化して出て行った後が丸い穴になってるんですね。
そうなのか、と疑問氷解。寄生バチだったのか。
「アブラバチ」でグーグル検索をかけますと、たくさんヒットするんですねぇ。知らなかった。
中で、尊敬する「アーチャーン」さんのサイトをご紹介します。この方の観察眼はすごいんです。ここで、アブラバチの鮮明な写真、交尾、産卵まで見られます。
http://plaza.rakuten.co.jp/Wolffia/diary/200711120000/
どうぞご覧ください。
アブラバチが羽化して出ていってしまった後の写真をもう一回掲載します。
見事に丸くくりぬいて出て行くんですね。すごい。
アブラバチの成虫を見たことはない、のか、見たことはあっても認識していないかですが、おそらく体長1~2mm程度のものでしょう。小さいハチを敬遠しているせいで、見逃がしているのでしょうね。まいった。
こちらは寄生を受けずに無事生活している集団です。
いつも蟻が丹念にやってきていますよ。
で、アブラバチの新たな寄生は起こらないかと、気にかけて見ているんですが、見つけることは出来ずにいます。
http://homepage2.nifty.com/datchan/insect/abura_bachi/01abura.html
このサイトは、アブラバチの生活史にも詳しいので、興味のある方はご覧ください。
一部引用しますと(太字は引用者がつけました)
幼虫は寄主体内で4~5回脱皮して成長する。幼虫が蛹化する際に寄主は死亡する。死亡した寄主の腹部はボール状にふくらみ、体色も黒色、黒褐色、褐色、茶褐色、白色などに変化する。寄主の体はミイラ化するが、この状態をマミー(mummy)と呼ぶ。羽化する際にはマミーの腹部に円形の穴をあけて脱出する。
以上が一般的なアブラバチの成育過程だ。ところで、私が学生時代に扱ったPraon属のものは、蛹化の状況が少し違っていた。蛹化の際、一般的には寄主の体内で蛹になるのだが、Praon属の場合は寄主の体外(マミーと植物体の間)に出て、そこで繭を作って蛹化するのだ。その際、マミーを植物体に固定するために、繭の周囲をテント状につむいでしまう。羽化時にはこのテントの壁面に円形の穴をあけて出てくる。
寄生については、アゲハの寄生ハチ、アオスジアゲハの寄生ハエなどには多少の知識はありましたが、奥深い世界なんですね。知らないことのみ多かりき。でした。
2009年10月21日付けで「インフルエンザ」という記事を崩彦俳歌倉のカテゴリーで書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-6801.html
ここです↑
◆その中で、インフルエンザウイルスの「形」について触れました。
調べてみたところ、朝日新聞の6月15日付けの記事が頭の中にあったようです。
新型インフルウイルス、実は細長いインゲン形(2009年6月15日)
新型の豚インフルエンザのウイルスは細長いインゲンのような形をしていることが、東京大医科学研究所の河岡義裕教授らの研究でわかった。米疾病対策センター(CDC)が流行後に公表した電子顕微鏡写真は球形だったが、撮影前の遠心分離器による処理でちぎれたウイルスの断片をとらえていたという。15日付の英科学誌ネイチャー(電子版)で発表した。
ウイルス以外の物質を取り除くため、CDCは遠心分離器にかけていたが、河岡さんらはかけずに撮影したところ、長さ1千分の1ミリほどの細長い形をしていた。遠心分離器にかけると、ウイルスの大部分が不純物と一緒に除去され、残った断片が球状に写ったという。
他の種類のインフルエンザのウイルスには球形や細長い形など、さまざまなタイプが知られる。
(後略)
こういう記事で、写真もついていました。
新聞社のサイトですのでリンク切れになる可能性はありますが、その記事へのリンクです。
http://www.asahi.com/science/update/0615/TKY200906150017.html
◆ところで、私が定期購読している雑誌「化学」の11月号で「新型インフルエンザ教養講座」という特集が組まれています。
この特集の中に「H1N1新型インフルエンザの姿」というページがあり、そこに新型インフルエンザウイルスの走査型電子顕微鏡写真と透過型電子顕微鏡写真が掲載されています。
また、「インフルエンザウイルスの基礎」という解説があって、どのようにして感染するのか、というような基本的な解説もあります。
「化学」は化学同人という出版社の雑誌ですが、ウェブ上で記事がある程度読めます。
下のURLは化学同人のホームページ中の、月刊「化学」11月号のページです。
http://www.kagakudojin.co.jp/kagaku/200911.html?200911&11
ここで、「電子ブック」という形で記事が読めます。上に書いたウイルスの形や、基礎に加えてワクチンの話なども読めますので、関心がおありでしたら読んでみてください。
◆ところで、新型インフルエンザウイルスの形の話に戻りますが、野田岳志氏と河岡義裕氏による「化学」の記事によりますと。
(前略)一般的なA型インフルエンザウイルスは、直径約100nmの球状あるいは太さ約80nmのフィラメント状構造を示す。ヒトから分離されたH1N1新型ウイルスの形態はフィラメント状を示すが、これはこのウイルス特有の特徴ではない。一般に、ヒトや動物から分離された直後のA型インフルエンザウイルスはフィラメント状であるが、培養細胞などで継代を重ねると球状粒子に変化することが知られている。しかし、ウイルスの形態とウイルスがもつ増殖性や病原性、あるいは個体から個体への伝播力との関連については、まったく明らかにされていない。(後略)
ということでした。
NHKなどのテレビニュースでは、球形の写真が使われていますが、間違いということではなく、培養下での姿ということになるのでしょう。「新鮮な」ウイルスはフィラメント状であるということです。
◆以上、私の中で引っかかっていたことをご報告します。
恋する大人の短歌教室(10/26)朝日新聞より
{応募作}
たわむれに 病臥の妻の 乳首吸う それが最後と ただただ涙:神奈川 渡辺文雄
究極の恋歌(こいか)と呼ぶべきでしょう。何とも凄絶な一首です。夫婦間の愛情の突き詰められた姿が、圧倒的な迫力で歌われていて、読む者をたじろがさずにはおきません。あまりにもあからさまな第三句の言葉遣いをもっと穏やかなものに換えてみたら、などと考えることさえ、作者の心中を推し量れば憚られます。おそらくは余命いくばくもない愛妻に対する、ひとり現世に取り残される運命にある夫の、過激だが哀切でもある行為……。真実の愛に裏打ちされた「乳首吸う」には、軽々には手はくわえられません。
もっとも、これほど真剣な行為なのですから「たわむれに」はないのでは?石川啄木の短歌の引用でしょうが、ここではそういった技巧は煩わしく感ぜられます。「こころみに」「意を決し」など、代案を考えましょう。また、第四句の指示代名詞が「それ」だと、心理的な距離感が出てしまいます。「これ」でなくては。第五句も整えてみましたが、これは好みが分かれるところかもしれません。(石井辰彦)
{添削後}心乱れ病臥の妻の乳首吸う これが最後とただ涙して
----------------------------------------------------
心が乱れに乱れて、押し寄せる感情の波間に押し流された、という行為とは思えません、というか、思いたくない。
決然とした意志の行為であった、と受け止めたい。愛を告げる、愛を語る、愛の形。
ですから「心乱れ」を採りません。
また、この涙さえ、意志に反しての涙ではなく、意志を表現する涙だと考えたい。
そこで、まるっきりの破調になりますが、涙して立ちつくす、という表現にしたい。
拙劣でどうしようもありませんが、下のようになりました。
{かかしの気持ち}きわまりぬ病臥の妻の乳首吸う これが最後と ただ涙す
----------------------------------------------------
吉野秀雄(よしのひでお 1902-1967・明治35年-昭和42年)
「寒蝉集」
真命の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ
これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹よ吾妹
ひしがれてあいろもわかず堕地獄のやぶれかぶれに五体震はす
今生のつひのわかれを告げあひぬうつろに迫る時のしづもり
高校時代でしたでしょうか。日本の恋の歌とかいう書名の新書で読んで、激しいショックを受けた歌です。
「命=生の極みにおける性」がこう歌われるのか。高校生にとって、きつすぎるほどの衝撃でした。「性は生」です。
----------------------------------------------------
先日の、長門さんのインタビュー。公演を最後までやりぬくという意志の姿と、滂沱たる涙。わたし、泣きました。
夫婦とは、一体、夫婦とは・・・。
つらかったです。
長門さん「一生分のキスをした」 南田洋子さん入院
2009年10月20日朝日新聞より
・・・
――どうしてあげたいか。
どうにもできない。ただ、一生分のキスをしてやりました。皮膚の感覚、顔の形態をしっかり覚えようと。
・・・
――洋子さんから言葉は?
「サヨナラはなかったんです。17日の夜、ぶっ倒れた時も、『ただいま』って言ったら、俺の顔をちらっと見ただけで、後はもう、吐いていましたからね。その時に、洋子はちょっと左の方が、脳溢血(いっけつ)ぎみなんで、右手が動かないです、あんまり。だから右手を使うことを避けるんですが、僕の2本の指を思いっきり強く握って『あ、洋子、右手で俺の手にぎった。握力があるぞ』みたいな。こっちは甘いですからね、全然そんな病状だとは思わないんです。そしたらもう、僕の手が痛くなってきた。『洋子、痛い痛い痛い。離して』っていったら、マネジャーが『長門さんの指が真っ白になっちゃってるから、洋子さん、離してあげて』と言ってくれた。それでも離さない。それを、僕は無理やり、離しちゃったんだ。あれを今から思えば、あれが最後の意思表示だったのかなと」
――向こう(天国)では、どう声をかけますか。
「ずっと待ってる。僕も待ってる人ですから。ごめんね、遅くなったのごめんね、って謝る」
――今日は、洋子さんにキスしますか。
「昨日しましたから。僕は、皆さん誰でもそうだと思うけれど、死に対する恐怖感と拒否反応がすごく多いんでね。あまり死んだ女房は好きでない。(昨日が最後のキスだった?)そう。昨日は温かかったし、思いっきり、何カ所も何カ所も、呼びながら、名前を呼びながら、あいつが痛がらなかったですからね。ひげ面でも何でもこすりつけて、もう何遍も何遍も、いつ死んでもいいように準備を僕はしていましたから。(それじゃ、指の痛さが?)そう、これは思い出になりますね」
----------------------------------------------------
セイタカアワダチソウの時期とツマグロキンバエの時期は同期するのでしょうか。今、いっぱいいます。
左の写真では、白い矢印で4か所、ツマグロキンバエのいる場所を指しています。ピントは右下の方に合っているのですけれど。
ハエの「舐める口」を伸ばして、花の蜜を一生懸命に舐めています。
ほらね、ハエの口、でしょ。でも、ニクバエなどと違って花の蜜を舐めるんですね。
翅の先端を見てください、黒っぽく、あるいは褐色になっていますね、ですから「ツマグロ=褄黒」なんですね。そして、複眼に現れている独特の模様、これさえ覚えていれば、判別できます。いわゆる「雑草」の花を観察して下さい。いろんな虫たちの営みが見えます。
現在は、ツマグロキンバエ、ツチバチの仲間、アシナガバチ、ミツバチ、キチョウやセセリチョウ・・・こういうところがセイタカアワダチソウのところで「表立って」目立ちます。私の目が届いていない場所の方が圧倒的に多いのですから、もっともっとたくさんの昆虫たちがセイタカアワダチソウのまわりで活動しているのでしょう。
11月が間近になって、急激に冬の気配が近づいてきました。
読者の方々、そして、虫さんたち、冬へ向かってこの陽ざしをもうしばらく楽しみましょうね。
10月27日、3時半過ぎ。
妻と二人で、ルリタテハを放すことにします。
そ~っとケースのふたを持ち上げます。
まるで樹皮ですね。
このまま、じっと見つめていました。
しばらくすると、外気を感じたのか、翅を細かく震わせ始めました。
あぁ、体温を上げているね、と話していると、そのうち、何回かゆっくり翅を開いたり閉じたり。
開いた瞬間の写真を撮りたいな、と構えていたのですが、ある瞬間、パッと翅を開いたと思うと、一直線に飛び去って行きました。
その瞬間にシャッターボタンを押してはいたのですが、写っていませんでした。それが左の写真。
アオスジアゲハよりも直線的といえる飛び方でした。美しいルリ色のイメージを私たちの目に焼き付けて去りました。
なんど立ち会っても、いいものです、チョウの羽化、旅立ち。
なんとなく、心がしっとり、暖かくなって、うれしくなります。
上の写真で、ホトトギスの葉は完全に枯れしおれています。羽化の際にこの葉が茎から落ちては大変なので、葉を取って、ケースの天井にセロテープで固定しました。その様子が見えますね。
羽化の時は本当に無防備で、一番危険な時間です。それだけに劇的な時間でもあります。
無事羽化すると、ほっとしますよ。体の力が抜けます。
飛び立つまでに取った写真のうちからご紹介。
どちらも触覚が比較的ちゃんと見えるところをトリミングしました。
きれいでしょ。
前回のルリタテハの羽化では、透明な床に蛹便が落ちて色があまりくっきりしませんでした。
今回は、葉を天井に固定する作業をしたときに、蛹の真下にティッシュペーパーを置いておきました。
そのティッシュペーパーに染み込んだ蛹便です。
如何でしょう。まるで私たち哺乳類の血とそっくりな色でしょ。
初めて見たときはびっくりしました。どうしちゃったんだろう?大丈夫だったのだろうか?と。
たまたまルリタテハの羽化を見た子が、血を流して飛んで行った、と報告して、それを聞いた大人が信じられなかった、という話もあります。
実際にこんな体液を流し捨てて体を乾かして飛び去るのです。
いやあ。何年ぶりですか。ルリタテハの飼育。ホトトギスはあるのに、来てくれなくて、ずっと待ち続けた結果、今年、2匹の羽化に立ち会えました。
心底うれしかったです。
また来年も来てくださいね。待ってますよ。
10月27日、午前9時40分ころ。
気づいたらルリタテハが羽化を始めていました。
ケースを動かすことはできませんので、写真はこのアングル限定で数枚。
ケースの底面に蛹便が落ちていませんので、まだ、体液を翅などに圧送して展開している最中と思われます。ここで焦らせて羽化失敗になってはいけないので、すぐに引き下がって放置しました。
11時16分ころ。
見れば蛹便をしてありましたので、羽化そのものは成功裡に終了のようです。
外見上はほとんど違いはありません。翅の縁の形が少し違うかな、というくらいです。
この時点では全く動きませんし、おそらく体もまだ完全には乾いていないでしょう。
午後には妻も帰宅するので、その時に放してやろうと思います。
ネコハエトリ。
常連になりました。
変なんですよ。カメラを構えてレンズを向けて・・・あれっ?いない。
左手にくすぐったさ。
手に乗っているんですね。
普通、家の中でクモを見つけて、外へ出してやろうと、手に乗せるべく手のひらに追い込んでも、体温を感じるとパッと飛びのいてしまって、なかなか乗ってくれないものなんです。
それが、自分からひょいと人の手に乗って来るなんて。おまえ、ちょっとガードが甘くないかい?
