神社の手すり
去年の12月に拝殿の階段に手すりが付いた、という記事を書きました。
下がそれです。↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-9934.html
6月12日に行ってみたところ、今度は鳥居の下、参道の入り口の階段にも手すりが作ってありました。
ありがたいことです。
先週のぞいた時にはありませんでしたから、一週間の間に作ったのですね。
ステンレス製の手すりが階段の中央に作ってありますから、右手でつかまりたい人も、左手でつかまりたい人も、どちらも安心できます。ほんのわずかの段数ですので、手すりを必要とする人が使っている時は待てばいい。
私も、さっそく、手すりに右手でつかまってのぼってみました。楽です。力を入れて体を手で引き上げる、というような使い方ではないのです。手を手すりに置くだけで、ほとんど力なんか入れなくていいんです。でも、体のコントロールがすごく楽になる。安心感がある。バランスを失って転げ落ちないか、という不安なしにゆっくりあがれます。
これはいい。神社に感謝します。
拝殿の手すりと、今回の手すりが同時に写るようなアングルを探してみました。ちょっと不満もありますが、なんとかなりました。いかがでしょう。ほんのわずかのご配慮を頂いただけで、この神社はすごく参拝しやすくなりました。神社の方々の優しい心遣いが溢れています。
本当に感謝します。
できればどこの寺社でもこういうご配慮を頂けると嬉しく、助かります。
ついでに、エスカレーターでも、右でも左でもどちらのベルトにつかまっても構わないようにご配慮いただけるようになると、助かるのですが。
◆電車に乗って、どこにもつかまらず、どこにも触れずに立っていて下さい。健康な人は大丈夫、立っていられますが、それでも加速・減速・ポイント通過時の揺れ、などのときに脚の筋肉を結構細かく使うと思います。
ところが、指一本、ドアのガラスに「触れた」だけで、脚にはいる力が丸っきり変わってくると思うんですよ。無用な力を抜いて、リラックスして立っていて、必要な時だけ踏ん張ればいい。
「指一本」です。この指が大きな力を出しているわけではないのです。体のコントロールを助けると同時に、安心感をもたらしてくれるのです。
年をとったり、体に不自由な部分があったり、いろいろあるんですが、ほんのわずか、体を支えるポイントを提供してもらえればかなり自由に動ける方は多いと思います。どうか、そういうようなことにも、想像力を持って、ご配慮くださいますよう。お願いします。
◆もう一つ、ついでに、お願いを。
バスや電車の乗降口の脇に鉄の棒がありますよね。あれは、私たちのような「不安定」な人間にとって是非とも必要なものなのです。
ちょっとでいいから、バランスを支えるところがほしいんです。
若い方が、あの鉄棒に体をもたせかけて、隠してしまうことがあります。
あれはつらい。ぜひだれでも気兼ねなく手を伸ばして軽く体を支えられるように開放していただきたいのです。お願いします。
◆もういっちょ、ついでに。
バスや電車のアナウンスで、「危ないですから止まってからお立ちください」というやつですね。とくにバスなんかだと、録音を流すだけではなく、運転手がマイクを使って「お客さん危ないですよ」なんて制止をくらってしまうこともあります。
立ち上がってすぐには歩きだせない私です。腰を伸ばしたり、脚のバランスを確認したり、最初の一歩までに時間がかかるんですよ。その間、他のお客さんを待たせるのは心理的に辛い、焦る、かえって無理をして危ないことになってしまうこともあるんです。
人にはそれぞれの人が抱える事情があります。どうか、焦らせないでくださいな。
とっても辛い思いをします。
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