百名山の七つ
2009.7.27付 朝日俳壇より
百名山七つ数ふる帰省かな:(塩尻市)古厩林生
{大串章氏も同じ表現で選んでいます。}
稲畑汀子 評:百名山の山々がある故郷への帰省である。山の一つ一つに郷愁があり、なつかしい。原句は「百名山の」だが、この助詞は省略したほうがよい。
私ねぇ、この稲畑氏の評を読んで、朝日俳壇に不信感を抱いてしまいました。
朝日俳壇って、添削教室でしたか?同人誌でしたか?
基本的に、紙面に載った句は原句である、と理解していましたが、違ったのですか?怒りがこみ上げてきます。
原句のまま掲載して、「ここはこう省略したほうがよい」と評で書くのならまだしも、既に添削した形で掲げるのは失礼な話だと思います。新聞俳壇としてはやっちゃいけないことではないのかな。
しかも、この句、大串氏も選んでいて、稲畑氏と同じく「の」を省略した形で掲載し、二人が選んだという☆印がついている。ということは、お二人が相談なさって、「の」はない形で掲載しましょうね、と合意があったという事でしょう。
激しい言葉遣いをさせていただきます。私は憤激に堪えない。
20年以上朝日俳壇を読んでいますが、これからはもう、選者の添削後の句を読まされているのだ、と理解しなければならないのですね。投稿者の句を直接に鑑賞するのではなく、選者の目を通してしか鑑賞が許されないのですね。がっかりしました。
「百名山のうちの七つも」いっぺんに数えることのできる山深い故郷への帰省。おそらくは過疎問題なども抱えているのではありませんか。私は俳句にも「ひとのこと」を読み込みたいたちです。「写生」という事にはあまり興味がない。
山の多さと故郷のうら寂しさを読み取りたい。その意味で、「の」はあったほうがよい、と私は主張します。
名山が多くてなつかしくていい故郷だ、だけではないと私は読みました。
繰り返します。
必ず原句を示して下さい。評で何かを指摘することは構いません。
新聞読者が原句と向かい合って、それぞれの解釈をする自由をください。
鑑賞という行為も自己表現なんです。人に強制されたくない。
選者のフィルターで濾しわけたものしか味わえないんですか?
新聞俳壇は、ご自身が主催する句誌では決してないのです。
下手するとこれは「新聞俳壇」というものの自殺行為ですよ。
お聞き苦しい激しい言葉を吐きました。ご容赦を。
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
「朝日俳壇」に限らず、俳句の世界では助詞を訂正するなどした上で採る、というのは普通に行われています。
そして、この句の場合は明らかに「の」が無いほうが良いです。俳句に関わる者の目から見て。
ですから、選者二人が相談したわけではなく、自ずと、そういう結果になったということでしょう。
俳句の世界に馴染みの無い方からすれば、納得ゆかないことかもしれませんし、私自身は選者が「添削」することには否定的ですが。
ただ、朝日俳壇の暴挙ではないということだけはお伝えしておきます。(別に朝日の回し者ではないですよ)
投稿: momo | 2009年7月31日 (金) 03時18分
追記
そして投稿される方も、あらかじめその事は納得の上で投稿されているケースが大半だと思いますよ。
投稿: momo | 2009年7月31日 (金) 13時28分