それでも、ひょこひょこ歩いてくるので、一枚写真を撮ってから、ふっと吹いておりてもらいました。
しぼんだオシロイバナに飛び移ったところ。
このフカフカ感がたまりませんねぇ。
「ネコ」ハエトリ、というのはこのフカフカ感からでしょうか?もちろん色も、でしょうが。
なんとなく、意気揚々という感じですよね。
いや、楽しいやつです。
道を挟んで反対側。
そこにもネコハエトリが。
ぼくも、とか、わたしも、とか言われているような気がして仕方ありません。
いつもと同じ写真ではありますが、撮って、といわれると弱いんだよなぁ。
かわいいから許す。
ゼニアオイが咲いています。
線路沿いのずっと先の方にもともとあったのを、妻が一本だけ引っ越しさせてきたものです。
定着してくれるといいな。
花弁の模様がすっきりしていて、シンプルでいいですね。
と書いてきて、一抹の不安があるのですが・・・
花の時期が変じゃありません?
本来の時期は、今じゃないですよね。5月頃かなぁ。
悩んでいます。
花の中心部なんですが、メシベがくっきりとは見えていません。
もう少し、撮りやすいアングルのところで咲いてくれたらなぁ。
この花は今、膝くらいの高さなので、腰に負担がきそうでうまく「分析的な」撮影ができずにいます。
もっと分かりやすい写真が取れたらその時またご紹介することにしましょう。
フタモンアシナガバチのオスが日向ぼっこをする季節になりました。
結構な数のアシナガバチが飛び回りますので、知らないと怖い感じがします。
手で払い落とそうとしたりすると、興奮するかもしれませんが、オスには針はないので、知らんぷりしていれば、周囲を飛び回ったり、暖かい場所でじっとしていたり、それだけです、大丈夫ですよ。
余裕があれば、この顔を見てください。黄色みがかったこの顔がオスです。メスはまた別の顔つきをしています。
背中の模様はこういう風になっています。
スズメバチ科ですが、迫力はずいぶん違いますね。
もし、巣があっても、むやみに近づかなければ攻撃されることはありません。怖がって妙に周囲で騒ぐ方が危険です。虫を興奮させない付き合い方を身につけてください。
左脚に障害があります。ですから、不安定です。で、右手でつかまらなければ安定が得られません。ステッキも右手でつきます。ということで、「動く階段=エスカレーター」という不安定な状況では右手でベルトにつかまることが「生命線」です。ステッキをひょいと左手に移し、右手でベルトにつかまりたいのです。じゃまな年寄りがいると思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。
ブログネタ: エスカレーター、右と左、どっちを空ける?
アオクサカメムシの幼虫です。
別に「青臭い」わけではありませんからご安心を。
成虫は見たことがありますが、幼虫は初めて。
面白い模様ですね。
ニラの実が熟したかどうか見に行って見つけました。
黒いのは熟したニラの実。
今、未熟な実の上にいます。
齢の異なる幼虫や成虫をご覧になりたければここがいいです。↓
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/aokusakamemusi.html
冬までに成虫になれるんでしょうね。急激に気温が低くなりはじめましたから心配なほどです。
線路の柵にアキアカネがとまっていました。
ちょいと、「秘密の技」を発揮。
捕虫網も使わず、素手で捕まえました。
といっても、マンガ見たいに、トンボの目の前で指を回して、トンボの目を回させて・・・というのではありません。
こういう穏やかな日に日向ぼっこをしているアカトンボは、脅かしさえしなければ、ものすごく近寄ることができます。
で、ちょっっぴりふわっと浮き上がっては、またてっぺんに戻る、ということを繰り返します。これを利用するのです。
とまっている杭のすぐそばにそっと手を近づけて、人さし指と親指をそばに出すんですね。
で、アカトンボが浮き上がっておりてくるときに杭ではなく、どちらかの指にとまらせてしまうんです。
そうしたら、親指と人さし指をそうっと近づけていって、最後、ぱっと、指先を閉じてトンボの脚をつまんでしまうのです。
秘技「トンボつまみ」!?
こうやって捕まえたのが、上の写真です。
さて、もし、トンボを捕まえたらぜひやってみていただきたいことがあります。
こうやって、水面に腹部の先端をちょんちょんとつけてやるのです。
卵を産みきっていなければ先端が水に触れるたびに産卵してくれます。
インスタントコーヒーの空き瓶などがいいですね。
産卵後しばらくすると卵は底に粘着します。
シオカラトンボは産卵から1週間くらいで孵化します。1mmあるかないかという小さなヤゴが泳ぐ姿はかわいいですよ~。まるでガラス細工のように透明なんです。
餌といっても用意できるようなものではないので、水槽に適当に水草などをはやしておいて、瓶ごと沈めてやればいいでしょう。大きくなったらメダカでも食べます。
アカトンボの場合は、卵で冬を越して、3月末か4月初め頃、孵化します。
瓶ごと水槽に沈めておけば、やがて泳ぎだしてきます。
上のトンボさんには、演技のお礼を申し上げて、大空へ放してやりました。
秋です。
コガタスズメバチを見かけてしまいました。10月14日のことです。
しかも門の前に置いたデュランタの葉で。
さすがにちょっとドキッとしました。
でも、警告に現れた、というような風情ではない。
葉につかまっているのがやっとという感じです。
動くと落ちそう。
もう死にそうな状態でここまで来たようです。で、その本来の巣が家のそばにあるのか?
もしそうなら、ちょっと警戒しなければなりませんね。家族に聞いても、この夏中一回も見かけたことはないという。私も。
保育園の子の散歩も来るし、スズメバチの巣があるのならは放置できません。
10月8日に台風18号が上陸して、日本列島を縦断していきました。
ひょっとすると、台風の強風で巣の付近からここまで飛ばされてきたのかもしれないな、とも思えます。
単独で吹き飛ばされてきてしまって、餌もとれず弱った状態だったのではないでしょうか。
台風のあとというのは、時々予想外の昆虫が飛ばされてくることがあります。そのパターンかもしれません。
それでも、迫力ある顔つきです。
顎はでかいし。
複眼が独特の形ですよね。単眼もくっきり。
しばらくして見に行ったら、道路に落ちていました。
まだもぞもぞとですが、歩けます。
さすがに、土の上に移動してあげよう、という気にはなれませんでした。
最後の力で反撃、に出られたら、やっぱり私でも怖いです。
夕方にはいなくなっていました。
午後1時には前蛹でした。
部屋で仕事をして、さぁコーヒータイムと居間へ降りたら蛹になっていました。
15:04撮影です。
脱皮直後ですから、まだ透明感があります。
幼虫時代の皮が落ちていました。
見事に脱ぐものですね。
腹部を拡大してみると、やはりなんだか透けている感じです。
つやつやしていて、丸く膨らんで表面が滑らかですね。
こうなりました。
表面の質感がずいぶん変わって、枯れた感じ。
ごつごつして、つやが消えました。
枯葉風なんでしょうね。
さて、いつ羽化するか。
あとはじっと待つのみです。
幼虫が成長し、蛹になり、羽化してチョウになる。
この過程に寄り添って、じっくりと立ち会えるというのがチョウの飼育の楽しみです。
チョウが好きというとすぐ、コレクションを作るのか、と思われるかもしれませんが、そうではない楽しみがあるのです。標本なんて一つもないんですよ。育てた楽しい思い出が、羽化して飛び立つチョウヲ見送る喜びが、いっぱい胸にしまってありますからね、それで十分。
あの時はこうだったな、あの時はああだったわね、と夫婦で記憶を共有して会話できるなんて、楽しいでしょ。
ホトトギスの花はまだまだいっぱい咲いていますが、咲き終わった花が出始めています。
そういう一輪。
花弁がしおれて、中央のメシベが見えてきました。
へそ曲がりな言い方ですが、花の見ごろは花弁がしおれてからですね。
まわりの飾りが落ちると、中央のメシベがはっきりr見えてくる。植物の生殖の姿をきちんと理解するためには花が終わった頃からがいいようですよ。
さらに、花が落ちてしまいました。
かつてのメシベの柱頭もしおれて残っていますが、子房がはっきりわかるようになりました。
こういうところを見てあげないと、植物が生きていく姿を愛でたことにはならないのではないでしょうか。
花を愛づるなら花の後まで。
切って飾っても、花を愛づることにはならないと思っている私です。
プランターをいじっていた妻が、わぁいっぱい、といって見せに来てくれたのがこれ。
コガネムシ科の昆虫の幼虫ですね。
園芸家はきっと、ネキリムシとかいうのではないですか。
ネキリムシというと、ヤガの幼虫の方が有名なのかな。
これは、おそらくアオドウガネとかドウガネブイブイとかハナムグリとか、そういった甲虫の幼虫だと思います。
どうしたか、って?
裏の落ち葉の集積したところへ放しました。
プランターで生きてもらうのはさすがに困るんですが、土の中で生きられるのなら生きてもいいです。成虫になったら会いに来てくれればいい。
この写っている7匹も、そのままプランターの中にいても全員が成虫になれるわけではないのです。ごめんね、でも、生き延びてもいいんだよ。
アオスジアゲハがふわ~っと飛んではとまります。
アオスジアゲハの直線的な、鋭角的な、あの飛翔ではありません。
ふわぁ。です。
あぁ、もう、限界にきているんだな。ゆっくりあたたまってね、と離れました。
翌13日。
門柱の内側のユキノシタの上に、アオスジアゲハが落ちて死んでいました。
翅の破れ具合からみて、12日に見た上の写真の個体と同一個体であることは間違いないようです。
ひたすら生き抜いたことを、たたえます。
ゆっくりあたたまって、最後の力を使いはたして、ふわっと落ちたのでしょうか。
「いきもの」といえば「もの」のように思ってしまいます。「美しいもの」が永続してほしいと願えば、死は、辛くかなしいものになります。
「いきもの」というのは、本当は「現象」なんです。外界からエネルギーを取り入れて、捨てる、その流れの中に束の間生じる「現象としてのもの」なのです。ろうそくの炎と同じようです。
生命の流れの中に生じる渦のようなものです。渦は数えることもでき、生まれ、動き、成長し、やがて消えます。エネルギーの「流れ」がなければ渦はできません。
私たちも「いきもの」
いきるとはかくのごときものでしょう。
台風18号が上陸して本州を北上したのが10月8日でしたか。
この写真は10月11日。
トサカフトメイガの幼虫がセイタカアワダチソウについていました。
ミスマッチなんです。
トサカフトメイガの幼虫の食草はクルミ。
実は、台風の強風でクルミの実は全部落ちました。で、誰かが拾っていってしまって、何も残っていません。今年はさびしい。また、葉もほとんど全部落ちて、早目に裸の木になってしまいました。
おそらく、この時に、最後に残っていたトサカフトメイガの幼虫も一緒に落っこちたのです。
で、なんとか、どこかに上がろうと頑張ったのですが、ここはセイタカアワダチソウ。
3日くらい後には死んで縮んでしまっていました。
事故死というべきなんでしょうね。100の卵から成虫になれるのは1~2匹というシビアな世界ですが、さすがにちょっとかわいそうになりました。ここまできたのにね。
クルミも大切にしたい身としてはあんまり繁殖されては困る虫なんですが、やはり少しは情が移ります。
さようなら。
道ばたに座り込んで撮影する時にべたっと座るのはさすがに・・・というとき用に、玄関に昔使ったお風呂椅子が置いてあるのです。
いざとなると、これを持って座り込むわけですね。腰が楽です。
ふと、そのお風呂椅子の内側を見たら、いました。イエユウレイグモ。
脚の長さのすごさ。
結構何度も使っていますので、その度に一緒に道路へ出かけて行っていたのでしょうね。
撮影仲間だったようです。
背中の模様をお見せするとこうです。
この頭胸部の模様を眺めていて、以前、こんな模様の子グモに会ったなぁ、という気がします。
あの時はなんというクモの幼体か分からなかったのですが、こんな模様でした。
可能性ありますね。家の中で出会ったのでしたし。
そろそろ生殖を終えなければならない時期だと思いますが、子孫を残せるのかな?
