« いつかはいなくなる | トップページ | お母さんの顔が見たい »

2009年7月 8日 (水)

木製の手摺り

2009.7.6付 朝日歌壇より
掌に湿り伝わる木製の手摺りを頼る梅雨入りホーム:(あわら市)北條顕英

「ホーム」は「home」でしょうね。「platform」ではないですよね。
木製の手摺りがじとじと湿ってしまった、快くはない感触に、生きることの難儀さを托した歌でしょうか。

全く別の感慨が私の中に去来します。
金属手すりの冷たさ、です。
若いころ、駅で乗降する群衆の一部であり得るほどまだパワーがあった頃。でも、階段を上るには右足一本で、一段抜きで上がらないと、普通の方々とスピードが一致せず危険でした。ですから、右手で手すりをつかみ、腕力である程度引き上げる必要がありました。
冬の駅。手すりが冷たいのです。手袋をする習慣のない私でしたが、冬の駅の手すりだけは苦手でした。手袋の必要性を感じたものです。
冷たすぎる。痛い。
木製手すりは、暖かいというわけではないが凍るような冷たさはないのです。
ただ、人の手垢などが付くのでしょうね、湿った日はべとべとになります。衛生的ではないのでしょうし、作るのも大変でしょう、いつか木製手すりなど消えてしまいました。

つかまる人に元気を与えてくれるような、優しいてすり、って、できないものでしょうかね。

« いつかはいなくなる | トップページ | お母さんの顔が見たい »

崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« いつかはいなくなる | トップページ | お母さんの顔が見たい »

2023年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