日本人
2009.7.13付 朝日歌壇より
故国では「もう日本人ではない」と言われドイツでは「まだ日本人」と:(ドイツ)西田リーバウ望東子
何度も同じことを繰り返しているように思うのですが、そういう、中途半端さ、あいまいさ、というものが非常に大事なんです。
境目で生きる。境目を自在に超えて生きる。それはマイナスの価値ではなく、またとないプラスの価値なんです。
私は障害者と健常者の境目で生きていますので、いろいろなことが見えるようになったと思っています。
二つの国を、文化をまたいで自在にその境目を越えられる「からこそ」世界がクリアに見えるのではありませんか?
◆ところで、読売新聞にも載っていましたが、下は朝日新聞の小さな記事。
[あすは何の日](2009/7/13) 7月14日:わが国の呼び方はニッポンかニホンか――。1970年、この日の閣議は盛り上がった。「憲法はニッポン国憲法と呼ぶんだったかなあ」と中曽根康広防衛庁長官が言い出したところ、「いやニホン国憲法では」と反論する閣僚。賛否両論が飛び交った。幕を引いたのは佐藤栄作首相。「自分は意識的にニッポンを使っている。それが公式の定着した表現ではないか」とニッポン派に軍配を上げた。
このやりとりが「ニッポンで閣議決定」と独り歩きしたようだと内閣府。先日、呼び方はどちらでもOKと、今度こそ閣議決定した。
私の個人的な好みはニホン。やわらかくてやさしくていい感じ。ニッポンとしか読めない場合もありますけれどね。
さてでは、最初に掲げた歌に2回出てくる「日本人」はどちらでお読みになりますか?
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