これはツマグロヒョウモンのメスです。オシロイバナのところで見かけました。
こちらがツマグロヒョウモンのオスです。
セイタカアワダチソウで見かけました。
こうやって、両方を並べて、翅の表を見られれば雌雄の違いがよくわかりますね。
つま【褄】(端ハシの意。「褄」は国字)
①長着の裾の左右両端の部分。源氏物語葵「我がたまを結び留めよしたがひの―」
②袷アワセや綿入れなどの表地と裏地とが、裾 スソブキと襟下の最下端との角で1点に集まるところ。[広辞苑第五版]
「褄黒豹紋」でしょうから、メスの方がツマグロにふさわしいのでしょうね。
スミレやパンジーで、結構派手派手しい幼虫を見かけたらこのツマグロヒョウモンの幼虫である可能性が大きいですよ。飼育してみてください。光る蛹が見られます。
2009.10.19付 朝日俳壇より
居待月見ずに寝落ちぬ旅疲れ:(姫路市)黒田千賀子
稲畑汀子 評:旅から帰った夜は居待月を、と思いつつ眠ってしまった旅の疲れ。
私の読みは稲畑氏とちょっと違っていて
旅先で、今日は洗いものもないし、家事一般することもなし、もう風呂も浴びたし、のんびり居待月が見られるかしら、と思っていたら、思わず寝入ってしまったことよ。意識もしていなかったけれど、旅の疲れが出たんだな。
と読んだのでした。で、評を見たら、食い違ってしまったなぁ、と笑っているわけです。
8月8日が旧暦6月18日で、東京での月の出は19:35
9月6日が旧暦7月18日で、東京での月の出は18:30
10月6日が旧暦8月18日で、東京での月の出は18:05
でした。
食後にお腹も、くちくなって、ふと眠気がきざす時間でしょうか。
しかしまぁ、いざよい、たちまち、いまち、ねまち、とは繊細な言葉を作ったものですね。
2009.10.19付 朝日俳壇より
芋虫のように東京歩きたり:(松戸市)大谷昌弘
妻にこの句を読み聞かせ、この男性、もうすぐ蛹になるんだなぁ、といったら、笑っていました。意味が通じました。
蝶の幼虫を飼っているとわかるのですが、終齢幼虫が蛹になる直前、すんでいた場を離れて、相当な距離を歩きまわるのです。ウォンダリングといいます。その方が羽化までの危険を軽減できるのでしょうね。
作者はきっと、蛹になる前のウォンダリングの時期に入っちゃったんだな、というジョークです。
今頃、作者は穏やかに蛹の夢を紡いでいらっしゃることでしょう。まもなく蝶になります。
2009.10.19付 朝日俳壇より
叢雲の中を駆けるや今日の月:(横浜市)小西昭七
運動というものは相対的でして。
雲が流れているのに、月が移動していくように見えますね。
人間の主観のなかで、どこに運動を見る座標を設定したかによるのですね。
空いた電車の中で、自分のいる車両から連結部の向こうの車両を見てください。
揺れているのは向こうの車両、というように見えますよ。体では自分の体も揺れていて、こっちの車両も揺れているとわかっていながら、目に見える光景では、絶対にこっちの車両は静止していて向こうの車両が揺れている、としか見えないと思いますよ。
自分を主において、自分に座標系を置いたから、向こうが動いて見えるのですね。
空といい、川といい、比較できるものの少ない大きな光景の中で、ときどきこういうどちらが動いているのか「見失う」という、めまいのような感覚に襲われます。
こういうめまいは健康上の問題ではありませんので、そのくらくらをたっぷり楽しんでください。
2009.10.19付 朝日俳壇より
さくらさくらすこしもみづるさくらかな:(国分寺市)小石川波夫
長谷川櫂 評:「さくらさくら」の歌を変えて、桜紅葉の句にした。「すこしもみづる」がつつましい。
物知らずのかかしは初め、区切り方が分からなくって。
「・・・少しも みづる さくらかな」と読んだのです。「全くみづる」ってどういう意味かと、かなり長く悩みました。
「もみづ」という動詞は俳句の世界では一般的なのですか?
もみ・ず【紅葉づ・黄葉づ】モミヅ
自上二
(奈良時代には清音で四段活用。平安時代以後、濁音化し、上二段活用に転じた) 草木の葉が秋の末に、紅または黄に変る。後撰和歌集秋「斯くばかり―・づる色の濃ければや」[広辞苑第五版]
俳句では一字空きは無用なのでしょうが、何かの形で「少し紅葉づる」という読みを、読者に強制というか、知らせる工夫はあり得ませんでしょうか?
さくらさくら すこし もみづる さくらかな
こんな感じで。
素人を相手にしていただかなくって構いませんが。
スミマセン。
2009.10.19付 朝日俳壇より
村中の柿酔ひしれてをりにけり:(入間市)大矢勲
長谷川櫂 評:枝に生ったまま、次第に熟していく村中の柿。「酔ひしれて」と断じたところがよい。てかてかの柿の顔が見えてくる。
「てかてかの柿の顔」ということでしたか。酔っているんですね。
柿とアルコールは縁が深くて。
渋柿を焼酎につけて「渋抜き」。樽柿ですね。
熟しきってチューっと吸い込めるほどになった柿の香り。
「熟柿臭(じゅくししゅう)」って聞いたことありません?
実は、有機化学の方でアセトアルデヒドという物質の匂いを形容する時に必ず「熟柿臭」っていうんですよ。エタノールが酸化されるとアセトアルデヒドになります。お酒を飲むと、体内でエタノールが酸化されて、アセトアルデヒド経由で酢酸へ、更に酸化されて二酸化炭素と水になります。酔いがさめるということは、この酸化が進むということなんですね。
で、飲み過ぎると、翌朝、酸化しきれなかったアセトアルデヒドが体内に残っていて、これが二日酔い。二日酔いのおじさんの吐く息の匂い、あれアセトアルデヒドの匂いなんですね。
頭が痛いのも体内に残ったアセトアルデヒドのせいです。
というような具合で、「柿」ということから、エタノール・酒、がいろいろ連想されます。
そんな知識を仕入れた上で、もう一回、句をお読みください。印象が変わるかもしれません。
◆オマケ
戦後のもののない時期に、樽柿をつけるのに、焼酎がなくて、安い工業用のメタノールを使ったために、中毒死が起こった、というメチル柿事件というのがありました。
メタノールが酸化されると、アセトアルデヒドより毒性の強いホルムアルデヒドができるためなんです。
現在でも、世界中のどこかで毎年のように、酒にメタノールを混ぜて安く売ったために中毒死が起きる、ということが起こっています。ニュースを「この耳」できいてみてください。わかりますよ。
2009.10.19付 朝日歌壇より
日本より一日早し秋分の日も真珠湾攻撃慰霊日も:(アメリカ)郷隼人
馬場あき子 評:アメリカとの時差は半日。第一首は海の彼方から回想する暦の季節感や歴史的な時間への感慨。秋分が入っているのが和らかさにさびしい距離感を演出する。
実は郷さんのこういう歌が、今年の1月12日にも掲載されました。
繰り返し<TORA・TORA・TORA>を放映す獄中ケーブルはDEC・7(デッセンバー セブン)に:(アメリカ)郷隼人
馬場あき子 評:厳しい獄中の一齣(こま)。
このできごとを、「早い」と形容するのかどうか、とまどっています。
日本の真珠湾攻撃は日本時間で12月8日だった。その時、アメリカは「まだ7日」だった。
ということです。日付としては一日遅れているのです。
数の順番としては、・・・6,7,8・・・と進むので、7は8より早いといことなのでしょうが、暦の進み方としては、日本が先に8日になって、アメリカは「後から遅れて」8日になるのですね。
とまどっています。
2009.10.19付 朝日俳壇より
木枯や海を知らざる深海魚:(成田市)神郡一成
大串章 評:たしかに深海魚は、海の広さも深さも知らない。海上を吹き過ぎる木枯らしにもわれ関せず。ユニークな句である。
確かに、深海魚は、今、現在、頭上の海面で波が立っているかどうかは知りません。でも、実は海のことを知っているのです。また、海の出来事に「我関せず焉」とはしていられないのです。ヒトの愚挙の影響を被っているのです。
2009.10.20付の朝日新聞の記事です。
[探求人]東海大学海洋科学博物館学芸員 伊藤芳英さん
深海魚を解剖し、腹の中のごみの種類を調べる独自の環境教育プログラムに取り組んでいる。小学生を中心に、参加者は千人を超えた。
「自分の目で見ることで、子どもたち自身が海の生物や環境について考え始める。手ごたえを感じています」
勤務先の博物館のある静岡市清水区は駿河湾に面している。近くの浜辺には、海底地形の影響で深海魚がよく打ち上がる。教材に使うのは全長1m近い「ミズウオ」という種類。世界各地に分布し、深さ300m~1000mにすむ。海中を漂うプラスチックごみを丸のみするため、海のごみ汚染を学ぶには格好の材料だ。腹の中からスーパーのレジ袋が丸ごと出てくることもある。
「海をこれ以上汚さないように何をしたらいいのか。みなさん考えてください」。解剖に参加する子どもたちに、そう呼びかける。
解剖作業はもともと、研究者が深海魚の食性を調査する手段だった。それを00年、博物館の館長だった久保田正さんと環境教室に取り入れた。
学生時代は沿岸の魚やプランクトンの生態を研究。高校で理科の非常勤講師を務めたあと、国会議員の秘書などを経て、再び海洋研究と教育の現場に戻ってきた。
教育と研究は車の両輪。今年から新たに、ミズウオの肉に蓄積される汚染物質の調査にも取り組んでいる。
いかがでしょう。深海に生息する深海魚が人間活動による汚染を被っているのです。
地球に生きるものは地球の影響下にしか生きられないのです。
ヒトが超然としているわけにはいきません。確実にヒトの生息環境も悪化しています。
2009.10.19付 朝日歌壇より
インフルのウイルス白き塊はニュースの画面に身動(みじろ)ぎもせず:(銚子市)小山年男
佐佐木幸綱 評:情報の中で日々、増大する新型インフルエンザという得体の知れない恐怖。「身動ぎもせず」が不気味さをきわだたせる。
ウイルスというものは細胞と違って「動く」ことはできないのです。たんぱく質の衣を着た遺伝情報なんですから。みじろぎされてはたまりません。
透過型電子顕微鏡写真ですから、基本的に白黒。もし色がついていたら「人間の意志」が介入して強調しようとかしているのですから、そのほうがよほど危険ですよ。
いつだったかなぁ、このウイルスは棒状で、丸く写っているのはその棒の断面だ、というようなニュースを耳にはさんだ記憶がありますが、その後、どうなっちゃったんだろう?
人間は生物です。動物です。基本的に自分の身を守る仕組みを持っています。免疫です。病気にかからなければ免疫はできないのです。ですから、ちゃんと食事をして、十分な睡眠をとって、体の状態を万全にして、新型ウイルスにかかる覚悟を決めて生活しましょう。
そうやって、免疫を獲得しながら生きていくのが「いきもの」たる「ヒト」のあり方です。
2009.10.19付 朝日歌壇より
三秒だけ待って下さい履けるのです飛んできて靴を履かせないで:(加古川市)田中喜久子
高野公彦 評:介護してくれる人に訴えているのだろう。頑張って自分で靴を履きたいのだ。
{永田和宏氏も選んでおられます}
この評で正しいと思います、私も。
で、その上で、全然別の物語を読んでみませんか?
おばあちゃんがね、幼い孫とお散歩に行こうとしています。
何でも「じぶんで!」と頑張る孫。手を貸せばすぐ履ける靴がなかなか履けない。一瞬、自分が手を貸そうかと思ったとき、あるいはおかあさんが飛んできて手を貸そうとしたとき、お孫さんの側に意識が入り込む。
おばあちゃん(おかあさん)、まってよ、わたしじぶんではけるんだから。
妻が、スズメガを捕まえたから記念写真を撮ってあげて、とケースに入れて連れてきたのがこれ。
ホシホウジャクです。
蓋をあけると飛び出してしまいますので、プラスチック越しの撮影で、少し白っぽいかもしれません。ご容赦を。
地味な模様です。このまま何かにとまっていると見過ごしそうです。
真横ショット。
このアングルは、ケースに入ってもらって初めて可能になります。
なんだか、眼に表情があるような、いい顔しています。
腹側から見るとこんな風です。
表側より少し色が明るいですね。
実は、羽ばたくと結構目立つんですよ。
妻は、ホトトギスの花でホバリングしているのを見つけて、手元の捕虫網でさっと捕まえたのです。
狭いケース内ですが、ちょっぴり飛んで見せてくれました。
ほら、明るい色が出てきたでしょ。
フラッシュで停止して見える羽ばたき。
元気元気。
撮影後、すぐに外へ放してやりました。
幼虫はヘクソカズラの葉などを食べるそうです。家の近くにヘクソカズラがありますので、そこで成長しましたかね。
虫さんが遊びに来てくれる庭は楽しいですよ。
前の記事で、ウィンドウズが持っている電卓の出し方を書きました。これは使い勝手がいいのでぜひ使ってください。パソコンが電卓になるなんて面白いし。
で、思い出して、ちょっぴり自慢話。
私のパソコンのデスクトップには自作の電卓へのショートカットがありまして、それをクリックすると、こんな画面が出てきます。
よく見てください。変でしょ。「=」キーがない!
