郭公
2009.7.13付 朝日俳壇より
かつこうが遠ざかるほど眠くなる:(川崎市)服部一彦
大串章 評:郭公が遠ざかったのではなく、本人がだんだん眠りに入っていったのだ。表現の妙。
私の入眠は、赤ん坊のごとくでありまして、あるところまではわかるけれど、ストンと眠りに落ちてしまう。「だんだん眠りに入っていって」かっこうが意識の中で遠ざかっていくという眠りにはまずなりません。
郭公を聞いていたら、遠ざかって行った、声がだんだん遠くなる、声に聞き入ろうとする意識の緊張感がほどけてしまう、という感じに、私は捉えました。
郭公や己が名前を節つけて:(西宮市)山谷陽久
絶対音感のある人が聞いたら、本当に譜面に書けると思います。
雑音でない限り、音の名前がわかってしまうということは、ひょっとすると窮屈とか、鬱陶しいことかもしれないな、とも思えるのです。
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