参観の授業
2009.7.6付 朝日歌壇より
あぐらの子机に伏す子注意されずどんよりすすむ参観の授業:(和泉市)長尾幹也
佐佐木幸綱 評:緊張感を欠いた授業を参観する父親のいらだち。「どんより」に作者の思いが読める。
学校の現実の一側面です。悲しいけれど。
昔は居眠り、私語などが主でしたでしょ。
今は、授業中のケータイはもうアッタリマエ。授業中に化粧する女子生徒もいます。ヘッドフォンで音楽聴いているとかね。
専任の先生方なら、やはりなんとかしたいと指導するんですが、講師や嘱託教員などはもう、なめられてますからね、はなから相手にしてくれないんですよ。そうなったらもう仕方ない、授業を勝手にやるしかない。授業時間全部がつぶれちゃいますからね。
授業が好きな私でしたが、こういう現実も知っています、経験しました。とても悲しかったです。
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