でもこれで、計算ができるんですねぇ。
この電卓、逆ポーランド記法電卓といいまして、コンピューターのCPUなんかの動きとよく似ているのです。
詳しいことは私のホームページで読んでください。ここです↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/RPN_CALC/RpnCalc.htm
ここから、プログラムをダウンロードできますが、慣れない方には使い勝手が悪いでしょうからお薦めはしませんが。
とっても古いプログラム遊び人間の「こだわりの逸品」で~す。
2009.10.14の朝日新聞に「日本近海、酸性化進む CO2溶け込み生態系に影響も」という記事がありました。
この記事では、海の「pH」が低下しているとのことです。
「紀伊半島沖の北緯30度では、過去26年間に表面海水のpHが約0.04低下していることが分かった。」とあります。
また「産業革命以降の約200年におけるpHの低下が推定0.1とされる」とか「現在の海水はpHの値が約8.1だが、CO2排出量が中程度で推移してゆくシナリオの場合、今世紀末には今よりpHが0.2低下して7.9程度に、最悪のシナリオでは今より0.4低下して7.7にまで酸性化が進むことが分かった。」
といった記述もなされていました。
普通「正比例」という感覚は誰にでもあります。ところが、pHの場合、正比例感覚でとらえると間違った理解になりますので、ちょっとだけ、お話ししたくなりました。
◆高校の化学で「pH」「水素イオン濃度指数」というのを多くの方が学ばれたと思います。
「指数」というところに注目して下さい。水素イオンの濃度は非常に広範囲にわたって変化するので、濃度の数値をそのまま使ったのでは、煩わしくって仕方ありません。こういうときに科学でよくやる手が、「桁」で表示するということです。数学的には「常用対数」といいますが、要するに「桁」なんです。
どうせ、とても希薄な水素イオンの濃度を扱いますので、小数点以下かなり下の方の数値を扱わなければなりません。そうすると、常に「小数点以下○○桁目から数値が始まる」ということになります。これは対数をとったときに「マイナスの記号が常につく」ということです。どうせいつでも「小数点以下=マイナス記号」がつくのなら、めんどくさい、やめちゃえということで「マイナス1」をかけておきます。そのようにして、濃度の桁を示す数値をプラスの値で示すのがpHです。
一応、pHの定義を書くとこうなります。
水素イオンの濃度を扱っています。すると、水素イオンが希薄だと、小数点以下の0が増えます。ですから、pHとしては数値が大きくなります。逆に水素イオンが濃くなって1に近づいていくと、小数点以下の0が少なくなりますので、pHの値は小さくなるのです。
また、桁を示す数値ですから、数値が1減ると、水素イオンの濃度が10倍濃くなります。2減ると、10×10=100倍濃くなります。
では、pHの値が「0.04」小さくなったというと、水素イオンの濃度では何倍になったのでしょう?
数学をすることはここでの目的ではないので答えだけ言ってしまうと「10の0.04乗倍」濃くなるのです。
さて、ウィンドウズの「すべてのプログラム」>「アクセサリ」>「電卓」と進んでください。電卓が表示されたら「表示」メニューから「関数電卓」をクリックすると、びっくりするほどの高級関数電卓が使えるようになります。(必要ならデスクトップあたりにショートカットを作るといつでも好きな時に使えますよ。)
この電卓で「10」「x^y」「0.04」「=」と押していただくと「1.0964781961431850131437136061411」とでます。
こんなにいっぱい数字があっても仕方ない。「1.10」くらいで十分でしょう。
pHの値が0.04低下すると、水素イオンの濃度は1.1倍濃くなるのです。
生物の微妙な活動の中で、1.1倍というのは小さな変化ではありません。
指数が0.04と小さいからといって、大したことはない、とは思わないでください。
産業革命以来の200年では、指数が「0.1」変化しましたから、実際の濃度変化は「10^0.1=1.26」倍です。
0.2の変化なら、1.58倍
0.4の変化なら、2.51倍
水素イオンの濃度が濃くなるのです。
最悪のシナリオの場合、2.5倍も水素イオンが濃くなる、これは辛い。生態系に大きな影響が出るでしょう。海水中のカルシウムイオンを炭酸カルシウムにして殻や構造物を作る生物にとっては大きな痛手になります。
変化は待ったなしです。
いちいち計算するのが面倒でしたら、グラフを見てください。
このグラフで横軸は指数の値の変化です。縦軸はその時の水素イオン濃度が何倍変化するかという数値です。「1変化すれば10倍」をフルスケールにしてあります。
グラフは直線ではありません。日常的な正比例感覚ではとらえられないのです。
指数関数といって、始めの方は変化が小さく見えますが、右の方へ行くとぐんぐん大きくなってしまうのです。
◆記事の終わりの方を引用します。
現在の海水はpHの値が約8.1だが、CO2排出量が中程度で推移してゆくシナリオの場合、今世紀末には今よりpHが0.2低下して7.9程度に、最悪のシナリオでは今より0.4低下して7.7にまで酸性化が進むことが分かった。
海水のCO2濃度を調節する装置を使って人工的に酸性化させた海水で生物を飼育する実験では、今世紀末の海水では食用のウニや巻き貝などの成長率が2~4割落ちるといったデータがある。
研究チームは「海水のpHの低下が日本近海でも加速しつつあることが確認できた。いますぐに生物に影響が出るレベルではないが、100年後には日本の沿岸にすむ生物に何らかの影響が出ることになるだろう」としている。
◇
〈海洋の酸性化〉 大気中のCO2が増えると海水のCO2濃度も上昇し、その影響で海水のpHの値が低下する。現在の海水はpHが約8.1の弱アルカリ性だが、酸性化が進むとpHの値が7(中性)に近づく。将来、貝類やサンゴなどの生物は殻や骨格を作りにくくなる恐れがある。人類が大気中に放出するCO2の3割は海が吸収するとされ、世界の150人を超す科学者は今年1月、海洋酸性化に伴う生態系の破壊を警告する宣言を発表した。
無限に大きな海、という気分で、何でも海に捨てたり吸収させたりしてきたのですが、人間活動の規模は、その海にまで影響を与えそうなのです。とんでもないことが起きつつあるようです。
ここに写っているものが何なのか、私にはいまだによくわかっていません。
10月10日撮影。
サザンカの蕾です。
肉眼では丸いものがたくさんあって、ガの卵かな、などと思ったのです。
写真を撮ってモニターで見ると、何だか違う。
何枚か撮って、部屋に戻ってパソコン画面で見ると、こうなんです。
まん丸いのは、アブラムシの「殻」ですね。
背側、腹端に近い方に「丸い穴」が開いていたり、丸い蓋が乗っていたり。
中身は空っぽのようです。
写真上の方に、生きたアブラムシがいるようです。
これは一体どういう状況なのでしょう?
脱皮ではないと思います。こんなきれいな丸い穴をあけて脱皮するなんて考えられない。
アリが後ろにぼんやり映っていますが、アリが穴を開けたとも考えられない。
翌11日、また行ってみました。
状況は大差ないですね。
今、私に考えられるのは次のようなこと。
アブラムシは、条件の良い時には単為生殖をします。普通の単為生殖では、大きな体のメスが、腹端の肛門から、小さな幼虫を産み出します。卵胎生です。このシーンは見たことがあります。
ですが、今回出会ったのはそれではない。
大きな体のメスが体内で幼虫を育てたのではないでしょうか。
そうして、自分自身は殻を残して死に、体内の幼虫が、死んだ親の体を一定の部位で破って出てきた。
中身が空になった殻は親の体で、そこから出てきた幼虫がアリの世話を受けながら成長している。
そんな解釈をしています。
アブラムシには全く知識がありません。どうか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
私は一体何を見ているのでしょう?
なお、これを書いている19日現在、状況はほとんど同じです。
10月29日:追記
コメントを頂いて、これはアブラムシにアブラバチが寄生し、羽化した後の「殻」であることが分かりました。
新たに記事を書きましたので、そちらもご覧ください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8d6e-1.html
ここです。
これ、夕方5時になると「ゆうやけこやけで・・・」のメロディーを流したり、防災情報を流すためのスピーカーが乗った柱の付け根付近。
やけにしっかり頑丈な足場を作ってくっついたミノムシ。
外見ではよくわからないのですが、移動を放棄した状態であるということは、これ、メスで、この蓑の中に産卵して自分は死んでしまった、というような状態ではないでしょうか。
卵を体外に産み出すにつれて体は縮まり、ほとんど体をなくして卵だけになる、という産卵でしたね。それから、ミノガのメスは一生蓑の中にいて、翅で飛ぶ時期はないのでした。
http://mushinavi.com/navi-insect/data-ga_mino.htm
そういうことなのかなぁ、と、これを見ながらなんとなく感慨にふけりました。
10月9日に、どうしよう、と書いたエビガラスズメの幼虫が蛹になりました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-c50b.html
以前失敗したときは、落ち葉が腐葉土になり始めたくらいのところ上に置いてやったのですが、だめだったのです。
でも、やはり、蛹の姿も見たいなぁ、と、今回は湿りっけなしで、ケースの中は空っぽで放置。
蛹になれたのです。
なんだか、すごい姿ですね。
象の鼻みたいなものが出ています。成虫になったときの口吻でしょう。でも、こんなふうに、蛹の時に出しているのは初めて。
翅を体の前に畳んだようになっていますね。まだ透けています。
頭部を拡大するとこうです。
ますます象の鼻という感じが強くなりますね。
眼もあるようです。
苦手な方は拡大しないでください。
一日経つと、色が濃くなりました。
蛹として落ち着いたようです。
さて、いつ羽化するか。おそらく冬越しでしょう、ゆっくり待つことにします。
うまく羽化してくれれば、その時また写真を載せますが、もう成虫の姿を見ておきたい方はこちらからどうぞ。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/ebigarasuzume020921.html
この翅の先端のあたりを見てください。
それと10月9日にアップした「ノシメトンボ」のシルエットの翅とを比べてみてください。↓ここです。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-318d.html
いかがですか?模様が違うことがお分かりいただけたと思います。
上の写真を撮った時、私の意識は完全にトンボの方に向いていました。
パソコンで見たら、なんでしょうねぇ、ハバチの仲間ですかね、が一緒に写っているのでした。
気づかなかったなぁ、まったく。
こういう風に並ぶと、アキアカネが巨大で悠然としていて、風格が漂いますね。
アブなどの巧みな飛行術と比べると、トンボの飛行術はやはり、そのスピードと距離ですね。
2~3kmくらいの間隔で「水面」があれば、トンボたちは往来して生活圏を広げていくことができます。
小さくていいんです。池を作ると、思いがけなくトンボがやってきますよ。やってみませんか?
クスノキの葉の少し古くなったやつといっしょに落っこちたらしいのですね。
で、ケースの側面を上ろうとしているところです。
口の写真が撮れました。自分の糞を押し上げています。
さて、さすがに触ると痛いということなので、丹念に毎日のように新鮮な葉を補給してやるという気力が湧きませんで、まとめて葉を与えていましたところ、しばらくしたら、行方不明になりました。 少しずつ葉を取り除いて、どこに行ったかな?と探して行ったら
いない?
葉の交換の時に間違って外へ出してしまったかなぁ、とよく見たら
いました!
10月14日
蓋の裏で繭をつくっていました。
←これです。
どちらが頭なのかもよくわかりません。
糸をぎっしりと張り巡らせてあります。
肉眼では分からなかったのですが、拡大したら・・・
幼虫時代の緑色の肉の棘の先端に黒い針状のものがあったのですが、それが繭の表面にちりばめてあります。
おそらく、この黒い針が皮膚に刺さるとかぶれたりするのではないでしょうか。
幼虫時代の「武器」の再利用ですね。うっかり触る奴は痛い目にあうぞ、っと。
さて、いつ羽化するのかわかりませんが、待つことにしましょう。
ウラナミシジミなんですが、フウセンカズラの実にとまっていて、蜜を吸っているわけではないのです。
秋の蝶の日向ぼっこ、ですね。
ところで、ウィキペディアによりますと
後翅の後端には黒い斑点が2つあり、2つの斑点の間には細い尾状突起が突き出ている。この黒い斑点と尾状突起は複眼と触角に似ていて、頭部に似た模様をもつことで敵の目をあざむいていると考えられている。
あざむかれましたか?
後ろの方が頭と思った鳥かなんかが攻撃した時に、思いがけなく反対方向へ飛ばれて失敗する、ということがあるのかな?
生存率、子孫を残す率が少しだけ高くなるのかもしれませんね。それが長い年月の積み重ねの中で選択されてきたのでしょう。
進化って不思議です。
理科教育関連の雑誌に、金箔を透かして見ると何色に見えるでしょう?というような問題が出ていました。これはもう、百聞は一見に如かず。見るっきゃない。
◆20年以上も前でしょうか、日本画の画材屋で純金箔を見つけて私費で買って教材として使ってきました。
透明なアクリル板に挟んで周囲をセロテープで固定し封をして、生徒に見せたものです。
化学の授業としては、金属の性質の授業で教室へ持ち込みます。電気を良く通す、熱を良く伝える、展性・延性がある、金属光沢がある。こんな性質を、自由電子との関連で説明するわけですが・・・。
金は特に電気伝導度も高いし、何より展性・延性に優れていて昔から金箔として使われ、金閣寺なども有名です。
金閣寺の金箔の張り直しの際に、金箔ブームが起こって、金箔で包んだおにぎりとか、金ぱく入りのお酒や飴など、いろいろ便乗商品が売れましたっけね。
金ぱく入りの飴を持っています。これも生徒に見せると喜びます。
先生!金箔って食べても大丈夫なの?
