お母さんの顔が見たい
2009.7.6付 朝日歌壇より
「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」とピアノ弾ききて:(岡山市)梶谷基一
永田和宏 評:盲目のピアニスト辻井伸行氏の言葉を詠んだ投稿が多かった。
あまりこの件について語るべきことを持ちません。
奈良県で、車いすで生活する生徒の入学を拒否した中学校があって、奈良地裁の仮入学を認める決定で、通学が始まったというニュースがありました。
軽度のマヒがあるだけで、言語障害も軽度ですし、体幹を保持する力もおありのようでした。
介助者を一人つけて、おぶって移動すればよいのです。行く先では簡易型の車いすでも多分大丈夫。エレベーターがなければ、ないなりに工夫はできるはずです。
学校は知的教育、情操的教育、体育的教育などの場です。
身体障害者には、体育的教育はかなり難しい側面もあるでしょうが、知的教育、情操的教育に何らの不都合はありません。大人の無理解だけがバリアなんです。
知的障害者には、情操的な教育、芸術的な能力の育成などができます。
「障害者」という言葉でひとくくりにして、「障害者は何もできない」、などと思い込むから、辻井さんの活躍が「障害を超えて」ピアノを弾くという「美談」になってしまうのです。
人は自分にできることをするだけです。
その出来ることの幅を広げ、伸ばすのが教育じゃないですか。
情けないよなぁ。
私はよく言ってきました。
いわゆる障害者というものは、いわゆる健常者がつくり設けた「障壁」につまづいてしまう人のことなんです。
どちらが「障壁=バリア」をつくったのですか?
いわゆる健常者だと思っている方々、あなたがたこそ、障壁の作り手、本当の意味での障害者ではないのですか?
過激な物言いですみません。驚いてください。その驚きから、現実を切り開いてください。
先駆者は過激だ、なんて粋がる年でもないなぁ。
{内緒話:私は「左脚の障害を『超えて』、両手でブログをかいている」のですよ。何と感動的なことでしょう!!}
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