木製の手摺り
2009.7.6付 朝日歌壇より
掌に湿り伝わる木製の手摺りを頼る梅雨入りホーム:(あわら市)北條顕英
「ホーム」は「home」でしょうね。「platform」ではないですよね。
木製の手摺りがじとじと湿ってしまった、快くはない感触に、生きることの難儀さを托した歌でしょうか。
全く別の感慨が私の中に去来します。
金属手すりの冷たさ、です。
若いころ、駅で乗降する群衆の一部であり得るほどまだパワーがあった頃。でも、階段を上るには右足一本で、一段抜きで上がらないと、普通の方々とスピードが一致せず危険でした。ですから、右手で手すりをつかみ、腕力である程度引き上げる必要がありました。
冬の駅。手すりが冷たいのです。手袋をする習慣のない私でしたが、冬の駅の手すりだけは苦手でした。手袋の必要性を感じたものです。
冷たすぎる。痛い。
木製手すりは、暖かいというわけではないが凍るような冷たさはないのです。
ただ、人の手垢などが付くのでしょうね、湿った日はべとべとになります。衛生的ではないのでしょうし、作るのも大変でしょう、いつか木製手すりなど消えてしまいました。
つかまる人に元気を与えてくれるような、優しいてすり、って、できないものでしょうかね。
« いつかはいなくなる | トップページ | お母さんの顔が見たい »
「崩彦俳歌倉」カテゴリの記事
- 榠樝(2021.02.01)
- オオスカシバ(2020.10.06)
- 猫毛雨(2020.04.20)
- 諏訪兼位先生を悼む(2020.03.25)
- ルビーロウカイガラムシ(2020.01.17)
コメント