大丈夫、全く消化吸収されずに、うんちと一緒に出ていくよ。
なんだぁ。
先生!金ぱく入りのせっけんって効き目あるの?
効き目、全くゼロ。全然溶けないからね。
なんだぁ。
さて、冒頭の話ですが、その雑誌あてに、使っていいですよ、と写真を添付してメールを送りました。その写真とは微妙に違う奴をここでお目にかけましょう。
これは床にひっくり返って、天井の蛍光灯を写した写真。何の変哲もありません。
では、カメラのレンズの前に金箔をかざして撮ると・・・
こうなります。
青いでしょ。
金箔は光が透けるということ自体あまり知られていませんね。
さらに、色が変わるとなると、話に聞いたことがあっても実際に見たことのある方は少ないでしょう。
金箔は厚さが0.0001mmといいます。金原子が厚さ方向に1000の桁くらいの個数が並んでいるといってよいでしょう。
光が透けるくらいなんですね。
で、薄くっても、反射光は黄色。すると、白色光のうち黄色が抜けた色が透過します。
これ「黄色の補色」っていうんですよね。
つまり、青なんです。
◆ところで別件。画材屋では、純金箔とならんで、「洋金箔」というものを売っていました。
値段が一ケタ安いのです。色や輝きは純金箔と同じ。当時はインターネットなんて存在しない時代。検索もありはしない。「洋金箔」とはなんだろう?と分からなかったのです。
で、授業に、金箔と一緒に持っていって、今のところどういうものか分からないんだが、洋金箔というものもあったよ、で、こいつは光がほとんど透けないし青くはならないんだ、と話しました。
そうしたら、お父さんが貴金属宝飾店を経営なさっているというお嬢さんがいましてね、答えを聞いてきてくれたのです。
洋金箔とは真鍮の箔です。
純金箔よりずっと丈夫なので、装飾品に貼って金箔のように見せたり、あるいは、絵や工芸品に金箔を貼る際の下地に使うと丈夫になる、ということでした。
で、翌年から、純金箔に加えて、洋金箔+5円玉が教材になったのでした。生徒と作る授業です。
蛍光灯は、「透過光ですから青く」見え、周囲は「反射光ですから黄色く」見えます。
薄い箔にする過程で微小な穴がいっぱい開いたのだと思います。
蛍光灯がうっすらと白色光のまま透けて見え、周囲は真鍮の反射光で黄色く見えます。
違いがお分かりいただけたかと思います。
いかがですか?物質の性質って面白いですね。だから化学は楽しいのです。
もののことは、ものにきけ。
10月14日。
朝、ふとケースを覗いて、そうだ、羽化に備えて蛹のまわりの空間を広くしておかなくっちゃ、とケース内の模様替え。
後から蛹になった方を少し壁際に寄せて、先の蛹の周囲を広くしておきました。
昼、見たら、羽化していました。よかったぁ。
まるで樹皮でしょ。
翅を開くと本当にルリ色できれいなんですよ。
でも、この日はじっとつかまったまま動かないので、外へ放すのはやめました。
10月15日昼ごろ。
ケースの中でゆっくりと翅を閉じたり開いたりしています。十分に体温も上がったのでしょう。
そっと、ケースの蓋をあけると、即座に飛び立っていきました。翅の写真を撮る暇もあらばこそ。
ですから、翅を開いた姿は、別のサイトで見てください。
下のサイトは、幼虫図鑑ですので、ページの初めの方は派手な幼虫の写真ばかりですが、下の方を見ていただくと、きれいな成虫の写真が見られます。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/ruritateha.html
さて、これが蛹便。
一日経ってしまったので、鮮烈さが減少していますが、血がこびりついたみたいでしょ。初めて見ると、ちょっと衝撃的です。血を流したのではないかと。
羽化して、体液の圧力を使って翅を展開した後、不要になった体液を捨てます。それが蛹便。
もし、子どもが、蝶が血を流して飛んで行った、と心配したら、こういうわけだと教えてあげてください。
ツマグロヒョウモンもこれ程ではないですが、赤い色の蛹便です。
アゲハやアオスジアゲハの蛹便はほとんど無色です。
2009.10.12付 朝日俳壇より
霧の粒当年四十六億歳:(横浜市)李 培張
おそらく四十六億歳というのは地球の年齢のことでしょう。ですから、この霧の粒が地球と同じ年齢なのか、という「気づき」の句なのだと思います。
無粋なことを申し上げます。元理科教師として。
霧の粒を作っている水分子に関しては、四十六億歳かどうかはわかりません。
水分子は水素原子と酸素原子とからなっていますが、水素原子に関してはおそらく宇宙誕生の時に出来たものだと思います。ですから、130億年程度の年齢でしょう。
酸素原子はおそらく、星の中の核融合反応で作られて、超新星爆発で宇宙にばらまかれて、太陽系の誕生の頃に集まったものでしょう。ですから酸素原子は四十六億歳を超える年齢だと思います。
宇宙での化学反応で水が生成しますから、地球誕生の前からあった水分子もあるでしょう。
また、地球が誕生してから新たに作られた水分子もたくさんあります。ということで、水分子に関しては、四十六億歳とは限らないのです。ただ、原子に関してはまず宇宙的な年齢であろうと思います。
いずれにせよ、はるか長い年齢を宇宙的に重ねたものではあります。
2009.10.12付 朝日歌壇より
父逝きて数時間にて葬儀社と掛け合ふことの現(うつつ)悲しゑ:(箕面市)大野美恵子
ごめんなさい。歌そのものが読めなくて。「悲しゑ」って、どう読んだらよいのですか?
母や兄の葬儀をある意味で仕切ったことがありますので、内容的にはよくわかります。
新聞紙面から書き写す時に私が間違っていないか確かめました。「ゐ」ではなく、確かに「ゑ」です。
申し訳ないことを書きました。歌に詳しい方のご教示をお待ちします。
2009.10.12付 朝日歌壇より
買い物で米四袋は持てないがおんぶに抱っこ20kg超え:(調布市)西野千晴
高野公彦 評:子育て奮闘中、子供二人の体重は二十キロという。母は強し。
私、子育て中のお母さんには、全面的に協力します。
車運転していても、おっさん、あんちゃんにはきつくあたりますが、子育て中のお母さんには全面的にいくらでも譲りっぱなし。
よいこをそだててくださいね。
2009.10.12付 朝日歌壇より
生きてゐる者にも都合とふあれば彼岸に早き墓に詣でる:(さいたま市)吉田俊治
しばしば、葬送の儀式に人は縛られます。でもね、大事なのは生きている人。生き仏様を大切に。亡くなった方には「とき」はいっぱいありますから、しばらく待っていただいて、後から伺って「礼を尽く」してもいいのですよ。
お墓に詣でるといい、それは生きている人の心のこと。
できるときにできることをいたしましょう。
2009.10.12付 朝日歌壇より
今回もネコが詠まれているかしら歌壇俳壇我家の話題:(広島市)根石妙美
我が家でも、ネコが詠まれている場合、必ず私が妻に読み聞かせ、二人で喜んでおります。
私のカテゴリー分類での「動物」が詠まれている場合、嬉しくなります。
今回の場合でいうと
あめんぼの水面踏みたる足跡がまあろく川の底に影する:(西予市)大和田澄男
永田和宏 評:極小の対象から景が大きく立ち上がる。浅く緩やかな光。
散歩する犬の放尿終るのを待ってる媼を朝日が包む:(行方市)鈴木節子
馬場あき子 評:犬と一緒の暮らしを楽しんでいるような媼の心の温もりが、結句から立ち上がる。
片腕をなくしたカマキリおもむろに稲穂の先にイナゴを狙う:(安中市)入沢正夫
アキアカネ更なる赤を極めんと夕焼け空に己が身を炒る:(下野市)若島安子
今生の声の途絶えし秋の蝉:(坂出市)溝淵和幸
こういう歌・句をマークしています。
とくにカマキリの歌など、ジンとします。生きられる限りを生きる、それが正しい生き方なんだよなぁ、と我が身に言い聞かせます。
生に執着するも苦、死に執着するも苦。
我が身に生きる力があるのなら、そのいっぱいを生き切ればよい、何の執着も不要、と。
頭でわかっていても、なかなかに、生きることは難しい。
昆虫の生きる姿に頭が下がります。
すべてのいのちあるものがしあわせでありますように。
2009.10.12付 朝日俳壇より
近づきし指へ零余子(ぬかご)のこぼれけり:(東かがわ市)桑島正樹
稲畑汀子 評:自然薯の蔓に出来るぬかごは触れると忽ち蔓から落ちてしまう。指が近づいただけで零れるとはぬかごならではの表現である。炊き込んだぬかご飯は鄙びた味で好まれる。
私は「むかご」という読みしか知りませんでした。多分、「むかご」のほうがポピュラーなのではないかと思います。
ただ、「零」という字のことは考えたことがありませんでした。
こぼ・れる【零れる・溢れる】自下一 こぼ・る(下二)
①水・涙などがあふれ出る。また、粒状・粉状のものが外にもれて出る。伊勢物語「その石の上に走りかかる水は、小柑子・栗の大きさにて―・れ落つ」。源氏物語帚木「忍ぶれど涙―・れぬれば」。「砂糖が―・れる」
②花や葉などが落ちる。散る。枕草子199「風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろと―・れ落つる、いとあはれなり」
③物があり余って外に出る。はみ出す。源氏物語初音「いづれもいづれも劣らぬ袖口ども、―・れいでたるこちたさ」
④すき間などから漏れ出る。宇津保物語藤原君「花ざかりにほひ―・るる木がくれもなほ鶯はなくなくぞ見る」。源氏物語蛍「つやも色も―・るばかりなる御衣に」。「グローブから球が―・れる」「雲間から日光が―・れる」
⑤気質などが表情にあらわれる。あふれる。源氏物語紅葉賀「添ひ臥し給へる様、美しうらうたげなり、愛敬アイギヨウ―・るるやうにて」。「思わず笑みが―・れた」[広辞苑第五版]
「こぼれる」という読みには全く思いいたっていませんでした。そうだったのかぁ。
「こぼれあまるもの」ねぇ。知らなかった。
えいよう‐せいしょく【栄養生殖】栄養器官の一部が分離発育して、独立の1個体となる生殖の形式をいう。広義には無性生殖に同じだが、特に高等植物で、むかご・鱗茎・塊根、また人為的な挿木・接木などによる生殖をいう。これによって生じた個体はクローンである。栄養繁殖。栄養体生殖。[広辞苑第五版]
イチゴやユキノシタのランナー(走出枝)やトクサなどの地下茎、ヤマユリの鱗茎、ジャガイモの塊茎なども「栄養生殖」の例ですね。
こういう親の一部が独立の別個体になる場合、遺伝的には全く同じものですから「クローン」なのです。現在、クローンというと何だかおっかないもののように思っておられる方もいますが、もともと、接ぎ木の小枝という意味なんです。植物では、クローンという出来事は一般的ですね。
玄関を出たら、目の前からホタルガが飛び立ちました。あわててレンズを向けて、とにかくシャッターを切りました。
全く、一歩外へ出たら何が起きるかわかりゃしない。
このシーン、本当は動画でお見せできたら最高なんですけれどね。
翅の白い模様が、羽ばたきによって、点滅する輪のように見えるんです。
画像が流れてしまったために、かえって、そのくるくる回る輪のようなイメージをつかんでいただけるかと、こんなぼやけた写真を掲載します。
このホタルガがとまっているところは10月1日にお目にかけました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-4ea0.html
比べてみてください。美しいガですよ。
2009.10.12付 朝日俳壇より
桔梗ほどな妻を娶りて遥遥と:(東京都)坂東孫太郎
金子兜太 評:桔梗ほどの小柄な妻。
このブログの読者を意識いたしまして。
そうか、小柄なんだ。
「遥遥」は「はるばる」とお読みください。為念。
ホトトギスが咲いています。
鳥にほとんど知識がないので、この花の模様が本当に鳥のホトトギスの腹の模様に似ているのかどうか、よくわかりません。
水滴のようなものは、蜜でしょうか。
オシベはよくわかります。
拡大すると
メシベとオシベが完備していますが、結実を意識したことがないなぁ。
どうなんでしたっけ?
書きながら検索したら、結実するみたいですね。私がぼんやりしているだけらしい。今年は気をつけることにします。
花弁(だと思うんですけれど)の裏にも一列毛が並んでいました。
3枚の花弁と3枚の萼が並んでいるように思います。ユリ科ですもの。
でも、自信はない。
不思議な姿ですね。
下に付いている「たっまころ」のようなのが面白い。
しばらくは、この花が楽しめます。
夕方薄暗くなってからルリタテハの幼虫のためにホトトギスの葉をとりに行った妻、部屋へ戻って世話をしていたら、突然、わぉ~というか、うわぁ~というか、とんでもなく素っ頓狂な声を出したのでビックリして、どうした?とたずねると、ルリタテハの幼虫がついてきた、ですって。
薄暗いので、適当に、花の蕾の多いところを避けて葉っぱだけのところを切ってきたら、ナント、そこにルリタテハの幼虫がついてきていたのです!!
何たる偶然。二人とも、ホトトギスのあたりでは、もっとルリタテハの幼虫はいないものかなぁと、結構ちゃんと見ていたはずなのですが、いなくって。今年は一匹きてくれただけでもうれしいことだ、と思っていたのです。
そうしたら、まったくの偶然で餌にしようと切ってきた葉に新たな幼虫がついていようとは。
あ~この世に生まれめぐりあう奇跡、ですよね。
きっと、赤い糸で結ばれていたに違いない、このルリタテハの幼虫と私たちは。
まだ黄色い幼虫です、成長して赤い幼虫になります。
こっちが、先輩。
これのための餌を取りに行って、上の幼虫を連れてきてしまったのです。
ファンタジーの世界の住民ではないつもりなのですが、虫さんたちが、向こうから私たちを楽しませにやってきてくれるような、そんな気がします。嬉しいことです。
繰り返しますが、この仰々しくも派手派手しいトゲトゲ虫は毒はありません。触っても大丈夫です。前の記事の、美しいトゲトゲ虫・ヒロヘリアオイラガとは違います。
さあ、このルリタテハもそろそろ蛹になります。ぶら下がり型の蛹になりますよ。お楽しみに
。
近くにホトトギスの花が咲いていて、下ばかり見ていて、いい香りだな、なんだろう?などとボケたことを考えていました。
顔を上げれば目の前にキンモクセイ。
雌雄異株で日本には雄株しかないとのこと。
オシベが2本です。
真ん中の奥にメシベの痕跡のようなものがあります。
結実しません。残念ですね。どんな実なんでしょうね。
◆別件ですが。一時トイレの芳香剤として、この金木犀の香り様のものが使われませんでしたか?
トイレに芳香、もいいけれど、実際の金木犀の香りをかいだ時に、トイレを思い出させられるのはかないません。あんまり、花の香りなんか使うべきじゃないですね。
クチナシの香りなんかも、トイレに使われると、ちょっと悩みますねぇ。
10月10日。昼前。ちょっとスーパーへ買い物に行って駐車場から出てきたら、結構雨が降っていました。
予報とはイメージが違うね、などと話しながら帰ってきたら、門の前に置いたチロリアンランプのところで、妻が何か話しかけています。
どうしたい?ときいたら、セセリが雨宿りしている、と笑っています。
どれどれ、と見れば、なるほど、いい場所を見つけたねぇ、と思わず声をかけたくなります。
ちょうど頭の上に大きな葉がかぶさっていて、濡れずに済んでいます。
イチモンジセセリの顔はとっても愛嬌がある。生活の知恵を発揮するイチモンジセセリ、がんばってね。
雨はしばらくしてやみました。小一時間後に見たら、もういませんでした。
ナガサキアゲハの幼虫が前蛹になりました。
9月29日。
この状態から脱皮すると蛹になります。
頭をぐっとまげ、肢をそろえていますね。けなげな姿です。
糸で体を支えているのも見えます。
9月30日。
蛹になっていました。
脱皮の時の脱け殻が引っかかっていますが大事には至らないと思います。
二本の太い角があるような形です。
明らかにアゲハとは違いますね。
翅になる部分が見えています。
頭の部分、角のような部分の付け根あたりを拡大した画像ですが、「眼」のような丸いものがあります。なんだろう。
幼虫時代の脱け殻の「顎」が写っています。
今、蛹の体内では、大改造が行われています。
「歩く消化管」のような状態でしたが、その時に用意しておいた成虫になった時の器官の「芽」が成長するのです。幼虫時代の不要なものは細胞が自ら死んで栄養となり、成虫の体を作ります。神経系だって作りなおしなんですよ。
なにせ、空を自在に飛ぶようになるのですから。とてつもない大仕事が静かに進行中です。
体温の話をなんだか引きずっていて思い出したことを一つ追加。
細胞の中で「エネルギー通貨」として働くATPという分子のことを聞いたことがあると思います。生物の方では、ATPは「高エネルギー結合」を持っていて、その結合を切ると大きなエネルギーが得られるということになっていますが、化学の側から見ると、さほどの高エネルギーではないのでして、水分子の熱運動のエネルギーを上回る、といった程度でしょう。
生徒には「10万円金貨じゃ自動販売機が使えないでしょ、小銭がいる、100円玉が必要」細胞内の「エネルギーの小銭」がATPなんだよ、と話しました。
さて、ATPはミトコンドリアで作られるのですが、水素イオンの濃度差を利用して、濃い方から薄い方へ水素イオンが流れる、その力を利用して「発電機」のような装置を回してATPを合成します。
ところで、ヒトの新生児や冬眠動物では体温を維持するために「褐色細胞」という細胞を持っています。これは脂肪細胞のうちで特にミトコンドリアが多くて鉄イオンの色が濃くなって褐色に見えるものです。
この細胞では、ミトコンドリアはたくさんあるのですが、ATP合成装置を回さずに、水素イオンの濃い側と薄い側を「ショート」させるのです。電気回路のショートはご存じでしょう。本来電気がいろいろな仕事をするはずのところを、ショートさせると光と熱を発生します。
ミトコンドリアでも同じこと。本来ATPを作るはずの装置をショートさせると発熱するのです。
生まれたばかりの赤ちゃんが命を維持するために作った特別な装置です。
生命ってすごいですね。赤ちゃんって、本当に守られているのですね。
(ダイエットに効くかなんていう話もあるようですが、ダメ。大人にはほとんどありません。そんなものに頼るより、ちゃんと体を使えばいいのです!それだけ!)
ツマグロヒョウモンがカエデの枝で交尾していました。
いつもベルトにつけているコンパクトデジカメでの撮影。少し画像が甘いのはそのせいです。
この状態で、雌雄は私の判断力ではよくわかりません。模様に違いはあるのですが、どっちがどっちと分からない。
翅を動かしてくれたのでわかりました。
左上がメスです。
当然、右下はオス。
前翅の先端の黒い模様が決め手です。
オスは後翅のヘリが黒くなります。
幼虫の食草はスミレ類。パンジーでも大丈夫。
派手派手しい幼虫ですが毒はありません。飼育すると楽しいですよ。
オマケがあって、蛹が(受動的ですが)光るんです。暗い所で蛹に光を当てると輝くスポットがあって、実にきれいなものです。お試しください。
昨日の台風18号、いかがでしたでしょうか。我が家の周辺では、雨は朝のうちでほぼ終わり、強い風は午後に入ってもしばらくの間続いていました。
夕方、雨戸を閉めようと外を見たら、風に流される雲を地平線近くの太陽の光が下から照らして冒頭のような状態でした。
しばらく、眺めておりました。
雲は水滴、氷粒などから出来ていますので、基本的には光を反射します。
ですから「白い雲」ということになるのですが。
状況によっては光が中で反射を繰り返しているうちに出てこられなくなり、光の出てこない雲も出来るわけです。そうすると、それは「黒雲」。
白とか黒は色ではなく、光を反射する能力の違いなので、相対的なものです。
空を眺めながら、そんなことも思っていました。
目の前の電線にトンボが飛んできてとまりました。
ごく普通に、アカトンボ(アキアカネ)だと思って写真をとったのですが、さて、ちゃんと見ると、これ、アキアカネではなさそうです。
というのは、逆光なので体色が分からないのですが、翅の先端の色が濃いですね。
アキアカネの翅の先端はこうではないのです。
このパターンは「ノシメトンボ」かもしれません。
顔が少し光ってますね、光を受けているようです。
穏やかな夕方でした。
◆昔話:子どもの頃、テレビはまだなく、ラジオが情報源の時代です。
カンチガイその1
「たいふういっか」ということばをラジオで聞いて私はてっきり「台風一家」だとばかり思っていました。台風というものはきっと家族でやってくるんだろう、などと。
「一過性」という言葉を知ったのはずっと後のことです。
カンチガイその2
台風情報で「○○せん、ふつう」と緊迫した声でのアナウンス。
なんで「普通」なのに大変なのだろう?と不審。「不通」だと気づいたのはかなり後のことでした。
スカシヒメヘリカメムシの産卵を見たのは9月28日でした。
室内に持ち込んで、何も起こらないので、ダメか、介入したのがいけなかったか、と思っておりましたところ
10月6日。孵化しましたよ~!
赤い卵から赤い幼虫が孵化しました。
卵の殻そのものにはほとんど色はないらしく、孵化後の殻はほとんど無色のようです。
見つけたときはもう、かなり活発に歩き回っていましたので、鮮明な写真をとることはあきらめて、スナップをとった後、すぐ、この卵を採集した場所へ行って、くっつけてやりました。なんとか生きた植物体にたどり着けたのではないかと思っています。
植物派の方は、カメムシを生かしておくなんて許せない、とお思いかもしれませんが、虫派としては、このいたいけな幼虫を殺すことはできません。立派に育ってほしいものです。
◆セスジスズメが体温を上げるために翅を震わせていた、ということを前の記事で書きました。
「震える」ということから、二つのことを書きたいと思っています。
一つは、おしっこをした後、ぶるっと体が震えるのはなぜか、という話。
もう一つは、風邪などで発熱する時に悪寒がして震えるのはなぜか、という話。
筋肉は収縮によって力を発揮するものですが、筋肉が消費したエネルギーのすべてが力になるわけではありません。エネルギー効率は高いけれども、無駄になる部分も出ます。その無駄になった部分というのがどうなるかというと、熱になる、のですね。ですから、筋肉を使えば発熱する、ということになるのです。
ヒトでも体温が下がると大きな筋肉に震えが来て、発熱しようとします。
ガでは、よくこの翅を震えさせることによるウォーミングアップが見られます。
◆さて、おしっこの後にぶるっと震えるという話です。
どうも、巷間には、排尿によって体から熱が放出されて体温が下がる、そのため体温を上げるために震えるのだ、という説がまかり通っているようです。
これ、全くの間違いです。大ウソです。
考えてもみてください。
ポットに90℃のお湯が入っているとしましょう。お茶を飲もうとポットから200mLほどのお湯を急須に注ぎました。200mLのお湯が熱を持ち出したので、ポットのお湯の温度が下がってしまいました。
って、これ、ウソでしょ。そんなことないですよね。お湯の量は減るけれど温度は下がりません。
おしっこすると、37℃くらいの体温と同じぬるい湯を出すわけですね、体重は減るでしょうけれど体温が下がるわけがないではないですか。
おしっこをして熱を放出したから体温が下がるなどというのは明白な間違いなのです。
●中学校あたりで習うのかな?熱の話。
熱を「熱流体」というまるで液体のようなものと考えて扱うと楽でいいです。その場合、物体は熱流体の容器ということになります。容器ですから「大きさ」というものがあるのですが、なにせ、熱流体は見えません。そこで、「1℃温度を上げるために必要な熱の量」で、容器の大きさを定義します。これを熱容量といいます。
例えば、実際のバケツや風呂桶の大きさを定義するのに、水深を10cm深くするのに必要な水の量、で定義することは可能でしょ。風呂桶なら何リットルかで水深が10cmあがるでしょうけれど、プールの水深を10cmあげるにはものすごい水量が要りますね。プールは水の容器として大きい、ということです。
熱でも同じ。
物体を熱の容器として考えたとき、水深に相当するのは「温度」です。
熱容量が大きいと、1℃温度を上げるのに必要な熱量がたくさん必要です。
fig.1は、温度の異なる物体を接触させると、熱の移動が起こって、やがて温度は等しくなるということを示す図です。
36℃の体に0℃の氷をくっつけたら、体から氷へ熱の移動が起こって、体が冷えますね。ブルっとなるかもしれません。
でも、おしっこの場合はこういう関係ではないのです。
どちらの図でも、大きな容器が体、小さな容器は膀胱のつもりです。
体内で、体温と同じ温度の尿が膀胱にたまります。これがfig.2.
排尿するということは、fig.3の赤い線のように膀胱を一旦切り放して中身を捨て、空になった膀胱を体に接続するのと同じことです。
この操作の際に、体温は下がりませんね。尿が熱量を持ち出したことは確かですが、同じ温度の物を出しただけですので、温度に変化は起こらないのです。
納得していただけましたか?おしっこをしても体温は下がりません。
●間違っていることは明白ですが、では「ブルっ」の正しい原因は何か?ということになると、これが難しい。今のところ確実な答えはないようですね。
私の経験などからすると、この出来事は思春期ごろまでの男の子に強く見られる現象ではないかと思っていました。そのことから考えるに、大人の男性の射精という能力のリハーサルを排尿時に行っているのではないか、と考えていました。
排尿するには、膀胱からの「満タンだ」という信号がいろいろな神経回路を通って排尿してよい、という筋肉の弛緩に至るのですが、その回路の中には、射精をコントロールする回路と隣接するものがあるのです。ですから、排尿に関わる神経活動と筋肉活動が、大人になれば完全に分離される射精能力と未分離であるために、「ふるえ」という形になって現れるのではないかと、想像するわけです。
で、小学生くらいの男の子によく見られる現象なのではないか、と考えていました。
かつて、朝日新聞社が出版した子ども向け科学週刊誌「かがくるプラス」に、おしっこのあと体が震えるのは体温が下がるためだ、という解説が載っていたので、編集部にそれは間違いだ、とメールを入れたところ、丁寧な返事を頂きました(記事の訂正はなかったですが)。 その中で、女性にも同様の現象がある、と記されていました。
困った。私の仮説はぐらぐらだ。で、今もって、解決はしておりません。
誤りを指摘できるということと、正しいことを知っている、ということは別の話だということもご理解ください。
◆今、インフルエンザが流行していますが、風邪を引くと発熱しますね。発熱の初期に悪寒がして体が震えることがあります。これはなぜでしょう?また、「寝汗をかくと風邪が治る」とよく言いますが本当でしょうか?
間脳の視床下部という場所に「体温調節中枢」があります。熱帯魚を飼う時に水槽の水温を一定に保つためのサーモスタットのようなものだと思ってください。血液温をモニターしていて、設定温度と比較して、温度を一定に保ちます。平常の場合、この設定値は37.1℃です。この設定値の時に、脇の下あたりで36℃程度になるわけですね。
風邪をひくと、病原体と戦っているところから、体温を上げてくれ、という要求が血液に乗ってやってきます。それを受けると、体温調節中枢は設定値を上げます。すると、設定値よりも血液の温度が低いと判断されますから、体温を上げる反応が引き起こされます。代謝を上げると同時に、速効的に体に震えを起こして筋肉にも発熱させるのです。
本人は、平熱だったのに、設定温度のほうが上がったために「寒気」を感じてしまうのです。これが、熱が出る時の「寒気・震え」の実体です。
さて、病原体との戦いが終わると、体温を上げてくれという要求が消えます。すると、設定値がもとの37.1℃に戻ります。すると今度は、血液の温度が設定値より高くなってしまうので、体温を下げようという反応がおこります。で、大量の汗をかいてしまうのです。
つまり、「寝汗をかくと風邪が治る」のではなく「風邪が治ったから寝汗をかく」のですね。
スズメガがいたわよ、と妻がプラスチックケースに入れて連れてきました。
セスジスズメです。
まだ動けないから簡単にケースに入れられたわ、と言っておりました。
確かに、ケースの中でしきりに翅を細かくふるわせます。
じっとしてくれるのを待って、何枚か記念写真。
こんな顔をしています。
セスジスズメの幼虫の食草は「ヤブガラシ、ノブドウ、ブドウ、ホウセンカ、サトイモ、サツマイモなど」とありました。
ヤブガラシもありますし、ホウセンカもありますから、このあたりで成長したのかもしれません。
ケースに蓋をしないで表のプランターに放置。
これは昼ごろ。まだいましたので、心配しましたが、午後になって飛び去ったようでした。よかったよかった。
直線的な模様が美しいスマートなガです。ジェット機みたいですね。
いろんな虫さんたちがくるなぁ。うれしいことです。
一度あることは二度ある、のですかね。
珍しいことは続くものですね。
ヒロヘリアオイラガの幼虫に、今度は線路の柵で出会ってしまいました。
先日ご紹介して、現在飼育中の幼虫はもっと若齢なのですね。
トゲトゲの感じがずいぶん違う。
そして、この幼虫ではオレンジ色が加わりました。お洒落です。
右が頭ですよね、間違ってないと思うけれど、これだけ見事に棘だらけになられると、分からなくなります。
本気で、ミゴトにまぁ、棘だらけですね。触らないように!
頭だと思う方の拡大です。
ずっと下の方に頭を隠していますよ。
でも、黒い眼が二つ、にも見えます。
いろいろな工夫をするものです。
この幼虫は、さようならと、お見送りしました。飼うのは一匹でいいです、さすがの私も。
最近、私があまり崩彦俳歌倉のカテゴリーで記事を書かなくなっていることにお気づきの方もいらっしゃることと思います。
つまづいてしまった。
新聞紙上の「俳壇・歌壇」は、公募の場ですよね。絵画でいえば、日展とかなんとか、公募展でしょ。公募展で、審査員が応募作を見て、「これはあとひと筆、ここにあれば素晴らしい」などと言って、筆を加えたりはしないですよね。もし稚拙であっても作品は作品。独立した作品として鑑賞し、その出来栄えに関していろいろコメントがつくのはいい。
俳壇に採用された句が、選者の「添削」を経たものだ、というのは、俳壇の読者に対して礼を失していませんか?
結社の句誌なら、いくらでもお好きにどうぞ。でも、新聞俳壇は、「公募の場」なのではないですか?
選に当たって、添削を加えるなんて、私には信じられないことでした。
意気阻喪。意気消沈。
何か、別の形で俳歌倉を復活させたいとは思っているのです。これから少しずつ試みますので、見守ってください。
◆ところで、朝日新聞にはもう一つ「恋する大人の短歌教室」というこれはもう、正面切って「添削教室」があります。
これがまた。素人が何を言うか、失礼だろう、と言われそうですが、意気消沈。
ど素人なので気にしないでください。でもね、応募作が添削後には散文になっていることがあまりにも多いと思うんですよ。
{応募作}白いシャツパンと干す朝今日こそは君にサヨナラ言おうと思う
{添削後}パンと干す真っ白なシャツ今日こそは君にサヨナラ言おうと思う
朝の引き締まった冷たい空気の中での敢然たる決意が、ぬるくなりましたね。
{応募作}その笑顔、靴音おぼえていますからあの世で会えると思うのですが…
{添削後}靴音も笑顔もおぼえていますからあの世で会えると信じています
ね、みごとな散文になったでしょ。
{応募作}戯れに唇交わしその蜜に先に行けず後にも戻れず
{添削後}戯れに口づけ交わしその甘さに後に戻れず先にも行けず
秋元順子さんの「愛のままで」には「糸ひくような接吻しましょう」というドキッとする歌詞がありますが、応募作にあった同様の蜜の粘っこさが、サラサラにされてしまった。
{応募作}消し壺に放り込んでも一向に消えようとせぬ この恋はマジ
{添削後}この恋はマジ 消し壺に放り込んでも一向に消えようとせぬ
静かに燃え続け消えない(恋の)火を、低く落とした視線で眺め、思い出を探り、ため息をついて、最後のところで視線をぐっと上げて、「マジ」と言い放つ決断のドラマ。
ところが添削では、平板な散文。
字余りとか字足らずはあまり気にしなくていい。意味や調子の塊がまとまればいい。でもこの句跨りはみっともない。短歌のリズムで読めないじゃないですか。
寂しい添削が続き、気力がなえています。
どういう風に立て直したらよいものか。
ヨモギエダシャクかな、とも思いますが、もうなんだかよくわかりません。
小枝には見えないなぁ。
色が違ってしまったヨ。
お顔拝見。
見えるようになると、この側単眼、見えるようになります。
(変な言い方ですけどね)
こちらは、腹部の先端。がっしりと茎を挟んでいます。
この挟み方が、尋常じゃないんです。
うっかり、この虫をつまんで引き離そうとすると、体がちぎれてしまうんです。というように書けるということは、実は経験があるからなのです。
いつだったか、子供時代ではないのですが、ひょいとつまんで引き離そうとしたら、腹部の先端を残して千切れてしまったのです。あれは、めげたというか、悲しかったというか、そんな気はなかったのに、と、しばらく心残りで、辛かったです。
体がちぎれても離れないというのは、とてつもないことですね。
多分サンゴジュハムシでしょう。
サンゴジュがこのあたりにあるという認識はないのですが、あるんでしょうね、きっと。
車にとまっているところを見つけたこともあるし、結構このあたりまで、テリトリーにして、飛び回っているのだと思います。
◆別件ですが、先ほどYOMIURI ONLINEを読んでおりましたら、ノーベル化学賞を受賞した白川英樹さんが、その昔、昆虫少年だった、という話を読んで、嬉しくなりました。
下のページで読むことができます。
http://otona.yomiuri.co.jp/mystyle/mushi/mushi090921.htm
http://otona.yomiuri.co.jp/mystyle/mushi/091005.htm
楽しい記事ですよ。
頭は下です。上にぴょんととげのようなものがあるのはスズメガの幼虫たち全員の特徴です。
しばらく飼ってみようとケースに入れたのですが、コロンと落っこちて、幼虫が興奮しました。そうしたら・・・
こうなってしまいました。
頭を巻き込んで隠し、腹端を見せています。
こういう姿をされて思ったのですが。
コレ、ヘビ顔か?
一角蛇とでもいいましょうか・・・
どうなんでしょう?これヘビへの擬態でしょうか?
わからないのですが・・・
ビロードスズメの幼虫は頭部から胸部にかけて、見事なものすごい「蛇顔」です。
私のホームページでその顔が見られます。気をつけてご覧ください。すごいですよ。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_24.htm
でもなぁ、エビガラスズメの幼虫は本当に蛇への擬態だろうか?ご存知の方いませんかぁ。
玄関を出たら、いきなり目の前を黒い影がよぎりました。
恒例「お昼のお散歩」のしょっぱなです。
頭の上を超えて上の後方行ったのは視野にとらえていましたので、まるっきりのあてずっぽうで、レンズをそっちに向けてシャッターボタンを2、3回押しました。幸いカメラのスイッチはONにしてありましたが、まさか写っているとは思っていませんでした。あまりにも無茶苦茶な撮影だったので。
部屋に戻ってパソコンに画像を移して眺めてみたら、一枚だけ写っていたのです。それがこれ。
背景の屋根などでわかるように、上下はこれであっています。
ということは、チョウの方がものすごい飛び方をしていたのですね。
どういう瞬間なのでしょう?逆さまです。
空中で旋回しているのでしょうか。
撮影者の意思でとにかくシャッターが落ちてくれる、という仕様がこれほどありがたかったことはありません。「顔検出機能」のついたコンパクトデジカメだったら、どこにピントを合わせるか、ということで時間を食って、おそらくシャッターは切れなかったでしょう。
それにしてもまぁ、なんだかすごい瞬間を見せてくれたものです。
家を出る時はいつでもスイッチONです。何に出会うか分かったものではありません。
2009.9.25日付の朝日新聞の記事に面白いことが載っていました。以下に引用します。(太字は筆者による)
[特派員メモ]ワシントン:分単位で秋が来た
ワシントンでも秋の気配を感じるようになってきた。暑さを避けて自宅の地下室で寝ていた私の家族も、遊牧民よろしく比較的暖かい2階に移動した。
こうして私たち日本人は暦はあっても「そろそろ秋だなあ」と肌身で季節の移ろいを感じるものだが、米国では季節の変わり目は分単位で決まっている。
今年だと、秋は東部時間の秋分の日(22日)の午後5時18分に始まった。やや専門的だが、天球上で太陽が天の赤道を北から南へ通過する瞬間である。
つまり、春分、夏至、秋分、冬至の各瞬間を新しい季節の始まりとするのが習慣なのだ。天気予報では「公式に秋になったのに、まだ暖かい日が続きます」とやったりする。
似た考え方に、日本や中国で使われる二十四節気がある。立秋(8月7日ごろ)から立冬(11月7日ごろ)までが秋で、真ん中に秋分があるから、形式的には米国との間に1ヶ月半の「時差」があることになる。
12月半ばともなれば、都会でも田舎でもクリスマスツリーに灯がともされる。クリスマス商戦も佳境を迎え、冷え込むこともある。だが、米国では秋。日本人には理解しにくいが、米国人には自然なことらしい。今年は12月21日午後0時47分に、冬がやって来る。
面白いですね、知らなかった。
記憶しか残っていないのですが、朝日新聞の面白小話の投稿コーナーかなにかで、大人たちが、秋も深まってきたと話していたら、幼い人が、秋って何月何日の何時何分に始まるの?と聞いた、というような話があったと思います。(今年の9月末か10月初めの新聞だと思うのですが、記事そのものは見つからなくて・・・)
その子に、このことを教えてあげられたら、面白がったでしょうね。
2009年版の理科年表の「暦部」によりますと、日本での秋分は
太陽黄経180° 9月23日6時19分(中央標準時)
です。
アメリカ式でいうと、9月23日6時19分から秋が始まったのですね。
もし、日本式で立秋からを秋ということにして、時刻まで表示しますと
太陽黄経135° 8月7日18時1分(中央標準時)
でした。
日本では、秋分点を含む日を「秋分の日」と呼んでいるわけです。
冬至は、日本の中央標準時では
太陽黄経270° 12月22日2時47分
です。
こういう風に割り切るのもいいかもしれませんね。
太陽の位置を示していますので、これは太陽暦です。
陰暦とまじりあってごちゃごちゃするより、乾燥した雰囲気でいいですね。
なんだぁ?と撮影。
薄い黄色に薄い青、なんだかパステルカラーのきれいな幼虫です。
トゲトゲが多いのですが、まぁ、そう怖がることもないだろうと勝手に決め込んで接近して撮影。(チャドクガのような毛が飛んでくるのはさすがに遠慮しますが、これならいじらない限り大丈夫でしょう。)
これは、逆さまですが、顔。
きれいでしょう。
先端の黒い棘はちょっと刺さるかもしれませんね。
半透明な黄色い刺は美しいです。
さて、これ、なんというガの幼虫なんだろう?クスノキにいたから「クスサン」か?と初めは単純に考えたのですが。
遠い昔に見た記憶では、緑っぽい色だった気はしますが、あいつは「すごい毛だらけ」だったはず。(昔、栗の木で見ましたね。かご状の繭を作っていましたっけ。)
これ、ちがうなぁ。
調べてみたらヒロヘリアオイラガの幼虫のようです。
棘の拡大。美しいのですが、このトゲ、毒があるんですって。
触ってみなくてよかった。
でもきれいだよなぁ。
飼ってみてます。どこまで育てられるかは分かりませんが。刺さらないよう注意してます。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/hiroheri-aoiraga.html
ここに写真があります。ヒロヘリアオイラガって漢字で書くと「広縁青毒棘蛾」ですって。
毒があるんですねぇ、やっぱり。
長さを測っているようにみえるから「尺取り」ですね。
ところで、シャクトリムシはシャクガの幼虫ですが、学名でいうと
チョウ目 Lepidoptera > シャクガ科 Geometridae のガです。
中学校か高校で、幾何学のことを英語で「geometry」というのだということを習いませんでしたか?geometry は geo+metry です。geoは「土地」で、metryは「測る」です。土地の測量を行う、というところから、図形を扱う数学の分野として幾何学の名前になったのですね。
シャクガの学名をみてください。「Geometridae」ですよ。やはり、「測量虫」ということのようですね。
誰が見ても、シャクトリムシ君は体で測量を行っているように見えるのですね。
(尺取りではなく寸取りのほうがサイズ的にはあってますが、そうなると採寸虫になって、洋服屋さんみたいですね。)
ところで、クワエダシャクというシャクガの幼虫は小枝に擬態していて、うっかり農作業の合い間にお茶でも飲もうと持ってきた土瓶を、枝にかけておこうと引っかけると、土瓶が落っこちて割れる、というので「土瓶割」という名前をもらっているようです。
大げさですが、ユーモラスな名前に、昔の人のゆとりが感じられますね。
写真は下のサイトで見てください。
http://eco.goo.ne.jp/nature/unno/diary/200702/1172565442.html
http://www.jpmoth.org/Geometridae/Ennominae/Phthonandria_atrilineata_atrilineata.html
ムラサキシジミがボウガシの葉の上にいました。
羽ばたいてくれた瞬間にうまいことシャッターが落ちて、こんな写真が撮れました。
ところで、このムラサキシジミが向きを変えてくれたら、こんなことをしていました。
葉っぱの表面に口吻を伸ばしています。
ほら。
ゼンマイ状の口を伸ばしてその先端部分で葉の表面を「なでる」というか「なめる」というか、しています。
何をしているのでしょう?
葉の表面が濡れているのです。この葉の上の方でツマグロオオヨコバイがボウガシの樹液を吸っていて、吸いながら腹端から水を排泄しているのです。それが落ちて来て葉が濡れている。ツマグロオオヨコバイは樹液から栄養を吸収するのでしょうが、全てを吸収し尽くすことができるわけではありません。また、排泄物も入り込んでくるかもしれません。
そういう液体が葉の表面を濡らしているので、ムラサキシジミはその液体をなめて自分の吸収できるところを吸収しようとしているわけです。
口の先端を良く見てください。
毛のようなものが生えています。おそらくは「感覚毛」でしょう。当然、ヒトの味覚に対応する化学感覚ですね。ようするにおいしいかどうかなめているのだと思います。
長いことここでこうやっていましたから、きっとおいしいのです。
おいしい、おいしい、といってなめているのだと思いますよ。
娘がプラスチックケースに入れて逃がしてやろうとしていましたので、私は記念写真撮ってから逃がしたいといって、撮影。
本当に生まれたばっかりの幼体でしょう。
素手でつかむことは全く平気なのですが(我が家は全員)、ケースに追い込むのは、相手のストレスをおもんぱかってのことです。小さくて柔らかい体ですから、下手に暴れられたりすると強く握ってしまいます。それはマズイ。ストレスを与えずに、そっと逃がしてやるにはこうするのが一番。
ところで、上掲の写真、いい顔でしょ~。我ながらいい表情に撮れたと気に入っています。
嬉しそうというか、楽しそうというか、自信満々、生きることは楽しい、生まれてきたことは素晴らしい、と語っているように思えます。
これ、眼の上のうろこ。
びっしり詰めると六角形になってしまうんですね、やっぱり。
こちらは眼。
瞳は縦長。
カメもこういう瞳でしたね。
ただ、「眼の表情」としては、カメよりこのヤモリの方が温かみが漂っています。
アゲハの幼虫たちの擬態は「ヘビ」だと思うのですが、まるでこの縦長の瞳まで真似ているような感じがします。本当に不思議です。
9月23日の撮影です。
順調に成長しているようです。
下の方の棘にピントが合っています。
すごい棘でしょ。
でも、刺さるというものではないし、毒があるとかいうようなものでもありません。
脱皮の前後です。
色が変わりました。
黄色ベースだったのが、赤(オレンジ)になりました。
棘の「幹」の色も変わりましたかね。
なんとも、「にぎやか」でしょ。
色といい、棘といい。初めて見たら絶対警戒しますよね。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/index.html
幼虫図鑑というサイトです。ここによりますと幼虫の食草は
カサブランカの葉の裏にいた。オニユリ(鬼百合),カノコユリ(鹿子百合),サルトリイバラ(猿捕り茨),シオデ,ヤマガシュウ(山何首烏),ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)などのユリ科の植物。
こんな植物で、派手派手しい幼虫を見つけたらルリタテハです。育ててみてください。大丈夫、ダイジョウブ。
2009.8.30付 朝日歌壇より
先客のクワガタムシに威嚇されカブト総身に力漲らす:(西海市)前田一揆
佐佐木幸綱 評:虫かごの中の闘争。下句、せまい世界で精一杯生きる命を表現。
失礼ながら、これ、虫かごの中の狭い世界、とは思わないのですが。
よく「樹液酒場」という表現を使います。樹液の出る場所へ、クワガタムシ、カブトムシ、オオムラサキ、スズメバチ、その他大小無数の虫たちが集うのです。
ですから「先客」という言葉がいきてくるのです。
樹液酒場での先客クワガタが、俺が先だ、という。
カブトは譲れよ、と脚を張り、角を低くする。
そういうシーンじゃないかなぁ。
おまけ。オオムラサキがスズメバチを追い出すことがあります。
2009.9.28付 朝日歌壇より
樹液吸う甲虫・蝶・蜂ひしめいた幹老い乾き静まり返る:(交野市)遠藤昭
樹も昔は若かった。樹液を大量に出して虫たちに与えていた。にぎやかな「樹液酒場」が毎夜のごとくに開かれていた。
今は、樹も老いた。酒場は閉じ、客はない。
2009.9.21付 朝日歌壇より
放心の狸と出会ひぬ投函の眞夜の郵便ポストの前に:(枚方市)福永康子
佐佐木幸綱 評:はからずも夜道で見かけた狸。「放心の」が可笑しい。
失礼ながら「見かけた」のではなく、「出会った」のです。だからこそ、狸の方は「しまった、ヒトと出会ってしまったぞ、どうしたものか」と一瞬たじろいだのが「放心」なのです。
猫だってよくやるじゃないですか。一瞬の「放心」。
ところで、この狸、この後どうしたでしょう?
2009.9.21付 朝日俳壇より
子狸と会ふも一会や月の夜:(向日市)松重幹雄
ワープしたらしい。
9月29日に「高速移動」という記事を書きました。本上まなみさんの育児のお話でした。
思い出しまして、9月21付の朝日俳壇から引用します。
這ひ這ひは特急なみの裸ん坊:(稲城市)日原正彦
ハイハイが出来たと思えば、「待て待て待てーい」と追いかけねばならない高速移動の日々。
こちらは本上さん。
あのスピードはすごいよなぁ。
裸ん坊は捕まえにくいしなぁ。
きゃっきゃっきゃっ
ですよね。
2009.9.28付 朝日歌壇より
教室に蜂飛び込んで生徒らは急にがやがや蜂と戯る:(水戸市)松下亨
都会の学校では「戯る」では済みません。ハエ1匹でも教室中大騒ぎですよ。昆虫に対する恐怖感はひどいものです。
でも一方で、授業においてこういうハプニングはつきもの。ハチがくれば、「電気消しな」「窓を開けて」と指示を出して、外へ出ていってもらう。ついでに昆虫の習性について5分、10分ウンチクを語る。
雪が降れば、雪のウンチクを、雷が鳴れば雷のウンチクを、・・・
授業計画はしっかり練るものです、しかし、その計画は授業開始とともに放棄!
ありとあらゆる状況に対応して、機に臨んで変に応ず、でたとこまかせ。
授業はライブステージなんです。教師が予定通りに、毎年同じに勝手にできるものではないんです。生徒と教師の合作なんです。探り合いに始まって、乗り、終演へ向かって疾走するものなんです。授業は生き物なんです。遅刻は授業を殺すんです。ライブステージを見にいって、遅刻して堂々と邪魔しますか?
31年教師やりましたが、同じ授業なんて一度もやったことないですよ。
蜂だって授業の共演者なんです。
2009.9.14付 朝日歌壇より
通勤の車内に迷える蜂飛びて窓辺につくる無口なウェーブ:(東京都)木塚 葉
駅に停車中に窓を開けたりドアへ誘導すれば何とかなるでしょうに、ね。
2009.9.28付 朝日歌壇より
インスリン注(う)ちながらでも五能線乗ってみたいと観ているテレビ:(八王子市)相原法則
私の母の実家は五能線の走る町。むかし「つばき(椿)」という駅名だったところです。いい名前でしたが、今はその名は使われていません。
五能線は日本海に面しています。波が線路を洗うほどの所もあります。
私は左下肢障害がありますので、水の中を歩くことができません。波打ち際からすぐ深くなる海がいい。遠浅の海はダメ。母の実家から海まで、裸で歩いていっても大丈夫。海は波打ち際から3mくらいも出れば足が立たない深さ。私にとっては絶好の海でした。私が泳げるようになったのはこの海。
近くに昔、銅の精錬所があって、精錬時に出る黒いかすの砕けた砂が海岸を覆っていました。海岸とは真っ黒いものだと小学校に上がる頃まで信じておりました。
夏の日差しに黒い砂は焼け、火傷しそう。夕方になって涼風が吹く頃になっても、砂の中に手を潜らせると中には日中の熱さが残っていました。そんな砂の上に座って、日本海に沈んでいく夕陽を見るのが大好きでした。夕陽というものは海に沈むものだ、と、これまた長く信じておりました。水平線に日が沈んだ後、振り返ると白神山地の山の上にはまだ日光が届いていて、山の上だけ赤く光っていました。
白神山地の水を集める真瀬川。街路灯に集まるカブトやクワガタ。子育ての頃もこの地の恵みに与りました。
腰を痛めて旅行能力を失って、もはや行くこともない土地となりましたが、もし可能なら、インスリンをうちながらでも、腰を据えて五能線の走る町一つ、味わってみてください。
言葉は秋田弁というよりは津軽弁に近いですから、地元の年配者との会話はたいへんですぞ。
2009.9.28付 朝日歌壇・俳壇より
鎌倉の夢窓国師の作と云う庭にか細く鉦叩鳴く:(所沢市)若山巌
昼も夜も厠の外にカネタタキ:(都留市)長田美智子
終焉の一夜明けたる鉦叩:(茨木市)瀬戸順治
カネタタキも忙しい。個人的にはカネタタキを聞いたのは室内。あまり屋外で聞いた記憶がありません。
ところで、長田さんは視覚障害者でいらっしゃいます。
失明し四十年となりし今夕焼け空の色も薄れる:(都留市)長田美智子
佐佐木幸綱 評:四十年前に見た夕焼け空の色の記憶。私などには想像もできない貴重な記憶なのである。
確かに「想像もできない」ことではあります。でも、人は想像力があればこそ、深いコミュニケーションがはかれるのです。ですから「想像するしかない」のです。
せめて、時々、眼をおつむり下さいませ。耳や肌で受け取る外界からの情報を味わってみてくださいませ。私たちの五感とはどのように働き、どのような情報をもたらしているのか、その「仕様」や「性能」を時々、チェックなさってください。
せめて想像力を。
気温も下がってきたせいか、元気がありません。
ヒラヒラとは飛べず、ふわぁ~っと飛んではとまり、またふわぁ~っと飛んではとまり、を繰り返していました。
今とまっているのはコダカラソウです。
蜜が出るわけでもないのに、とまってじっとしています。
寂しくなりました。
ところで、コダカラソウの、葉の縁に細かいものが並んでいますが、これが新たな芽になって、そこからまた新たな植物体を育てることができます。
ハカラメ(セイロンベンケイソウ)と同じですが、楽しい植物です。
この写真を撮ってから、チョウが無駄に飛ばなくて済むように遠回りをして別の場所へ移動。
ここでは、蜜を吸っているモンシロチョウに出会いました。
こっちの個体は、さっきのより元気ですが、翅が傷んでいます。
でも、ひたすらに生きます。
蜜を吸って、飛びます。
もう繁殖は済んだかな?
どうか
いっさいの生命たちがしあわせでありますように
一つの画面で3匹。
右上の大きいのがナガサキアゲハの幼虫。
その下がアゲハ、左のまだ茶色っぽいのもアゲハの幼虫です。
右の2匹を比べてください。
体の模様の基本的なパターンはよく似ています。
でも、色合いが違います。目玉模様の間の線も似ているけれど違います。
食べるものが競合するというのが「生存競争」の本質です。
ですから、この2種も実は食べ物をめぐって競合関係にあるわけです。
ナガサキアゲハは最近東京のあたりまで北上してきたわけで、新参者。
先行するアゲハやクロアゲハとどういう関係になっていくのか、長い時間の中で見ていかなければならない問題でしょう。
左がアゲハの、右がナガサキアゲハの、目玉模様のあたりを大きくしたものです。
似ているけれど違う、でも似ている、といったあたりを観察して下さい。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |